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口なきものの口

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 先輩は今日一日、どれほどパワーを使ったかって、実感がありますか?

 人によっておおよその違いはありますが、仮に一日に使われるカロリーが2000キロカロリーだったと致しましょう。

 1キロカロリーは1リットルの水の温度を1度あげるのに必要なパワー、というのは先輩もご存じかと思います。2000キロカロリーともなれば、1リットルの水を2000度あげることが可能ということですね。蒸発して、なくなるんじゃあ? なんてツッコミはなしです。

 我々が入るお湯は40度前後と考えると、その50倍の熱さを一日に提供できてしまう。想像してみると、なんだかすごくありませんか? それが身体の中の様々な機能を働かせるのに使われつくしている。

 体が働きものであるのに違いありませんが、果たしてそれだけでしょうか?

 着服、くすね、ごまかし……他人のものを、ちゃっかりいただこうとする働きは、どこにでもあります。作り出す労力をまるまるカットして、成果だけをわがものにできちゃうのですから、メリットは大きいです。

 ひょっとしたら、私たちのエネルギーもなにかや誰かに使われているのかも……。

 以前、わたしが母から聞いた話なのですが、耳に入れてみませんか?


 母の地元は、昔から美人が多い地域としてしられていました。

 美意識そのものは時代によって変遷しますが、発育であったり、肌の色つやであったりと、ひとめで「素敵」と思えるのが、美人の条件でしょうね。中身が大事といわれても、かかわる機会がなければ触れることができないものですから。

 美を保つには栄養が必要。少食も上品ではありますが、資材たるエネルギーは取り入れられるに越したことないし、それを活用できるならなおよしでしょうね。

 多く食べながらも、体型をみだりに崩すことはない。いわゆる、やせの大食いスタイル。それが母の地元でいう美人多しを支えていた要素なのかもですね。


 母もまた食べても食べても太らない人でした。

 学生時代は一日五食が当たり前という健啖ぶりで、朝昼夜の三食におやつの機会が適宜二回。場合によってはそれを超えることもあるとか。

 とにかく、お腹が減ってしかたない。学校のある日などは午前中からお腹がならないようにすることばかりに気がいって、満足に集中できないときがしばしば。夜も夕飯をたらふく食べても、お風呂をあがるときにはのぼせと一緒に、お腹が減ってふらつきを覚えてしまうほど。

 そのため、母の部屋にはいつも個包装のおせんべいなど、手軽につまめるものが常備してあり、寝しなに食べることは多かったといいますね。

 そのような生活を続けながらも、母は自分の体重、スタイルを維持することができていたんです。格別、運動などに力を入れずともですね。

 母本人は、一部の人が悩まされる体型の問題と縁遠いことに安堵し、気ままに過ごしていたのですが、一度祖母に連れられていった、特殊な場所があったのだそうです。


 母の家のお墓は、家から歩いて向かうことができるほどの近場にあります。

 なので、休みの日にたまたま手が空いていた母が、祖母に唐突に「お寺へ行こう」といわれたのも、「ははあ、お墓参りでもするのかな」と思ったそうです。お盆などではないですが、前回のお墓参りからそれなり時間も経っていましたので。

 けれど、いつもならお墓参りのときにお花を持っていくのですけれど、今回はそれがありません。代わりにお線香を少しと、個包装のお菓子がたくさんです。


 ――んん? 無縁仏さんにお供えすることとかあるけど、量が多すぎるような。


 ビニール袋いっぱいに詰め込んだお菓子に、母は首をかしげてしまいます。

 それでもそのままついていき、ほどなくお寺に着いた後。お線香をあげたあとで、祖母は母の想像した通りに、身を寄せ合うように墓石の並ぶ無縁墓へお菓子を供えていきました。


 それが終わった直後に、母は感じました。

 まずは臭い。にわかに漂うこの香りは、つい鼻をつまんでしまいたくなる強烈なものでした。

 臭みではなく、痛み。まるで刃のあるもので、鼻の奥の粘膜をぞりぞりと剃られたかのようで気持ち悪かったとか。そのうえ、自分のみならず祖母も同じように鼻をおさえているのです。

「やっぱり、まずかったねえ」とひとりごちながら、口を開いたままのビニール袋を母へ差し出してくる祖母。中にはまだまだ量をたたえるビスケットやチョコレートがあります。

 お供えしたときにもちらりと見ましたが、どこのお菓子会社のものか分からない、赤一色のパッケージに「ビスケット」や「チョコ」などと書いてあるばかりだったのです。


「早く食べな。その痛みが止まらなくなるまで」


 そううながされて、母はチョコレートのひとつを手に取ります。

 祖母は手慣れているのか、すでにひとつ、ふたつと器用に包装を取り去り、中身を口へ放り込んでいきました。

 母もそれにならい、パッケージを破いて出てきた、立方体の形をした一口大のチョコレートを口へ含みます。


 甘い、の一字でした。

 これまで母が食べたいずれのお菓子も圧倒する甘さ。好きとか、おいしいとかを超えて、この世の甘味という甘味を凝縮したかのように思えたようです。

 あまりの甘さに舌はバカになり、歯がとけて、あごも上下に分かれてちぎれ落ちていく……そんな光景がつい脳裏に浮かんでしまうほど強烈だったそうです。

 鼻の奥の痛みはというと、若干は引きましたがまだ足りず。かといって、二個めを食べることは躊躇される甘さで、母はぐずぐずしてしまいます。

 祖母は5つを食べきりましたが、まだ母がもたもたしているのを見ると、手ずからビスケットの袋を開けて、中身を口へ突っ込んできます。


「早くおし。さもないと、この世が溶けちゃうよ」


 そう話す祖母の背中越しに、母は見ました。

 お寺のお堂の切妻の屋根。そのふち全体が溶け出して、つららのように長く長く水を垂らしているのを。

 自分がビスケットをろくに味わわずに飲み込むと、鼻の奥の痛みがおさまるとともに、お寺の「溶け」もまたぴたりとやんだのを、母は味わったのです。


 私たちが太りづらいのは、摂取したものを世界がいただいて、維持に使っているから。

 私たちはみな口なき世界の口。やがて役目を終えるまで、私たちは健啖であり続けることが大切と。

 母もいつごろからか、その役目を終えたのか。今は昔がいいスタイルだったなんて思えないほど、ぽっちゃりしているんですけどね。

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