犬のススメ
「・・・・ゥ、ヨウ、起きてよ。もう昼だよ」
声に押されて、覚醒する。
「・・・・ミツ?」
「いないから。ったく、なに寝ぼけてんの、らしくない」
キリヤがぼやきながら、すでにくっつけてある机で、購買で買ってきたらしきパンを食べている。
俺は自分が何をいったか理解しないまま、ぼんやり身体を起こした。
意識がふわふわしてる。
昨日、遅かったわけでもないのに。
「ヨウ、食べようぜー?俺、腹減った」
なんだか悲しそうに、イチが身体を左右に揺らして、俺にいう。
そんなになるくらいなら、キリヤのように先に食べていたらいいと思われるだろうが、それが、まぁこのイチ犬の可愛いところだ。
「悪かった。食べよう」
頭が回らないせいか、端的な言葉しか出てこない。
だが、イチは嬉しげに笑うと、ごそごそ自分も弁当を取り出して、ぱくつき始めた。
俺もそれを確認してから、今朝鞄に突っ込んだ弁当を取り出す。と。
「・・・・あれ?」
ない。
弁当箱が、欠片も、姿形痕跡塵一つ、ない。
固まっている俺に、
「おーい、ヨウ、どぉしたーーー?」
口にものを含んだまま、もごもごと喋るイチにも気付かず。
「ヨウが俺をシカトするーーー」
飯を食べながら号泣する、という外見不良、中身子犬の器用なイチに、キリヤは眉根を寄せて、一言。
「うざいんじゃない?」
「うあぁぁーーー、俺、死にたくなってきた。今死のう、すぐ死のう」
マジな目でいいながら立ち上がろうとするから、「はいはい、いいから座りな、犬」とフォローになってないことを冷たくいう。
「犬じゃない!!」と暴れさせて気をそらしたところで、「犬だったら、可愛がってあげるよ?」と妖艶に笑ってみせる。
その笑みは、年上のお姉様すらイチコロの威力を持つ、大変魅力的なもので。
五月蝿いイチを黙らせるには、とても効果があった。
俺は、そんなやり取りを目の端に捉えながら、頭はめまぐるしく回転してる。
どうしたんだ、今朝、確かに入れた、はず。
ミツに弁当箱を手渡して(最初は当番で作っていたのだが、ミツが極端に朝弱いため、今はほとんど俺が作っている)、外に・・・いや、もしかして台所の棚に置き忘れたか?
だが、袋には入れたはずだから・・・袋?
俺、ミツに手渡すとき、手が空いてなくて、ミツの袋に自分の分もいれてなかったか?
そうだ、それだ!!
がたん、と勢いよく立ち上がると、横でキリヤのいい玩具になっていたイチが、びっくぅ!と面白く飛び跳ねた。
「お前芸人になれ」
お前のリアクションで世界が取れる。
いうと、イチがきょとん、と目を丸くした。なんかいちいち犬くさいな、コイツ。
と、いかんいかん。
つい、思いが口をついてしまって、本題を伝えるのを忘れていた。
「キリヤ、俺ちょっと弁当とってくるわ」
「え、買いに行くんじゃなくて?」
「おう、ちょっとな」
それだけいって、教室を急ぎ出る。
昼食の時間は限られている。さすがに、育ち盛り(まぁ、俺はちょっと育ちすぎだが)の身にはつらい。
俺がいなくなった後。
「ねぇ、俺ほめられた?」
呆然としていたイチが、普段に似合わないテンションで、ぽつりとつぶやいた。
「え、えぇー。あぁ、うん。まぁ」
たぶん。と。
どこまでも歯切れ悪く、キリヤがどういっていいものやら、と思い悩む。
キリヤにも判別しがたかったので。
「そっか、あは、そっかぁ」
えへへ、とはにかんで嬉しそうに笑うイチは、どうやらその言葉を肯定と受け取ったよう。
外見がいかにもガラの悪い不良なだけに、えへへ、なんて可愛らしく笑う姿は、シュールだ。
しかし、それを意外に可愛いと思える自分が嫌で、キリヤは極力見ないようにつとめながら、手に持ったパンをかじる。
どうかこのパンがなくなるまでに、その顔をやめてくれ、と心から願いながら。
「えへ、芸人かぁ」
くふふ、と笑い、つぶやく言葉は、指し示された一言。
キリヤは口には出さずに、芸人なんて向いてないだろうに、と思う。
もともとが人見知りで臆病で、なのに寂しがりなのだ。コイツは。
なのに無駄に顔が整っていたり釣り目だったりしかも口下手だったりしたものだから、あちこちで喧嘩を売られて。
みんなに避けられて、怖がられて、誤解されて。
だから、自己防衛でこんな風になった。
おかしな夢など見ずに、自分らしく、いればいいのに。
犬で、いいのに。
キリヤとヨウ、どちらも異質な存在になつく、馬鹿な犬。
ぼそり、っとキリヤがつぶやく。
「・・・犬、だからな」
情が移るのも、仕方がない。