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歌のおねえさんの卒業

お題にチャレンジしました。

歌のおねえさん

平成初期

ゼロ

文字数は2000文字以内

「おい、歌のおねぇさんがタバコとか吸うなよ」

「元、よ。今日でおしまいだもの」

「でもよ。お前卒業しても声楽で食ってくんだろ? 喉は大事にしろよ」

「ハイハイ」


本当に言いたい事を堪え、ため息の代わりに深く吸い込んだタバコを適当に揉み消してベッドを出る。

底冷えする空気に身を震わし、その辺に丸めた服を漁ろうとして……めんどくさくなって裸のまま窓を開けた。


おぉさぶ……と、布団を手繰り寄せる幼児番組のプロデューサーの声を聞きながら、新年の空気を肺いっぱいに吸い込む。


きっと外には、私の憧れた東京のど真ん中では2000年……ミレニアムを祝う喧騒が鳴り響いていることだろう。

けれど、都心を外れた国道沿いのラブホの周囲は静寂に包まれて、遠くで暴走族のエンジン音が聞こえる程度。


「どうせなら渋谷に居たかったな…」

「しょうがないだろ。歌のおにいさんがパクられた上、歌のおねぇさんの不倫じゃ今度こそ俺の首が飛ぶからよ」

さぶいと震えながらもそもそと服を着る冴えない中年男のたるんだ腹を振り返りながら。

「それはアンタの都合じゃない」

「アンタこそ、そのだらしない欲望を我慢出来なかったわけ?」という罵り言葉をぐっと堪えてため息と共に眉間を揉む。


歌のおねぇさんに相応しくないと、つい我慢してしまう癖はついさっき解任されても相変わらずだ。

部屋の隅で無造作に転がっている大きな花束。

自分の顔くらいの大きさの花束を無垢な笑顔でおっかなびっくり受け取った、上京して音大に通う地方のお嬢様が。

スタジオを出たその足で、妻子あるプロデューサーと合流し、都心を脱出して年を跨いでラブホテルに篭ってるとは誰も思うまい。


1999年7の月、大人になる前にはとっくに滅亡していると思っていた世界で。

私は、あらゆるコネで掴んだ歌のおねぇさんの地位をクソみたいなコネで採用された歌のおにいさんの不祥事で首になったその日に10も離れた中年男と寝ている。


コイツも、まぁまぁ可哀想な奴で。

自分の弟のように可愛がって来た、某大御所演歌歌手の息子の、声だけはいいけど音程が絶望的な。

だけども笑った時の素朴なえくぼが可愛い……なんて持て囃された朴訥とした好青年がパクられてしまい、今後の地位がないようなものなのだ。


そのやけっぱちから、千年に1度のミレニアムの大晦日。自分が担当する子供番組の歌のおねぇさんかつ浮気相手の女子大生と年越しデートなんて暴挙に出たのだろう。男ってのは下半身が絡むとどいつもこいつもみんなバカなんだろう。


そして、今まで愛しているフリをした手前、断れなかった私も大概バカな女だろう。

それに、特に予定もなかったし。まぁいいかってのもある。まさかこんなスキャンダルに塗れて家出同然に飛び出したド田舎に里帰りする訳にもいかないし。


それに、音大生としてオーディションを受けた時点で学校まで知れてしまっているんだから仕方ない。

やけっぱちの男ってのは何をしでかすか分からないのだから。

奨学金と実家が体裁のために払ってくれてる学費のみで青山のお嬢様ぶって音大生をやってる私から見て十分に恵まれているように感じた。

コネとはいえ有名な子ども向け番組に出て、社会現象になりかかった流行りのソロ曲なんかも持たせてもらっている歌のおにいさんが。

親と比較されるプレッシャーで追い詰められて、よりにもよって児童買春容疑で週刊誌にリークされた上に。

その児童と無理心中を図ってパクられるだなんて事があるくらいなのだ。


下手に冷たくして、援助だったのに気づかれて最近流行りのストーカーなんかになった暁には目も充てられない。

私がなりたかったのは都会の歌のおねぇさんであって。自分の地位や魅力を勘違いした中年男に滅多刺しにされる可哀想な女ではない。

そもそも、男なんて必要ない。私には、歌だけあればいいのだ。

幼い頃からそうだった。私は私の身体と心と歌だけでここまで来たんだから。


そう。ゼロに戻っただけ。1900年代が2000年代に戻ったように。

ケータイの機種変で番号が変わったようなもの。おめでたい新年なのだ。

今まで守っていたクリーンなイメージも、この騒動が風化すれば、手垢がついて打ち捨てられるだけ。


「なぁ、歌ってくれよ。正月の歌がいいな」


いつの間にか背後に来た男の腕が背中に回り、その服から伝わる不愉快な体温で、自分の身体が思っているより冷えていた事に気づく。


もっと喉を大事にしろとか、イメージを大事にしろと言う癖に。冷えきった喉で水も飲まずに歌えと言うのだから。この男は結局、私の事なんてどうでもいいのだろう。

私と同じように。


無垢なものを汚した快感を味わえるから、事後には無邪気な歌を歌って欲しいと言う男のリクエストに応えるため、新年の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

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