5.奇襲と脱出
深夜の居住区を三台の特殊車両が走る。
瀟洒なマンションの建ち並ぶ一角にそれらは音もなく停止する。
最後に停止した大型車両の後部ハッチが開くと、そこから黒装束の特殊部隊の隊員らが次々に降りてきて闇の中をどこかへと散らばっていった。と同時に、先頭の指令車両の屋根から数機のドローンが飛び立つ。
その先頭車両の中、奥の席に座るケイジュは多数のディスプレイに囲まれている。レイテンシがゼロのハード直結の機器だ。彼の前では数名のオペレータらが作戦の準備に余念がない。
ターゲットは眼前のマンションの最上階、六〇一号室。スズキ・カリナ名義で賃貸契約されている1LDKの部屋。その間取り図がケイジュの眼前のディスプレイのウィンドウのひとつに表示されている。
ドローンから熱源探知の映像が送られてきた。ケイジュの推測どおりに部屋には二人の人物が寝ている。間取り図と照らし合わせてみれば、リビングにひとり、寝室にもうひとり、だ。さほど明瞭に姿形まで判別できるものではないので、どちらがレオなのかは判然としない。
スズキ・カリナのネットにおけるアクティビティを詳細に調べたところ、今朝、彼女が自宅にロケーションメモを残していたことが判明した。その内容によってレオが昨日のうちに部屋を出て行ったという彼女の証言はウソだったことがケイジュに知れたのだった。普段の彼女が独り暮らしであることも判明している。
カリナが依然としてレオを匿っているだろうことは間違いのないところと判断された。
今度こそレオを逃しはしない――ディスプレイ光に照らされるケイジュの顔つきがその決意を物語っていた。
〈総員、配置につきました〉
部隊からの連絡が入った。
ケイジュは小さく咳払いをし、口を開く。
「作戦は事前のブリーフィングの通りである。ターゲットの部屋には二名の存在を確認済み。ひとりは玄関ドア正面前方のリビングに、もうひとりは東側の寝室にいる。どちらかが本来のターゲットであるが、映像では判別不能ゆえ、両名とも生きたまま捕えよ。ひとりは一般人であるが手加減は不要である。さしたる抵抗はないものと思われるが、万全の対応をもって事にあたれ」
アナログの無線を通じてケイジュは全員に通達した。前回の失敗の教訓から、彼は基本的な指令について旧式の無線装置を通じて行うことにしたのだ。ネットを介しての指示はすべてレオに筒抜けとなる、それを避けなければならない。機器は五十年も昔のものであったが信じがたいことに今だにメンテナンスされていた。先の戦争中にも一度、実戦で使用されたことがあるとのことだった。ただ残念なことに、すべてを非ネット対応のものに差し替えることはできなかった。あくまで指示系統の連絡機器だけだ。
ケイジュは勝利を確信している。ただひとつ気がかりなのは、ブリーフィング中の隊員の中にはあからさまに「たかが非戦闘員の青年をひとり捕まえるのにそこまでするか」という態度を示していた者が少なからずいたことだった。残念なことに思われたが、レオが十二天子のネイティブハンドラーであることはごく一部の限られた人間にしか開示できない情報である故、そういう反応をされてしまうことに対しては有効な手立てがなかった。
「作戦開始」
彼は総員に告げた。
玄関から部屋の内部に突入する人員、リビングの窓側と寝室の窓側とでそれぞれ逃亡を防ぐ人員の三チーム編成である。玄関側チームが玄関のドアの蝶番を破壊する作業にかかっている。窓側の二チームは屋上で待機している。突入と同時にロープを使って六〇一号室のバルコニーに飛び降り、窓を打ち破って玄関側の突入組に合流する手筈だ。催涙弾を使うため、全員がマスクを着用していた。
〈突入準備完了〉
音声がケイジュの耳に届いた。彼はマイクのボタンを押した。
「突入せよ」
玄関ドアが外されると同時に、内部へと催涙弾が撃ち込まれた。それはリビングへと通じるドアの磨りガラスを割って、その向こう側に転がった。
カリナはリビングのソファで寝ていた。状況を理解する間はなかった。突然の息苦しさに咳き込みながら目を覚ましたが、同時に体のあちこちが強烈な痛みに襲われ、ソファから転げ落ちた。そして次の瞬間には暗い部屋に大勢の人間が踏み込んできた気配があったかと思うと、あっという間に手を後ろにねじり上げられて頭を床に押し付けられた。催涙ガスによる痛みのあまり目を開けることさえできない。彼女はただ恐怖と体の痛みを感じていた。頭は混乱していて、ただ自分は悪夢を見ているだけなのだ、と認識しようとしていた――それが欺瞞にすぎないこともわかっていたが。
「一名を確保」
マスク越しのくぐもった声が耳に届いたときにはカリナの意識は遠のき始めていた。
寝室のほうに突入した隊員らの働きは、リビング側を担当した者らのようにはいかなかった。彼らが目にしたのは空となったベッドであった。
そのときドローンからの映像を見守っていたケイジュは、信じられない思いでディスプレイを凝視していた。その中で起きていることの意味を理解するのにワンテンポを要した。
突入直後の映像には、東側の窓から屋上に飛び移る青年の姿が明確に映し出されていたのである。
東側に窓だと――?
ケイジュは間取り図に視線を投げた。寝室には南側の大きな窓と西側にリビングに通じる扉があるばかりである。北側はビルトインのクローゼットで東側は〝単なる壁〟だ。
やられた――。
突入した隊員らが開け放たれた東側の窓から下を覗いているのがディスプレイに映し出された。
「何をしとる! 上だ、上!」
ケイジュは怒鳴った。
「オペレータ!」
指示されるまでもなくオペレータはドローン群を一斉に上昇させた。ディスプレイにはマンションの屋上が映し出されたが、そこを斜めに突っ切って反対側から下のほうへと飛び降りるレオの姿が一瞬、捉えられただけだった。一機のドローンがその方角に彼を追った。
ケイジュは下唇を噛んだ。
間取り図は事前に書き換えられていたのだ、レオによって――。
「ターゲットは逃亡。作戦はプランBに移行」
総員に通達。しかしもはや作戦が失敗だということを認めざるを得ない状況であるのは明白だった。
レオは隣のマンションの一室のベランダに飛び降り、柵のコンクリ部分に身を隠した。そのすぐ横をドローンが通過していったのが見えた。その場で荒い息を整えた。
彼のバイザーには、今、この作戦に参加している特殊部隊の全員のモニター画像がタイムスライスで表示されている。作戦行動時のモニター映像は後々の作戦評価のためにアーカイブされないとならないルールであるから、すべてがネットを経由して保存されることとなる。レオが見ているのはその経路だ。彼の能力をもってすればたかだか数十人分程度の画像を同時に認識するなど朝飯前以外の何者でもない。
カリナがストレッチャーに載せられて運ばれる映像が数名のモニターから確認できた。彼女は気を失っているようだ。レオはその行方を注視する。
ストレッチャーは三台の特殊車両のうちの中央、救護搬送車に収納された。
搬送車の中には一名の女性医師がいた。他には誰も乗っていない。医師はカリナの容態を確認し始めた。
レオは全体の状況を見ている。隊員らは要所要所に散らばり警戒を続けていた。同時に非常線も敷かれた。
自分のいる場所近辺を警戒している隊員三名を特定し、レオは〝介入〟を行う。彼らの暗視スコープのモジュールにアップデートを強制ダウンロードさせる。それにより彼らの視界からはレオの姿だけが消されるというハックが仕込まれた。彼はそれを思考の速度でやってのける。それを済ませて彼はベランダから身を乗り出して、一フロアずつ下へと降りていった。大きな音を立てないようにだけ注意をする。派手に音を立ててしまえば隊員らに自分の存在を気づかれる恐れがあるためだ。彼らは作戦中は薬剤を用いているため体力・視力のみならず聴力も通常状態より〝強化〟されている。
数分をかけてレオは地面に降り立った。彼は肉体的には平均以下、いや偏差値で言えば三十五程度の能力しか持っていない。体力を使う作業は苦手であるが、普段からトレーナーの指導を受けているので体の使い方そのものはきちんとできている。
マンションの建物の影に沿って進み、彼は三台の特殊車両が見える位置に出た。その前後を二名の隊員が警戒に当たっている。彼らのスコープにもレオは〝介入〟する。それから悠々と中央の搬送車に向かった。もちろんここで隊員らがスコープを外してみればそこを歩いているレオの姿が一目瞭然となるわけだが、たとえ多少のことがあっても人は闇の中で暗視スコープを外すなどという行動に出ることがないことを彼は心得ている。
レオは搬送車のすぐ横にまで近寄った。
運転席に誰も乗っていないことを目視で確認してから彼はそこに乗り込んだ。車両のモニターによれば医師はカリナの手当てを終えたようだ。運転席側と後ろの搬送部は互いに独立しているので直接にそちらを見ることはできない――レオにとってはまったく問題にならないことではあるが。
助手席には誰かの脱いだ警察のウインドブレーカが置かれていた。レオはそれを手に取り、袖を通した。首元までジップを上げる。
それから彼は医師のバイザーに介入した。そこから指令車に向けてメッセージを送る。「収容した女性の容態が思わしくないため、いったん現場を離れ、病院に搬送したい。許可をお願いする」
それを受けたケイジュはすぐに許可を出した。一般人に万が一のことがあると後々の処理がやっかいなことになるし、正直、スズキ・カリナのことなど、もはや彼はどうでもよかった。よもや自分の乗る指令車のすぐ後ろの車にレオが乗り込んでいるなどとは彼は露ほどにも思わなかった。まして医師からのメッセージがレオの偽造したものであろうなどとは。
レオは車両のコンピュータに命令を出した。車はゆっくりと移動を始めた。
運転席にはハンドルやアクセル、ブレーキなどの装置はついているが、それはあくまで緊急時に道路交通法を度外視した運転をする必要が出てきたり一般道路外を走行せねばならないケースのためのものである。特殊車両とはいえ運転は自動だ。レオがハンドルを握る必要はない。
建ち並ぶマンションの間を車は進む。車両後部では医師が椅子に腰掛けているが、車が移動を開始したことについては特に疑問を抱いていないようだ。作戦が完了したのだろう、くらいに受け止めているものとレオには思われた。
すぐに検問の行われている場所に近づき、車は減速した。パトカーが二台、道の脇に停まっている。警官らがその脇に立っていたが、彼らのバイザーにはレオの乗る車両の通行許可が出ていることが表示されている。介入の必要もなかった。
彼らが搬送車に向けて敬礼したので、運転席のレオは返礼した。
車は再び加速を始めた。
まもなくそれは居住区を離れ、幹線道路に入った。
深夜の街の中をスムーズに車は進む。
周囲には他にほとんど車が走っていない。時折、宅配のトラックが行き交うばかりである。運転席のレオは両膝を抱えるポーズとなった。
後部のモニターには変化がない。医師は椅子に座っていて、カリナはストレッチャーの上に寝かされている。
レオは医師のバイザーに再び介入した。睡眠導入プログラムをダウンロードして動作させる。隊員らと違い、医師は〝強化〟されていない。女医師はたちまちのうちに深い眠りに落ちた。
搬送車は幹線道路から地下高速道路へと移動した。
一旦、東京の中央まで出て、そこから北上を始める。
地下を走るルートはやがて高架へと変わった――中央東京エリアを出たのだ。
空は白み始めていた。