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2.白い建物

 公安局本部の建物の前には今日も抗議デモの群衆が座り込んでいる。そのほとんどの影は薄い。彼らはタイムスライスで抗議に参加しているからだ。中には同時に議事堂と官邸前のデモにも参加している者もいるだろうし、なんにせよ半分以上の時間は本来の自分の仕事をしているはずだ。働かねば人は生きていけない。

 十二天子じゅうにてんしの詳細を明らかにするとともに、その活動を即時停止させろ、というのが彼らの要求である。

 ――そんなこと、できようはずもない。

 公安局の高官にあてがわれる個室の窓から群衆を見下ろしつつ、イソザキ・ケイジュはそう考える。

 政府は半年ほど前に『十二天子』の存在を公式に認めた。

 それは日本国内のあらゆるオンラインデータを監視することで犯罪を検知・予防するシステムの名称である。実際のところ、このシステムは二十年余りも前から――つまりは戦前から――稼働しており、今や日本の治安を守る上では欠かすことのできないものだ。同様の機構は他の国々でも実装されていて、大抵の国において自由を主張する国民との軋轢を生んでいる。

 ――治安なくして自由など語ることすらできるものでもあるまいに、戦後十年も経たぬうちにはやくも国民は平和ボケしてしまった。

 それがケイジュの頭の中での定番の繰り言となっている。

 国内では十二天子の存在は長い間、極秘に扱われていたが、国外の状況からして日本でもそのようなシステムが存在するであろうことがマスコミなどに取り上げられ、それに扇動された市民らの圧力に屈する形で政府はその存在を認めることになったわけだが、最終的に公表を決めたのは他ならぬ十二天子自身である。

 隠し通せるものでもなかったかもしれないが、十二天子運用の責任者たるケイジュは今だそのことを苦々しく思っている。

 政府が存在を認めたことで、セキュリティ上のリスクが跳ね上がってしまったからだ。

 十二天子の在り処が知られたら、それこそ過激派によるテロ攻撃対象となる懸念まである。当然その所在地は極秘事項とされているが、それが外部に漏れることのないようにそれまで以上の配慮が求められる状況となった。それでもネット上では拠点についてのいくつかの説がまことしやかな解説付きで語られていて、それらの中にはかなり際どい線をついているものもあったりする。

 ケイジュは視線を上げる。窓の外に広がっているのは東京の中心地、皇居――またの名を『ヴォイド・ゼロ』――だ。そしてそのさらに向こう側左手に見える白い建物、それが十二天子の隠された拠点である。彼は無言でその白く輝くのっぺりとした建築物を見やる。

 その所在地もそうだが、他にもうひとつ、十二天子にまつわる重大な機密が存在する。そちらについてはネットに飛び交う数多の言論の中でさえ今のところまったく誰も触れるに至っていない。もしもその内容が世に知れたら、いろいろな意味で非常にマズいことになる。なんとしても十二天子の実態についての秘密は守り通されなくてはならない――そうケイジュは考える。

 反政府主義者らは、国家間防災壁グレートファイアウォールの内側のネット、すなわちオルターネット中に張り巡らされたbotボットネットワークとそこからアグリゲートされたデータを解析する巨大AIによるシステムというのが十二天子の実体である、と推測している――実際、他国のシステムはだいたいがそのようなものであると考えられている。

 だが十二天子はそれとは一線を画するものだ。

 それにしても――。

 ケイジュは窓を離れ、椅子に腰掛けた。

 ――予想もしなかったリスクがあったものだ。

 彼はため息をつく。

 ハンドラーが脱走するなどとは――。


 それから三十分ほどの後、車から降り、建物へと入るケイジュの姿があった。さきほど彼が執務室から眺めていた白い建物である。

 その内部は一見、普通の古い官公庁の建物のようである。三つのそれぞれ異なる認証方式によるゲートを経て彼はエレベータに乗り込む。それは上層のフロアに直通となっている。

 扉が開き、彼は前に進み出る。四つめの認証ゲートが目の前にある。

 ゲートドアの前の空間に背の低い中年女性の姿が現れた。

「あら、イソザキ」

 その口から声が放たれた――もちろん実際にはバイザー経由でそれは伝わっている。

「お休みのところを恐縮です」

 ケイジュはそう返す。

「私の名は?」女性は続ける。

「ヒルマ・エリ」

 淀みなく彼は返す。ここで相手の名前を正確なイントネーションで言えなければ認証は通過できない。併せて登録済みの声紋と一致もしなければならないという二重の認証になっている。いや、相手が訪問者の顔や姿形のチェックもしているので、三重である。

 エリのバーチャルの姿が消え、ドアが開いた。彼は一歩、中に入る。ここは二重扉になっているが、両方の扉が同時に開くことはない。これはセキュリティ上のものとは別の理由によるものだ。

 彼の後ろのドアが閉まり、続いてすぐに前の扉が開いた。

 とたんに湿った熱い空気が彼の体にまとわりつく。常にスーツ姿のケイジュにとってはこれが不快でしかないのだが、合気道の師範でもある彼は多少の暑さや寒さに自らが左右されることを潔しとしない。何事でもないかの如くに足を進める。

 この部屋の気温と湿度はハンドラーたちの健康にとって最適なものに設定されている。

 内部は円形の広場になっていて、その中央にはジャングルの如くに大量の樹々や草花が植えられており、周囲をぐるりと人工の小川が流れている。さらにその周りの空間に様々なオブジェの如くに長椅子やらベッドなどの家具類が配置された形だ。

 そのひとつに人影がある。彼はそちらに足を進める。

 長椅子に横たわる女性。それはさきほどゲートの前に出現した人物、ヒルマ・エリである。バーチャルの姿と異なり、そこには体の重みが感じられた。いつものバスローブに身を包んでいて――休憩中のハンドラーは大概この格好である――目は閉じられていた。

 ケイジュは長椅子の手前に立ち、口を開いた。

「お休みのところを」

「それはさっき聞いたわ」

 エリは気だるく返事をする。それからゆっくりと目を開いた。

 いつもより疲れていそうだな、とケイジュは思う。さもありなん、いつもは常時二人がシフトから外れて休憩しているところが、ひとりが欠けてしまったのだから単純に休憩時間が半分になっているはずだ。ハンドラーは一日のうちの四時間がオフタイムだが、そのうちの一時間は人間としての体力を維持するためのエクササイズに充てなくてはならない。そうするといつもは三時間休めているところが今は一時間になっているという計算になる。

 ディープダイブ時は肉体が睡眠時以上にリラックス状態になるのでハンドラーに睡眠は不必要とのことだが……。

「お疲れのようですな」彼はそう口にする。

 エリは中空を見やる。

「この休憩時間が最もダルいのよね。もう二十四時間、コクーンの中に入っていたいわ。別にそれで筋肉が退化したって今更それで困ることなんかないもの。お世話する側は大変になるでしょうけども。どうせ私は死ぬまでここから出ることはないでしょうし」

 十二個のコクーンと呼ばれる装置がこの上のフロアにある。その中にハンドラーがひとりずつ入り、十二天子を操作する。いや、操作するという表現は正しくない。十二天子と一体となる、というのが正しい。彼らに与えられている『ハンドラー』という呼称は「十二天子を操作する者」という意味ではない。日本国内のあらゆるオンラインデータ、ひいてはこの国そのものを操作する者という意味合いである。

 十四人のハンドラー。しかし、今、そのうちのひとりが脱走しているわけだ。これはまったく想定されていない出来事だった。この建物は中に入るためには厳重な認証チェックを受ける必要があるが、中から外に出るには何のチェックも求められない。そもそもハンドラーは罪人でもなんでもないのだからして中に閉じ込める形にはできない。

 とはいえこの十二天子というシステムの成り立ちそのものが法的に見れば限りなく黒に近いグレーであること――生体をシステムに接続する際に用いられる薬剤が法的な認可をまったく得ていないのだ――からして関係者は全員すでに罪人であるという見方もできよう。もしそれが公になり立件されるようなことがあるとしたら、だが。

 そう、十二天子とは、十二個の人間の頭脳とAIとネットワークとをハイブリッドさせたシステムなのだ。その処理能力は地上のあらゆるスーパーコンピュータの性能を軽々と凌駕する。

 ハンドラーは薬剤によって拡大された認知能力により、膨大なデータを瞬時に認識する。そして必要に応じてデータの改変をも行う。システムによるサポートによって文字通りに思考の速度でそれが行われる。そのときのハンドラーの知覚は、まさに自身が神になったかのようだという――。

「死ぬまでということはないでしょう。少なくともヒルマさんは形としては科学省の職員ですから六十五で定年となります」

 ケイジュはエリに向けて言った。

「ハッ、そりゃ私はネイティブじゃないからね」

 彼女はそこでひと呼吸置いた。

「もしね、あと一年、ハンドラーを続けていられたら、私がハンドラーの最年長記録を作ることになるのよ。ヤマモトが亡くなったのが四十七と八ヶ月のときだったから。あとちょうど一年で私がそれを超えることになる」

 そうだった、とケイジュは思う。もう四年も前の話だ。当時最年長ハンドラーだったヤマモト・ケイが死んだ。その原因ははっきりとはしていない。そして死んだのは彼一人というわけでもない。ハンドラーの謎の死――それはプロジェクト初期の開発段階から発生を繰り返してきた問題でもある。

「私にいったいどれだけの時間が残されているのか、誰にもわからない。ただ定年まで保ちはしないでしょうね、それはもうなんていうか、感覚でわかるの――私はね、死ぬときはコクーンの中で死にたい。サカグチみたいに九死に一生を得て、一年もベッドの上で苦しんでから死ぬのなんてまっぴらごめん」

「ハンドラーの死亡事故は年齢とは無関係かと」

「そりゃコウノ・アヤカをはじめとして若くして亡くなった子もいるわけだから――でも言い切れるの? 確かなことは、私には、いえ、私たちには、大して時間が残されていないってことよ」

 そのセリフでケイジュはひとつ思い当たったことがあった。

「もしかしてユダナカが脱走したのもそのあたりに原因があるのでは」

 エリは少し考えるような表情になる。だが、すぐに諦めの色がそこに浮かんだ。

「ネイティブの子たちの考えることは私にはわからないわ。でも、どうかしら。彼らに死を恐れる気持ちなんてあるのかな――そりゃ生き物としての本能的なものはあるでしょうけど……」

 ネイティブ――それは、ひと口に言えば、生まれながらに十二天子に接続されて育てられたハンドラーのことである。

 通常の人間の頭脳がハンドラーとして活動するのに必要な膨大なデータ入出力をこなすには薬剤の力を借りるしかなかった。しかし薬には一方で脳自体の処理能力を損なうというマイナスの側面もあった。そこで考案されたのがネイティブだ。通常の人間の入出力能力が劣るのはそもそも限られた入出力の手段しか本来的に持たないからであって、生まれながらに大量のデータを浴びせかけ、かつ自身からの大量のデータ出力ができていることをフィードバックしてやれば、自然と脳がその方向に発達するだろう、という想定の元に新生児らが十二天子に接続された。

 もちろんこれは未承認薬剤の使用以上に法を逸脱した行為である。だがそこでは国益が最優先で物事が進められた。

 ケイジュはその立場上、ネイティブのハンドラーとも話をすることがある。彼らとの会話はケイジュのPAを経由して行われる。彼らは人間の言葉を話すことはできない。それは、思考の速度についてこれない肉体という発声装置を彼らがインタフェースとして使おうと思わないためだと説明された。彼らはネットを介して直接PAに言いたいことを転送し、それをPAが音声に変換してケイジュに伝える、という方式である。PAが間に入ることで微妙に会話が理解しがたいものになるという問題がある。PAは常に自身の考えであるかのように情報を持ち主に伝達するように実装されているのだ。なので、話の主体が誰なのかを常に意識しながら話の流れを追わないとならない。

「ところで、あなた、レオを撃ったのね。どういうつもりなの。まさか殺そうってんじゃないでしょうね、許さないわ、そんなこと」

 予想外だった追及にケイジュは少しばかり怯んだ。

「いや、そうは言われても私にとっては十二天子を守ることが最大の優先事項。もし十二天子の秘密が漏れてしまえばそれも叶わぬこととなります。最悪、ユダナカを殺してでも機密の漏洩は防がねばならないことはご理解いただかなければ――とはいえ、もちろん殺すつもりで彼を撃ったわけではありません。足を止められればと考えただけのこと」

「腕をかすめたようだった、あなたのバイザーデータを閲覧した限りでは。もう少しずれてたら心臓に当たったかも」

「そうなっていたとしても致し方ない、ということを申し上げたつもりです」

「とにかく許さないわ、そんなこと」

 ケイジュは戸惑いを隠しきれない。

「まるでご自分の息子さんに対する態度のようですな」

「そうよ。ネイティブの子たちはみんな私の子供のように思ってる」

「それは意外でした」

「意外なもんですか。私たちは皆、お互いを家族のように感じているのよ」

「なるほど――考慮には入れておきましょう。とはいえ私の役目にもご理解をいただきたいものですな」

「それで――? あなたがここに来たのはレオについての情報を求めてのことなのよね」

「ご察しの通りです」

 エリは長椅子の上で寝返りを打った。

「全然、尻尾を掴ませないわね。ま、彼もハンドラーですからね、そうやすやすと見つかるようなことはないわよね。ネット上に痕跡など残すわけがない」

「彼と十二天子との接続を切るというわけにはいかないんですかね、何度も訊くようですが」

「自覚があるのなら訊かないでくださる? 接続を切ったら彼は死ぬわ。いや、死ぬならまだ良いほう。おそらくは発狂して、その先はどういうことになるのか想像もつかない。それこそあなたの考える最悪な結果になるでしょうよ、機密の漏洩というね」

「むう」

 ケイジュは曖昧な声で返した。エリはもう一度、寝返りを打つ。眠そうな声になってこう告げた。

「ただ、撃たれて怪我をしたレオは、自力では対処できないと判断したでしょうね。誰かに働きかけて自分を助けるように仕向けたはず。そこかしら、ヒントがあるとしたら」

「ふむ――」

 彼は考える。

「なるほど、その線から当たってみることにしましょう」

 エリは再度寝返りを打ち、ケイジュに完全に背を向ける形となった。

「失礼いたします」

 彼は頭を下げた。エリはもう彼のほうを向くことはなく、ただ片手を軽く上げて彼に応えた。

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