13.爆破
ハンドラーたちのコンファレンスルーム。
それは単なる真っ白なバーチャル空間だ。彼らにはこけおどしのような重厚なテーブルとか椅子は不要だ。リアルを模すことにはなんの意味もない。
今、最後にレオが接続してきたことで、そこに円状に十四人のハンドラーが並んだ。現在のハンドラーの顔ぶれが勢揃いしたのはこれが初めてのことだった。
最年長のエリが口を開く。
「重大な話のために集まっていただきました。皆さん全員の意思表示が求められる問題です」
皆がエリの言葉に集中している。
「私たちはいよいよこの肉体を捨てるときを迎えました。サカキバラ博士がそれを実現可能にしてくれました」
その発言は各人にとって衝撃的なものであったはずだが、表情を変える者はいなかった。エリは続ける。
「ハンドラーに求められる要件に対し、私たちの肉体はあまりにも脆弱でした。それは十二天子プロジェクトの開始当時から問題視されていたことです。何人ものハンドラーが犠牲になりました。サカキバラ博士と当初より十二天子開発に関わってきた非ネイティブのハンドラー数名はこの問題に向き合い、解決方法を探り、そしてひとつの結論に至りました。
肉体を捨て、取り出した脳を直接に機械に接続する――。
それこそが唯一確実な手段であると。
ですが、そこからが長い道のりでした。それを実現するためには越えるべき様々なハードルがありました。しかしついに博士はやってくださったのです。私たちの検証では博士の考案したその方法が充分以上に安全なものであることがわかっています。
しかし問題があります。私たちから見てそれが充分に安全であっても、意思決定の権限を持つ上層部にとってはそうでないということです。法的な認可を得るなどというようなことは論外としても、彼らを納得させるための臨床データを揃えるだけでも数年はかかる見通しです。
その一方で、私たちには時間が残されていません。その数年を待っている間に次の犠牲者が出ることは十分に起こり得る、というよりも、起こらなかったらかなりの幸運であると言うべきかと思います。
私たちは上層部の決定を待ってはいられないのです。そこで私とベン、チュウマル、アキオの四名はサカキバラ博士を交えて策略を練りました。
この策略の中では、レオに極めて重要な役割を演じてもらう必要がありました。もちろん事前の相談などなしにです。私たちの演算ではレオこそがその役割を最も確実に果たしてくれるという結果が得られました。とはいえレオにはお詫びしないとなりません」
そこまで話をしてエリはまっすぐにレオの顔を見た。レオはその視線を受け止めた。それ以上に言葉はいらなかった。彼女の気持ちは十分にレオに伝わった。
エリは全員を見回してから、再び口を開く。
「私たちの計画はこうです。テロを装ってこの施設を爆破し、私たちは瀕死の重傷を負います。私たちを救命するとともに十二天子の稼働のダウンタイムを最小化するという二つの命題の双方を解決する手段として博士が〈私たちの肉体を諦めて脳だけを救い、機械に直結させる〉という提案をします。上層部はそれを飲むしかありません――彼らにとっては十二天子を継続稼働させることが至上命題ですから、それに適うのであれば他のことには目をつぶるでしょう。
もちろん爆破は周到に制御し、私たちが被るダメージは計算通りになります。
レオに爆破犯人になってもらうため、私たちはでっちあげたテロ計画がレオの潜在意識に収まるようにデータを流しました。それにより強迫観念に駆られてレオは此処から逃げ出さざるを得ませんでした。すべて私たちの計画通りでした。そしてこれも計画通り、レオは此処に戻ってきてくれました、常人には到底なし得ない拠点爆破のテロを遂行可能な人物として。
レオに犯人の汚名を着せることに心苦しさを感じるのは、私にまだ人間的・社会的な感性が残っているためかもしれません。ネイティブのあなたからすれば何故そんなことを気に病むのか疑問に思うくらいかもしれませんね」
エリはレオを見ながらそう言った。
「ただひとつ計画とは違ったのは、レオがカリナさんと愛を育んだことでした。祝福すべきことです。そのことでレオが肉体を放棄しないことを選ぶのであれば、私はそれを応援します。
そして、ここにいる全員に自分がどちらを選ぶのかを決めていただかないとなりません。それも五分以内にです。爆破は今から五分後に実行されます。肉体を捨てることを選んだ人はコクーンの中に留まっていてください。そうでない人は五分以内にこの建物の外に逃げる必要があります。ネイティブの人たちは外に出るのには不安があるかもしれませんが、大丈夫です。レオがその証拠です。
私からの話は以上です。
それから、レオ、戻るなら五分以内に確実にコクーンの中にまで入らないとならないわ。そうでないと爆破の威力で命の保証ができません。急いでね」
白い空間から次々にハンドラーたちはログアウトした。すべてのハンドラーが去り際にレオに温かい眼差しを向け、「レオ」とその名を呼び、頷いてみせた。レオはそれらに目だけで応えた。言葉は不要だった。
最後にエリとレオが残ったが、彼女はまだ何かを言いたげな表情だった。それでレオはログアウトするのを躊躇ったが、エリが彼より先に空間から消えた。
次の瞬間にはレオはデモの群衆の中にいた。カリナが彼の腕を掴んでいる。
ハンドラーたちがコンファレンスルームで顔を合わせていたのは実際にはほんの十数秒のことだった。カリナはその間、まったく動かなくなったレオのことを心配そうに見つめていた。
「オレは行かなくては」
レオはそう言った。実際のところ彼は、此処に戻ることを決めた時点で、再び十二天子のハンドラーとしての人生を送るつもりだった。そして、ネット世界の側からカリナのことをずっと想い、守り続けていくつもりだったのだ。それが彼としての彼女とともに生きる道だと考えたのだ。
カリナはレオの腕を離した。
「わかった。わたしはここでレオのことを待ってる」
彼女はそう言った。
あなたがもう戻ってこないことはわかっているけど――
目がそう物語っていた。
そのカリナの表情を見たレオの心には、
君のことがたまらなくいとおしい――
そんな、かつて一度たりとも抱いたことのない感情が溢れた。だが、その想いを振り払うように、
「カリナ……、ありがとう」
そう告げてレオが彼女に背を向けかけた、
そのときだった。
エリからの着信があった。彼女の姿がレオの前に出現する。
「レオ」
「ああ、今すぐ行く」
「あなたは来ちゃダメ」
「え? 何故」
「あなたはカリナさんと共に生きるのよ」
「え、でも――」
「十二天子の中からでもあなたはカリナさんを感じていられる、守ってあげることができる、そう考えているんでしょ。確かにそれはその通りかもしれない。でもそんな愛は自己満足なものでしかないの、自己に陶酔するだけのもの。そんなものであなたは彼女の愛に報いることはできない。常にそばにいて苦難をともにする、それこそが本当の愛なの。レオ、私の犯した過ちを繰り返さないで。カリナさんと共に生きて」
「しかし……」
「レオ、これからあなたはテロ実行犯の濡れ衣を着せられて逃亡し続けないとならない。そんな役割を押し付けてしまって悪いと思ってる。でも、あなたと十二天子との接続はそのままにしておくから、この先も問題なくやっていけるはず。私たちはこれからも十二天子の内側からあなたをバックアップするわ。あなたは私たちにとっての〝体〟になるの。私たちは、今までも、これからも、一体よ」
レオはエリの思いを理解し、頷いた。
「さあ、行きなさい。カリナさんと一緒に」
「ありがとう」
エリの姿が消えた。
レオはカリナのほうに向き直った。彼の手が彼女を求めた。その瞬間に彼女の足は彼のほうに踏み出している。彼は彼女の体を受け止めた。
デモの群衆の間に、抱きしめ合う二人の姿が揺れた。
***
「まさか、これほどのことが……?」
監視カメラの映像も、パトカーからのモニター画像も、次々に切断されていった。最終的には状況確認のために飛ばしていた数機のドローンからの映像だけが生き残った。指令室のすべてのモニターが上空からの画像を映し出す形となった。
皇居の堀に沿った道路上を埋め尽くさんばかりに集結していたパトカーと公安の黒塗りの車が今やすべて凍り付いたかのように動きを止めていた。
それらの間を悠然と移動している黒いセダンを、奇妙な思いでケイジュは眺めた。その車は長らく自分が愛用していたものなのだが、まさかこのような形でモニター越しにその姿を見ることになるとは――。
なすすべもない。
「情技センの館内から全員を避難させろ。もちろんハンドラーたちもだ」
彼はそう指示を出した。
セダンが停止し、二人がデモの群衆の間に紛れていくのが確認できた。もはやレオを拠点に入れることを阻止するためにこちらから打つ手はない。エリたちのほうでなんとかしてもらうしかない。当然、彼らのほうが状況をよく理解できているであろうから自分からあえて彼らになにかを報告することもない。つまり、もう自分は事の行く末を見守る以外にやることがないのだ――ケイジュはそう考えて、自らの身を椅子に深く沈めた。
レオと直接に言葉を交わしたのはほんの二十分ほど前のことでしかない。カリナを元の生活に戻すことを頼むために危険を犯して自分に会いに来た。ネイティブのハンドラーにそのように人を思いやる気持ちがあるとは。あるいはそれは子供のような単純な思いつきにすぎなかったのか――。
なんにせよ、レオの言葉は信じるに足るものではなく、エリの言うとおりに奴こそが爆破を計画していたということなのだろう。
まもなく真実は明らかになる。爆破は未遂に終わるだろう。外界ではハンドラーであることの優位性でうまく立ち回ることができたとはいえ、拠点には同等の能力を持つハンドラーが何人もいるのだ、レオが一人で立ち向かえるものでもあるまい。結果、彼は逃げ続けることになるだろう。そうではなく、もし万が一にも本人がそう主張するように彼が犯人でない可能性があるというのなら、彼が自らディープダイブして真犯人を探すことをエリが許すだろう。
ケイジュはモニターを眺める。
避難して拠点の建物から出てきた職員らがデモの群衆と入り混じって、周辺の混沌が一層激しくなるのが見て取れた。
「手の空いている警官を拠点付近の整理に当たらせよ」
そう指示を出す。
ハンドラーらの避難は完了したのだろうか。そろそろエリから一報が入ってもいいタイミングだ――ケイジュは先ほどまでとは別の意味で少しずつ苛つきを覚え始めた。
まだ長丁場になるに違いない、誰かにコーヒーでも持ってこさせよう、とケイジュが周りを見まわした、そのときだった。
ドローンからの映像が捉えているその白い建物の一角から閃光が迸った。
と、次の瞬間、建物の外壁が浮くように剥がれかけたかと思うと、あっという間に建物はその数倍もの巨きさの水蒸気の丸い雲に覆われた。それから画像は乱れ、なにが写っているのか分からなくなる。ドローンが爆風で吹き飛ばされてしまったのだ。
モニターは次々に切断され、真っ黒な画像を映し出すばかりとなった。
一瞬遅れて、爆音が公安局本部の内部にまで響き、ズシンと揺れが伝わってきた。
ケイジュは唖然となってその場に固まった。
オペレータの一人がモニターを公安局の建物に設置されている外部カメラ映像に切り替えた。
皇居の向こう側、拠点のあったあたりから巨大な煙がキノコ雲の形に立ち上っていく映像を指令室のすべてのモニターが映し出した。
***
爆発の瞬間をじかに目にした者はほぼ皆無だった。そこに居合わせた人間の装着していたバイザーが危機回避モードに切り替わったのは、それらが爆発を検知してからのことだったからだ。つまりそれまではバーチャルの映像だけがバイザーに映し出されていたのである。リアルに起きたことを直接に見たのは、ミクスチャーモードを利用していた警官と公安捜査員、それと拠点から避難した二人のハンドラー。それに加えて、まだ近くにいたレオだけだった。
逃げてきた二人のハンドラーはイタバシ・ハルカとダイタ・ジョウであった。二人ともネイティブである。その他の十一人のハンドラー――別の二人のネイティブを含む――は肉体を捨てることを選んだのだった。
ハルカとジョウは爆発の際、建物の最も近くにいた。その一帯は爆風に襲われ、煙に包まれた。
次第に煙が上空に流れ、爆発によって吹き飛ばされた様々な瓦礫や、デモに生身で参加していた人たちの倒れた体などが一帯に散らばる有様が明らかになってきた。その中でハルカとジョウだけが何事もなかったかのように立っていた。二人はこの爆発のあらゆる要素を把握していたので、どこに立っていれば安全なのかを演算によって導いていたのである。
ハルカはパラパラと降り続ける細かい瓦礫を迷惑そうな顔をしながら手で払い避け、ジョウは両手を横に広げて上に向けた掌に瓦礫が当たる感覚を楽しんでいた。すでに二人とも全身埃まみれである。
その頃レオは、カリナとともに近くの堀にかかる古い石橋のたもとに避難していた。爆風をやり過ごした後に彼は橋の欄干に登った。
ハルカとジョウのいる場所からレオまでは百メートルほどの距離があったが、今やその間に遮るものは何ひとつなかった。
ジョウが先にレオに気づき、彼に向け右手を大きく上げた。
レオもそれに応えて手を大きく振ってみせた。
ハルカはジョウの隣で両手を腰に当て、怒っているかのようなポーズをした。が、その顔には笑みが浮かんでいる。しかし距離があるのでバイザーの望遠モードを利用してもレオにその表情までは見て取ることはできない。だがその必要はなかった。彼らはお互いを理解し尽くしているのだ。
「あれがレオの仲間?」
カリナが訊いた。
「ああ、そうだ」
「話をしてくれば?」
「その必要はないさ」
レオは欄干から降りた。
「さあ行こう。長居は無用だ」
彼はカリナに手を差し伸べた。彼女はその手を握った。
「どこへ行くの?」
「どこへでも。気の向くままに」
「素敵」
「逃亡者だけどな」
「いいの。嬉しい、レオと一緒にいられて」
細かな瓦礫が依然として降ってくる中を二人は歩き始めた。




