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12.帰還

「イソザキさん、こんにちは」

 PAがレオの言葉をケイジュに伝えた。

「レオ……」

 ケイジュの右手は上着の下のホルスターに伸びようとしていた。

「おっと、また僕を撃つつもりですか。僕は丸腰ですよ。あなたと二人で話をするためにここに来たんだ、物騒なものに手を伸ばすのはやめていただきたいですね」

 ケイジュは手を下ろした。

「何を話そうと言うんだ。聞こうじゃないか」

 レオは軽く微笑んだ。

 ケイジュが本当に自分の話を聞くつもりがあるのかどうかを確かめるかのようにレオはひと呼吸を置いた。それから口を開く。

「僕があそこから逃げ出したとき、僕自身にもその理由はわかりませんでした。ただ恐怖に襲われ、あそこにいちゃいけない、どうしてもあそこから逃げなくちゃいけない、ただそのことだけが頭の中で無限にリフレインされるようでした。そして僕はその内なる衝動に突き動かされるままにあそこを逃げ出したのです」

 その話か? もはや爆破を計画しているのがお前だというところまで判明しているんだぞ――、とケイジュは内心に思ったが、いったんはレオの言うことを聞いてみることにした。自分はいつでもブラスターを取り出してこの男を撃つことができるし、時間が経てばそれだけ捜査員の誰かがアクセスの失われた自分の居場所を発見して此処を包囲することになる確率が高まる、と。

 レオは続けた。

「あそこから離れ、自分の身に危険が及ぶことが無くなってようやくその理由が意識に浮上してきました。自分自身に危機がある状態に自分がいたときには心理的抑圧が働いてしまっていたので。その理由が意識できない領域に追いやられていたわけです」

「なるほど」白々しくケイジュは相槌を打った。

「そしてその理由とは、何者かがあそこを爆破し僕らがそれに巻き込まれるというものだったのです。何者かがそのような計画を立て、それがネットに流れたために僕がそれを無意識下のうちに処理したのです」

「ふむ」

「イソザキさんが驚かないところを見ると、もうそのあたりまではエリたちもわかっていたようですね。ならば話は早い。僕はこれからディープダイブでその何者かを特定します。そうすれば事を未然に防ぐことができる」

 フッ、その話で俺を騙そうとするには少しばかり遅かったな、とケイジュは心の中でほくそ笑むが、それを表情には出さない。

「それは結構だが……、ならばなぜ君はこんな形で私に会う必要があった。君がどこにいようとその所在を明らかにしてさえくれれば、すぐにウチの者が君を拠点に連れて行くことになっただろうに。多少手荒な扱いはあったかもしれないが、君はわが国の貴重な財産だ。ブラスターが腕に当たってしまったことは申し訳なかったが、それ以上に酷いことはなにも起こらなかったはずだ。それぐらいは理解できたろう」

 レオは穏やかな表情を崩さない。

「ええ、イソザキさんとこうして話す必要があったのは、僕からイソザキさんにお願いしたいことがあるからです。これはイソザキさんの権限でないと対処できない話になります。なのでこうして直接にお話にあがったのです。僕らが捕まってしまってからでは手遅れになる恐れがあったので、このような形で会うしかありませんでした」

「ほお、言ってみたまえ。私にできることなら善処しようじゃないか」

「ありがとうございます。僕からのお願いは他でもありません、カリナのことです」

「ふむ」

「彼女に一切の危害を加えることなく、元の生活に戻してあげて欲しいのです。彼女はあの夜の急襲のせいですでに酷く心に傷を負っています。そのことのケアもして欲しい。彼女には機密に該当する情報を僕からは一切話していない。そのまま元の生活に戻すことに何の支障もないはずだ」

「なるほど……、だが、そうは言っても彼女は、相当の期間を君と一緒に過ごして、君の強力に特別な才能を間近に見てきていることは間違いなかろう。もちろん私としても一般人である彼女を元の生活に戻すことはやぶさかではないが、そこに至るまでには必要とされる段階があるだろう」

 その〝段階〟がなにを意味するのかを口にする必要は二人共になかった。

「だからこそこうしてイソザキさんに直接お願いしているのです。多少無理筋なのは理解しています。ですがあなたの権限をもってすればそこは柔軟な対応ができるはずだ」

「ふむ……」

 ケイジュは右手を顎にあて考える――フリをする。

 レオは黙ってケイジュの言葉を待った。ケイジュの手が顎から離れ、下ろされかけた。彼は左手でわずかにその動きを隠すようにしている。と、次の瞬間、彼の右手はホルスターからブラスターを抜き、それをレオに向けて構えていた。

 レオはそれを目にしていたが、表情は崩さなかった。

「残念だったな、君のお願いを聞き入れるわけにはいかんし、もはや君を拠点に戻すこともできん。拠点の爆破を計画していたのは他でもない、君だそうじゃないか。エリからそう報告を受けているのだよ。ハハ」

 エリの名がケイジュの口から出たときにレオは少し眉根を寄せた。だが彼は取り乱しはしない。彼は生まれて以来、取り乱したことなど一度もない。

「それは事実ではない。エリがそう言ったというのならそれには何か理由があるというだけのことだ。直接に彼女と話してみればわかる」

「フ、もうその手は食わないぞ。貴様には何度も煮湯を飲まされたからなあ!」

 そう言い放ってケイジュがブラスターの引き金にかけた指先に力を入れようとした瞬間、二人の乗った車が突然に動きだした。ケイジュは体のバランスを崩す。車はそのまま、目の前にあった太いコンクリの柱にぶつかった。距離がなかったのでそれほどの大きな衝撃はなかったのだが、それは車に内蔵されていたエアバッグ機構を動作させるには十分だった。

 ボン、という破裂音は、車が柱にぶつかった音よりも大きかった。

 反動ですこし椅子から身を乗り出した形になったところに膨らんだエアバッグの衝撃をもろに横っ面に受け、さしものケイジュも気を失ってしまったのだった。

 一方のレオはそのタイミングで座席のリクライニングを緩めていたため衝撃をほとんど逃すことができた。もちろん車が動いたのはレオによるドライビング制御システムの操作だ。ケイジュがこういった反応を示すこととなる事態を予測した上でそもそも彼は柱の前に車を停めたのだ――エアバッグは直接にネット経由の介入によって操作をすることができないため、そのような形の対策となったわけである。

 レオは車から降りた。駐車していた別の車の影に隠れていたカリナに声をかける。

「交渉決裂だ。手伝ってくれ」

 レオは運転席側に回り、失神したままのケイジュの体を車から引きずり出そうとする。駆け寄ったカリナがそれに加勢した。すぐにケイジュはコンクリの地面の上に寝かされる形となった。カリナはその男がかつて自分の勤務するオフィスを訪ねてきた公安局の人間であるということにはまるっきり気づかなかった。もし彼女が以前の自分のバイザーを使っていて、ケイジュのバイザーも機能を喪失していなければ、たちまちにお互いが連絡先を交換した間柄であることを双方のPAが通知したであろうが。

「どうするの?」

 カリナが訊いた。レオは答える。

「この車を借りる。オレの仲間のところに行ってみる」

 レオとしてはエリの話の真意を確認したいところではあった――もちろん彼は彼女のことを微塵も疑っていない。レオからすれば自分が爆破を計画していないことは明白であったが、だからといって彼女が分析を間違っているとも考えないし、彼女が自分を嵌めようとしているのだとも考えない。ただ理由があって彼女はケイジュに偽りの報告をしたのだと考えた。ハンドラー同士の間にはそういう信頼があった。いや、それは信頼と呼ぶべきものですらない。彼らは事実としてそれだけお互いのことを理解しているのだった。

 二人は黒いセダンに乗り込んだ。


「うぅ……」

 車の走り去る振動を近くに感じつつケイジュは意識を取り戻した。

 奇妙に薄汚い打ちっぱなしのコンクリートの天井が目に入った。どうやらバイザーが機能していないのだと理解した。すぐに記憶が戻ってくる。顔を上げ、周囲を確認した。

 自分の車が失くなっていた。

 どれくらい時間が経過しているのかもわからなかった。

 車は間違いなくレオが乗っていったのだろう、そう彼は判断した。

 彼はよろよろと立ち上がった。頭と顔、それから胸のあたりに痛みを感じたが、機能上の問題は生じてはいないと思われた。彼は出口を探して走り出した。

 人間用の出入口の場所がわからないので、目についた車用のスロープをくだった。

 まもなく彼は建物から外に出た。

 バイザーが機能していないので完全にリアルの街並み――核攻撃によって廃墟と化した高層ビル群がいまだ立ち並ぶ光景――を目にすることになったが、彼がそれを見るのは決して初めてのことではない。自分が倒れていたのは大手町にあるビルのひとつだったということを理解した。

 建物の前の通りを見回すと、警戒に当たっているパトカーが近くに停止していた。彼はそこにいた警官らに事情を説明した。彼らは少し胡散臭そうな目つきでケイジュを見ていたが、彼が身分証を見せるとすぐに敬礼した――身分証などなんのために携帯する必要があるのかと日頃不満に思っていた事を彼は反省した。

 公安局まで彼らの車に乗せてもらい、ケイジュは司令室に戻った。

 現在時刻と記憶を照らし合わせてみると、意外なほど時間は経過していなかったことがわかった。レオが車で走り去ったのと同時に自分は意識を取り戻したのだと考えられた。

 彼はオペレータに向けて告げた。

「Z1021の車両を探せ。ターゲットが強奪したものである」

 ワンテンポ置いてサクライから報告が入る。

「車両を発見。竹橋付近を北の丸方面に向けて走行中」

 ケイジュはマイクを片手に言った。

「総員に告ぐ。総力を以って当該車両の進行を食い止めよ!」


 ケイジュの黒いセダンの後部座席にレオとカリナは座っている。運転席と助手席にはしぼんだエアバッグがそのままになっていた。どのみち彼にも彼女にもハンドルは握れないので前列に座る必要はない。いや、エキスパートシステムを呼び出せばレオは運転もできたろうが、直接に車載コンピュータに指示を出したほうが早い。

 最初のうちは警戒中のパトカーが道を譲ってくれた。拠点までは大した距離ではない、すぐに到着するだろうとレオは考えた。

 ゴミゴミとした一方通行の道を何度か折れ、やがて車は片側二車線の道路に出た。皇居を取り囲む堀に沿った道である。快調に速度を上げ始める。

 しかし道のりの半分にも至る前に、ケイジュから自分らが乗っている車両の停止命令が出たことがレオにはわかった。

 すぐに後ろからパトカーが飛ぶようにやってきた。右側からレオの車を追い越し、前に割り込もうとする動きを示した瞬間、ブレーキでその車のタイヤがロックした。レオが車両制御システムに介入したのだ。その場でパトカーはスピンし、レオの車は危うくそれを左に避けた。

「えっ、なに?」カリナが不安な声を上げる。レオにはその声に反応する余裕はない。

 その車はあっという間に後方に過ぎ去ったが、すぐに別な道から二台のパトカーが折れてきて、後方から黒いセダンに肉薄する。

 レオはその二台同士をハンドル操作の介入で互いにぶつけさせた。それぞれが反対方向に弾け飛んで道路から消えた。しかしその間に前方からやってきたパトカーが急ハンドルを切って横向きに停止し、セダンの進行方向をふさいだ。

「きゃあああ!」

 カリナは声を上げ、思わずレオの手を強く握った。だが彼にはそれを握り返す余裕もない。

 二人の乗る車は大きく右にハンドルを切って反対車線に飛び出した。居合わせた一台の一般車両が慌てたようにセダンを避けてすれ違っていく。停止したパトカーを追い越し、レオは元の車線に車を戻す。

 信号は軒並み赤が点灯するが、レオはそれも介入して次々に青に変えた。

 拠点へと向かう道はそこの先で左に分岐した向こうへと続いていた。前方、その分岐よりも先のほうから五台のパトカーが向かってくる。後ろからも三台が距離を詰めてきているのがレオに見て取れた。

 矢継ぎ早に介入し、レオはパトカーに予想外の動き――急ブレーキ、急ハンドル、モーターストップ、エトセトラ――をさせた。だが、すべての車がマニュアルモードに切り替えられているので、介入によって一時的に混乱させることはできても、すぐに状況を戻されてしまう。

 レオもさすがに焦りを感じ出さずにはいられなかった。

 後部のガラスに何かが当たった。拳銃で撃たれたのだということが座席の中の二人ともにわかった。防弾なので小さな跡がついただけだったが、車を停めて降りて逃げるという選択肢が失われたということの二人への通告となった。

 カン、カン、という音が断続的に続く。車のボディに弾が当たっている。

 カリナはレオの体にしがみついていた。彼は彼女の頭を抱えるように自分の胸に引き寄せた。

「レオ、愛してる」カリナは呟いた。

「ああ、オレもだ」レオは返す。

 ディープダイブしていればこの程度の処理量はなんでもないのだが――そんなことを彼は思った。だがそれは何の足しにもならない。

 前方から来たパトカーをぎりぎりにやりすごす形にセダンは分岐を左に折れた。しかし、その分岐した道の前方からも別のパトカーが向かってくる。レオはその先頭の一台の足を止めたが、すぐにその後ろに別のパトカーが出現した。もはや黒いセダンは完全に包囲されたかのように見えた。

 ――ダメか。

 レオがそう思ったとき、まさに奇跡と呼ぶべきことが起きたのだった。


 すべてのパトカーが一斉に急停止した――完全に。その瞬間に命を失ったように。


 もちろんレオはそれを奇跡だなどと思わなかった。すべてのパトカーに対しネットの帯域を埋め尽くすほどの大量のコマンドが送出され続けているのが彼には〝視えた〟。マニュアルモードでの操作も、瞬時に、それらコマンドによってすべて塗り替えられていた。

 まるでそれは絶望的なまでに降りそそぐ強烈な雨のようだった。

 それほどのことが出来るのは十二天子以外にありえない。

 ハンドラーたちが自分らを助けようとしてくれている――そうレオは知った。


 路上に無数のパトカーが停止していた。

 すべての車が息絶えたように静かになっていた。まるで時間がその歩みを止めたかのようだった。中にいる警官らはロックされたドアから外に出てくることもできずにいた。彼らはただ呆然となってレオとカリナの乗る黒いセダンが行くのを眺めるのみだ。

 そんな停止した鉄の塊の間を縫うように、黒いセダンは悠々と進んだ。

 窓からおそるおそる外を見たカリナの口から言葉が漏れる。

「レオ……、すごいよ。時間が止まってるみたい」

「ああ。オレの仲間たちが助けてくれたんだ」


 レオとカリナの乗ったセダンは拠点の白く輝く建物の前に到着した。しかしエントランスの車寄せに近づくことができなかった。道路は大量の人の姿で埋め尽くされていた。

 レオは軽い驚きを以ってその光景を見つめた。

 建物の周囲をデモの群衆が取り囲んでいたのだ。その数、千か二千か。皆がプラカードやら横断幕を掲げている。カリナはそこになんと書かれているのかを見ようとしたが、後ろ側からなので読み取ることができなかった。ほとんどの参加者はバーチャルのようにも見えたが、全員がそうとは限らないだろう、と彼女は思った。

 二人は群衆の背後で車を降りた。

「ここにあなたの仲間がいるのね」カリナは白い建物を見上げて言った。

 レオはデモの人の波をかき分けるように建物に近づき、カリナは彼の手を離さないようにして後ろからついていった。

 しかし群衆を抜けきる前にレオは急に足を止めた。

 建物の近くまで来たことで自動的に彼は拠点のイントラネットに無線接続したのだった。独自の技術で強度に暗号化されたプライベートなネットワークである。そしてそれに接続した瞬間に、エリが彼に発信をしてきた。

「レオ、お帰りなさい。あなたを待ってました。私たちはこれから全員で話し合いを開くところです。もう時間がありません。レオはその場から参加してください。コンファレンスルームに集合です」

 エリはそれだけを言うと、レオの返事も聞かずに通信を切った。

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