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11.反転

「どうやらテロで間違いないわね、何者かがこの施設を爆破しようとしている。そういう計画を立てているというところまでは判別できた」

 エリは長椅子に半身を起こした状態で座っていた。ケイジュはいつものようにその脇に立っている。

「拠点の位置がそやつらに漏れているということになりますか」

 努めて冷静を装いつつケイジュは尋ねた。

「どうもそこのところがはっきりしないのよね。もしかしたら、そういう計画を立てることで逆にこちらの反応から情報を探ろうとしている可能性も否定できない」

「その計画のデータの特定はできないのですか」

「もちろん、やろうとはしている」

「珍しいですな、普段なら特定に時間がかかることなどないのに」

「ええ……。この一件はもともとレオに処理がいったものだから――今もいってるのだけれど。彼がディープダイブしてくれればすぐに特定できる。けど、ご存知のようにディープダイブするにはコクーンに入る必要があるわけだし。ええ、チュウマルに処理を寄せてなんとかしようとしているのだけど、なかなか難しいわね。システム的にまったく想定されていなかった状況だし」

 ヤコダ・チュウマルは十二天子開発時から参画している古参のハンドラーである。初期からのハンドラーはほぼ全員が十二天子の開発に携わった研究者たちだった。開発の母体となったツシマ重工グループ企業に所属していた者が多い。

「となると、やはりレオを見つけるのが早いということですな。そちらのほうはなにか判明した情報はないのでしょうか」

「残念ながらね。大宮からさほど遠くないところにいるのは間違いないでしょうけど、彼が完全に身を隠そうとしたらもうどうしようもないわ。十二天子自体を監視するシステムを別途に作りでもしないと」

「ご冗談を」

「もちろん冗談ジョーク。とにかく十二天子はハンドラーが想定外の動きをしないことが前提のアーキテクチャになってる。これは開発時から問題視はされていたけど、コスト的にそれ以外の道はなかった。ハンドラーが死ぬことは想定されてるけど、生きたままどこかに行っちゃうなんてことはね」

「やはり接続を切るしかなかったのでは」

「でもそうすればテロ計画のデータを特定することもできなくなる。というか、イチからやり直すことになる。でもテロリストがネットで情報をやり取りしなければ、そのやり直しもできない」

「わかっております。しかしレオが戻らなければどのみち特定はできないわけですし」

「水掛け論ね――とにかく引き続き努力はする、データ特定についてはね。時間はかかるかもしれないけど、期待はしてもらっていいわ」

「ではお願いいたします」

 ケイジュは一礼してから踵を返した。

 まっすぐに部屋を出る。直通のエレベータで地上階へ。

 エントランスを出て車寄せで自分の専用車に乗ろうとしたところでバイザーにメッセージが飛んできた。

 さっきまで会っていたエリからである。

〈ちょっと戻ってきて〉

 ケイジュは建物内に引き返した。


「レオが見つかった」

 休憩室に戻ったケイジュに向かって開口一番にエリは言った。

「ほお」

「映像をシェアする。これはライブの映像」

 彼女がそう言うと、彼のバイザーにそれが映る。ひと目で電車の車両内に設置されている監視カメラの映像とわかる。

「右側の座席に座っている」

 確かにそこにすわっているのはレオとカリナのようだ。

「これは」

「スカイツリーライン中央林間行きDN2517。三分前にせんげん台駅の監視カメラにレオが検出されたの」

 映像の端に『#7−2』と表示されている、七号車の二つ目の監視カメラということだ。

「すぐに手配します」

 踵を返そうとしたケイジュにエリは言う。

「でも慎重にね。彼が監視カメラの映像から自分たちを消さないということは意図的にそうしているとしか考えられない」

「罠ということですか」

「んー、レオがそんなことするかしら。むしろ彼は、もう自分は逃げも隠れもしない、と伝えたいのかも」

「ふむ……。いずれにしても彼らの確保を最優先に動きます」

 ケイジュは部屋を飛び出た。

 エレベータに乗ってすぐに指令を発信する。捜査員らをスカイツリーラインの主要な駅に向かわせるとともに、作戦司令室でのレオの乗った電車および各駅のモニタリングを手配した。

 地上階から自分の車に乗り込む。これは一見普通の黒いセダンのように見えるが公安の特殊車両なのでハンドルのついた運転席があるし、ガラスは防弾仕様だ。高官は後部座席に座る者が多いが、ケイジュは現役の捜査官だった頃の習わしでいつも運転席に座る。

「帰投」

 彼がそう言うと、車はスッと動き始めた。行き先は公安局本部である。皇居をぐるりと半周した位置、目と鼻の先だ。

 車の中から先にバーチャルに作戦司令室に移動しておこうとジェスチャーコマンドを打とうとした瞬間、彼は車の外に異様な光景を見た。

 拠点の白い建物――この建物は表向きには『科学情報技術振興財団・情報技術センター』、略して『情技セン』と称されている――のエントランスを出たところに十数人ほどの影の薄い人だかりがあり、皆それぞれにプラカードを掲げていたのだった。

『十二天子は即刻停止しろ』

『超監視社会を許すな』

 といったような文言がそこには書かれていた。

 ケイジュは愕然となった。

「まさか――」

 言葉が口をついてしまう。

 すぐさま彼は作戦司令室に移動ログインした。開口一番に大声で怒鳴った。

「サクライ! どういうことだ、なぜ拠点にデモ隊が来ている」

 オペレータの主任であるサクライが自席から返す。「はい、すぐに確認します」

「シマダ、レオのモニタリング状況は」

「まもなく電車が北越谷駅に到着。ターゲットに動きなし」

 司令室の大きなモニター群には車内の監視カメラ映像と路線地図が表示されていて電車の進行がひと目でわかるようになっている。

 サクライの報告の声が続いた。

「五分ほど前にネット掲示板の反体制派のスレッドに書き込みがあり、そこに十二天子の拠点が情技センであることが書かれました。そこでデモの呼びかけがされております」

「なんだと」

 ケイジュは呻く。

 どういうことだ、それもレオの仕業なのか? タイミングからすればその可能性は高いだろう。だがヤツはいったいどういうつもりなのか――。


     ***


 ねぇ、どこにいくの?

 古い知り合いに会いに。

 わたしも一緒に行く。

 少し危険かもしれない。

 いいの。レオと一緒にいたいの。どこにでも行く、一緒なら。

 そうか、わかった。

 あなたにはやるべきことがあるのね?

 そうだ。

 じゃ、行きましょ。ここにはもう戻らないの?

 ああ、たぶんな。

 残念ね、この部屋が好きだったのに。

 なにもない部屋が?

 そう。レオといっぱい一緒にいられたから。

 オレたちはこれからもずっと一緒だ。

 うそ。

 うそじゃない。

 わかるの。それはレオ的にはうそじゃないかもしれないけど、わたしにとってはうそ。

 ……。

 いいの。レオの思う通りにして。

 ……ああ。

 わたしは邪魔にならないところまでついていくから。そこでレオを待ってる。

 ……ありがとう。


 ギイイと音のする玄関のドアを開けて、二人は部屋を出た。

 一面の鉛色の雲が広がる空の下に、いくつもの灰色の墓標のような四角い建物が連なる。

 カリナはレオの腕にしがみつくかのように歩く。

 彼女には予感があった。

 日々、レオと過ごす中で、彼が次第に決意のようなものを心の中で固めつつあるのがわかった。彼にはすべきことがあり、まもなく彼がそれを果たすつもりであることを彼女は感じとっていたのだ。


 好きよ、レオ。

 オレもカリナのことが好きだ。


     ***


 ケイジュはリアルに作戦司令室に移動してきた。モニターを見ると、電車は北千住駅に到着しようとしているところだ。車両内はそれまでの乗客がちらほらと散見される程度から空席のほうが少なくなる程度にまで混雑度が増してきていた。立っている客もいる。

「依然、ターゲットに動きなし」とシマダの声。

「捜査員が一名、北千住駅で待機しています。ご指示を」とサクライ。

 たまたま近隣にいた捜査員なのだろう、一人だけでは近くから監視させるのが関の山か、とケイジュは判断する。

「北千住で待機している捜査員一名に告ぐ。ターゲットと同じ車両に乗り、できるだけターゲットの表情がわかる位置につけ。二メートル以内には近づくな。以上」

 どのみちこちらの動きはレオには筒抜けだろう、隠す努力は無駄とケイジュには思われた。レオがどこへ行くつもりなのかは不明だが、レオ一人を取り押さえるのならば三人もいれば大丈夫だろう。しかしカリナも逃すわけにはいかないから、最低でも四人で拘束にあたらせたい。別の捜査員の合流を待って、二人が電車を降りたところで拘束する。合流前に二人が電車を降りれば、追跡させる――彼がイメージした作戦はそんな内容だった。

「了解しました」と捜査員からの返答がある。

 捜査員のバイザーの映像がモニターに映し出された。画像の中で電車がホームに滑り込んでくる。ケイジュは注視する――レオがいったい何を考えているのか、何のためにどこに向かおうとしているのか、それを知りたい。あるいは二人の様子を詳細に見れば何かがわかるかもしれないし、レオもこちらがモニターしていることはわかっているだろうから、どういう目でヤツがこちらを見てくるかで何かは感じられるかもしれん――。

 電車のドアが開き、捜査員が中へと入って、座席に座るレオとカリナの向かい側のドア脇に立った。レオもカリナも俯き加減なので表情までは見えない。捜査員はすぐに動けるように座席には腰掛けないのが基本だが、ケイジュには物足りない。

「捜査員に告ぐ、ターゲットの向かい側の空席に座れ」

「了解」

 モニターの画像が揺れ、捜査員が指示に従ったことが伝わった。

 座席に座る二人が少し斜め前の位置から見える状態になった。

 まっすぐ座るレオ、その肩に頭をもたれかけているカリナ。二人の手は繋がれている。

 二人は男女の仲なのか――考えてみればごく当たり前のような話なのに、ケイジュの頭からはその可能性がすっぽりと抜け落ちていた。そのことに気づかされ、軽い衝撃を受けた。自分がネイティブのハンドラーという人種を人間のように見ていなかったということに。

 カリナは目を閉じていた。レオはそうではなかったが、その表情は落ち着いたもので、彼の心理もまたその通りに平静なものであろうことが窺われるのみだった。

「ふむ……」

 ケイジュの口からそう声が漏れた。


     ***


「レオと一緒に電車に乗るのは初めてね」

「そうだな」

 以前のレオであれば、なぜカリナがそのようなことをいちいち口にするのか、わからなかった。彼女と自分が一緒に電車に乗るのが初回であるというのは、彼にとって単なる事実に過ぎなかった。今の彼には、そのセリフに込められた意味が、実感できる。それは、言葉にはできない、二人の絆を確かめ合う想いの発露なのだ、と。

 カリナは握り合った二人の手に視線を落とす。

「レオの手、あたたかい」

 レオもそこに目を向ける。

「ああ。バイザーの検知精度は低いが、オレの手の表面温度の平均値はカリナのそれよりもおおよそ0.7度ほど高いと判定できる」

 カリナはウフフと笑った。

 そしてレオの肩に頭をもたれかけた。


     ***


 電車は中央東京管区内に入った。錦糸町駅でさらに二人の捜査官がレオのいる車両に乗り込んだ。モニターには車両の監視カメラも含め、四方向からの二人を捕らえた画像が映し出されている。動きはない。車内の混雑はさらに増している。

 路線地図は電車が水天宮前駅を発車したことを示していた。

 レオは十二天子の拠点に向かっているのだろう、そうケイジュは考えていた。彼らが乗っている電車は拠点の最寄り駅である九段下駅に停車する。そこで彼らは降りるに違いない――。

 すでに九段下駅には五名の捜査員が待機している。さらにそれより手前の大手町駅では三名の捜査員が件の車両に乗り込む予定だ。

 まあ、ネイティブの子らはなにを考えているかわからんように見えるけども、裏や表があるような人間的奥深さには欠けている連中だ、俺の推測どおり二人は拠点に行こうとしているだけに違いあるまい――ディスプレイを見据えながら、ケイジュはそんなセリフを頭に思い浮かべている。

 水天宮前を発した電車はすぐに大手町駅のひとつ手前の三越前駅に到着。二人は座ったままだ。なにごともなく電車は駅を離れる。

 大手町で待機する捜査員が乗車すればもう安心だろう――ケイジュが思った、ちょうどそのとき、オペレータの一人が声を上げた。

「三越前駅ホーム監視カメラにターゲット二人の姿を確認!」

 何を言ってるのか、とケイジュは訝しむ。

 次の瞬間、レオとカリナを捉えていた四つの画像から二人の姿が同時に消えた。

「やられた――」

 ケイジュが声を放った。

 どのタイミングからか、映像は捏造されていたのだ。レオが何もしてこないのですっかり油断してしまったとケイジュはほぞを噛んだが、油断していなかったとしてもこれは避けようがなかったと考え直した。

「ターゲットは三越前駅で降車。近隣の者は直ちに現場に向かえ」

 そう指示をした後に彼は続ける。

「三越前駅の監視カメラをモニターに出せ」

 いくつかの画像がモニターに表示された。そのうちのひとつに二人の姿が小さく映っている。長いエスカレータ。

「ターゲットは三越前駅の渋谷方面側改札出口に向けエスカレータを移動中」とオペレータ。

「地図を拡大」

 それまで路線地図を表示していたモニターが三越前駅近辺地図表示に切り替わった。そのすぐ近くに東京駅をはじめ、日本橋、大手町などの駅がひしめいている地帯であるのがわかる。三越前という駅名に示される三越というのはかつて近くにあったデパートのことだが彼らの向かった出口は逆方向だ。彼らの進んだ側の出口近辺で真っ先に目につくのは日本銀行である。

「そのまま東京駅まで徒歩で移動もありえるな」

 とケイジュは呟く。だとしたら、どこへ向かうというのか、どこか地方の大都市なのか。だが待てよ。レオはやろうと思えば駅の監視モニターからも自分たちを消すこともできるのだ、それをしないということはなにか意味があるのだろう。それは何だ――?

「ターゲットは改札を通過。B1出口に向かいます」

 ケイジュは地図に目を向ける。東京駅に向かう説は消えた、と思う。まさか日銀か? しかしそこに意味は見出せない。日銀の建物が存在する場所は戦前よりもずっと以前に歴史的なもの以外の意味を失っている。

「外部の監視モニターは出せるか」

「B1出口近辺の映っている映像を出します」

 三つのバラバラな映像がモニターに表示された。

「ターゲットがB1出口を通過」

 二人が手を繋いだまま小走りに地下鉄の出口から出てくる様子がモニターのひとつにはっきりと映し出された。ケイジュは何ひとつ見落とすことのないよう目を皿のようにしている。

 二人は出口のすぐ前の広い道路に駆け寄り、そこにちょうど無人タクシーが停止してドアを開けた。

「ナンバーをチェック」

「チェックしました。TL-38250・よ」

 モニターにもその自動車ナンバーが表示された。その間に車は二人を乗せて走り出している。

「ターゲットは常盤橋付近から405号線を神田橋方面に進行」

「追跡せよ」

「こちらP4782、二分以内に後方からターゲットに追いつきます」

「P9923、二分でターゲットに前方より接触予定」

 すでに現場に向かっていた警察のパトカーから報告が続く。

「ぶつけてもかまわん。足を止めろ」

 ケイジュは言う。もはやレオに逃れようはあるまい、と考えた。しかしレオはどこへ向かおうと言うのか。地図で見れば彼らが向かう方向は九段下方面であり、となればやはり拠点に向かっていると見るべきだろう。だが、何故こんなまわりくどい方法をとるのか。我々公安と接触することなく直接に拠点に戻りたいということか。しかしいずれにせよ彼が戻される先は拠点以外にないのだから、そこまでして我々を避ける意味があるのだろうか。私に腕を撃たれたことを根に持っているのかも――。

「私は現場に出て引き続き指揮を取る」

 ケイジュはそう言って立ち上がった。


     ***


「懐かしいな。いかにも都心ってカンジするよね。こんなトコで会社勤めしてたなんて、もう遠い昔のような気がする」

 立ち並ぶ高層ビルを見上げながらカリナはそう口にする。もちろんそれが実在しない虚像だということは知識として理解している。戦争時に破壊された建物がそこに残されたままであることは知らない。

「ね、覚えてる? レオとわたしが最初に会ったのも、こんな感じのとこだったでしょ。怪我をしたレオが突然、わたしのタクシーに、さ、――あれはどのあたりだったんだろ、ここからそんなに遠くなかったはず」

「ああ……」

 レオは遠くを見るような顔つきになる。

「あれは、そう、神保町のあたりだったかな」

 実のところレオはその場所の番地どころか緯度・経度までも正確に記憶していたが、それを口にはせず、カリナに調子を合わせた。彼女にとっては二人が初めて出会った場所にも意味があるのだ、と理解できた。

「あのときはびっくりしたなぁ」

 そう言って彼女はウフフと笑う。二人の手はしっかりと互いに握られている。

 少し間を置いて、カリナは声の調子を変えてこう訊いた。

「今はどこに向かっているの?」

「大手町だ」

「そこにあなたの古い知り合いがいるのね」

 レオは表情を変えることなく答える。

「というか、そこに来てもらうつもりだ」


     ***


 最大緊急度の着信があった。ちょうど前方の車寄せに自分の車がやってきて停止するのが目に入ったところだ。地下駐車場の車寄せに向かっている途中だったケイジュは手前の狭いロビーに立ち止まった。

 拠点からのホットラインだ。これは緊急時のためにのみに用意されているものである。普段は使用が禁止されている。

 エリからだった。バイザー越しの目の前に彼女が出現した。いつになく緊張の面持ちである。

「レオがこちらに向かってるわね」

「はい」

「絶対にここに近寄らせてはダメ。大変なことがわかったの。拠点の爆破を計画していたのはレオ自身だったの。彼は此処に来てそれを実行するつもりだわ」

「なんですと!」

「とにかくお願いね」

「承知いたしました」

 ケイジュが返事し終える前に彼女の姿は消えた。彼は車寄せにダッシュした。運転席のドアを開け、中に滑り込む。

「総員に告ぐ。第一級警戒態勢を敷け。ターゲットは情技センターの爆破を計画している。なんとしてでも身柄を確保せよ」

 レオが拠点の爆破を計画していた張本人であったとは……! まさかの展開だが、ケイジュはこれで彼の逃亡の謎が腑に落ちたと感じた。ならば遠慮せずにレオと対峙できる、とも。

 彼は車を現地に向かわせるとともに、自らはバーチャルに作戦司令室に戻った。車はサイレンを鳴らして地下駐車場から外へ。その際に感じられる特有の体感――少し坂を登ってからハンドルを切りつつ平らな道路に出る際に感じられるガクンという揺れ――があった。そういったものは視覚とは別に体が覚えているものである。

「こちらP4782、ターゲットを捉えました」

 音声の報告と共に、そのパトカーからのモニター映像が映し出された。すぐ前を走るレオらの無人タクシー。その後部の窓は遮光モードになっているので内部の様子はわからない。

「Z1137、ターゲットの二台後方につけています」

 別の音声がそう続き、その公安局捜査員の乗る車からのモニター画像も映し出される。無人タクシーとその後方のパトカーの映像。レオらの乗るタクシー、パトカー、公安捜査員の車両の順で、三台が街並の中を突き進んでいる形だ。

 ケイジュは口を開く。

「P4782、ターゲットの前方に回り込んで停止させよ」

「了解」

 マニュアル運転に切り替えたパトカーが車線を超え右手に踊り出して一気に加速する。そして車はタクシーを追い越し、すぐさま左側に割り込んだ。ワンテンポ置いてパトカーとタクシーのブレーキランプが次々に点灯した。二台共が急停止し、その映像を撮っていた捜査員の車もその後ろで停止した。

 止まったタクシーは静かなままだ。パトカーから二人の警官が降りて後ろのタクシーへと歩み寄る。後ろの車からも捜査員が降りて、そのバイザーの映像がモニターに加わった。

 ケイジュは言った。

「バイザーの映像はハックされる可能性がある。ミクスチャーモードを使用せよ」

 現実の光景をバイザーに取り入れるミクスチャーモードはここ中央東京では一般人には許可されておらず、警察関係者であればその対象からは外れるわけではあるが、実際には彼らもよほどのことがなければそれを使用することはない。バーチャルと現実の光景のあまりの落差に混乱をきたすことになるからだ。ここに暮らす人間は誰しも幾重ものバーチャルの階層を行き来するが、現実リアルにまで下りてくることはごく限られたシチュエーションにおいてのみである。

 事実、捜査員のバイザーからのモニター映像は途端に奇妙なものに変わった。ピカピカのように見えていた無人タクシーのボディーには傷や凹みがたくさんあり、背後に映っていた建物のいくつかは打ち崩れた瓦礫ときれいな建物が重なり合って見える状態になった。

 警官は拳銃を、捜査員はブラスターを手に、タクシーに近寄る。この場合、警官は公安局員のバックアップに回るのが基本手順プロトコルである。

「乗客に告ぐ。両手を見えるところに出して降車せよ」

 捜査員の呼びかけに反応はない。

 ブラスターを構える手がタクシーのドアににじり寄る。

 時間をかけすぎだな、さしたる抵抗もあるまいに――そうケイジュは感じたが、捜査員は相手がテロリストだという前提で対応しているので仕方のないところか、と考えた。確かにここでレオが車もろとも自爆したりするなどという可能性もゼロではない。

 捜査員がドアを開け放った。すぐさま車の内部にブラスターが向けられた。

 しかしそこには誰も座っていなかった。もぬけの殻である。

「なっ」

 またしてもやられた――そうケイジュは悟った。二人はタクシーに乗った後にすぐ降りたのだ、どの監視カメラのスコープからも外れたところで。そもそも二人がタクシーに乗った映像自体が捏造されたものである可能性も考えられるが、そんなことはもはやどちらでもよい。

「探せ、遠くには行ってない」

 そう怒鳴った。

 そのとき彼は、自分の乗っている車が急な斜面を登りながらカーブを曲がるような体感を覚えた。変だな、この近辺にそんな坂道はなかったはず――。そう思いつつ、彼はリアルに自分のいる車内とバーチャルにいる司令室の両方をタイムスライスで見るようにジェスチャーで切り替えた。

 車が走っているのはどこかの屋内駐車場に向かうスロープのようだった。

「どうした、行き先が違うぞ」

 彼はそう口にした。PAからの反応はない。彼は手を動かしてコマンドを繰り返すが、まったく車は言うことを聞かなかった。そうこうしているうちに窓の外の光景は見覚えのない建物内の駐車場フロアのものとなった。コンクリの壁、いくつもの太い柱が並ぶ、何の変哲もない屋内駐車場だ。その太い柱のひとつを目がけて車はまっすぐに進み、あわやぶつかるかというところで急停止した。思わずケイジュの全身に力が入った。

 いったい、どうなっとるのか――。

 少しばかり冷や汗をかかされた形となったケイジュがそう考えた瞬間、彼のバイザーの映像がすべて遮断された。彼の眼前には現実の光景が広がった。幸いなことに、駐車場のコンクリの壁が少しみすぼらしくなって、そこに描かれていた諸々のカラフルなサインが消えてしまった程度の変化しかなかったが。

 困惑しながらもジェスチャーコマンドを打ち続けるケイジュの横で、突然に助手席のドアが開き、そこに誰かが乗り込んできた。

 驚きの表情を向けたケイジュがそこに目にしたのは、レオの姿だった。

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