私の好きな人
私が中学生に上がったころには、母は、仕事が休みの日は、一日中床に伏すようになった。丸一日横になり、ろくに食事もとらない母を見て、私はどこか具合でも悪いのかと心配したが、そういった身体的なことではないのだ、ということも薄々勘付いてはいた。
美唄に来て、二年が過ぎた。四月だというのに、雪が降ることもある北海道の地には、もうだいぶ慣れていた。寒いのにも慣れた。人はこうして環境に順応していくものだ。
市内の中学校は、市内のいくつかの小学校から集まってきた生徒たちで成り立っているから、クラスも今まで二クラスしかなかったのが、四クラスに増えた。
入学式の終わり、式で使った体育館の壁に、クラス分けが張り出されていた。私は一年B組だった。手塚と同じクラスになるのは、四分の一の確率で、多いとも少ないともとれない数字だったが、私たちは偶然同じクラスの、しかも隣の席になってしまった。
教室に行くと、黒板に席が記されていて、その方に目をやると、すでに手塚が着席していた。机の上にはたくさんの教科書が山積みになっていて、真新しい紙の匂いが漂ってくる。
「よぉ」
「何か小学生の時とあんまり変わらないね」
「席替えはあったけど、ずっと同じクラスだったからな」
手塚は、私の家に遊びに来なかったものの、別に険悪な仲になったというわけではなく、学校に行けば会話もするし、恒例の雪合戦でも、お互いに遠慮なく雪玉をぶつけ合った。
しかし、私はあの一件から、彼を強く意識するようになったのは事実だった。彼のことを、心のどこかで、祖父母を傷つけた男の息子なのだという認識が埋め込まれてしまったのだ。
自分を恥じることもあった。そんな時、私は自分の弱さを思い知るのだった。
「中学生ってやっぱり勉強とか難しくなるんだろうな」
手塚は山積みにされている教科書の、一番上にあった化学のそれをぱらぱらとめくった。
「なんだこりゃ。意味わかんねぇな」
「ほんとだ」
横から覗き見ていた私が言う。
「お前は大丈夫だよ。頭いいから」
手塚はもうすでに勉強は諦めた、という風に教科書を卓上に放った。
「何か中学生って少し大人になった気がしない?」
言いながら、私は初めて目にする手塚の制服姿を見た。規定では登下校する際、男子は、帽子を被ることになっている。彼の坊主頭にすっぽりと入るのだろう。
「別に。そんな気はしないな」
「後で一緒に写真撮ろうか」
「ぜってぇやだ」
私は、多分手塚ならそう言うだろうと思っていたので、予想が当たり喜んだ。
「でも中学生になったってことは、受験もすぐだろうし、そしたら、高校、大学、もしくは就職って、何か慌ただしいよね。大人になるのってやだな」
私が言うと、
「まぁな。でも、俺はみんなと違って、将来はもう決まってるんだけど」
と、手塚がふふんと得意げに笑った。
「なに? 何になるの?」
「まぁ、そのうち解るよ」
「今、教えてよ」
私がしつこく食い下がると、彼はきっとこう言うんだ。
「うるせぇな」
「言うと思った」
私がくすくす笑うと、
「そのうち嫌でも解るんだから、それまで待ってろ」
と、彼は腕を組み、威張った。
私は手塚と会話をするのが好きだった。自分の思ったままに、そのまま言葉をぶつけることができる。そしてそれがどんなものでも、彼は必ず反応を示してくれる。彼と関わると、癒される。優しくて強い。まるで私が描く理想の主人公みたいに、彼はいつだってまっすぐだ。だから、彼が誰の子供でも私には関係ないのだ、と思える。ただその思いは、一方で、彼が誰の息子なのかということを強く意識しているからとも取れる。普通なら、親が誰で、子供が誰の子なのかなんて、思わない。私はちっぽけで、卑怯だ。
母が手首を切ったのは、中学校に入学して一ヶ月が経ったころだった。平日で、学校があった私は、家に帰ってから、そのことを知らされた。母は、平日が休みになることが、普段から多かった。飲食業ではよくあることだ。
「今、美津子と一緒に病院に行ってるよ」
と、祖父は言った。いつもは平日、隣町の葬儀場の手伝いをしている祖父が、珍しく家にいたため、何かが変だということは察していた。母は、内科で三針縫った後、札幌市内の精神科を勧められ、祖母同伴で向かったとのことだった。
「お母さん、大丈夫なの?」
「命に別状はないし、きちんと縫ってもらったから大丈夫だろう」
目の前に座る祖父は、悲しそうな目をしていた。
「そうだよね。手首切ったくらいじゃ、なかなか死ねないっていうし」
私は動揺を隠すために、母を心配する素振りをするのを止めた。自分でも、なぜ強がっているのか解らなかった。
「そういう問題じゃない」
祖父は落ち着かないのか、煙草を吸ってばかりいた。すでに灰皿はいっぱいになっている。居間は、よく見ると煙で白いし、煙草の匂いが充満していた。
祖父の言う、そういう問題ではないのは、幼いながら、十分理解していた。だから、認めたくなかったのだ。
「死にたかったのかな」
その言葉を発した途端、部屋中の空気が張りつめたのが解った。私は慌てて口を噤んだ。祖父を直視できず、俯いた。
しばらくの沈黙の後、
「さぁな」
と、一言呟くと、祖父はそれきり何も喋らなかった。
私はなぜか手塚のことを思い出していた。彼なら、こんな状況でも、居心地の良い空間を作ってくれるのだろうか。こうやって自分とかなり年が離れた相手でも、うまく気遣いできるのだろうか。あれこれ考えた後、彼の技量ならできるはずだ、とやがて私は確信した。
夜になり、玄関の扉ががらがらと開く音がするなり、私は玄関まで向かった。そこに母の姿はなく、祖母は一人で家に帰ってきた。
「お母さんは?」
私が訊くと、
「入院することになったよ」
と、すっかり疲れ切った表情をして祖母が言った。私は我慢できなくなって、母の病状や今の状態などを根掘り葉掘り訊いた。祖母は首にまいたマフラーをほどきながら、私の質問全てに答えた。
「お母さん、何て診断されたの?」
「総合失調症だってさ」
「それ、どういう病気?」
「あたしもよく解んないけど、鬱っぽい状態が長く続くことみたいだよ」
「それって治るの?」
「そこまでは……。大体、鬱がどんな病気なのかもよく解らないし」
祖母と共に居間まで戻ると、祖父が不安を含んだ瞳を向けていた。私の前では、気丈にふるまっていたが、祖母を前にすると、緊張もほぐれて、自分の感情が露わになってしまうようだった。
「由美子、どれくらい入院するんだ?」
「解らないわ。入院して治るものなのかも。ただ、由美子が何もしたくない、何も聞きたくないって独り言のようにぶつぶつ言ってるから、専門の医師に任せた方がいいって判断をしたの」
祖母は、着替えてくると言って、隣の部屋に消えた。本当はもっと細部まで色々なことを知りたかったが、ひどく疲れている様子だったため、祖母を気遣い、余計なことは訊かなかった。
「おじいちゃん」
「なんだ?」
目の前にいる祖父の視線に注がれながら、私は、
「親子って性格は似るのかな?」
と、問いかけた。
「なんだいきなり」
祖父は片眉を上げて、怪訝な顔つきをした。こんな時に、こんな質問をするのは、非常識かもしれない。
「弱いところって遺伝するのかな……」
私が呟くように言うと、祖父は何かを言いかけて、口を噤んだ。きっとうまい返しができる自信がなかったのかもしれない。
母のことを心配すると同時に、不安が募っていくのを感じていた。
ある日の休み時間、突然、手塚に、
「俺ら、コンビを組むことにしたぜ」
と、言われ、紹介されたのは、同じクラスの、江戸遼平という男子だった。江戸は、ぽっちゃりした肉感の、背が低い生徒だった。彼と話すのは初めてだった。女子が苦手らしく、会話がすぐに途切れてしまう。
「江戸くん、だったよね。本当に手塚とコンビ組んじゃっていいの?」
「手塚は面白いから」
江戸は、それだけ言い、黙りこんだ。やせ細った手塚と、太っている江戸。どんなコンビになり、どんなネタで魅了してくれるのかと、胸が躍った。
「こいつ、お笑い、超詳しいんだよ。しかも、ネタも面白いの書くし」
手塚は江戸に、な、と笑いかける。江戸は手塚には心を許しているようで、私には決して向けない優しい笑みを返した。
「もしかして、手塚がなりたいのってお笑い芸人?」
私が訊くと、
「ああ」
と、手塚は簡潔に答えた。
「俺は、将来、お笑いで天下取るぜぇ。未来のスターと友達っていうのはいいだろぉ」
「コンビ名は?」
私は多弁な手塚とは対照的な江戸に話しを振った。彼はもじもじしながら、目線を逸らした。
「江戸手塚」
江戸は言い、私は、彼らのコンビ名を訳すと、「えどてづ」になるなぁ、とぼんやり思った。
「もっとひねれば良かったのに」
「うるせぇ。このコンビ名が一番響きがいいんだよ」
手塚は嬉々としていた。お笑い芸人、確かに彼にぴったりの職業かもしれない。手塚は、新しいクラスでも、すでになくてはならない存在だし、人気者だ。誰のボケにも的確なつっこみを入れる。時にはボケて、みんなを爆笑の渦に巻き込むこともある。
「どっちがツッコミ?」
「あ、俺」
江戸は自分自身に指を差しながら言った。私は、勝手に手塚がつっこみだと思っていたため、少しだけ驚いた。
「どんどんボケかましていくからな。よろしくな、江戸」
手塚が言うと、
「遼平でいいよ」
と、江戸が嬉しそうな表情をした。コンビを組んだばかりの、初々しい二人を見て、少しだけ胸が苦しくなる。どこかで、若いころの父を重ねてしまう。そして、まだ中学一年生になったばかりだというのに、すでに自分の夢が定まっている手塚が羨ましかった。
単調で平穏な学校生活とは裏腹に、家庭はとにかく慌ただしかった。毎日、食事の支度を手伝ったり、祖母と交互に母の見舞いに行ったりと、何かとしなければならないことがあり、趣味の漫画創作も滞っていた。
私には、なぜ母がそのような心の病気になるのか、全く解らなかった。序章はあったものの、何が辛くて、そうなったのか。何が嫌でそうなったのか。いくら考えても答えが出ない。自分のふがいなさに嫌気が指し、それはきっとまだ私が子供だからなのだ、大人になったら解るのかもしれない、と無理やり言い聞かせた。
弱い人間が嫌い、とは思うものの、血の繋がった実の母の、心の闇を汲み取ることができないのは、もどかしかったし、辛かった。理解してあげたい、側にいてあげたい、と常々思っていた。
「これを持っていってあげて」
ある日、私が母の見舞いに出かけようとすると、玄関で祖母に紙袋を手渡された。何だろうと思って中身を見ていると、
「おはぎ作ったの。あの子、私が作るおはぎ好きだから」
と、祖母は言った。
「私もおばあちゃんのおはぎ食べたい」
「病院で一緒に食べなさい」
そう言い、祖母は微笑んだ。祖母は少しやつれていた。毎日の家事、病院の見舞い、年寄りには十分な労働だ。体力的にもきついのに、心労が重なり、参っているのだろう。
美唄から札幌までの道のりは途方もなく長く感じる。電車を待っている時間も入れると、優に一時間は越えた。
札幌駅の雑踏は、東京のそれと似ていた。人々が行きかう駅構内で足を止めると、その巨大な渦に巻き込まれそうになる。けれど、皆別々の人生が確かにあるのだという、当たり前のことが、時々すごく不思議に感じる。
母の病院は札幌駅からバスで十五分のところにあった。たどり着くと、窓全てに鉄格子が施されていて、それを見るだけで私は、不安な気持ちになった。一度ここに入ってしまったら、もう二度と「普通」の生活には戻れないような、そんな気持ちになる。
替えのタオルと祖母が作ったおはぎを持って、母の病室まで行くと、母はベッドの上で身体を丸めて寝ていた。母の腕には点滴がされている。それが何の点滴なのか、私には解らない。こんなもので、心の病気が治るのかと疑問に思った。
ベッドの横に置いてある丸イスに座り、母の顔をまじまじと見た。化粧をしていない母は老けて見えた。
母は目を開けた。
「あ、起きた?」
「今、何時?」
母に訊かれ、私は腕時計に目をやる。午後六時だった。
「六時だよ」
「そう。なんだか最近、時間の感覚がなくて」
私は、生気のない母をなんとか元気づけようと、なるたけ笑顔で振る舞った。誰かを思いやって行動することが、大変だということに気づいたのは、母が入院してからだった。本当は、余裕なんてないのに、こうして偽らなければならない。そうした自分の気持ちに気づくと、己の器の小ささを思い知る。
母のことを考えると、辛かった。以前はあんなに元気だったのに、いつも笑顔を絶やさない人だったのに、と、昔のことばかり回想しては、胸が痛くなった。
「お母さん、これ、おばあちゃんが作ったおはぎ持ってきたよ。好きなんでしょ?」
私はベッドについているテーブルの上に、重箱に入ったおはぎを置いた。母は身体を起こすと、じっとそれを見つめていた。私の問いかけにも上の空の母に、だんだん嫌気が指してきているのは、事実だった。祖父母も私も、精神的なことだからと、母に対しては細心の注意を払っていた。全部解ってほしいとは思わないが、そういったことを少しは察してほしかった。
やがて、母は口を開き、
「狂いそうになる」
と、呟いた。
「え?」
「狂いそうになるの。頭が」
「なにそれ」
「きっと、お父さんもこういう気持ちだったのよ。自分が狂っていくのを恐れてたんだわ。だから薬なんかやったのよ」
私は身体がかぁっと熱くなっていくのを感じた。それは怒りの証だった。
「狂えばいいじゃん」
怒りで口元が震えた。自分でもコントロールできないくらい、興奮していた。
「狂えばいいじゃん。それの何が怖いの? みんな、お母さんに気遣ってるんだよ。自分だけ苦労してるみたいに言うの止めてよ!」
私は狭い病室で、想像以上に大きな声で怒鳴りつけていた。怒り任せの言葉の数々に、発している最中で、もう止められない、と自覚していた。
それだけでは怒りは収まらず、テーブルに置いた重箱を母に投げつけた。何個も連なって綺麗に収まっていたおはぎが汚くベッド上に散らばった。あんこが、掛け布団の白の上で汚物のように見えた。母は、黙って、自分の周囲に散らばったおはぎを重箱にのろのろと戻していった。
それを見て、何だかとてつもなくやるせない気持ちになり、私は病室を飛び出した。帰りのバスの中、全て馬鹿らしく思えて気づくと、涙が溢れていた。過ぎゆく風景が滲んで見えた。それが不快で、袖で涙を拭い続けた。
「お前、なにかあったのか?」
次の日、学校に行くと、手塚にそう訊ねられた。私の瞼は分厚く腫れていて、泣いた痕跡が明らかに残っていた。
「まあ、ね」
「悩みがあったら聞くぞ」
手塚にそう言われ、思わず胸の内を明かしたくなるのを、ぐっと抑えた。母の病状を言うのは、なんとなく気が退けたのだ。
「手塚って悩みとかないの?」
私がずっと訊いてみたいことだった。
「悩みなら、たくさんあるよ」
「どんな?」
「でも、そういう時は、笑うのが一番だ。笑うってすげぇよ。悩んでるのが、だんだん馬鹿らしくなってくるし、笑えてるうちはまだまだ大丈夫だなって安心できるんだ」
私の質問には答えず、手塚はそう言って笑った。そういえば、父が私によく言ったものだ。笑うことが人生においてどんなに大切なことなのか。生活のなかにある、笑うという行為の重要さ、それは生きる糧になると、かつて言っていた。
なぜ、そんなに明るく楽しく、毎日を過ごすことに重点を置いていた人が、あんな奇怪な死に方をしたのか。子供の私には、難しすぎる問題だった。
「江戸も心配してたぞ」
「何で?」
「さあ、ね」
手塚は私を見てにやにやしていた。
手塚が隣の席だということもあり、江戸とは、最近よく話すようになった。彼は、笑いに対して貪欲で、毎日のように、このネタはこうだああだと手塚と討論していた。
そして驚くべきは、江戸のつっこみの鋭さにあった。いつもの鈍重な動きが嘘のように、漫才ではいきいきと身体を動かす。一度だけ、ネタの全部を通した漫才を教卓の前で、クラスメイトに披露したことがあった。その場は爆笑に包まれ、誰もが腹を抱えて笑うほどの傑作だった。
私は、母にきつく当たってしまったことを後悔していた。一番の理解者でいたかったはずなのに、母を責め立てた。病気のせいで、あんな風になっているのだから、解ってあげなくちゃ駄目だ、という気持ちと、鬱というのは、ただの甘えなのではないかという厳しい気持ちが、私の中に共存し、対立していた。
私はあれこれ考えてしまうのが辛くなって、机に突っ伏した。泣きそうになっていた。
「お前、小樽行ったことある?」
手塚が私の耳元で問いかける。いきなり何でそんなこと言うのだろうと思いながらも、
「ない」
と、短く返事をする。
「雪まつりは?」
「それもない」
私は机に突っ伏したまま、手塚の質問に愛嬌なく答えていく。
「それじゃ、まだまだ道産子とは言えねぇな」
顔を上げ、手塚を見た。
「何が言いたいの?」
「もう五月だから、雪まつりは無理だけど、小樽なら大丈夫だ」
話が通じず、首をかしげた。しかし、手塚の表情には、私の機嫌を伺い、気遣っているような節もあり、それに私は気付いた。手塚は、誰かが困っていたり、落ち込んでいたりすると、すぐにそれを察して、労ってくれる。父が笑いの天才だったのなら、彼は、優しさの天才だ。
「明日、土曜日だろ。小樽行こうぜ」
私は突然の手塚の誘いに驚いた。一緒に遊んだことは数知れなかったが、遠出したことはなかった。
「気分転換だよ。大事なことだろ。たまにはリフレッシュしないと、楽しくねぇよ。俺も良いネタが閃くかもしれないし」
彼は口早に言い、
「江戸には内緒だからな」
と、小声で付け足した。
私には解っていた。手塚が、私を励ましてくれていることが。そんな彼の優しさに気づくときは、決まってくすぐったい気持ちになる。そして次第に自分の気持ちに気付いて、止められなくなるんだ。
土曜日は、昼過ぎに美唄駅に待ち合わせをして、私たちは汽車に乗って小樽まで向かった。小樽までの道のりは長く、初めての遠出に胸を弾ませた。
手塚はジーンズに長そでのシャツを着て来た。久しぶりに見る彼の私服は、小学校時代とは違い、貧相な印象は受けなかった。しかし、私はあの、縁がよれている体操服を堂々と着こなす手塚が好きだった。その服装には、なんというか、強さみたいなものがあり、自分は自分であるという現われのような気がしたからだ。そして、そんな服装でいても、いつも彼は輝いて見えた。中身がある人間は、どんな格好をしていても様になるのだな、と子供ながらに感心していた。
「小樽って、観光地として有名だけど、具体的にはなにが有名なの?」
私は、もうじき着くであろう小樽行きの列車の中で、窓の外を視界いっぱいに広がる広大な海を眺めながら、手塚に訊いた。
「オルゴール堂、小樽運河、小樽食堂――。たっくさんあるけど、中でもオルゴール堂は本当にすげぇんだぜ。一回見たら忘れられないよ。すごく幻想的なんだ。逆に一度も行ったことがないなんて、その方がビックリだよ。誰も連れていってくれなかったのか?」
「お母さん、引っ越してきた時から、あんまり元気なかったし。おじいちゃんもおばあちゃんも出かけるのは好きじゃないみたいだし」
「連れてけって言えば良かったのに」
手塚の何気ない言葉がなぜか胸に刺さった。
「言えないの。迷惑かけるんじゃないかって」
「母ちゃんはまだしょうがないにしても、じいちゃんとばあちゃんなら、それくらい全然構わないだろ」
「わかんないよ。何でこんなに気にしすぎちゃうのか」
私は声がつまった。自分のことを、心底馬鹿らしいと思った。
「まあ、でも」
手塚は、私の、漠然とした悩みを理解したのか、
「俺もお前も、人に甘えられない質らしいな」
と、呟いた。私は顔を上げた。向かい合って座る座席の目の前には、少しだけ哀愁を漂わせた十三歳の少年がいた。まだ十三歳の、私たちに、一体なにができるというのだろう。
「もうすぐ着くぜ」
その場の空気を変えるように、明るい声調で手塚は言う。私は、彼のために何がしてあげられるのか考えた。少しだけ申し訳なく思っていた。
オルゴール堂の中に入ると、手塚が言ったように、そこには幻想的な世界が広がっていた。館内目いっぱいに置かれた様々なオルゴールたちが、観光客の手によって弄られ、あらゆる場所で、音色を響かせている。オルゴール特有の、ゆったりとした優しい音色に、巧みに作られた美しいフェイスをした見た目に、恍惚としてしまう。
「すごいねぇ。こんなところがあったなんて」
私は目を輝かせながら、目ぼしいオルゴールを見つけては、手に取り造りをまじまじと見つめた。繊細で可憐な造りに、思わず顔が綻ぶ。
「だろ。東京にも、色んな観光地はあると思うけど、やっぱり俺は北海道一托だな。食い物もうまいし」
「そんなこと言って、北海道以外行ったことないだけじゃないの」
「まぁ、それはそうなんだけど」
手塚は笑い、私もつられて笑う。笑うと自然と悩みが薄れていく。確かに、手塚の言うように、笑うってすげぇ、のかもしれない。
どれも可愛らしく、人形やぬいぐるみがオルゴールになっていたり、大きさも大小様々で、中にはキーホルダーがオルゴールになっていて、土産に最適なものもあった。値段は、中学生の私たちには若干お高いものばかり。しかし、それが妥当な値段だということは、十分理解できる品ばかりだった。
私は、せっかくなので、記念に一つだけ購入することを決めた。しかし、あまりに膨大な量のオルゴールを目にして、次々に手に取り、音を聴き、一つに絞ろうとするも、目移りばかりしてしまい、なかなか決めることができない。
「これなんかいいんじゃないの」
手塚が差し出したオルゴールは、白が基調とされていて、ハート型の、真ん中に大きなラインストーンが施されている小さなものだった。ねじを巻き、蓋を開けると、小物入れの仕切りがあって、ショパンの優しい音色が奏で出す。
「これ、買おうかな」
私はそれがすっかり気に入り、購入した。
その後私たちは、小樽運河の川沿いをずっと歩いていき、色々な話をした。どれもおちゃらけたものだったが、楽しく、久しぶりに幸せを感じることができた。
川沿いには、出店がたくさんあり、似顔絵を描いてくれる人が、歴代描いた人たちの似顔絵を並べていた。私はそれに興味を示し、深々に眺めた。
似顔絵を描くこつは、顔の特徴を瞬時に見つけること。客を退屈させずに気持ち良く帰ってもらうには、長くて七分以内には描かなくてはならない。これがなかなか難しい。そのためには、とにかく数を重ね、腕を磨いていくしかない。
絵描き屋さんが今までに描いた似顔絵を見ながら、その人の人生を思った。こつこつ積み上げ、磨いてきた絵のスキルには、長い時間を感じさせる。
「いつか、手塚の漫画が書きたいなぁ。手塚を主人公にして」
私たちは人々が行きかう河川敷を二人並んで、前を向いて歩いていた。穏やかな春の陽射しに優しく絆され、目を細めた。
「いいじゃんそれ! どうせなら、江戸も出してやってくれよ。コンビでさぁ」
「それはいい考えかも。中学生のコンビが、一流の漫才師を目指す話」
「うおー! いいね、最高! 是非描いてくれ」
「お母さんが退院したらだけど」
「……そうだよな」
私は何気なく吐いた言葉だったが、手塚は敏感に感じ取ったようだった。齢十三歳のただの子供が、気にしなくていいことまで気にしてしまう。私たちは、運命共同体かもしれない。
「でもこつこつ描いてみるよ。設定がもっと、ひねるけどね」
私が明るい顔を向けると、
「一番に見せてくれよ。俺は編集者並の厳しいチェックするからな」
と、手塚は笑った。
小樽小旅行の最後は、ラーメンで締めくくった。駅前のラーメン屋で、手塚は運ばれてきたばかりのラーメンを勢いよくすすり、見ていて気持ちの良いものだった。
男の子らしい、豪快な食べ方に、性の違いを感じた。最近あらゆるところで、それを感じる。身体の造りはもちろんそうだし、食べ方も、歩き方も、話し方も、すべて全く違っている。しかし、違うからこそ愛おしい。
「気をつけて帰れよ」
駅からの道中、分かれ道になり、街灯の下で私たちは佇んだ。
「今日はありがとうね」
「少しは元気になったか?」
と、手塚は訊いてきた。
「うん。何か心が軽くなった。本当にありがとう」
「そっか。なら良かった」
手塚は、またな、と言いながら背を向けた。
小学校時代、同じくらいの身長だった彼は、いつの間にか私より随分大きくなっていた。毎日のように顔を合わせていたから、そういった変化に気づくことは少なかった。そういえば、声も、昔より低くなったような気がする。
当たり前の変化、徐々に少しずつ大人になっていく手塚を見て、彼をただの友達ではなく、一人の男性として見ている自分がいることに気付いた。
遠ざかり、だんだん小さくなっていく手塚を見て、私は、ようやく確信してしまった。手塚を好きだということを。