サンタのおじいさん殺人事件
「やほーっ! また遊びに来たよ、おじさん!」
バーン! と勢いよく事務所の扉を開けると、徳永慶次先生はお仕事中だった。
偉そうな机のむこうで回転椅子を横にむけ、いつものように葉巻をくゆらせながら、資料に目を通しているところらしかった。
「ノックをしなさい。いつも言ってるように」
先生はあたしを叱りながらも、ちょっと嬉しそうな顔をした。
「それから私は『おじさん』ではありません。『お兄さん』と呼んでください」
30歳代ならその台詞にもうなずくけど47歳白髪まじりの先生には似合わない台詞だ。
あたしは構わず、偉そうなその机に飛びつくと、聞いた。
「何調べてたの? 殺人事件?」
「いつもの通りですよ。行方不明の猫の捜索です」
この町は平和だ。先生の開いてる個人探偵事務所にも平和な依頼しか来ない。
たまーにあっても不倫の調査とかで、人が死ぬような事件に先生が関わったことは、あたしが知る限り一度もない。
「ところでどうしたんですか?」
先生があたしに聞いた。
「何か嬉しいことでもあったんですか? 観野崎汐里さん」
「え……。なんで?」
「制服の着こなしに、いつもより気合いが入ってますよ」
自分のブレザーの制服を眺めた。事務所に置いてある姿見にも映して見た。いや、いつもと同じだろう。いつもと同じだぼっとした着こなしだ。
「ネクタイにおしゃれなものがついていますよね」
「あっ」
先生に言われて思い出した。そういえば赤いリボンにピンクのピアスをつけてるんだった。ちっちゃな、ちっちゃな、リボンのピアスだ。
「こんなちっちゃいの、よく気づくよね!」
「仕事柄、観察眼を養っていますからね」
ほっほっほっほ、と先生が余裕たっぷりに笑う。
「でも、べつに嬉しいことなんてないよ。友達から貰ったからつけてみただけ」
「お友達からプレゼントを貰って、嬉しかったのではないですか?」
また先生がほっほっほっほ、と笑った。
うん。やっぱりここに遊びに来るのは楽しい。
学校で起こったあの事件(※)で初めて知った時から、徳永先生はあたしの大好きなおじさんだ。尊敬してる。
同級生の男子がみんなガキに見えてしまうほど、余裕があって、頼り甲斐があって、偉そうな机にいつもむかってるくせに優しくて、そして何より面白い!
あたしはこの探偵事務所で先生と遊んで、将来は先生みたいな余裕ある私立探偵になるんだと決めていた。
「ねー、おじ……お兄さん」
お仕事中の先生の椅子を後ろから揺らして、あたしはせがむ。
「今日もしようよー。推理ゲーム」
「仕事中なんですが……」
「ねー、ねー」
「ゆ、揺らさないでくださいね」
先生が資料を机に置いてくれた。
「それではタイムリーな事件を設定してみましょうか」
「わーい♪ 殺人事件?」
「そうですけど、そんな物騒なワードで女の子が喜んじゃいけませんよ」
あたしがよくここに来るのは、美味しいお菓子があるからでもあるけど、何より先生とする推理ゲームが楽しいからなのだった。
今日はどんな事件かな? 絶対解き明かしてみせる。今までの成績は12回で6問正解。今日犯人あるいはトリックを当てれば正解率が50%を超せる。
ローテーブルを挟んでソファーに座り、向き合った。
先生は二人ぶんのレモンティーを淹れてくれながら、今回の架空の事件のことを語り出した。
「『サンタのおじいさん殺人事件』というのはどうでしょう」
「え? サンタクロースが被害者?」
「そうです」
先生の口が素速く動きはじめた。
「日時はクリスマスの夜22時30頃。自宅でサンタクロースが死亡していました」
「それは本物のサンタさんなの?」
「それは確実です。サンタクロースの格好をした一般人とかではありません」
「わかった」
「警察の調べにより他殺と断定されました。凶器は刃渡り6センチの折り畳みナイフ。正面から心臓を一突きにされていました。即死と見られます」
「そういうとこ、いいから。早く早く、肝心なとこ行こう。容疑者は?」
「容疑者は彼の相棒のトナカイ、妻、娘、孫娘、そして召使いの男でした」
「召使い! ……って、どんなことするひと?」
なんだか「ぐひひひ」とか笑いそうな、いかにも犯罪を犯しそうな汚れた顔の男が浮かんだ。
「言葉が悪かったですね。『執事』にしましょうか」
その言葉を聞いた途端にさっきの男が美形の黒スーツの人に変身した。うん、この人はサンタさんを殺したりなんかしない。強そうだけど。
「部屋は? 密室だったの?」
「サンタクロースはどこかの北国の森の中にある『サンタの村』に住んでいます。そこは善良な村人しかいない場所なので、玄関にすら鍵をかける必要はありません。ゆえに、密室どころか超オープンでした」
「じゃあ……、トリック問題じゃないわけね。誰が犯人かを当てろ、と?」
「まぁ、そうですかね」
先生がレモンティーを飲んで、ふふふと笑った。
ローテーブルに出されたフィナンシェを遠慮なくいただきながら、あたしは早速推理を開始した。
「トナカイがまず怪しいと思う。毎年クリスマスには安月給に見合わないほどこき使われてるから、殺意をもってた?」
「それなら中小運送会社のドライバーさんは繁忙期にはみんな社長を殺害するんじゃないですかね」
先生があっさり否定する。
「それにトナカイにナイフは持てませんよ」
「じゃあ、娘か孫娘だ! 世界中の子供たちにプレゼントを配って回ってるおじいちゃんに恨みをもってた! もっとあたしたちをかまってよ! って」
「ふふふ。観野崎さんは、おじいちゃんにかまってもらえなかったら殺害しますか?」
「人によると思う! そういう孫娘もいるんだ」
「他の恨みも積み重なっていればそういうこともあるのかもしれませんけどね、サンタさんは一年のうち364日は家族と一緒に暮らしている優しいおじいさんだそうですよ」
「あ……そうか。じゃあ、娘でも孫娘でもないか」
「あり得ないとは言いませんが、動機が不明すぎるので、とりあえず容疑者から外してもいいでしょうね。ちなみに孫娘は6歳、娘は35歳ですが、女性の力で一突きで即死させるのは難しいと思われます」
「じゃあ、奥さんは? 何歳?」
「61歳です」
「奥さんなら夫の健康チェックとか言って心臓の位置確認してから全体重を乗せれば殺せるよ。動機はありがちな不倫とか保険金目当てとか……」
あたしの殺伐とした推理に先生がクスッと笑った。
「そんなお歳ではありませんし、仲のおよろしいご夫婦です」
「じゃあ……やっぱり召使い……じゃなくて執事しかいないじゃない?」
「執事はそれはそれは甲斐甲斐しくサンタクロース一家のお世話をしていたそうですよ」
「でも何か恨みがあったんだ。武器の使い方も一番うまそうだし。っていうか一突きで殺せるひと執事しかいないじゃん」
「では、執事に取り調べを行いますか?」
「イエス!」
あたしがうなずくと、先生が一瞬で変装した。
目の前に黒スーツのイケメン執事が現れた! 素敵!
ぽーっとして見とれてしまって、危うく何をするのか忘れるとこだった。
「お……、おまえがやったんだなっ?」
あたしはローテーブルをとんと叩くついでにマドレーヌを取った。
「サンタさんにどんな恨みがあったんだ? んっ?」
そう言ってからマドレーヌを口に運ぶ。
「刑事さん……」
イケメン執事の声で先生が言う。
「旦那さまは……ご立派なお方でした。一年に一度しかお働きにならないとはいえ、その一度がとてつもない重労働なんですよ。世界中の子供たちにプレゼントを届けるんですから」
あー。世界にサンタさんは一人しかいないのか。
それは大変だよなと考えると、マドレーヌを口の中でもごもごさせながら、なぜだか申し訳ない気持ちになった。
「旦那さまがお亡くなりになったからといってクリスマスをお休みするわけには行きません。サンタの村の住人は皆、そこに住んでいるだけで無関係です。代わりができるのは、わたししかいません」
「げえっ!?」
「旦那さまはあのように笑顔で世界中を飛び回っておいででしたが、果たしてわたしにできるかどうか……」
「あなた犯人じゃありません!」
あたしは指差しながら立ち上がった。
「絶対犯人なわけがありません!」
フッといたずらっぽく笑うと、執事が徳永先生の姿に戻って、言った。
「容疑者がいなくなってしまいましたね?」
「じゃあ……、村人の誰か?」
「平和な村です。それに村人の誰かが不審な行動をしていればすぐに他の誰かに見つかり噂が村中に伝わります。なにしろ超オープンですから」
「えー……? じゃあもしかして、何かのトリック問題なの、これ?」
「じつを言うと、そのようなものです」
「全然わかんない! ヒント!」
「いいですよ。まず、観野崎さんは推理を焦りすぎましたね。これがどういう問題なのか、何を当てたらいいのかを聞かずに、先を急がせましたよね」
「だって状況説明とか聞くのめんどくさいんだもん……」
「しかも殺されたサンタさんが本物のサンタクロースだと聞いて、疑問を持ちませんでしたよね?」
「だって『それは間違いない』って言ったじゃん……」
「サンタクロースって実在すると思いますか?」
「え……」
その言葉にあたしは考えた。
「もしかして……被害者は架空の人物だから、この殺人事件もほんとうはなかったとか?」
「そこは『あった』と仮定してください」
「意味がわからなくなってきた……」
「これは架空の人物が実際に殺されたという事件だと思ってください。その人物は世界中の人から愛され、しかも一夜で世界中の子供たちにプレゼントを配って回れるほどの能力を有している。はっきり言って超人です」
「ふむふむ」
「つまり、犯人は、世界中の人々が愛してやまない人物に対して殺意をもつような人物であり、また、超人を超える存在であると考えるべきです」
「もしかして……神?」
「近づいてきました!」
先生がぱん!と柏手を打った。
「そう! しかし、神には名前があります。その名前は?」
「なんだっけ……、ヤーウェ?」
「それはキリスト教の神の名です。キリスト教のイベントであるクリスマスを支えるサンタさんを殺すと思いますか?」
「じゃ、対抗するとこだ。なんだっけ、アラー?」
「じつはヤーウェもアラーも同じ神です。キリスト教とイスラム教で呼び名が違うだけです」
「じゃ、誰なの〜!?」
「降参しますか?」
あたしはラングドシャクッキーをお菓子の缶の中から一枚取り、いい音を立てて噛むと、両手を上げて言った。
「降参」
「これでわたしの7勝6敗ですね」
先生がにやりと笑う。
「いーから。答え、はよ」
「とてもいいところまで行きました。惜しかったですよ、観野崎さん」
「いーから。はよ」
「これは神の犯行です。クリスマスを憎んでおり、わたしたちを創生した神の」
「どんな神なの、それ?」
「わかりませんか? それはつまり作者。しいなここみですよ」
「は? 誰、それ?」
「わたし達はしいなここみの創り出した物語の登場人物なのです。気づいていませんでしたか?」
「まさか……メタ!?」
「しいなここみは推理小説など書ける頭脳の持ち主ではありません。過去に『ラストバディー』という作品は書いていますが、あれはトリックというよりはひっかけ問題でした。そんな作者に高度な推理小説なんて書けると思いますか? そこをまずは疑うべきだったのです。
しいなここみはぼっちであるがゆえに恋人たちの一大イベントであるクリスマスを憎んでいました。クリスマスの話を書けと言われて、恋人たちを駆逐するお話か、サンタクロースが殺されるお話しか思い浮かばなかったのです。つまりサンタさんを殺害する動機はじゅうぶんありました。加えていかなる能力持ちであろうともフィクションならば存在を消してしまえる能力、すなわち『そういうことにできる能力』を有していますので、犯人はしいなここみでしかあり得ないのですよ」
「え……。ちょっと待って」
あたしは自分の世界がぐらついたような気がした。
「あたしも先生も……この世に実在しないってこと?」
先生がローテーブルの向かいから手を伸ばしてきた。
あたしの頭にぽんとてのひらを乗せて、撫でてくれる。あたしが確かにここにいることを認めてくれる。そして、言った。
「観野崎さんは自分の人生が、誰かの夢かもしれないと思ったことはありませんか?」
「え……。うん……」
思ったことはあった。ほんとうにこの世は存在しているのか、これは自分が見ている夢ではないのか……と、そっちのほうがよく思うけど。
「わたしはよくありますよ」
先生の優しい笑顔がかわいい。
「誰でもそんなものです。だからといって、夢かもしれないからといって、投げ出してしまってはいけません。とても楽しい、とても幸せな夢にしてくださいね」
「うん」
あたしは笑った。
「あたしの見てる夢の中で、みんな幸せになれたらいいよね」
「さて……。サンタさんが実在するかはわかりませんが、殺されたサンタさんはしいなここみの酷い妄想によるものでした」
先生がレモンティーのお代わりを淹れてくれる。
「クリスマスは明日やって来ます。明日はこんなところに遊びに来てちゃいけませんよ? どうか、好きな男の子と一緒に過ごしてください」
「ううん? 明日も来るよ」
「いけません。こんなおじさんの探偵事務所で過ごしては、青春がもったいない」
「47歳で独身で、かっこよくて笑顔がかわいいお兄さんのところに明日も来てあげる。……ダメ?」
「駄目とまでは言いませんが……」
「じゃ、来る!」
そう言うと、あたしは自分が一番かわいく見える立ち上がり方で、立ち上がった。
外に出ると雪が降っていた。
明日もホワイトでメローメロウな日になればいいな。
白い妖精たちがひらひらと落ちてくるような空を見上げると、赤い手袋をはめた両手を合わせ、あたしはサンタさんにお願いをした。
(どうか先生の恋人になれますように)