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第一章 第三話 取り返しの付かない大事故

 今日は、いつもの五百倍位の観客が既に、ステージ前に整然と整列して座って並んでいた。


 とは言え、彼らの目的は全国的アイドルグループのキャンキャットの新曲お披露目ステージを観る事であり、『有限会社ベータテンプルマン』が演じる『たたかえ!ベータテンプルマン!』のヒーローショーが目当てで無い事は、火を見るよりも明らかだった。


 それでも、『タキオン・ショッピングモール弐番館』から機会を与えられている以上、前座興行にすらなら無くとも、『有限会社ベータテンプルマン』はいつもより頑張って『たたかえ!ベータテンプルマン!』を演じる。


 紅嶋秀一はいつも通り、正義の味方『ベータテンプルマン』として登場する為、三階の踊り場で待機する。

 此処、三階の踊り場からは、ステージと客席がよく見渡せる。


 ステージでは今、悪のヒロイン役である高丘茜音が重くて暑いウレタン製の着ぐるみ姿でアルバイトの男女が演じる正義の地球防衛隊員と殺陣を演じている。


 それこぞ暇さえ有れば、いや、高丘茜音は私事に費やしたい時間を割いてでも練習している、圧巻の殺陣シーンがステージ上では繰り広げられているものの、客席から其れを観る者は誰一人居ない。


 『たたかえ!ベータテンプルマン!』が終わるのが何時か、時計をやたら気にする者、オタ芸の練習に余念が無い者、こっくりこっくりと舟を漕ぎながら居眠りしている者、そしてステージからの台詞や音響効果がまるで台無しの、キャンキャットのメンバー名を連呼する者、と混沌の様相を呈している。


 それでも、高丘茜音は一人、いやアルバイトの役者達と一緒に、ヒーローショーという作品を、演じている。


 台本通り、アルバイト達が演じる地球防衛隊員は全滅し、高丘茜音演じる悪役ボスが、ベニヤ合板で造った街を破壊し始める。


 舞台袖から、モブの市民役、北甲希海が客席に向かって声を掛ける。


 「みなさん!此処は皆さんの声援が必要です。皆で『ベータテンプルマン』と呼びましょう!」

 けれどももちろん、誰も其れを聞いては居ない。


 「せーの!」

 其れを気にする事無く、北甲希海が上げた掛け声に合わせて、ステージ全体に野太い声が響き渡る、しかし。


 「みおりーん!」

 「みゅうぴょん!」

 「さきにゃん!」

 「こいりょん!!」


 何れもキャンキャットの十人以上居るメンバー一人一人の名前ばかりで、誰一人『ベータテンプルマン』とは呼ばない。


 否。

 一人だけ、そう呼んでくれる女子高生が居た。今までも、そして今日も。


 「ベータテンプルマン!がんばれぇ!!」


 『たたかえ!ベータテンプルマン!』のステージを始めた当初、それこそ、もう何年も前から、たった一人だけ、国内でも有数のお嬢様女子高校の、清楚で気品溢れる制服を着た小柄な女子高校生と思しき、うら若き女性が一人だけ、いつでも客席の最前列のど真ん中からステージを見続けてくれていた。


 演じている場所を選ぶ事無く、此処、『タキオン・ショッピングモール弐番館』だけで無く、小さな劇場や駅前などでも、もちろん誰も彼女の名前を知らないのだけれども、その彼女だけは必ずステージの前に居て、『有限会社ベータテンプルマン』の演じる『たたかえ!ベータテンプルマン!』を観て全力で応援してくれる。


 「助けて!ベータテンプルマン!がんばれぇ!」

 彼女だけが、またそう叫んだところで、紅嶋秀一は雄叫びを上げて、三階の踊り場から気合いを込めてステージに飛び降りる。


 もちろん、ステージの上にはセットの裏手に隠すように特殊なクッションが何枚も重ねて置いてあり、三階の踊り場から一階のステージに飛び降りた紅嶋秀一の身体全体に掛かる衝撃は、柔らかなクッションが吸収してくれる・・・筈だった。


 だが、今日に限って何故かステージの上にはたった一枚のクッションさえも置いてなかった。


 空中に飛び出してから、紅嶋秀一其れに気付き、ふと一番大切な事項を思い出す。


 ステージの上にクッションを準備するのは運転手の大久保寛太の役割であり、今日は控え室が狭かった為、大久保寛太には店の中の何処かで、ステージが終わるまで待機して貰っていた事を。


 「いや、誰か気付いてクッション、置くだろう普通は」

 紅嶋秀一は心の中で毒付いてみたものの、もう全てが遅すぎる。


 よく思い出してみるに、今日のステージは何もかも最初から、歯車がズレていた。


 いつもと違う、泥濘んだ駐車場所。

 いつも以上に苦労させられた、セットや機材の搬入作業。

 いつもと違う、余りにも狭い待機場所、だから運転士の大久保寛太には苦労掛けまいと、待機場所を変えて貰った。


 だからこそ、いつもと違う劣悪な作業環境で、正社員、アルバイトの別を問わず、作業者全員が必要以上に疲労し、クッションマットを敷いたかどうか、其処まで気が回せるスタッフが居なかったに違いない。


 せめて三階の踊り場で待機時間中に、クッションが置いてあるか、それくらいは確認すべきだったと、紅嶋秀一は人生で最初で最後の、最大最悪の後悔に苛まれるが、もう全てが遅すぎた。


 三階の踊り場から空中に勢いよく飛び出した紅嶋秀一の身体は、自由落下で足下のステージに向かって墜ちていく。


 「死ぬ前の走馬灯、本当に見えるんだな・・・」

 そう呟いて紅嶋秀一は心を決めると、全てを諦め、そしてそっと静かに目を閉じる。

 「僅か二十九年の命だったけれど、きっとコレも運命なんだろう。中堅商社を退職して、気心知れた仲間達同志で酒を飲みながら、単なる思いつきで始めた地元のヒーローショウも含めて、それなりに良かった人生だったのかな?」


 コンクリートで出来たステージは自由落下で墜ちてきた紅嶋秀一の両方の足の骨を一瞬で粉砕し、紅嶋秀一の内臓は其の全てが衝撃で破裂し、バランスを失い倒れた紅嶋秀一の頭蓋骨が、砕け散った両足の横に叩き付けられ、そして跡形も無く粉々となり・・・


 ◇ ◇ ◇


 『タキオン・ショッピングモール弐番館』の中央広場、メインステージの上から客席にまで鮮血が飛び散り、キャンキャットのステージを観る為に集まった観客は大パニックとなり悲鳴が彼方此方で起きて、人々は右往左往となり、暫くしてようやく救急隊が駆けつけて・・・


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