第一章 第二話 狂い始めた歯車
「今日はここしか使えんのですよ、ベータさん、申し訳ないというか何というか・・・」
『タキオン・ショッピングモール弐番館』の守衛室に詰めているメンバーの中でも一番若い筑紫十八歳が済まなそうに頭を下げる。
「一会と二会は?」
紅嶋秀一は改めて筑紫に問い掛ける。
「其れが今日、一会と二会はアイドルグループが使うらしいんです。私たちにも情報がちゃんと回ってきて無くて・・・グループ名とか不明なんですけれど」
筑紫が申し訳なさそうに頭を下げる。
そうはいえ、『タキオン・ショッピングモール弐番館』ではもう五年以上、ほぼ毎月のように定期的にショウを開かせて貰っている。
面倒事を起こすのは得策とは言えない。
「解りました、ありがとう御座いました」
紅嶋秀一がそう返答すると、筑紫は軽く会釈してその場を離れる。
「悪いけれど、今日は三会議室しか使えないみたい。全部三会議室に搬入しよう」
「ハイ解りました!」
社長、紅嶋秀一の指示に、バイトメンバー含めて此処に集まったメンバーは気心知れた、勝手知ったる、顔なじみのメンバーばかりであり、方針が伝えられてからの彼らの動きはすこぶる手際良く、滞りなく搬入作業は完了する。
◇ ◇ ◇
とはいえ、である。
社長の紅嶋秀一他に、正社員とアルバイト併せて十二人居る男性陣と、高丘茜音と北甲希海の正社員の女性、その他にアルバイトも併せて計六人の高校生から主婦までの女性がいる『有限会社ベータテンプルマン』メンバーに与えられた部屋が、『会議室3』と書かれた十二畳間くらいの狭い部屋、たったの一カ所のみでは流石に狭すぎる。
ましてや、『勇猛果敢ベータテンプルマン!』ショーの為の少なくない音響機材や照明機材、そして決して小さくない背景などの舞台セット機材も全て同じ部屋に詰め込まれ、涼しくなり始めたとは言えまだ秋小口、日中はそれな入りに気温も上がる。
取り敢えずクーラーを使う事は許されたが、十四時から始まるショーまでの九時間近く、男女併せて十八人は狭っ苦しい部屋に寿司詰め状態で、待機する事を求められる事となった。
そしてステージ上での演技者でも無く、音響や照明灯の裏方スタッフでは無い、と言う事、しかも六十六歳と若くない大久保は、年齢的な体調も考慮してショウが終了するまでの間、『タキオン・ショッピングモール弐番館』店内待機という事となった。
「壊さなければ機材とか、セットの上に座って良いから・・・」
男性社員や、大なり小なり、もう慣れっこになっている高丘茜音や北甲希海は既に座る場所を見つけて腰を下ろし始めたが、今日一日だけの募集に応募で来ているアルバイトでは無く、もう何度も来てくれた事の有るアルバイトとは言え、流石に身の置き場に困り果てて立ち竦んでいるのを観て、紅嶋秀一が声を掛ける。
其れを聞いて、彼ら彼女らもようやく、適当に腰を下ろす。
だが、彼らアルバイトも含めて、正社員も表情は堅く暗く、九時間後には子供向けの明るいヒーローショーをする、そんな雰囲気では、まるで無い。
いつもなら、ショウを開始するまでの時間、バックスタッフならばセットの仮組みや機材の動作確認、出演者ならば発声練習に始まり、台詞の確認、殺陣の確認や練習も許されているのだが、本日に限って何故か、室内での話し声は控えめ、しかも発声練習も駄目という通達が『タキオン・ショッピングモール弐番館』の支店長名で届いていた。
加えて、部屋の外からは絶えず、老若男女、様々な内容の明るい話し声が漏れ聞こえてきて、 寧ろ、若い子達は、今にも怒りを爆発させそうで、紅嶋秀一も其れが気になり、心を落ち着かせる暇が無い。
朝十時を過ぎて、南向きの閉められたままの窓から熱気が伝わり、其れで無くとも大人が大人数、狭い部屋に押し込められた状態の為、店側からクレームを受けるのを覚悟した上で、部屋の一番下手側に座って居た高丘茜音が部屋の空調設定温度を二度下げる。
もちろん紅嶋秀一も何も言わない。
部屋全体がヒンヤリと室温が下がり、部屋の中に居る、全員の表情が少し緩む。そんな時だった。
軽やかな万人受けするような雰囲気の音楽が聞こえてきた。
「お?」
最初に気付いた、アルバイトメンバーの中でも一番若く、本来なら一番、場の空気を和ませるのが得意な大学生の中本がスマホを吸い付くように眺めてしかめっ面していた表情を和ませて顔を上げる。
「あれ?この曲・・・キャンキャットじゃね?」
中本がそう言ったのに合わせるように、其れまでは苦虫を噛み潰した様な表情でへたり込んで居た、アルバイトの男女が一斉に顔を上げて、部屋の外から漏れ聞こえてくる音楽と歌声に耳を傾ける。
「えええぇぇぇ?・・・キャンキャが来てるの?知らなかったし・・・だったらバイトしてる場合じゃ無いよぉ」
同じくアルバイトの中でも雰囲気創りが巧い女子高生の椿守が戯けたようにそう言うと、部屋の中全体に控え目に笑いが起こる。
「一緒に歌っても良いよ?部屋から漏れ出るような声じゃダメだけど、小さな声だったら」
全国的な人気を誇る女性アイドルグループ、キャンキャットの名前ぐらいは知っている紅嶋秀一がそう言ったのをきっかけに、アルバイト達が漏れ聞こえてくる音楽に合わせて口ずさみはじめる。
狭い部屋に押し込められた状態でギスギス感が拭えなかった部屋の中にようやく明るさが戻ってくる。