世界の再生
ある朝、僕は全てが嫌になった。恐らく君はそんな感覚は誰にでもある平凡でありふれた絶望だと言うだろう。だが僕にとってそれは世界の崩壊そのものだった。なぜなら僕たちは自分たちの脳を通じて世界を認識することで世界というものを感じている。ならば僕が「全てが嫌になった」と認識したら、それはありふれた絶望なのだろうか。いや、僕が世界に嫌気がさしたならそれはすなわち僕の世界の崩壊なのだ。そういったわけで僕の世界は崩壊した。アパートの6帖の自室は愛しい我が家ではなく僕を圧迫する鉄筋コンクリートの監獄になり、照明は暗闇を照らす物から目を刺す不快な拷問器具と化し、エアコンは部屋の温度を保つ快適な家電から空間の温度を統制する無機質な独裁者となり、スマホの着信音は誰かが僕を呼んでいるコミュニケーションツールではなく僕の領域に絶えず他者と社会が侵入してくることを示す奴隷の証明書でしかなかった。世界の崩壊から数日たったある日、崩壊前の世界に折り合いをつけるため、クローンのようにどこにでも存在するコンビニエンストアに必需品を買いに行こうとした瞬間、僕は絶叫した。あまりにも大きな声を出し喉が痛み出した。君は近所迷惑だし精神異常者と思われるからやめた方がいいと忠告するだろう。だが僕にとっては君たちの方が異常に思えて仕方ない。絶叫している僕の方が正常に思えた。ひとしきり叫び終えると僕は寝巻きのヨレヨレのTシャツとジャージのズボンのまま自室の外へ飛び出した。靴は履かなかった。君は靴ぐらい履けというかもしれない。しかし靴のせいで外反母趾になった僕からすると靴なんかを履いているから君らはこの世界の異常性に気づかないんだと主張したい。僕は走った。人工的なアスファルトの上を。少なくともここから離れなければならないと僕は思った。足からは血が出た。想像してみて欲しい。僕の葛藤を。ここから離れなければならないのに僕の足は血だらけで歩けない。だから僕はあの唾棄すべき電車に乗ろうとした。物凄く迷ったね。数十キロではしる鉄の箱。狭い空間の中でギュウギュウに押し込められた人の群れ。あまりにも人と人が近過ぎて他人の吐いた息が僕の肺の中に入る。想像しただけで吐きそうだった。改札口を見つめながら僕はゆうに21時間は考え込んだ。君はたかが5分しか経ってないじゃないかというかもしれない。だが僕の中ではそれは確かに21時間だった。21時間後、決死の覚悟で本当に存在しているかも定かではない電子マネーを支払い僕は構内に入り電車に乗った。電車は空いていたがそれでも僕は吐き気がした。永遠と思える時間が過ぎ、動く鉄の監獄から抜け出すと僕は全力で走り駅から抜け出した。本当は人のいないところまで行きたかったけれども僕はそこまで電車に乗るのに耐えきれなかった。駅を抜け出した後、僕はビルの壁を背にアスファルトの上に座り込んだ。もう一歩も歩ける気がしなかった。たかだか2駅乗っただけで大袈裟だなと君は言うだろう。だけど僕は本当に疲れ切ってしまったんだ。街を歩く人間があの電車に乗って平気な顔をしていられることが信じられなかった。僕は宇宙人を見るような目で人々の群れを眺めた。そうしていると眠くなり僕は眠った。街を照らすネオンの光に瞼越しに視神経を焼かれ僕は目を覚ました。寒かった。腹部がキリキリと痛み、頭は殴られたように痛かった。君には言っていなかったが実は僕は先ほど実際に殴られていた。疲労から目を覚ました時、太陽は沈みかけていた。僕は宇宙人達の群れを眺めていた。そしたらガタイのいい宇宙人達がオイテメエナニニランデンダヨと言語を発し僕を殴りつけた。人々は殴られている僕が見えていないかのように通り過ぎて行った。異常な世界の中で精神が擦り切れて無くなりかけた僕は肉体の方までボロボロになってしまった。そんなわけで僕は気絶してしまったんだ。君は帰って休んだ方がいいと言うだろう。僕もそう思う。僕は改札口に入ろうとした。電光掲示板には本日の運転は終了しましたと書いてあり僕は愕然とした。そんなわけで僕は線路をたどりながらヨロヨロと自宅を目指した。途中何度も倒れて寝てしまった。君は帰宅まで7時間くらいかかったなと言うだろう。僕も7時間くらいかかったと思う。なんとか最寄り駅にたどり着いた時、会社へ、学校へ向かう人々が朝日に照らされながら歩いていた。君も歩いていた。
その光景はこの世界のどんなものよりも美しい。僕はそう思った。