前編
活動と待機の差は埋まらない。私たちはいつも驚かされる。目を覚まさせられるまでの状態を私たちは知らない。
船団は幅半径480光分、全長1440光分の紡錘形に広がって航行していた。
先端から末端までの通信遅延は一日。返信を受け取るのは早くとも二日後である。
最も幅の広い領域は先頭から240光分の位置にあり、先端と末端の交信には光学通信で約7時間弱の遅延が生じた。先頭と後方からそれぞれ720光分の位置に情報を集約する施設が存在したが、全体としては渡り鳥がするように互いの位置を入れ替えながら船団は移動していた。巨大な船団は無数の小さな船団の集まりで、それぞれの小船団の間はビーコンや中継用の更に小さなパーティのみであり、極めて希薄な空間だった。
凡そ252兆人の人格と疑似人格及び複数の控えデータを船団全体に分散させ、それぞれが光速で8分19秒以内に接近しないよう調整されていた。データを収めた施設はキューブと呼ばれ、宇宙船内部に設置されたデータセンターは500立方メートル程の大きさしかなかったが、その内部では加速された人格が絶えず超次元的な思考を巡らせていた。加速された内部と、船団の運営に携わっている外部の交渉は少なかったが、皆無ではなかった。彼らはかつて彼らが決めた規定に則り、流動的に交代した。
と、いかにも、な我々の船団の状況を振り返ってみたが、驚くような発見は何もない。同僚の桔梗という名前の年少者が私に向かって職務に集中するよう注意する。しかし、観測データは自動で集計、送信されるので集中の程度はあまり用をなさない。ではなぜ、彼女が私に声を掛けたかといえば、それは形式的な、彼女にとって一種の義務のようなものなのである。我々の行動は鴻荒の取り決めによって規定されている。それを単なる規則と呼ぶか、最早原理、と呼ぶかで議論は尽きないだろう。今日までの時間は余りにも長い。各個人それぞれに加速された世界においては永劫と言って差し支えない鴻溝が存在するのだろう。即ち、私たちは広大な空間に肩を寄せ合うように蝟集していながら、実に自由奔放だった
乗組員が二人だけの私たちの小型船は最も広い先頭から約240光分付近を船団外延部に向けて移動していた。船団の中では賑わいのある領域であったけれども、それでも極めて長い時間に渡って暇の続く移動である。パーティを組む他の小型船たちと交代で観測に当たる時を除けば、同乗者と遊技的な交尾と睡眠を繰り返すのが概ね常だった。ただし、私の200年来の同乗者である桔梗は紙媒体での活字による情報収集という、私が今の形態において対面した経験を持つ群では唯一の趣味を持っていた。彼女は「読書」という呼称を決して譲らなかった。小型船に持ち込める質量には限りがあるため、彼女は持ち込んだ媒体のほぼ全ての劣化程度が可読不能な状態になるまで何度もページを捲っていた。事実は彼女の手による劣化ではなく、小型船のシールドを透過してくる放射線の影響なのだけれども、彼女にとってはどちらも“心情的に”等しいとのことだった。ただ、経時の効果だけが「無常」の意味を与えるのだそうだ。とはいえ、彼女が私との交尾や同衾を断ることはなかったし、私も彼女の如何にも形式的な行為が「読書」ではなく、記憶を反芻しながら媒体の経時効果の鑑賞を楽しんでいるのだと指摘するような野暮は冒さなかった。私たちは少なくとも200年という期間において上手く付き合っていたと言っていいだろう。
それはある日、突然起こった。
「ねえ、こっち」桔梗が言う。
「うん?」これは様式美に則っていない、と私は記憶を辿る。
「いま何か、信号の様な、先端を通過しなかった」
「光か?」
「分からない」
彼女の観測が正確であれば、「何か」の通過から少なくとも6時間が経過している。
と、複数の計器類からの優しい通知音が合唱を始める。
「こっちだ」私は桔梗の手を引き舷窓へ寄った。
船団の中心方向から黄土色の発光が見えた。発光源は複数存在し、スペクトルが全体的に青側へ移動するものと、赤側へ移動するものの両方があった。
私たちはコンソールの傍へ駆け戻り、私は観測シーケンスの調整を、桔梗は近隣の船団やパーティメンバーとの連絡を始めていた。
桔梗が認識した“通過物”は発光源とは別らしいこと、“通過物”と船団の相対速度は光速以下であることが直ぐに確認された。私たちはその結果をすぐに近隣の船団と共有した。どの船団、パーティも概ね同じ結論を持っていた。
本当に下らない。けれども、簡単に手に取ることができる。その利便性もいつか忘れられる。その可能性に少しだけワクワクさせられる。