5
「ヴィアンカ様、御待たせてして申し訳ありません」
謝罪を口にすれば、困ったような眉を下げるヴィアンカ様がいる。
何故、そのような表情をなさるのかと思えば、ヴィアンカ様のうしろからひょっこりというように隠れていたジョナスが「意外と遅かったですね」と手を振りながら、いい笑顔を浮かべている。
仕事を無理矢理という形で、強制終了しヴィアンカ様の遣いである侍女に案内された四阿には、既にヴィアンカ様はいらっしゃるようだ。折角、誘っていただけたのに関わらず時間に遅れてしまい申し訳なく思う。
しかし何故、あいつはここにいる。
表情筋が引き攣るのがわかり、無理矢理笑みを浮かべるが失敗だろう。
また、これで誤解されたらどうするのか。姫は純粋な方なのだからな。
ジョナス、いますぐ帰れ。
「ライオネル、そんなところに立っていたらお茶会が始められないじゃないですか。はやく座ったほうがいいですよ」
そして、何故おまえが仕切っている。これはヴィアンカ様が開かれた茶会なのだぞ。
平然と椅子に腰かけるジョナスをみると、眉間皺が寄りそうだ。
ヴィアンカ様は、まだ困ったような曖昧な笑みを浮かべている。やはり、ジョナスを排除したほうがいいみたいだな。
追い出そうと思いジョナスの腕を掴み立ち上がらせようとすれば、「あの、ライオネル様怒らないでくださりますか?ジョナスを誘ったのは私ですのよ。やっぱり、まだふたりだけというのは緊張してしまって、その…ごめんなさい?」と、私に不機嫌だと思われたのか、叱られた子犬のようにしゅんとしながらも、潤んだ瞳で上目遣いをする姫と目が合う。その姿の可愛さに何も言えない。
なんていうことだ、こんなにも可愛らしい姫を間近で拝見することが出来るなんて。
時が止まったかのように、その姿を食い入るように見てしまう。不敬だと思うが脳にしっかりと記憶しなくてはいけない。
仕事を強制的に終わらせてきてよかった。誰にも見せたくないと思うが、横を見るとヘラヘラしているジョナスがいる。いますぐ、目でも潰してやりたい気分だ。
少し睨んでみるが、効果はない。
「ほら、ヴィアンカ殿下もこうおっしゃってくださいますし、はやく座りなさい。時間がなくなってしまうではありませんか。それに、その絞まりのない顔で睨まれても怖くないので」
「人の顔のことを兎や角いう権利はないだろう。それに、本日中の仕事は強制終了している。だから、ヴィアンカ様と過ごす時間はある」
ふーん、とつまらなそうに返事をするなら話を振るな。
私と姫の貴重な時間にお前が滞在するのを、渋々ながら受け入れようとしていたのに。
何だが腑に落ちない。
気を取り直し、姫が「ライオネル様、本日はお越しいただきありがとうございます。それに、素敵なビスコッティの提案ありがとうございます。恥ずかしいのですが、待ちきれなくてジョナスと少しだけ食べさせていただきましたの。とても美味でしたわ」と丁寧な挨拶をしてくれる。
本当は、土産のひとつも持ってくるべきだったのだが、昼は執務室に籠りきりで、殿下の相手を少々していたので、従僕に頼むこともできなかった。
こんなにも情けない私にも優しい言葉を掛けてくださる姫は女神でしょうか。
頬が緩みきりだらしなくなりそうだ。だが、挨拶さえまともに出来ない男とは思われたくないので、社交用の仮面を張り付ける。
「こちらこそ、お招きありがとうございます。このような素敵な女性に誘われて断れる男がいるとお思いですか?それでしたら、あなた様は酷い方です。また、お菓子の方も喜んでいただけて幸いです。ですが、私はただ提案しただけですよ」
「まあ、そのようなことを言っていただけて嬉しいですわ。それでも、ライオネル様が私のことを想って下さってのことだと考えると…」
社交用の常套句を吐くだけしか出来ないのにも関わらず、その言葉に頬を赤く染めあげる。
その表情は、登城すぐに会いに行ったときに拝見したよりも赤く林檎のようだと思い微笑ましい。
自然と笑みが溢れることが出きるのは姫がいらっしゃるからだろう。
姫がいないのなら、社交用の笑みだけで十分なのだから。
本心を伝えたいのに、常套句のような言葉しか思いつかない自身に落胆する。
「座りましょうか」
「そうですね。ヴィアンカ殿下もお菓子が待ちきれませんよね?僕もはやく食べたいので、ライオネルはじめましょう」
「一人称と態度を改めろ。ヴィアンカ様がいらっしゃるというのに。申し訳ありません」
「ふふふ、気にしなくても結構ですのよ。それにしても、ライオネル様は堅すぎますわ。兄ですら、私の前では『俺』と言うのですから、ジョナスが『僕』と言ったところ驚きもしませんもの。ライオネルの素は何なのでしょうね?」
楽しそうな姫の声が耳に入るが咳払いをし、話題を逸らした。
だが、それを許すような者がいない。
「姫は知らないのですか?」
「お恥ずかしながら、ふたりきりでライオネル様とは会う機会に恵まれておりませんでした。いつも誰かしらおりましたので、きっと素の表情など見せていただいたことはないでしょう」
何故、そこで姫を悲しませるようなことになっている。
ティーカップに視線を落とす姿をみると、心がぎゅっと鷲掴みにされたように痛みを覚える。
ジョナスめ、余計なことを言って。
姫の誘いではなかったら追い出してやったのに。それにしても、姫の私とふたりだけでは緊張すると言われたときは、「やはり、姫は可愛い」と思ってしまった。
ジョナスが余計なことを吹き込まなければいいが。
「あら、ジョナス。サンドイッチがなくなっていますわね。よければ、私の分もお食べになって」
「では、遠慮なくいただきます」
お前は遠慮しろ!!
視線で訴えたところ無理なことは承知している。
だが、こいつは人の機微に聡いというのに、何故に私限定でそれを行わない。
エリック殿下とジョナスは、私に対して少し以上に意地が悪くないか?
ハロルドと同じくらい、否、それ以上に接していたような気がするのに何故だ。
腑に落ちない。
「あのもしかして、ライオネル様も食べたかったのですか?」
ジョナスを見すぎたせいか、私まで食い意地が張っているように思われてしまったではないか。
「私はこいつのような振る舞いは致しませんので、姫が食べてください。それに、元気なお姿で日々をお過ごしください。私も姫の為に尽力は惜しみません」
紳士の笑みで対応出来たはず。
姫との婚約を是非継続させていただき、出来ればそのまま降嫁してください。と、意味を込めてみたのだがわかっていただけだろうか。
「うわー」とか「女性にそういうこと言うのは、正直ひきますね」とか「わかりにく」とぶつぶつ呟く男を黙らせたい。
「まあ、そのように思われていたのですね。もう少し太らなくてはいけないのかしら?」
太る?何を言っていらっしゃるのだ?
ヴィアンカ様はいまの体型はあまりにも健康的とは言えない。むしろ、不健康と言ってもいい。
それなのに、何を言っているのだ。
拗ねたような口調でも言っているが、可愛いと思うよりも、もっと自身を大切にしていただきたいと思う。
「姫、御身大事にしてください。あなたの身体はひとつしかないのです。代替えなど効かぬ大切な御体なのですよ。姫の周りにいる者たちも心配しております。もちろん、私もそのうちのひとりです」
「…イネスにも言われましたわ。私はあまりにも痩せすぎていると」
やはり、イネス嬢も思うところはあったのだろう。女性の美とは我々男性と違うということは理解している。痩せすぎの女性は見ていて、眉を顰めたくなることも多い。もう少し肉付けをしてもいいと思う。
いままでのヴィアンカ殿下は少し痩せすぎと感じることはあったが、太っているとまでは感じたことはない。むしろ、もう少し太ってもらいたいと思っていた。
「では、私からの提案です。姫の顔色が今以上によくなり体力がつきましたら、遠出にでも参りませんか?王家直轄地になりますが」
「…私、少しずつ体力をつけるように致します。どうしたらよろしいのでしょうか?」
不安に揺れている瞳をみていると、守って差し上げたい。そう感じる。
そんな姿をみていると昔、ハロルドに「どうすれば、兄さんみたいになれるの?」と聞かれたときのようだ。
ヴィアンカ様とハロルドを比べるのは烏滸がましいが、微笑ましく感じた。
「きちんと食事を取ってください。そして、ダンスの練習をきちんとしていれば体力はつきます」
「わかりましたわ。ライオネル様とお出かけ出来るのを楽しみに頑張ります」
ぱーっと浮かべる満面の笑みは、姫の愛らしさを前面に圧しだしている。その笑みは向日葵のようだ。
澄ましている姿は薔薇のようだと思うが、この愛らしさだけは姫がまだ年頃ということ思い知らされる。
この笑顔を一瞬でも奪ってしまったことに、チクリとする胸の痛みに気づかないふりをする。
紅茶を一口含めば「だって、初めてお誘いしていただけたのですから」と止めのひとことのように言われ、私の精神は尋常じゃないほどに落ちる。
ジョナスが笑いを堪えているのか、嗚咽でも漏らしているように聞こえてくる。
「笑い殺す気ですか」などと言われても、そのつもりは全くない。
「ああ、ライオネル。僕はからひとことだけいいですかね。いままでの自身の行動を顧みたほうがいいですよ。では、長々とありがとうございました。エリック殿下を迎えに行かなくてはいけないので失礼しますよ」
嵐が去るような勢いでジョナスが退席する。
それを追うように、姫との茶会もお開きになった。
それと同時に、いままでの自分の情けなさに落ち込んだのは言うまでもない。
イネス嬢はヴィアンカ王女の幼馴染です。




