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殿下が薔薇を用意してくださった。というよりも、半分は脅したようなものだが。
1本でいいと言っているのに関わらず15本も摘んできた。
私自身、あまり花言葉に精通はしていないが母や姉が父や当時の姉の婚約者(現夫)から贈られてきた薔薇を嬉々しながら受け取っては「この意味はね…」と言ってくるので耳を傾けることではしていた。そのため、少しだけ理解しているつもりだ。殿下よりは。
そして、姉から「絶対に15本だけは贈ってはいけないのよ」と釘をさされた。あとで調べてわかったがあまりいい意味ではなかったので、姉に感謝した。
最初は私の気持ちであり1本目の意味である「あなたしかいない」や「一目惚れ」をストレートに伝えようとしていたのに。何故、15本も摘んできた。花言葉を知らない殿下が言われた通りに「1本だけ欲しい」と伝えたところ不審に思われたため、適当に見繕うように庭師に命じたら、15本の薔薇を渡されたらしい。
15本の薔薇を見たときは、頭が痛くなった。まともにお使いも出来ないのかと。
15本の意味は「ごめんなさい」だ。私にヴィアンカ様を諦めろと、この方は暗に言っているのだろうか。
いや、知っているわけがない。殿下は協力的なのだから。それにしても、これを見繕った庭師はどういうことだ。悪意を感じる。
殿下が薔薇をと頼んだことで、シェリア嬢に求婚するのではないかと思われたのかもしれない。それなら、この花言葉はいい。いい仕事をしたと褒めたいところだ。
そうではなく、もし私がヴィアンカさまに贈ると知った上でこの本数を選んだというのなら腹立たしい。知られているはずはないのだから、そうではないと思いたい。
そうだとしても、やはり自然と眉間に皺が寄る。不機嫌そうな表情に見えれば、この作戦はうまくいかない。それに、姫にこの表情を見られれば、「不本意」と捉えられる可能性もある。
そんなことになれば、私の今までの想いを伝える手段がなくなってしまう。
それに、婚約者の義務というのはあくまで義務であり、そこに想いが伝わるかは行動が伴っていなくてはいけないと、あのあと姉に言われた。贈り物をしているときに、そのことは伝えて欲しかったなどとは言えない。言ったら、「女心がわからないお前はヴィアンカ王女に相応しくない。まだ、ハロルドのほうがわかっている」と言われる未来が見えている。
ハロルドはティエラ嬢と仲がいいからか、女性の扱いには慣れているように感じる。夜会などでも巧くご令嬢たちと渡り合っている。あのヴィーナスと呼ばれているご令嬢と仲がいいのだから、それなりの扱いを覚えたのだろう。
元々、私はハロルドと違い幼いころから殿下の遊び相手として王宮に上がっていたこともありティエラ嬢ともあまり親しくはない。
また、姫が姉のように慕っているティエラ嬢に何か吹き込まれていたら厄介だと思いながら、姫の私室へ足を運ぶ。
着いたのはいいが、部屋の前には近衛騎士と侍女が控えていた。
きつく睨まれた気がするが、それはきっと勘違いではないはない。そのため、苦笑気味になる。
ここにいる彼らはあの日薔薇園にいたのだから、姫が引きこもりになった原因である私がこの場所を訪れることに対していい顔をするはずがない。
顔に出てしまうのは有能とは言えないが、彼らが主に忠誠を誓い寄り添っている証拠だ。
そんな侍女の話によれば、姫は姉のように慕っているティエラ嬢との面会さえ断っており、会えるのは身の回りの世話をしている者と王妃様と幼馴染のイネス・フェバリッジ公爵令嬢のみで、公務以外で他の者とは会おうとしないらしい。それに、食事も余りとらなくなり、細い体を更に細くしたらしい。
それを聞き心が痛くなった。侍女のその話し方には少々棘が含まれていたが、私自身がこの件に関わっているので口を出すことは出来ない。
歓迎されていないのはわかっている。それでも、私はやらなくてはいけない。
迷っても仕方がない。扉を叩く音にも迷いが出てしまうようでは駄目だ。心を落ち着かせなくては。
意を決し数回ノックすれば、姫から返事をいただいた。久しぶりの声に、胸が高鳴る。だが、それは一瞬の出来事でその声の覇気のなさに驚きを隠せなかった。
「ライオネル様、私が憐れだと思ってここへ来たのですか?」
いつから、姫は気丈に振舞うのが癖になってしまったのだろう。
その声は震え、涙を堪えている。いままで、姫の成長は側近くとは言い難いが遠目より見ていただけあり、すぐにわかる。
扉が邪魔だ。この壁一枚先には姫がいるのだ。涙に耐える彼女を抱きしめ全ての想いをぶちまけたい。
「私がいけなかったのです。全て、あなたに何もしなかった私が」
「そうではないの。私がライオネル様のことを知ろうとしなかったことがいけないのですわ。私は子どもだからあなたに似合う女性にはやくなりたかっただけなの」
「…ヴィアンカ様」
「でも、もう婚約者でもない私があなたを呼び捨てにするのはよくないですよね。ごめんなさい、リンデン伯爵」
「私にとってあなた様はひとりの淑女です。私の名を呼ぶ、あなた様の声が好きなのです。だから、その呼び方だけは承服いたしかねます」
「ダメですわ。私は、この国の王女なのでけじめはつけなくては、民に示しがつかなくなります」
爵位で呼ばれたことで今までになかった距離を感じた。姫を傷つけたことへの後悔が襲う。
愛称で呼ぶような仲でなかったが、名を呼ばれることで心の奥が暖かくなるのを感じて満足していた。爵位で呼ばれたときに、何故か心が冷えた。
「私はあの日、ヴィアンカ様が私に一目惚れしたと言ってくれたとき喜びを感じました。こんな私でもあなたの婚約者として側に居て良いのだと。ですが、あなた様の口から紡がれた婚約解消という言葉で絶望を感じ、目の前が真っ白になるということを初めて体験いたしました。私はヴィアンカ様、あなたのことをお慕いしております。いま一度、私の手を取っていただくことはできないのでしょうか?」
「…ライオネル様。私は王族で自身の言葉の重みが理解できないほど愚かではありませんの。言葉にだしてしまったことを覆すことは出来ないはずです。私の我儘であなたを振り回していいことなんてないのですから」
「まだ、成人していない子どもではありませんか。ヴィアンカ様の我儘でしたら大歓迎です。それに、あなた様のデビュタントのパートナーという名誉を私に授けください。愛しいヴィアンカ様。これは私の我儘です。私はあなたから見えれば大人に見えるでしょう。ですが、心から欲するものに対しては子どものようになってしまう」
ヴィアンカ様の方がよっぽど王族らしいではないか。エリック殿下は、余分なことしか言わない。継承順位の入れ替えを行った方がいいのではないかと思うほどに、この方はしっかりされている。
だが、それと同時にまだ自身が成人前のひとりの女の子という考えは持ち合わせていないのだろう。
年相応の振る舞いをすればいい。我慢などせずに、吐き出してしまえばいい。
「私、あなたのことが今でも好きです。でも、あなたにあんなにも酷い言葉を与えてしまったことを、いつも後悔していました。解消など簡単に言いましたけれど、言わなければ私はあなたを一生縛ることが出来たのに、何故手放すようなこと言ったのかとさえ考えたこともあります。私は醜いのです。きっと、ライオネル様の側にいるに相応しくないくらいに心が汚いのです。あのことは、兄から聞きました」
殿下、あなたという人は話したのですね。無関係でよかったはずの方を巻き込んだために説明をしたということですね。
誤解は解けている。なら、今後のことについて話し合えばいい。あれは、演技で嘘だったのだからと言い訳をしてもいい。私なら、そうしたい。それなのに、姫はそのようなことはしない。王家の威信のためだと言い、何故そこまで自身を追い詰めようとするのだろう。
「だからです。だからこそなのです。あなたを信じようとしなかった私はあなたに相応しくないのです」
「そんなことはありません。私の方があなた様に相応しくないのです。だからこそ、不完全な私をあなた様が完成させてください」
嗚咽が聞こえる。これ以上の会話は無理だろう。
それならば、「また、明日伺います。私からの気持ちを受け取っていただきたいのですが、いまヴィアンカ様の姿を見てしまうと抱きしめたい衝動に襲われそうなので、部屋の前にいる侍女に渡しておきます。では、失礼いたします」と言いい、薔薇を1本侍女に預ける。
1本の薔薇を見た瞬間の彼女の顔は、「何故、花束ではなく1本なのだ」という表情で苦笑する。メッセージカードを添えてあるので姫には、きちんと意味は伝わるだろう。
その場から立ち去り、帰宅するために執務室に置き去りにしてある外套を取りに戻ろうと廊下を歩いているとジョナスがやって来る。人のいい笑みを浮かべながら、すれ違いざまに「がんばってくださいね。それと、殿下が候補者の方ひとりひとりを呼びお茶をするらしいですよ」と耳打ちされる。
この短時間で、何を考えているのだろう。婚約者を決めるのはいいが、予測がつかない行動をとらないで欲しい。
今日何度目かの溜息が零れる。殿下が決めたことなので、覆るわけではない。
もう諦めよう。それよりも明日は登城前に薔薇を入手しなければな。
それとも、また殿下にお使いをしていただこうか。
揺れる馬車の中で、先ほどのやり取りを思い出せば頬が緩む。