#この扉を開くときこそジャッジメントデイ(7月1日)#65535
#この扉を開くときこそジャッジメントデイ(7月1日)#65535
はじめに感じたのは背中から伝わる冷たい温度、次に来るのは背中の痛み。石でできた床の上に仰向けになっていたらしい。ぼやけた視界がはっきりしてくると飛び込んできたのは見慣れた天井。アーチ状の天井には教会のようなステンドグラスがはめ込まれている。そこから差し込んだ光はちょうどビイトに降り注いでる。目覚めたばかりの視界には眩しすぎてまた目を細めてしまう。
「お、やっとで起きたか。まったく眠り姫気取りか?呑気な奴め。そういうのは男のお前じゃなくてわたしのほうにふさわしいと思うんだが?お前のその悲劇のヒロイン演じる癖はホント美徳のかけらもないな。いい加減本当にかわいそうなのはだれかわかったんだろ」
顔をのぞき込んできたのは那烙。きつい言葉を投げかけながらもその目は笑っている。
「い、いつの間にここへ?」
身体を起こそうとするもしばらく動かしてなかったのか、それだけの動作で痛みが走る。
「あ、びいとさま、無理をなさらず…ゆっくりでいいから」
慌てて駆け寄ってきたみたまに支えながら上半身を何とか起こす。
「しかしこの斜塔とかいうものはホントとんだインチキだったな。この繰り返しの果てにやっとで掴んだモラトリアムの10日間がただ登り続けるだけで消費されてしまった。ニートにこんな事させるなよ…体力のなさは折り紙付きだっていうのに。余計なことをするなってことか」
「やっぱりここは斜塔の天辺?」
「ええそうですぅ。ここが、メギドドアーの間です」
みたまの視線の先をビイトも目で追いかける。フロアの真ん中にはぽつんと扉が立っている。白と黒がいくつも絡み合う異形図が刻まれた扉。その中心にはくぼみがある。その扉はただ見ただけではその用途を為していない。空間と空間を遮るのが扉の役目のはずだがただフロアのど真ん中に存在している。これがメギドドアー。すべての終わり。
どれぐらいぶりに動かすのかわからない身体は錆びついた歯車のようにあちらこちらからギシギシという音が聞こえてきそうだ。
「しかしお前はホント楽でいいよな。あの肉の間に足を踏み込んだと思ったらいつの間にか消えてしまってわたしたちが何とか最上階にたどり着いたらぐっすりお休み中だ。その寝ぼけた頭もそろそろ大丈夫か?もう今日は評決のとき。そして最後の日だ」
「びいとさま…ついにメギドドアーを開くときは来たのです。もうビイトさまにあの扉を開けるのにためらう理由なんてありませんよね?」
二人の問いかけに答えずにびいとは独り言のようにつぶやく。
「夢を見ていたんだ。あるいはそれが扉の向こうで起きた本当のことかもしれないけれど。あの男、それが四ツ石博音」
ぽつりぽつりと思いつくままに言葉を並べていく。
「そうだな、そしてそれがお前だ」
那烙はその言葉を引き継いで頷く。
「そ、その通りなのですぅ」
カラスの記憶は確かにビイトの存在理由としてもっともなものだった。イルフィンガーも赤い髪もその全ては四ツ石博音のコンプレックスがもたらしたもの。
「そしてお前が現実で掴むのに失敗した稲岸天世の『模造品』、『偽物の恋人』役がわたし、雛奇施那烙というわけだ」
「みたまは…びいとさまが後悔しないように『本当』の天世さんを救うために、びいとさまの用意したこの世界、そして那烙さんガールの呪縛から解放してメギドドアーを開かせるために存在しています。だから『本当』のびいとさまの罪悪感が人格を持ったものととらえてもらっても構いません」
二人は次々とビイトに言葉を投げかける。それは終わる世界で最後まで伝えなければいけない、真摯なものだ。この世界そのものが『偽物』、そしてメギドドアーの開いた先に広がる『本物』の世界。
「まぁそういうことだ。あの扉の先に行くことで時計の針は先に進むことができる。斜塔の錆びついた文字盤は現実のあの瞬間と同じ時刻を指している。お前はまだあの時計塔の上でひざまづいてうろたえている途中ってわけだ」
「そしてそれも限界に来ています。ビイトさまはあの本屋から買わされた『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』それを読んでいるはずですから有限の中に無限を作るつまようじ理論、これだけでわかりますよね?」
記憶の中からその言葉の意味を探り出す。
「一本のつまようじの中にいくつの線を引けるかって話だよね。マジックや鉛筆を使えばひける線なんて限られている。だけどそれよりもっと細い線を引く道具やその方法があったら?たとえば針の先を使えばもっとたくさんの線が引ける。それこそ顕微鏡で覗かないとわからないほど細い線、さらにそれを細くした線、そのループでより細いもの、より細いもの、としていけば限られた空間の中でも無限を作ることができる」
「その通りだ、ちゃんと覚えてるじゃないか。それと同じように人間の時間感覚をより短く短くしていくことが可能であればヒトは1秒の中に永遠を見つけることができる。本来人間の時間を捉える感覚というのは外界から受けた刺激を電気信号に変えて脳の中で伝達して認識する。だけどもしその電気信号を外界によらず、脳の中だけで偽りの刺激と、それをもたらす信号を出すことができたら?そして脳の情報を処理するものは電気、各ニューロンとシナプスでやり取りされる信号、ほぼ光の速さで行われるそれは伝達されるまでの時間は限りなくゼロに近い、1秒を永遠とは呼べずとも気が遠くなる時間の果てにまで引き延ばすことも可能となる。ざっといえばそういう理論だな。
まぁもっとわかりやすく言えばニートなら当然の朝の二度寝、ほんの5~10分のまどろみで見る夢がまるで1時間や2時間の出来事に感じる、あるいは一晩の夢の中で何日も過ごしたような内容を見ることだってあるだろう、それの極端な例が今のこの世界だ。まぁ胡蝶の夢といってもいいな、文学的には」
「ただ現実はそううまくはいきません。1秒の中に1ヶ月の時間を閉じ込め、それを際限なく繰り返す、脳にかかる負荷はとんでもないことになります。それを少しでも軽減するために世界は壁に包まれる簡略化を起こし、蠢く人たちの中でビイトさまに関わろうとするのもみたまたちだけということになってしまっているのです」
「それでも過負荷には変わりない。電気は熱を伴う。たとえ一つ一つの信号が微弱な電気だとしてもこれだけの繰り返し。これがコンピューターだったら強制シャットダウンなんて手段もあるが生肉ではそうもいかない。このままこの世界を維持するってことはさらに熱がこもっていき、いずれ耐え切れず脳を焼くことになる。ようするにこの世界ごと死ぬか、扉を開けるか、ビイトが選ぶのはその二つ。それだけだ。
安心しろよビイト。あの扉さえ開ければ本物の稲岸天世がいる。その時点でもうわたしの役目は終わってるんだ。だからぶっ殺すならさっさとすればいい。お前はもうわたしにこだわる必要なんてないんだ」
「びいとさま、きっと天世さんは大丈夫です。早く助けに行ってあげないと…もし仮にここでびいとさまが死んでしまったら屋上まで登ってくる人がいない限り天世さんがあそこでケガしていることに誰も気づきません。そして普段開いているはずのない屋上まで一体だれが登ってくるというのでしょうか。この炎天下で一日二日と放置されてしまえば本当に命にかかわる事態になってしまいます。だから…びいとさま、覚悟を決めてください。イルフィンガーは慈悲の力です。ビイトさまはただ指先で触れるだけで良い。刃物や鈍器のように肉を切り裂き砕く感覚を何度も味わう覚悟を持つ必要なんてないのです」
「わたしは痛いのかもしれないが気にするな。ビイトのためなら腐り落ちるまでの間ヘラヘラと笑い続けてやるよ。それで残った心臓、しかしこれを鍵とするとは本当に悪趣味だな…まぁビイトが扉を開けるためにはそれぐらいの覚悟が必要だったのだろうが。それをねじ込めばいい。あとは稲岸天世を頑張ってなんとかしろ、さすがにわたしもそこまでは面倒見きれん。扉の向こうまではついていってやれないしな」
那烙はゆっくりと両手を広げてビイトのイルフィンガーを待つように目を閉じる。
ビイトは今までずっと扉を開けるべきか、迷い続けていた。扉を開けるべきだというはっきりとした理由がほしかったのだ。いざ変わり果てた斜塔に踏み込んだその時もまだ扉を開けるべきという確信には届かなかった。だけどあの異形図の、肉の、悪意の視線の世界に迷い込みまざまざと四ツ石博音の記憶を見せつけられたときにやっとでわかった。なにをしたいのか。
「那烙さん、僕は決めたよ」
「そうか、じゃあさっさと終わらせてくれ」
「僕は那烙さんを殺さない」
「は?」
「びいとさまっ?」
「僕の名前は四ツ琵師彌異徒だ。四ツ石博音じゃない。那烙さんも雛奇施那烙で稲岸天世じゃない。僕はこの世界の神様なんかじゃないし那烙さんも世界の恋人なんかじゃない。僕の大切な人だ。
僕はあのボサボサ髪の男がずっと嫌いだった。多分この世界でたった一人、イルフィンガーをふるうことだってためらわない、それぐらいぼくはあいつを恨んでいる。あいつに僕が直接何かされたわけじゃない。それでも僕はあいつを許そうだなんて思わない。それをみんなはあの存在が僕だっていう。だから四ツ石博音として正しく生きるべきだって。そのために終わらせないといけないって。
たしかにこの世界は四ツ石博音の頭の中だと思うよ。でも僕=四ツ石博音にはならない。那烙さんだってみたまさんだって、この世界全て丸ごとひっくるめて四ツ石博音なんだ。
僕たちは四ツ石博音とは違う独立した人格を与えられている。世界は僕たちのためにあるかもしれないけれど、僕たちは世界のためにあるべき必要はない。僕たちは入れ物としての四ツ石博音のためになにかするなんて必要はない。
僕はあいつの目を通してしか見たことがない稲岸天世を、あいつの尻拭いのために那烙さんを殺して、みたまさんごとこの世界を消し飛ばしてまで助けに行きたいなんてどうしても思えないんだ」
「び、びいとさま!何を言ってるのか…わかってるんですか?」
「多分…みたまさんだってよくわからない義務感のためにこの世界と心中する必要なんてないと僕は思っているんだ。みたまさんはこの世界の中で一番傷ついてきたと思うから」
「たとえわたしを殺さなくたって物理的な限界がもう来てるんだ、扉を開けなければ熱暴走で世界ごと消滅する、どっちにしろわたしたちは死ぬなら多少は建設的な方がましだろ」
「それだって今の速度で世界の歯車を回すなら、の話だよね」
「びいとさまっ!何を…自分が何を言っているのかわかってるんですか?それはつまり」
「現実のお前を…四ツ石博音も眠り姫にしてしまえっていうのか?面白いことを言うな、お前は。ロマンスあふれるレトリックを除けばそれは廃人と変わらないぞ」
「天世さんを見殺しにするっていうのですか?それで…びいとさまは本当にそれでいいのです!?」
「そこまではいわないよ。でも四ツ石博音が天世さんを助ける、そう決意するために僕が那烙さんを殺す必要があるっていうなら誰がそんなことをしてやるものか。僕は僕たち3人がただまっとうにこの世界に生きて死ぬまでこの世界が維持すればいい。それぐらいの時間なら現実でも数時間程度、今までの1秒で一カ月を何度も回し続けたこのループと比べれば簡単なことのはず。そのあとのことは知らないよ。仮に僕たちが死ぬまでの時間が扉の向こうで数年数十年を要することであったとその責任は僕たちにはない。僕たち3人がいなくなった後の四ツ石博音の人格がどうなってしまうのかもわからない。
けれど誰だって自分の幸せを願ってそれを努力する、それができる。それが僕の思う素敵な世界だから…だからそのための努力をするんだ」
そこでビイトは那烙の手を握り、もう片方の手でみたまの手を握る。
「この世界の7月2日に一緒に来てください!!」
「バカだなぁ、お前はホントウに莫迦だよ。綺麗ごと言ったってこれは四ツ石博音の現実逃避じゃないか」
「現実逃避も逃げきれば勝ちだってきいたよ、ね、那烙さん」
「ああそうだ、勝ちだ。わたしたちは勝者だ。誇れ、お前が言ってた繋がりの強さが導く勝利だ。多分わたしとみたまの和解無しではこんな決断になんてならなかったからな」
那烙はネックウォーマーを下げる。その口元は笑っている。心から。
「う…みたまとしてはメギドドアーを突破したかったのですけど…まぁあと少しなら…天世さんを待たせてしまっても大丈夫なのでしょうか…でもその間に天世さんが死んでしまったら…」
「考えたってしょうがないことは考えない方がいいよ」
「あきらめろみたま、結局わたし達はルールが刻まれているだろ。本気でビイトに逆らうことなんてできやしないんだ。
何度目かのわたしはこの与えられた感情に随分屈辱を感じていたが、だからといってこの気持ちがわたしから沸くことはどうせ変わらないんだ、だったら受け入れるしかないんだ
与えられたものだって決められたものだってわたしのもの、本当の気持ちには変わりないんだからな」
「わ、わかりました、びいとさま。でもできるだけ世界は高速で動かしますからねっ!!起きて鼻血が出てるぐらいのことは覚悟しておいてください」
「ま、まぁそれでびっくりするのは僕じゃなくて四ツ石博音だけどね」
3人は手をつないでメギドドアーへと向かう。ビイトは手袋を外しながら改めて扉を見つめた。思えばこの前でたぶん何度も何度もうろたえて泣きごとを吐き続けてきたのだろう。で結局できなかった。でも流されることなく扉を突破しなかった過去の自分が間違っていたとは思わない。那烙を殺すことができなかった自分。
いつの間にかメギドドアーにあった那烙の心臓を捧げるくぼみは形を変えている。三つの手形が並んでいる。三人がそこに手を添えると扉は開いた。本来ならそこから先は四ツ石博音の世界が広がっているはずだった。
が、今あるのは複雑怪奇に絡み合う、歯車の数々。大きいものはビイトの背丈ほどもあり、小さなものは小指の先しかない。歯車はかみ合い、ベルトでつながっているが今は動きを止めている。これを動かすのだ。
今は頭の高さにあるハンドル、それをビイトは両手で握ると力いっぱい回す。那烙もみたまもそれを手伝う。
ギリ、ギリギリ軋みを上げながら少しずつだが、確かに歯車はまわる。
額に汗がにじみ、手の感覚がおぼつかなくなってもただひたすらそれを回す。それがちょうど半分を越えたところですっぽ抜けたように一気に下に落ちる。
そこからは歯車は本来の動きを思い出したかのように回り始めた。
「や、やった!!」
「あ、ああ本当にやってしまいましたぁ…みたまはみたまはビイトさまにこの世界を終わらせてもらわないといけなかったのに…みたまは悪い女ですぅ…暗黒ガールアウトサイダー…」
「諦めが本当に悪い女だなお前は。そんなにこにこしながら言うことじゃないだろうが」
どこかでチャイムが聞こえた気がした。そして斜塔の文字盤は確かに動いたのだ。16時25分のその先へ。