089 不穏
「・・・それは、裏切り。と言う事?」
「そう言う事になります」
地図を指し示しながら、レヴェルはアリスの疑問に答える。
「しかし、オーバン伯爵は曲がりなりにも、前回の戦でサラディーナ様に貢献された方。
だからこそ、レルモース地方を任されているわけですから」
バエンの新たな領土として併合されたアニアトの新たな中心地、アニナシャフト城の戦略室の中でリーヴェが新たな疑問の声を上げる。
「手柄を上げる機会が無いからですよ。バエンは爵位が一代限りですからね」
リーヴェの言葉に、レヴェルは肩をすくめて見せる。
レルモース地方は、バエンの南端にあり、アニアト、アンガ、メラーノなどの王国と国境を接している重要な根拠地である。
今はアニアトがバエンの支配下に入ったため、レルモース地方にかかる圧力は減っている。
「なるほど。オーバン伯爵は高齢。子供達にその地位を譲る事ができなければ、伯爵位を返上しなければなりませんからな」
自慢のカイゼル髭に手を伸ばしながらエルズは、レヴェルの報告に同意を示す。
「だとしても、いきなり裏切る?優秀な人だと聞いてるけど?」
「自分が得たものは、子々孫々まで引き継いで行きたいものなんだよ。
年を取ると、目先の事しか考えられなくなるものさ」
疑問の声をあげるエマに、レヴェルは事も無げに答える。
確かに、エマが言うとおり、オーバン伯爵はサラディーナの元で活躍した優秀な将軍ではある。
その活躍を認められ、交通の要であるレルモース地方を与えられ、その交通の要衝から上がる収益でその一族を潤していた。
しかし、貴族制が廃止されているバエンでは、称号として与えられている爵位は、一代限りで返上しなければならない。
そうなれば、与えられている土地も返上しなければならないし、新たに赴任してくる相手に土地を明け渡さなければならない。
バエン王国が領土を一括管理し、それを配下の者達に振り分けて統治される。
いわゆる代行統治だが、世襲制度に慣れている貴族達には不慣れな制度であり、受け入れにくいものである。
その上、変更されてまだ二十年あまりしかたっていないため、違和感を持つ者も多い。
オーバン伯爵もその制度の実行期限が迫った事により、迷いが生じているのだ。
オーバン伯爵の息子達が活躍して、その地位を引き継げるだけの爵位を持っていればよかったのだが、文官である息子達ではそこまでの爵位は得られていない。
そのため、オーバン伯爵が死ねば、レルモース地方の支配権は他の活躍した貴族の支配地域になる。
それを高齢となったオーバン伯爵は、許容できなくなったのだろう。
「それでも、そんなに簡単に話に乗るのかなぁ」
「それだけ、メラーノの交渉が長けているのではないのか?」
レヴェルの言葉を聞いてもまだ腕組みして考え込むエマに、リーヴェが呆れたような声を上げる。
「・・・エルズ」
「無理でしょうな。現在の経済状況では、兵を出すわけには参りません」
本当にオーバン伯爵がメラーノ王国の誘いに乗ったかどうかもめているリーヴェとエマの二人を見ながら、アリスがエルズに尋ねる。
名前を呼ばれただけにもかかわらず、それだけで察したエルズは、手前の書類を指で叩き、首を振る。
「・・・レヴィー」
「アリス様。残念ながら、ここはバエン王や姉君様にお任せましょう」
出陣したいのであろうアリスの意向を受けても、レヴェルとしては苦笑を返すしかない。
これが敵の城ならアリスを戦わせてもいいが、裏切りの傾向があると言うだけで、いきなり襲い掛かるわけには行かない。
何しろオーバン伯爵は、まだバエンの臣下なのだ。
アリスが王族だとしても、立場としては同じバエン王サラディーナを頭に戴く臣下である。
たとえ、アリスがそれを知りえたとしても、上司であるサラディーナやサラスに報告する必要がある。
そして、何より大きいのは、今のアリスの支配下にあるアニアト王国の国力が低下し、兵を出す余裕が無い。
二十万人の住人が住むアニアト王都が焼き尽くされ、一気にアニアト王国の人口が減った。
その上、バエンの支配を望まないアニアト貴族達も少なからず残っている。
アリス達が通って来た南側のルートの貴族達は、レヴェル達の交渉やジニ達の説得によって比較的落ち着いているが、サラス達が通って来た北側は、戦闘が多く、混乱している場所も多い。
王都に兵力が残っていれば、力付くと言う手もつかえなくも無いが、現状バエンから連れて来た兵力と、ジニ達南側の貴族連合の兵力しかない。
南側はメラーノやコストアの襲撃に備える必要があるので、すぐには動かせない。
そうなると、たとえオーバン伯爵が謀反を起こしたとしてもアリスが動かせる兵力は、二千から三千ほどになる。
アリスが率いればそれでも十分かもしれないが、北側の貴族達がこれ幸いと動き出すかもしれない。
元々、主戦論派だったゴッフルフ侯爵の支配地域があっただけに、北側の貴族達は好戦的な者が多い。
リーヴェは、そんな貴族達を反発させてまとめ上げ、一気に殲滅する作戦を立案しているが、アニアトの政情を考えれば、今はすべきではないとエルズが反対し、アリス達はアニアトの復興に力を注いでいる。
その一環として、エルズ達がアニアトで力のある貴族達の生き残りと交渉し、その力を借り受け、人材の発掘や関係の強化に努めている。
そうする事によって、兵力を使う事無く北側の貴族達の力を削いでいき、アニアトをまとめる。
アリスの意向に添えないのは残念だが、レヴェルとしてはエルズの作戦の方が、有効であると思える。
戦わずして勝つのは、すべての戦略家の理想だ。
アニアトに力があるならアリスの行動も容認できるが、そうでない以上戦いは避けるべきである。
「オーバン伯爵の件は、王に報告の後、さらに調査されるように進めるべきだと思われます」
「エマが、そう、言うなら、考える、べき?」
なぜか、オーバン伯爵の裏切りに付いて執拗に再調査を促すエマの発言を受け、アリスは自分も考えるようにゆったりとした口調で話しながら、部下達を見回す。
「そうですね。エマ殿がそう言われるなら、慎重に行動するべきかと」
自分で持ってきた情報だが、レヴェルはエマの意見を受け、慎重に調査する事をアリスに進める。
作戦指揮官であるエマがここにいるのは、アニアトの旧貴族達の動きに対応するためであるが、それ以上に感情的な喋り方をしている割には、冷静で正確な判断が出来る人材だからだ。
現場指揮官はサウスマギアやホルスト、ジニ達に任せられるが、戦場を広く見回して俯瞰的に判断できるのはエマしかない。
その視野は広く、レヴェルがシルフィールの集めて来た情報を元に作り上げた戦略図を最も理解してるのが、エマだ。
いつもその戦略図を見ながら周囲の統計を元に敵味方の動きを研究しているエマなら、何かに気づく事があるのかもしれない。
自分の調査能力はともかく、その判断においては完璧ではないと自負しているレヴェルは、何かに違和感を抱いているエマの考えは尊重するべきだと考える。
少ししか付き合いは無かったが、レヴェルはエマの叔母であるシャロンの指揮能力とその判断力を高く評価していたし、その技術を余す事無く伝えられ、さらに、アリスの下でその才能を発揮しているエマを見れば、その実力と才能は信頼できる。
レヴェルが賛成に回れば、反対する意見は少なくなる。
とりあえず、オーバン伯爵の件はサラディーナに報告すると言う事でいったん落着する事になった。




