083 正門前
クラビラ・オットー・チーチルは、その日非番であり、暇を潰すために王宮内をうろうろしていた。
クラビラはチーチル家を名乗っているが、れっきとしたグラゾフ王家の一族であり、今は無き先代グラゾフ王の96番目の娘であり、シルヴィアの妹である。
子供のできなかったチーチル子爵家に下賜され、その跡継ぎとしてすくすく元気に何不自由なく育ち、シルヴィアの後継者争いでは、シルヴィア側に付き、チーチル家を護る働きをした。
ただ、クラビラ本人は何もしておらず、養父となったツラガネ・オットー・チーチルがすべてを取り仕切り、クラビラ本人は、右を見て左を見たら、シルヴィアの軍にいたというのが現実である。
養父であるツラガネは、養女であるクラビラをこの上なく溺愛しており、普段は見せない決断力を見せ、必ず最後には勝つと信じられたシルヴィア側に迷う事無く従った。
娘の事を思い、どちらにつけば娘が幸せに暮らせるか。
その一点のみに絞られたツラガネ率いるチーチル家一族の愛ゆえの英断である。
そんな義理とは言え、本当の両親より温かく優しく、大事に大事に育てられたクラビラは、素直で元気な子供に育った。
ただ、グラゾフでも首都から遠く離れた田舎にあり、大自然に囲まれた子爵領で、健やかに伸びやかに穏やかに育てられたクラビラは、見事な野生児として育ち、貴族らしからぬ存在に育ってしまった。
貴族としての教養に貧しく、単純で、のん気でまっすぐな性格のクラビラは、かつてのグラゾフ王国では貴族同士の暗闘に巻き込まれ、長くは生きられなかっただろう。
しかし、現女王が治める新生グラゾフでは、そんな気性のクラビラの性質は好まれ、姉であるシルヴィアにもかわいがられ、王城の守備隊長を任されるまでになった。
生まれるタイミングが違えば、その性質は可ともなり、不可ともなる。
単純明快な生き方を好むクラビラの生き方を可とする時代に生まれて来た事を考えれば、運命はクラビラに優しかったと言えるだろう。
「ん?」
そんな時代に愛されていると言えるクラビラが、短杖を両腰にぶら下げて王宮内をうろうろしていると、城門前で騒ぎが起こっているのに気付く。
小熊猫の獣人である、赤褐色の髪の間から出た白い毛に覆われたクラビラの耳がぴくぴく動く。
「揉め事が起きたら、隊長は行動しないとなぁ」
大きなあくびをしながら、寝癖の付いたボサボサの頭をかくとクラビラは、王城の正門へと少したれ目気味な茶色の瞳を向ける。
時間の流れが雄大でおおらかなチーチル子爵領で育ってせいか、クラビラのペースは周りからワンテンポ遅れている。
非常にのんびりでおっとりしているが、動き出せばその動きは素早く、のん気そうな雰囲気とは違い、好奇心は旺盛なクラビラは、その小柄な体を正門の方に向け、駆け足で近づいて行く。
「どうした、どうした。何があったぁ」
元々は金箔が張られ、豪華な調度品や美術品などで飾り立てられていた壁から、シルヴィアがすべて剥ぎ取らせて売ってしまったせいで、今は閑散としている王宮内から出て来たクラビラは、正門に居た兵士に声をかける。
「あ。隊長。聞いてください。こいつ等が」
「ふんふん」
十メートルほどの高さがある、グラゾフの歴史が詰まった古い城門の下まで来たクラビラは、普段より多く集まった兵士達から報告を聞く。
「ウチらが悪いがやないがよえ。おまんらが姐さんの言う事聞かんがいかんがよえ」
しかし、兵士の一人が説明するより先に、背の高い額に二本の角がある金髪の少女が円月刀を片手に吼えて来る。
「落ち着け。リョウカ。あなたが隊長なら、シルヴィア様に取次ぎをお願いしたい。
セラムのサナーレが来た。と言えば、おそらくわかっていただけるはずです」
赤い鱗の鎧に、金の鱗のアクセントが効いている白い肌の金髪少女の後ろに居た、青いルシア教のローブを着た白髪の褐色の女性が丁寧に話しかけて来る。
「姉御にぃ?サナーレさんは、姉御の何ですかぁ?」
普段どおり間延びした声を上げたクラビラが、のんびり周囲に目を向ければ、壁に叩きつけられている兵士達の姿が見える。
おそらく、円月刀を振り回しているリョウカと呼ばれる少女がやったのだろうと思いながら、クラビラは飛び出して来そうな龍人の少女の肩を押さえているサナーレに目を向ける。
「アニアト王国の留学時代、お世話になりました」
「留学?姉御は、アニアトに行ってたのかぁ?」
サナーレの言葉に、クラビラは首をひねる。
幼少の頃から田舎暮らしのクラビラは、王都にいなかったため、当然、アニアト王国へのシルヴィアの留学を知らない。
それは一般兵士も同じで、王位継承権が低かったシルヴィアの事など誰も注目していなかったし、シルヴィアが王に即位してから雇われた者がほとんどだ。
つまり、誰もシルヴィアがアニアトに行っていた事を知らない。
誰か一人でも知っていれば、サナーレが言っていた事もありえるかもしれないと考えたかもしれない。
しかし、誰一人その事を知らなかったため、単なるルシア教の司祭とそのお付きとしか思われなかった。
そのため粗雑な対応となり、リョウカの怒りを買ってぶん殴られる事となってしまったのだ。
最も、身しらずの正体の分からない相手が、もし、本当にシルヴィアの知り合いだったとしても、何の警戒もせずに通すとなれば、それは警備の仕事にならない。
もし、それが本当に危険な相手であったなら、守備兵達が責任を負うだけでは済まず、シルヴィアが暗殺されるような事になれば、グラゾフ王国そのものが傾きかけない。
たとえ、仕事の上でリョウカを怒らせたとしても、王城の守備を任されている以上、それは仕方がない事で、守備兵が責められるいわれは無い。
ただ、自分達の職務に忠実であろうとしているだけなのだから。
本来なら、サナーレが自分の身元を証明する物か、セラムの王族と言う立場を補償する物を提示すれば問題は起こらなかった。
しかし、着の身着のままでグラゾフまでやって来たサナーレにそれを準備する暇は無かったし、また、状況を乗り切るために偽造するなどと言う不正をする性格でもない。
サナーレからすれば、シルヴィアまで話が通れば何とかなると思っているし、実際、シルヴィアまで話が通れば、サナーレは迎え入れられるだろう。
もし、サナーレ側に自分の主張を裏付けるものが一つでもあれば、悲しい行き違いは起こらなかった。と断言できる状況である。
「よし。わかったぁ」
自分の手の平を自分のこぶしで叩くと、クラビラは間延びした声を上げる。
分かったと言っているが、もちろん、クラビラが何かを理解したわけではない。
元々、難しい事を細かく考えるようにできていない。
クラビラが理解したのは、このままだと自分がのんびりと非番の楽しみである王宮内を歩け回れないと言う事実だけだった。
「私と勝負して勝てば、姉御に繋ぎをつけてやろぉ」
「え、クラビラ様。そ、それでよろしいのですか?」
何を理解したのか、いきなり道場主のような事を言い始めたクラビラに、守備兵を取りまとめる男が仰天したように目を向ける。
「ん?ダメかぁ?」
「いえ、それは、あまりにも。危険が過ぎるかと。本当に知り合いかどうかも分からないわけですし」
「なるほどぅ。大丈夫だぁ。私が勝てばいい」
自分の上司であり、その上、現女王シルヴィアの妹であるクラビラに立場上強くはっきり言い出せない守備兵の男は、遠まわしに戦う事の危険性を忠告するが、それが通じる相手ではない。
「よぉし。かかってこいぃ」
小兵でかわいらしい外見で、声も気合がなく、逆に聞いていると気が抜けてしまうクラビラだが、両手に持って戦う短杖の威力と素早さは群を抜いていて、シルヴィアが王城の守備に身内びいきで選んでいるのではない事は、周知の事実だ。
しかし、目の前で兵士を蹴散らしたリョウカの実力も周囲を隔絶しており、それを見ていた兵士の男は、素直にクラビラの勝利を頭に描けない。
「なかなか骨がある相手や見たいやにゃぁ。その勝負こうちゃるき、約束忘れなよ」
兵士のまとめ役の男や兵士達の心配を他所に、単純な思考の持ち主同士の勝負が始まった。




