007 遭遇
「貴方が、レヴェルね」
参謀室で雑用を任され、一人で資料をまとめていたレヴェルの元に、一人の少女が尋ねて来る。
「これは、セルパ様。このような場所にいかなる御用でしょうか?」
尋ねてきた相手が、護衛官を示す白を基調とした騎士服姿のエマである事に気付くと、レヴェルは立ち上がり、頭を下げる。
役職の違いもあるが、エマは侯爵家の者であり、平民上がりのレヴェルとは身分の格差がはなはだしい。
座って横柄に迎えていたら、レヴェルの首が物理的に飛びかねない。
「かしこまる必要は無いわ。科が違うとは言え、貴方とは同期だし、叔母様がお世話になったみたいだしね」
「いやいや、お世話だなんてとんでもない。ルスト様なら私の小細工などなくても、たやすく敵軍を追い払えたでしょう。
ストラス様に見出された実力に、偽りは無いと実感いたしました」
この国に限らず、おそらく周辺諸国を見回しても、シャロンほどの槍の使い手はいない。
そんな槍の使い手で兵の扱いもうまいシャロンが、ストラスに引き上げられるまで、末端の部隊長クラスでとどまっていたのは、この国の制度の問題と、戦闘馬鹿の現王の見る目の無さだろう。
強硬な手段に出る事が多いサーキーン王は、貴族達との相性が悪く、多くの離反者を出している。
その逆に、軍務に重きを置き、政治を置き去りにする政策実行しているサーキーンにおもねり、私腹を肥やしている貴族も多い。
サーキーンがいなくなれば、プレタダ王国もうまく回るのではないかと言う意見が、庶民にまでささやかれているのが、プレタダ王国の現状だ。
シャロンや優秀な者を引きたて扱っているストラスに、周囲の期待が集まるのは無理も無い話ではある。
「まぁ、そうよね。でも、叔母様も率いた兵に犠牲が出なかった事を喜んでいたから、あなたの力が役に立ったのは間違いないわ」
「ははっ。では、ありがたく」
エマの言葉を感謝として受け取る事にしたレヴェルは、頭を下げながら、エマの評価を少し改善させる。
他国はもとより、レヴェルは自国の主だった者達もその生い立ちから調べ上げ、データ化している。
それは常に最新の情報に更新され、新しいデータとして自前のノートに書き記されている。
主にティアのおかげだが、ティアの指示で集められた精霊達は、元々その土地や人々の周りにいる精霊達から情報を聞き出し、集めて持って来てくれる。
そのおかげでレヴェルは、他の者達より格段に多い情報を集め、そこから必要な情報を抜き出し、自分の諜報活動に役立てている。
集めた情報からすると、エマという人物は、寛容でおおらかな人物で、交友関係も広い。
文官型の家族とのあり方に不満を持ち、無双の槍遣いである叔母のシャロンに師事して、あわよくばシャロンの養女となり、その兵を引き継ぎたい。と、考えているのを友人に話しているのを、精霊達からレヴェルは又聞きした。
槍の腕前はシャロンに劣るが、兵を指揮する能力はエマの方が上なのでは無いかと、レヴェルは考えている。
それは聞き集めた情報や、学校での指揮の実地訓練などや人を引きつける能力を考慮しての判断だが、ただ一つエマには弱点がある。
家族より叔母を優先するきらいがあり、叔母優先の思考をしている事だ。
シャロンが馬鹿にされれば家族にでも食って掛かるし、軍の視察で学校に来ていた容姿端麗なシャロンを、下心を持って見ていた上級生を校舎裏に連れ込んでボコボコにしたりと、その行動は枚挙に問わない。
そんなエマが、叔母がほめられても舞い上がらず、レヴェルの行動にも一定の評価を下した事に、彼女の成長をレヴェルは見た気がする。
卒業以前のエマなら、叔母がほめられるのは、当然。叔母がいればレヴェルなど何するものぞ。という態度だっただろう。
「それで、セルパ様は、このような場所に何か御用でございますか?
あいにく、今は私しかいないのですが」
自分の名前を呼んだのだから、自分に用があるのだろうが、レヴェルはあえてそこには触れずに、エマに用向きを尋ねる。
ストラスの作戦立案、収集した情報の選択をする参謀部は、レヴェルを含めて十人で構成されている。
本来なら騎士科を卒業した時に抜群の成績を残し、席次でも上位の者が選ばれる。
一位から五位の者は、自動的に王国軍本体の作戦参謀本部に召集されるので、王子独自の参謀部には残された中から選抜された者が登用される。
今期は、何故か、騎士科ではなく主計科の、成績も優秀ではないど真ん中の平均点しかとっていないレヴェルが配属された事で、卒業生からやっかみを受けている。
それを回避するために、ストラスはレヴェルにシャロンを付けてガストル王国軍との戦いに出させたのだ。
追い返すまでは行かずとも、兵を率いて上手に戦う姿を見せれば、自分がなぜレヴェルを採ったのか、理解してもらえると思ったのだ。
結果として、ガストル軍を追い返すという大金星を挙げたが、レヴェルはその手柄をシャロンに渡し、自ら、ティアを使ってシャロンの手柄である事を周りに喧伝した。
その事で、シャロンの評価は上がり、レヴェルの名前は知られず、無名のままだ。
そもそもレヴェルは、参謀部になど来たかった訳ではない。
そのため、騎士科ではなく主計科を受け、成績上位の者が登用されると聞いて、手を抜いて平均点を狙ったのだ。
しかし、ストラスの期待は止まず、結局、王子付きの参謀部に入れられる事になってしまった。
レヴェルにとっては迷惑でしかない。
そもそも、神殿の書庫係を続けると言ったレヴェルを、
無理矢理王都に連れ出したのはストラスであり、始めの約束では活躍すれば、王都の資料課の仕事を任せてもらえると言う話だったのだ。
その約束は、いまだ護られていない。
そのため、周囲が期待するほどレヴェルは、ストラスに期待しておらず、どちらかと言うとその為政者としての評価は低い。
さすがにサーキーンよりは評価は上だが、周囲を囲まれたプレタダ王国を盛り立てるには物足りない人物である。
「叔母様が気になさる相手だから、一度この目でどんな相手か見てみたかったの。
それにしても」
これからも果たされる事が無いだろう約束に、レヴェルが内心ため息をついていると、エマが部屋の中を見回し始める。
「他の人は?お昼時ではあるけど、交代制じゃないの?」
「ああ。そのことですか」
向かい合わせに並べられたデスクが中央にあり、離れて奥にこの部屋の長である参謀長の席がある。
その席はすべて空席であり、雑多に壁際に資料が積み上げられた部屋には、レヴェル一人しかいない。
「みんなはお昼で、私は残って皆さんのお手伝いです」
「何?貴方一人に任せてるの?」
「おっと。セルパ様。誤解なされませんように」
残りの者が昼食に向っているのに、一人残されて雑用をしているレヴェルと言う構図に、エマのまなじりが吊り上ったのを見て、レヴェルは慌てて待ったをかける。
シャロンとの関係を差し引いても正義感の強いエマが、レヴェルがいじめにあっているように感じれば、どんな行動を起こすかは目に見えている。
「これは私が自発的にやっている事です。私はまだまだ入りたての若輩者。仕事を覚えるためには努力しなければなりませんので」
実際には、やはり仕事を押し付けられているのだが、他の同僚はだらだらと仕事が遅いので、レヴェル一人がやった方が早い。
読むスピードも書くスピードも人より段違いに速いレヴェルの能力は、一軍半ほどの能力しかない参謀部の連中よりも格段に高い。
その能力の差は、そのまま仕事量の差につながる。
それに誰がどんな仕事をして、どんな事を任されているのか知るのは、後々、役に立つ事もある。
それを口にするのは、さすがにはばかれるので、エマには当たり障りの無い理由を告げておく。
「そう、なの?まぁ、それなら」
新人ゆえの立場だと説明すれば、不承不承ながらエマは納得したような顔をする。
「それでは、私は仕事に戻りますので。セルパ様もお早めにお仕事に戻られますように」
「そうね。貴方も叔母様に力を貸してあげて」
「微力ながら」
顔を見に来たというのなら、もう用は済んだだろうと考えたレヴェルは、エマに慇懃に礼をしてみせる。
そのレヴェルの言葉に、時間を思い出したのか、部屋の時計を確認してエマも護衛の仕事に戻る事にした様子で、レヴェルに言葉を返す。
「役に立つかどうかは、ストラス次第だけどな」
エマを見送った後、忠誠心の欠片も無い言葉を呟くと、レヴェルは鼻歌交じりに同僚達の仕事をすべて片付け始めた。