060 継続
「ふうん。降伏、か」
アニアト王国の国王が、バエン軍の総大将サラスに降伏した報告が来た。
状況が詳しく書かれた報告書を見たコルセア側の総大将アイネ・クラヴィス・モンテーロは、手に持っていた鉄扇で不機嫌そうに空いた手で叩く。
「まぁいいわ。別にアニアトすべてを取られたわけじゃないものね」
机の上に置かれたアニアトの地図を見ながらアイネは、負け惜しみのような言葉を呟く。
アイネが今いるところは、アニアト王国の西側にある領都の一つである。
その領都の領主館を接収し、本陣として利用している。
本来ならパーティーなどが行われる広い部屋に長テーブルを持ち込み、その上に地図に広げ、アイネ一人が眺めている。
昼間なら日差しをふんだんに取り込み、夜なら月明かりや星空が楽しめるように設計された、部屋の外側に面する長い一枚ガラスの壁は、芸術の国にふさわしい一品である。
アイネはこの温室のような部屋が気に入り、ほとんど一人でこの部屋に入り浸っている。
アイネは子供の頃から一人が好きだった。
親の指示にも従わず、兄弟姉妹の誘いにも乗らず、友達とも付き合うことも無く、書籍や武芸にのめり込み、一人で黙々と訓練を続け、それは今でも変わっていない。
アイネには、コストアの女王クルセアのようなカリスマ性も無ければ、セルシスのような知恵も無ければ、従兄弟であるワテスのような人波を分け隔てるような要領の良さも無い。
あるのはコツコツと積み重ね、地道に努力する粘り強さである。
その粘り強さで、まず兄弟姉妹、両親を蹴落とし、コストア王国内の多くのライバルを倒し、方面指令軍の地位を獲得したのだ。
「さてと」
その粘り強さをクルセアに期待され、西側に送られたアイネとしてはこれからが本領発揮する場面である。
地図の上に目を落とせば、アニアト王国を構成する四十近い領が視界に広がる。
ただ、地図上では、そのほとんどがバエン軍を示す青色になっており、コストア軍を示す赤色はコストア側の五つしかない。
ここから取り返していくのは至難の業のように思える。
しかし、本来、家の跡継ぎですらない状態から家を背負う立場となり、クルセアに認められるまでになったアイネからすれば、それほど難しいとは感じない。
バエン軍の配下に置かれているとはいえ、その支配に納得している者が多いわけではない。
サラスに頭を下げたのは王族のみであるし、アニアトの王都ではいまだ内乱が続いている。
目の前に広がるアニアト王国の領の中には、主人が不在の場所が多くある。
そこを迅速に押さえればいいし、内乱を煽ってバエン軍が王都に近づけないようにするのもいい。
王族が降伏したとしても、政庁官吏は王都にある。
王族が降伏したとしてもそれは権威的なものであり、国を運営に関する書類や資料という物はほとんどすべて王都にある。
権威を手に入れたとしても、国家運営するための経済データやそれを円滑に運営する人員を確保しなければ国家は成り立たないのである。
バエンがアニアトの支配権を確立するまでには、まだまだ時間的余裕がある。
その間にアニアトの領土をかく乱して、コストア王国の支配権を強めていけばいい。
コストアの影響力を後ろ盾にしたアニアト貴族を確保しておけば、バエン王国の影響を押さえられる。
アニアト王国すべてを手に入れられればよかったが、バエン軍の動きよりコストア軍は動き出しが遅かった。
そのため、コストア軍の戦略目的は、アニアト王国を挟んだバエン軍との緩衝帯を作り上げる事で、アイネにはそれが役目として課せられている。
もちろん、その緩衝帯の範囲は広ければ広いほどいい。
バエンの支配をかいくぐって、どれだけこちらの味方を増やせるか。
それが重要になって来る。
「セルシスをどう使うかだけど」
その上で、クルセアに頼まれた案件も片付けなければならない。
「・・・・なるほど。そうするのもありね」
部下達が調べて来た資料を基に色々と考えていたアイネは、一つピンと来たのか、思わず笑みを浮かべる。
王都での内乱を煽る人物が必要になって来る。
その人物をセルシスに任せる。
セルシスとアイネとの関係は、もちろん良くは無い。
良くない関係の者を引き離して、顔を突き合せないようにする。
そうすれば、お互いにストレスを貯めなくてもいい。
アイネも口煩くセルシスを罵倒しなくても良くなるし、向こうも言われなくて助かるだろう。
アイネも口調荒く部下達を叱咤するが、それは半分以上演技でもある。
人を使う側として一番簡単なのは、相手を恐怖で縛る事だ。
失敗すれば命がない、もしくは家族縁者に被害が及ぶぐらいに思わせている方が、人は素直に良く動くのだ。
ただ、思考が硬くなり、こちらが言った以上の事をできなくなるのが欠点である。
しかし、その欠点があるとわかっていても、相手を手足のように動かすには恐怖で縛ってしまうのが一番やりやすい。
それはコストアの女王クルセアが率先して示しているやり方であり、アイネもその有効性を認め見習っている。
そのため、アイネも頑張って相手を罵倒しているのだ。
しかし、それを続けるのも疲れるし、何より面倒臭い。
セルシスの顔を見るたびに、命令どおりに罵倒を続けるのはアイネとしてもしんどいのだ。
そのセルシスを引き離し、王都に篭って働かせる。
そして、その上で、バエン側にもセルシスが活動している事を知らせ、始末させる。
それなら自分もストレスから解放され、セルシスも始末できる。
仲が悪い事が知られている二人の関係からして、離れて行動していてもまったく疑われる事はないだろう。
うまく行けば、一石二鳥だ。
「うまく行くと、面倒がなくていいんだけど」
鉄扇で軽く肩を叩きながら見ていた資料を机の上に投げ捨てると、アイネは陽だまりの中で大きく伸びをした。




