006 戦略
「一体どうしたんですか?この惨状は?」
「ああ。これか」
執務室に入って来た幼馴染であり、片腕と頼むライル・ジーク・ハイドルの言葉に、プレタダ王国の第一王子ストラス・デシエス・マルセイユは苦笑いを浮かべる。
「レヴェルの奴だよ。百年の大計とか言って置いて言ったんだ」
執務室の半分以上を埋め尽くす紙の束は、レヴェルが昨日の夜に台車に乗せて持ち込んできた物だ。
各国の情勢と状況をまとめ、それに対してプレタダ王国がどういう対応をすればいいかをまとめている。
それがレドナ大陸十二ヶ国に渡ってまとめられ、千枚以上の報告書が積み上げられている。
「必勝ならずは戦わず。戦うなら負けるにあらず」
「お前も一度読んでみるといい。いかにわが国が危険な状態に置かれているかが分かるぞ」
一番高く積み上げらた紙の束の一番上に置かれた書類を手にとって読み上げるライルに、ストラスは続きに目を通しながら読む事を勧める。
レドナ大陸には、現在、十二の王国が存在している。
ストラスの所属するマルセイユ王家の国、プレタダ王国は周囲を四ヶ国に囲まれ、大陸全体からは東によった位置取りになっている。
北は、トゥーエが守備につき、つい最近停戦となったコストア王国があり、東にはナステト、西にはタナケダ。南にはレヴェルに押し返されたガストル王国がある。
東の国であるナステトは、現在の国王、つまりストラスの父であるサーキーン・テシエス・マルセイユに、ナステト王家の姫君が嫁いで来ている。
そのおかげで現在は友好国であり、交戦状態には無い。
西にあるタナケダ王国は中立をうたい、どことも同盟を結んでいないが、不可侵を貫き、ここ百年以上中立を護り続けている。
つまり、現状交戦状態なのは、コストア王国とガストル王国となる。
コストア王国とは停戦条約を結んでいるが、いつまた攻めてこないとも限らない。
東部で巨大な力を持つコストア王国は、南にある四ヶ国を吸収して勢力を強め、中央に対抗しようとしている。
そのため、プレタダ王国とはしては、停戦中であっても気が抜けない。
南のガストル王国とは父の代から争いが激化していて、こちらも隙があれば領土を掠め取ろうとしている。
「ストラス様のお気に入りの計画は、どのように?」
「面白いぞ。俺にガストル王国の姫を娶れと言って来ている」
「なるほど。南を押さえて、コストアに備えますか」
今読んでいた報告書をライルに、風の精霊の息吹に乗せて投げ渡すとストラスは、大陸の地図に目を落とす。
大陸を統一していた皇国が求心力の低下と共に自然消滅的に無くなり、国が分裂した時には、大小あわせて三十二の国があったが、現在は十二ヶ国に落ち着いている。
十二ヶ国になってしばらくは争いも無く、平和な時代が続いたが、ここ最近になってその平和が壊された。
それは、大陸の中央にある魔道王国、バエン王国の代替わりから始まる。
それなりの善政を行っていた父の後を継いだ“雷帝”サラディーナ・フォン・マクトハルトは、大陸統一をうたい、突如、隣国に攻め込んだ。
サラディーナ率いるバエン王国は、周囲の国々から領土を切り取りながら、いまもじわじわと勢力を拡大し続けている。
その勢いから、大陸の地図が書き換わるのも時間の問題だろうと言われている。
そのサラディーナの動きに触発されて、他国も争いに参加し、プレタダ王国もその動きに乗った。
勢力を拡大し、少しでも地力を増していなければ、他国に喰われると、どこの国も焦りを感じている。
それはプレタダ王国も同じでサーキーンも勢力拡大に努めたが、一進一退の攻防が行われ、大きく領土に変化は無い。
元々、プレタダを含めたナステト、タナケダ、ガストルの領土の大きさはさほど変わらず、戦力も拮抗している。
北のコストア王国は、その四ヶ国を足した広さの領土を持ち、戦力も倍以上を持っている。
レヴェルの案の一つは、ガストルと同盟を結ぶ事で後顧の憂いをなくし、プレタダ、ナステト、ガストルと同盟を結ぶ事によってコストア王国に対抗しようと進言しているのだ。
「父上はガストルを攻め取り、押さえようとしているが」
地図を確認しながら、ストラスは腕を組み、思考をめぐらせる。
ナステトと一緒になってガストルを攻め取ろうとしたところで、コストア王国が後ろから襲い掛かり、ガストルを攻めるどころでは無くなってしまった。
「コストアとの停戦があるうちに、ガストルと結び、同盟を強固なものにするべしですか」
「レヴェルの奴は、そう言ってるな」
「なるほど。コストア王国には、内部に不穏分子を抱えているため戦力はあれど、攻める手に困らない。
逆に、ガストル王国は王を中心にまとまっているために、攻めるに得策ではないと」
「ん?」
やけにすらすらと政策を口にするライルに、疑問を持ったストラスは腕組みを解き、そちらに視線を向ける。
「紙の束の下の方に要約したものがありました」
「何ッ!?」
向けられたストラスの視線の先に、十枚にまとめられた報告書を見せたライルは、朗らかに笑う。
「あいつ。そんな事は一言も」
座っていたイスから立ち上がり、ライルから奪い取るようにまとめられた報告書を見ると、ストラスは目尻を吊り上げる。
他国の経済の推移や地形の高低差などの細かい数字を並べた上に、各国の要人の人物評を書き込んでいる詳しい報告書は、ほとんど辞典を読んでいるのと変わらない。
しかし、ライルが見つけた報告書は、各国の要点だけを抜き出した物で見やすく分かりやすかった。
「一番下にあったと言う事は、全部に目を通した後で、確認のために見て欲しかったんでしょうね」
「・・・うん。まぁ、確かに内容は向こうの方が役に立つの間違いないな」
いつも通り抜け目無く行動するライルと、レヴェルの人を食った悪戯に怒りを覚えたストラスだったが、内容に目を通しておく必要はあるのは間違いないので、渋々納得して怒りを取り下げる。
茶色のクセのある猫毛に、笑った猫のように細い茶色の瞳を持つライルは、乳母兄弟で幼い頃から一緒だが、常に危険からは一歩身を引く要領のよさを持っている。
ストラスも何度もその要領の良さにやられているが、いまだにやり返せてはいない。
「しかし、これを実行するとなると、王を説得する必要がありますね」
「ああ。父上は、どうしても攻め取りたいようだからな」
会話に一段落が着いたと感じたのか、ライルが話を変えてくる。
その言葉に、ストラスもイラつきを押さえるように自分の金髪の髪を指でかきあげ、切れ長の青い瞳を閉じる。
相手との手打ちを認めず、必ず屈服させないと気がすまない様子の父親の姿にストラスは悩む。
この世にプレタダとガストルとしか国がなければ、それでもいいだろうが、周りにも多種多様な国があり、さらに現在進行形で戦乱の世は広がりつつある。
他の国に飲まれないためには、早急に国の力を増す必要がるのだ。
いつまでも、隣国との争いに拘っている場合ではない。
「説得しなければ、未来が狭まるからな」
レヴェルが書いていた通り、このまま戦っていれば国力が低下していくばかりで、この国の未来が無くなってしまう。
最後まで目を通していないが、おそらく、その警告が、この計画書には延々と書かれているのだろう。
それだけ、周りの国々を侵食して行っているサラディーナという女性の存在は大きい。
レヴェルは、今のままならサラディーナの勢いはとどまるところを知らず、無理なら戦わずに降伏した方がよい。とまで書いている。
その文章を父親であるサーキーンが見たら、怒りを覚え、レヴェルの首など飛んでしまうだろう。
しかし、だからこそ真実であるとも言える。
人は、現実を目の前に突きつけられる事を一番嫌う。
特に、現実が見えていない者ほど、それは顕著だ。
「難しいがやってみよう」
一度決めた事に固執するきらいのある父親の翻意を引き出すのは難しいだろう。
執務室のデスクに向うと、ストラスは目を閉じたまま、自分の父親を説得するための手段を考え始めた。