056 アニアトの西側
「はぁ!?失敗ぃ!?」
部下からの報告を聞いたアイネ・クラヴィス・モンテーロは、露骨に顔をしかめ、不機嫌さをあらわにする。
「は、はい。それにより王都内では内乱が起こり、現在は貴族同士がにらみ合っている状況です」
「ちっ」
片膝を付き、恐怖に震えた顔を上げる事なく頭を下げた状態のままで報告して来た兵士の言葉に、アイネは舌打ちすると、手に持った鉄扇で自分が座っているイスの肘置きを叩く。
その音に、周りに居並ぶ部下達がびくっと体を震わせるが、その中でも報告に来た兵士はさらに体を震わせる。
それもそのはずで、金髪の長い髪に、草木の新緑を思わす緑色の瞳を持つ整った人形のような容姿を持つアイネだが、その性格は苛烈で機嫌が悪ければ、部下達に八つ当たりをする事が多々ある。
まして、こんな不機嫌になるような報告をすれば、報告した兵士はもちろん、この場にいる部下全員が並ばされて平手打ちを喰らう可能性もある。
エルフらしい細い体に似合わず、パワフルで過激な性格をしているアイネの平手は、鍛え上げた兵士の体でも吹き飛ばす威力があり、コルセアの軍の中でも特に恐れられている。
しかし、今回のコルセア西方軍の中には、彼女のイライラを一身に受ける相手がいる。
「セルシス。貴方。うまく行くんじゃなかったのッ!!」
それは、魔法使いを使い潰したとしてコルセアの女王クルセアの不興を買ったセルシスの事である。
「申し訳ありません。私の予想を超えておりました」
片眉を吊り上げるようにして睨むアイネの言葉に、セルシスは硬い表情のまま頭を下げる。
「元宰相様だから使えるかもしれないと思ったけど、所詮左遷されるような人じゃその程度って事かしら?」
イラついたように鉄扇で肘置きをバンバン叩きながら、アイネは鋭い目つきを向け、セルシスの様子をうかがう。
勝手な行動をして、アレクの教会を訪れたセルシスの失策をクルセアは何故か知っており、その際に強力な魔法使いを潰したとしてセルシスは宰相の地位を剥奪された。
そして、アニアトを攻略するために派兵された、アイネ率いるコストア西方軍の参謀を務めるように指示されている。
バエン軍の侵攻を食い止め、その行動を妨げる緩衝帯を作るための重要な作戦と名を打った進軍のため、知勇の優れるセルシスを参謀にした。
と言われているが、本人も含めてその場にいた全員がこの人事が左遷であると分かっている。
「貴方が、アニアト側に裏切り者を作るって言うから期待してたけど、それを失敗するってどういう事よ?
貴方、ひょっとして私の事なめてるの?」
口調は乱暴ながらも、幼い頃からの貴族としての教育のおかげか、所作は美しく映えるアイネは、無言のまま部隊の末席に立つセルシスに鉄線を向ける。
その視線を受ける“棘のある百合”の二つ名を持つアイネ率いる部隊の諸将は、生きた心地もなく状況を見守る。
アイネのそのたおやかな容姿とは似ても似つかない激しいプレッシャーに、報告の場であった陣幕の中は緊張に包まれる。
セルシスの作戦は、アニアト側に協力者を作り、コストアの侵攻を簡単にするものだった。
そして、選んだ協力者がゴッフルフ侯爵であり、今回の作戦では大きな比重がかかる相手であった。
アニアトの国王に物が言え、王都周辺の貴族を取りまとめているゴッフルフ侯爵を押さえ協力させれば、アニアトとバエンが争っている内にアニアト王都を手に入れられる算段が付けられる。
本当ならゴッフルフ侯爵と対抗できるクイッスル侯爵も押さえて置きたかったのだが、サラス側のバエン軍に協力関係になっており口説き落とせなかった。
「無理にバエンと戦おうとするとは、ゴッフルフ殿は敵に塩を送る積もりかね?
まるでわが国と言うより、他国に配慮しているようですな」
お互いに敵と内通しているにもかかわらず、そう言ってゴッフルフ侯爵を無駄にあおったクイッスル侯爵は殴り殺された。
しかも、その後、二人に従っていた貴族達がお互いの主人の敵討ちのために争いを始めてしまう。
本当ならこの争いはバエン軍が王都に入った段階で起こすものであり、ゴッフルフ侯爵はそのために兵を集め、自らはバエン軍の迎撃に向かわず、王都に居残っていた。
サニトナやジニ達はそれをゴッフルフ侯爵の弱腰だと判断していたが、その予想を上回る作戦がその時には行われていたわけである。
お互いに自分の身を護り、お互いの協力する国のために兵を集めていたため、今度の内乱は起こった。
サニトナは自分の作戦ミスを嘆いていたのだが、サニトナの作戦だけではなく、多くの人々の意志が乱れこんでいたために失敗したと言える。
「何とか言いなさいよ。このっ!!」
黙したまま何も答えないセルシスに業を煮やしたのか、立ち上がり様、アイネは自分が座っていたイスを投げつける。
勢い良く飛んで行ったイスは、むき出しの地面に当たってセルシスの前で砕け散る。
「腹立たしいわッ!!。下がれッ!!」
砕け散った木製のイスの一部を喰らい、うめき声を上げたセルシスに向って鉄扇を向けるとアイネは、陣幕の外まで響く声で退出を促す。
「・・・・これでいいわけ?」
俯き加減で退出したセルシスを見送った後、自分の部下達も目線で下がらせたアイネは、近くにあったイスを引っ張ってきて座り直すと、独り言のように呟く。
「ええ。すばらしい追い込みです。さすがは、アイネ様」
「これでさすがって言われると、私が嫌な女みたいなんだけど?」
入って来た、体のラインを浮き上がらせるようにぴったりとした黒い服に身を包み、黒いマスクをつけた女性の言葉に、アイネは肩をすくめて見せる。
「いいえ。貴方はクルセア様の期待に答えられるいい女ですよ。
このまま、クルセア様を軽く見ているセルシスの奴をへこませてあげてください」
「へこませるのはいいけど。厄介事を背負い込むのはごめん被りたいんですけど」
クルセアの、正確にはその姉であるクレリアの配下であるコストアの暗部の者に、アイネは肩をすくめて見せる。
「その点はお任せを。奴はすでに監視下に置かれておりますゆえ」
「ああいうタイプは、追い込まれると何をしでかすか分からないわ。
親愛なる女王陛下の御命令を遂行できなくなると困るんだけど」
セルシスのように、裏で何を考えているか分からない相手を追い詰めるのは危険だ。
こっちがいい気になって追い詰めていると、裏でとんでもない作戦を実行され、こっちの足元をすくわれる可能性がある。
権謀術数が花畑のように咲き乱れるコストア王国の中で生き抜いてきただけあって、アイネは相手の空気を読む事に長けている。
その類まれな空気をかぎ分ける優秀な嗅覚のおかげでアイネは、基盤が弱いとされていたクルセアに真っ先に仕える事ができ、その初期からの幹部に名を連ね、指揮官を任されるまでに信用を勝ち得たのだ。
そのアイネからすると、セルシスのような相手は、有無を言わせず殺してしまうのが一番なのだ。と考える。
下手に生かしておくと、何を引き起こすか分からない。
「クルセア様は、セルシスを危険視しております。なにとぞ、暴発させてくださいませ」
「・・・なるほど」
黒い格好の割には、明るく陽気な雰囲気の暗部の者の言葉に、片眉を引き上げ、アイネは考え込む。
曲がりなりにもセルシスは、クルセアの元でコストア王国統一に尽力した相手である。
その相手をすぐに殺してしまうのは、コストア王国といえどもさすがに聞こえが悪い。
そのためセルシスに大きな失敗をさせるか、何か死刑にしても構わない罪を着せるように仕向ければいい。
「女王陛下の御心のままに」
クルセアが望むのなら、そうする。
果断な性格をもつクルセアを、アイネは好いている。
冷静に必要なものと不必要なものをより分けられるクルセアの性格は、気性の激しいアイネとも相性がいい。
アイネ自身も自分の地位を磐石なものにするためには、セルシスは必要ない相手である。
クルセアもその智謀があっても必要ないとセルシスを見限ったのなら、アイネはその心のままに動くだけだ。
「それでこそ、アイネ様にございます」
「必ず、女王陛下にはいい報告を申し上げるわ」
良くしつけられたメイドのように礼儀正しく頭を下げて見せた暗部の者に、アイネは鷹揚に頷いて返すと、セルシスにやらせる仕事を思い描いた。




