005 女神の使い
「届けて来たわよ」
「おお。ありがと」
空を飛び、窓から帰って来たティアを、エプロン姿のレヴェルが出迎える。
部屋に入って来たティアは、フライパンを片手に礼を口にしたレヴェルに、にこっと笑って見せると、青いローブのすそを翻しながら床に下りる。
お使いをしてくれたティアは、レドナ大陸を統べる女神ルシアの遣いであり、本来、レヴェルが扱えるような相手では無い。
ただ、レヴェルがルシアに何故か気に入られた事により、ティアが貸し出されて、現在に至る。
精霊を自在に操り、自身も魔法に長けているティアは、レヴェルにとってはよき協力者で、色々と助けて貰っている。
レヴェルなどは、他人に指示されて誰かのために動くとなると相当億劫なのではと思うのタイプだが、ティアは特に気にした様子も無く、ルシアの命令どおり、レヴェルに協力してくれる。
「神殿長は元気だったか?」
「うん。相変わらず、やせ細ってたわ」
「あの人は、食べても太らん人だからなー」
戻って来たティアを席に座らせ、目の前に料理を並べながらレヴェルは、五年間世話になった神殿長の姿を思い出し、苦笑いを浮かべる。
ストラスの元で参謀の末席を与えられてから、早一ヶ月。
はじめての給料をもらったレヴェルは、その金額に驚愕した。
それが参謀としてはまだ最低賃金だという話を聞いて、さらに驚いた。
部隊を率いて初めての戦いを勝利に導いた報奨金も含まれていた金額は、今までレヴェルが見た事も無い金額で、扱いに困るものだった。
そこでレヴェルは、五年も世話になり、また自分の好きなようにさせてくれた神殿長に報いるため、給料の五分の一を残して、後の全額を神殿長に寄付する事にした。
自分も含めて孤児や生活苦の子供を集め、面倒を見て、さらに就職まで世話している神殿長は、レヴェルが見ていてもなかなか苦労している。
その苦労の足しにでもなればと思い、レヴェルはティアに頼んで、北の端にある神殿を任されている神殿長の元に金を運んでもらったのだ。
ついでに、不本意ながらも就職の世話をしてくれたトゥーエにも、高級なワインを買って贈呈した。
王都で報告を終えた後、すぐさま北の守備に戻ったトゥーエも神殿に近い砦にいるので、神殿長を通して、そこから渡してもらうようにお願いしたのだ。
「でも、マスター。あんな大金渡しても良かったの?」
「構わないさ。なにしろ、ここは金かから無いからな」
牛すじとトマトのビーフシチューに、レヴェルお手製のガーリックトーストを浸しながら食べているティアに、グラスにワインを注ぎながらレヴェルは肩をすくめる。
官舎での生活で家賃や光熱費がかからず、食費も大してかからない。
本だけがあれば生きていけると、半ば妄信しているレヴェルからすれば、金など無くても大した事は無い。
手元の本が無くなれば、新たに買い入れる必要が出て来るが、王宮の中には数多くの書物や資料がある。
その量から考えて、しばらくは買う必要は無い。
「相変わらず、欲が無いわね」
「欲はあるさ。この世界にある本すべてを見たいと思っているからな」
おいしそうに、並べた料理を順番に食べていくティアを見ながら、レヴェルはワイングラス片手に、そばにあった本を手に取り続きを読み始める。
「おいしいもの食べて、いいお酒飲んで、可愛い女の子をはべらせたりとかしてみたいと思わないの?」
「物事は流転し、有は無、無は有。刹那の命なら自分が一番やりたい事をやる。
そして、俺は本を読むこと以外に興味が無い。それ以外の事にかまけてる時間は無いのさ」
茶化すようにワインの入ったグラスを揺らしながらのティアの言葉に、レヴェルは本に目を落としながら答える。
実際、荷物を届ける仕事の代金代わりに、ティアが豪華な食事を要求していなければ、今日の夜もワインとパンだけのわびしい食事だっただろう。
普段は姿を消して、レヴェルに呼ばれた時だけ現れるティアは、食に関して強いこだわりがあるらしく、良く報酬代わりに食事を作るように要求してくる。
緩いウェーブのかかった豊かな黒髪を首より少し下で切りそろえ、おっとりしたやや下がり気味な目尻をし、黒曜石のような黒い瞳は柔らかく暖かな光を湛えている。
明らかに美女と呼ばれる範疇にあり、細身ながらスタイルもいいティアとの付き合いは、神殿の頃からになる。
神殿に入れられたレヴェルは、そこで出会った女神ルシアからティアを授けられた。
何故か神々が使う神聖語を読む事ができたレヴェルは、現れたルシアとの会話の中でその受け答えが気に入られ、ティアを与えられた。
天上に住まう女神の思考は、さすがのレヴェルも分からなかったが、優秀で精霊を扱う事に長けたティアの存在はありがたかったので、その申し出を丁重に受け入れた。
ティアが居てくれれば、色々な情報を知る事ができ、本から得た知識を実証できるし、さらにその豊富な知識を書き出す事によって、後世に残す貴重な資料にもなる。
契約によってティアはレヴェルの従者と言う扱いになっているが、レヴェルからティアへの態度は、単なる協力者と言うよりは、親愛なる姉に対するように敬ったものになっている。
「ふ~ん。やっぱり変わってるわ。貴方」
「良く言われる」
赤いワインを飲み干し、おかわりを催促してくるティアのグラスに、本に目を落としたまま器用にレヴェルは、ワインを注ぐ。
「最近は面白い事しないの?貴族達をはめたのは面白かったのに」
「ああ。あの時のか」
自分もワインのお代わりを注ぎながら、レヴェルはティアの言葉に学生時代の事を思い出す。
騎士科に入れば武芸がついて回るので、主計科に入って学校の教科書や資料などを読み漁っていたレヴェルは、図書室から出たところで、貴族達の虐めの現場に遭遇する。
「いじめを働くような腐った根性の持ち主は、親も腐っているからな。
幹が腐れば枝まで腐る。だ」
陰湿ないじめを繰り返す貴族達に腹を立てたレヴェルは、そう言ってティアに親の貴族達の元に忍び込んでもらい、帳簿を一晩だけ借りてきてもらった。
「親が親なら、子も子だな」
案の定、領地から入る収入の改ざんや横領などを行っていた帳簿をレヴェルは丸写しし、元の帳簿はティアに返しに行って貰い、写した帳簿はストラスの元に特ダネとして持ち込んだ。
ストラスの元で調査が行われた結果、実際に横領などが行われている証拠が上がり、はれて貴族達は死刑や国外追放に相成り、その子供達も学校から追い出される事になったおかげで学校内のいじめは無くなった。
「あれのおかげで王子様にも借りができたな」
「その借りを返すために、ちゃんとお仕事してるんだからえらいわね」
「まぁね」
さすがにストラスに無理をさせた自覚があるレヴェルは、学校の途中でどこかに逃げると言う考えを捨て、借りを返すために、ストラスの元でしばらく働く事にしたのだ。
「借りを返すのは、人として当然だよ」
「ふっふっふ。そうね」
ワインの入ったグラスを打ち合わせると、レヴェルは優しげな笑みを浮かべるティアに、ウィンクして見せた。