038 兵略
「ナイジェルの隊に、サウスマギア様を任せるわ。
アイルトンの隊はホルスト様に。
それぞれ二百五十人づつになるけど、二人をうまくサポートしてあげて」
「ハッ」
「わかりました。都督」
部屋の中央に置かれたテーブルの上に街中の地図を並べ、指示を出すエマの言葉に、テーブルの右隣に立っていた髭の男と、長髪の男がそれぞれ返事を返す。
「ジャンと、ミカの部隊は、そのままアリス様に従って街を出るわ。
こっちは私が指揮するから、アリス様が街に戻る際には、置いていかれないように」
「ご命令のままに」
「御心のままに」
ややたれた目に黒髪のエルフの男と、赤毛のドワーフの女が自分の胸に拳をあて、エマに返す。
「突撃するアリス様に着いて行くのは難しいと思うけど、二人の部隊なら大丈夫よ」
自分と同じアリスに従う二人に、笑顔を見せながらエマは作戦指示書を手渡す。
プレタダでは経験した事は無かったが、バエンでは責任の所在がはっきり分かるように、あらかじめ打ち合わせした作戦内容が明記された指示書を出す事になっている。
指揮官と部下の意思疎通を明確化すると共に、指揮官としての能力を見るためのもので、作戦失敗の責任が指揮官と部下のどちらにあるか判断するためのものである。
無謀な作戦を実行する者や、能力もないのに指揮官の地位にいるものを排斥するためでもあり、無能な指揮官や、無意味な兵の犠牲を嫌うサラディーナの提案で、サラスによって徹底化され、今ではバエン王国部隊の中に浸透している。
指示を出す方は、兵の犠牲を少なくしながらも任務を達成しなければならないので、非常な緊張感を伴うが、元々、兵達の命を預かる以上、その緊張感や責任感は変わらないとエマは考えている。
それに、今回の作戦は作戦参謀のリーヴェと打ち合わせした上で出しているので、エマの精神的負担は少ない。
まして、城中に篭り、一ヶ月に渡ってコストア王国軍と精神をすり減らす戦いを経験したエマからすると、さほどの負担はない。
だいたい味方の勝利を信じて、篭城戦に耐え抜いたのにもかかわらず、簡単に降伏して滅亡してしまい、自分達の戦いがまったくの無意味だった事にされた虚無感や虚脱感に比べれば、命を賭けて仕事をする事の方が遥かにやりがいがあり、精神的ストレスが少ない。
その精神的な虚脱感がなければ、家を捨てて、サウスマギアに従い、バエン王国まで来る事はなかっただろう。
バエン王国での生活にも慣れ、気持ちが落ち着いてくると、ストラスを取り戻すためにプレタダ王国内に残った叔母のシャロンの事や、家族の事も気にかかるが、いつかは独立する事になる身である以上、いつまでも家族にとらわれるわけにはいかない。
自分は自分として、いま仕えるアリスのために全力で
できる事をしなければならない。
それが現在のエマの立場である。
「都督。よろしいでしょうか?」
「もちろん、何かしら?」
四人を送り出した後、陣屋として与えられている古い役所の中で地図を見ていたエマに、声がかかる。
声をかけて来たのは、今の部隊の副官であるオーファンだった。
五人一組で計算されるバエンの軍は、五人の内、一人が隊長となり、組み合わさっていく。
十人になれば、片方の隊長がその十人の隊長になり、もう片方は副隊長になる。
それをだんだんと繰り返し、今回の二千人のまとめ役になっているのが、目の前の青い肌をした金色の瞳の男、トイフェル族のオーファンになる。
二千人の部隊の隊長を任されるだけあって、腕も立ち、頭も回り、人望が厚いオーファンのおかげで、エマはさしたる苦労もなく、部隊を掌握する事ができた。
苦労らしい苦労と言えば、今回の二千人の部隊員の情報をあらかた頭に入れたぐらいか。
レヴェルがこの部隊で、これだけの規模だろうと予想して山を張ってくれた名簿を見て、部隊の知識を頭に入れたエマは、副官になるだろうオーファンに挨拶に行った。
元々、バエン王国の出身者でもなく、戦場を経験したことがあるとは言っても、砦に篭り、知り合いを指揮したに過ぎない。
まったく顔を合わせたこともない、どんな実力を持つ者かわからない部隊を率いた事はない。
指揮官として、アリスから任されたとしても、オーファン達ベテランの兵士達からすれば、新人の小娘としか思われないし、実際にその通りである。
それを叔母であるシャロンからも、レヴェルからも忠告されていたエマは、オーファンに会い、頭を下げて、部隊運営の知識の確認に努めたのだ。
兵達に認められ、敬意を払われているオーファンにエマが敬意を払い、頭を下げた事は兵士達に好意的に受け入れられた。
そして、部隊の知識をオーファンとすり合わせる事で、オーファン自身にも熱心な指揮官である事を認められ、今回の四人の部隊長を紹介してもらえた。
最初は、あまり甘い態度だと舐められるかもしれない。と、考えていたエマだったが、下問を恥じず。とは良く言ったもので、オーファン達部隊長と部隊の運営について討論を繰り返している内に、打ち解けあい、今ではざっくばらんに話し合える仲になっている。
それに、エマがアリスに対して口を聞けるのも大きい。
バエン王国の中で、その戦闘力と何を考えているか分からない飄々とした性格のせいで、触らぬ神にたたりなし。な扱いをされているアリスに、エマは部隊の不満を直接意見したのだ。
この行為は、部下達の度肝を抜き、頼りになる存在としてエマが認識されるにいたった。
アリスが怒ったところを見た事のある者はいないが、もし怒りに触れれば、それを止める者は、少なくとも数十人では利かない。
槍を振り回せば、一人で数千人の部隊を壊滅させるアリスである。
誰しもが、その槍の刃先を向けられる事を恐れる。
そんなある意味、祟り神のような扱いを受けているアリスに、意見を通せる指揮官はそうはいない。
その一点を取られても、エマは部隊の者達の信望を得るに至れたのである。
本当に認められるのは、無事に部隊を指揮して勝利を得てからになるが、エマとしてはとりあえず命令を聞いてもらえるほどに認められているのは、ありがたい事だった。
「グラゾフ王国への道の一部が?」
「ええ。土砂崩れと言われていますが、恐らく、反乱軍の動きかと」
「とりあえず、偵察部隊を送って、様子を見ましょう」
「予定の変更は?」
「予定の変更はしないわ。元々、私達はグラゾフに行くフリをすればいいわけだから」
商業都市ターエンで起こる難民にまぎれた反乱軍を叩く事を目的としているアリスの部隊は、必ずしもクスハの軍と合流する必要はない。
合流すると見せかけて、取って返して、反乱軍を叩けばいいのだ。
「とりあえず、アリス様に報告して、私達も慌てた様子を見せる事にしましょうか」
「なるほど。慌てる様子を見せ、反乱軍を安心させますか」
「そう言う事ね。私がアリス様に報告するから、偵察部隊の編成を任せるわね」
「ハッ」
胸に手を当てる敬礼をして陣を出て行くオーファンの姿を見送ると、エマもアリスに報告するために席を立った。




