003 再会
「おお。トゥーエ様じゃありませんか」
ストラス王子の配慮で、王城の資料室に入る事を許可されたのをいい事に入り浸っていたレヴェルは、目の前を歩く白い物が混じり始めた熊の後姿を見て声をかける。
「レヴェル。五年ぶりか。久しぶりだな」
自分にかけられた声に訝しげに振り返ったトゥーエ辺境伯は、白い石造りの廊下の端に、見知った姿を見つけて笑みをこぼす。
強面で礼儀に厳しく口煩いトゥーエは、貴族や若い士官達に煙たがられ、恐れられている。
たとえ相手が王であり、自分より身分が上の者でも、間違っていれば相手を声高に強い口調で諌めるトゥーエは、熊の獣人らしく大柄な体格で迫力があるため、恐れられ嬉々として話しかける相手は少ない。
だから、王城を歩いていても、頭を下げて挨拶する者はあっても声をかけてくる者はいない。
だから、訝しげに振り返ったのだが、話しかけてきた相手を見て、トゥーエも納得する。
「トゥーエ様がこちらに来られると言う事は、落ち着いたので?」
「ああ。ようやくな」
両手に付箋がはみ出したノートを抱え、楽しげに話すレヴェルにトゥーエも厳つい顔に笑みを浮かべて返す。
レヴェルとトゥーエの付き合いは、五年前のプレタダ王国の北にあるコストア王国との間に起こった国境争いに遡る。
レヴェルが聞いた落ち着いたかのか。と言う質問は、国境線の争いに、一時的にしろ終止符が打たれたかどうかを尋ねた物だ。
口煩いため、北の国境の護りの責任者にされたトゥーエ自らがここにいると言う事は、治まったのだろうという予測は付く。
「それで、レヴェルはどうなんだ。ストラス様の下で活躍してるのか?」
「いや、それが聞いてくださいよ」
これからプレタダ王に報告に行くと言うトゥーエに、レヴェルはため息をつきながら報告する。
プレタダ王国のほぼ真ん中にある王都に戻ってきたばかりのトゥーエは、レヴェルが南のガストル王国との戦いに参加し、勝利に貢献した事を知らない。
だから、王子に推薦した手前、その成果が気になったのだが、自分の手柄を誇るつもりがないレヴェルは、そんな事を口にするはずも無く、代わりに愚痴をこぼす。
「ここの王子様。俺が資料課に行きたいって言うのを無視して、自分の参謀部付きにするんですよ。ひどくないですか?」
「はっはっは。それなら、王子様に推薦した甲斐があったと言うものだな」
「いやいや。冗談じゃないですって」
両腕にノートを抱えたままがっくりと肩を落とすレヴェルの姿を見て、トゥーエは楽しげに笑う。
初めてトゥーエがレヴェルを見たのは、五年前のコストア王国軍の侵攻が始まった年だ。
侵攻軍を押し止めるため護りを固めようとしていたトゥーエの元に、次女のミラが引き摺って連れてきたのが、レヴェルだった。
戦争が始まれば、すべての争いにおいて中立を保つと宣言しているルシア教の神殿に、非戦闘員の女子供を預けるのが基本になっている。
そのため、中立を保つ神殿を攻めないのは、レドナ大陸において不可侵の約束事になっている。
家族が多かったため、幼い頃に口減らしのために神殿に売られ働かされていたレヴェルを、神殿に避難していたミラが連れてきたのは、トゥーエの作戦を非難したからだと言っていた。
どこが間違っているか聞けば、当時、ミラと同じ十歳だったレヴェルは、
「コストア王国は、長い距離を侵攻して来ます。ここで待ち伏せし、相手の気勢を制してしまうのがいいでしょう」
トゥーエがからかい半分で広げた地図を指差しながら、そう進言して来た。
レヴェルが示してきた場所は、コストア王国との国境の近くで丘陵地帯だった。
大小様々な丘陵があり、木々が生い茂る場所は通る道が限られて来る。
わざわざ待って相手に広い場所を与えて砦を攻めをさせるよりも、相手が道に沿って兵を別けたところを叩き、相手の進む速度を落とした方がいい。
この周辺で猟師をしている者達は、隠れやすい場所や相手が休憩に使いやすそうな場所を心得ている。
その上この辺りには、三百年前の戦争の陣地の史跡が残り、いまだに活用できる事は確認している。
史跡を盾に取り、地理に詳しい者を集めて攻めれば、相手は戸惑い、攻め手が緩む。
その間に、味方の援軍も到着してくる。
と言うのが、レヴェルの案であり、トゥーエに一考の余地を残す案でもあった。
熊の獣人であるトゥーエをはじめ、その部下のほとんどは獣人族の出身で、地元である森での戦いには、土地勘があり慣れている者も多い。
ただ、攻めてのコストア軍は二部隊四千人であり、こちらは頑張って兵を集めても五百人に届くかどうか。
数だけを考えれば、とても対抗できず、トゥーエを始めとした首脳陣は、早々に長期の篭城策を決めて準備に入っていた。
神殿に逃れたミラは、父親の篭城策を鼻で笑ったレヴェルに憤慨し、トゥーエの元に引き出して怒ってもらおうと考えていただけなのだが、この行為が北方での戦いでの分岐点となる。
レヴェルの案を受け入れ、打って出たトゥーエは見事に敵の先鋒を撃破。
いったん敵が後退した後も、丘陵地帯に柵や砦を設けて防備を強化するレヴェルの案を受け入れ、トゥーエは国境線の防備の固め、断続的に行われるコストアの侵攻を五年に渡って食い止めた。
トゥーエがレヴェルの案を受け入れたのは、元々、レドナ大陸で信仰される一神教、女神ルシアの神殿に、麒麟児と名高い少年がいる事を知っていたからに他ならない。
神殿長に才能があると聞いていたレヴェルは、一本の木に三つの果物を生やせて見せたり、水路の角度と高さを変えて神殿の所有する畑すべてに水を行き渡らせたり、神殿の壁を強固な建材で作り変えたりと、その豊富な知識を披露して見せてきた。
その才能を見込んだ神殿長にトゥーエは、レヴェルの話を聞き、相談を受けていた。
このまま神殿の書物庫の主で終わるより、どこか大きな場所でその才能を使ってもらえないかどうか。と。
それを聞き、自分の目で確かめたトゥーエは、コストア軍の第一波を退けた後、ストラス王子に推薦状を送った。
そして、推薦状を見て自らやって来たストラスは、そのまま書庫の本にこだわり、神殿に残ると言ったレヴェルを無理矢理王都へ連れ帰った。
風の噂では、そのまま軍学校に入れられ、ストラスの部隊に入れられたという話を聞いている。
「はぁ。俺はただ、本に囲まれて生活したいだけなんですけどね」
「仕方あるまい。どこも人手不足だ」
「お嬢様に伝えといてください。レヴェルはお恨みしておりますと」
レヴェルは元々、神殿の書簡庫の整理を神殿長に任されていた。
古くからの資料や周辺諸国の歴史などの知的遺産が数多く埋蔵されていて、レヴェルの知的好奇心は大いに刺激され、そこでの生活に満足していた。
しかし、ミラにトゥーエの前に引き出された事によって、レヴェルの運命は大きく変化してしまう事になる。
「その件に関しては、ミラも申し訳ないと思っていたようだぞ?」
「本当ですか?トゥーエ様には申し訳ないですが、そんな殊勝なお嬢様では無いような気がしますが」
「はっきり言うな」
怒り心頭のミラに神殿から引き釣り出された身であるレヴェルが難しい顔をしているのを見て、トゥーエは楽しげに笑う。
熊の獣人族の出身だけあってトゥーエは体も大きく、顔も厳つく迫力がある。
と言うか、貴族の服装をした二メートル近い熊だ。
部下でもトゥーエを恐れる者があるが、レヴェルにはその気配がまるで無い。
戦場での活躍から、“荒れ熊”という二つ名を持つトゥーエを相手に、ここまで親しげに話す者はいない。
始めにミラに眼前に引き出された時も、困った様子ではあったが、その場の雰囲気に飲まれる様子もなく、別に恐れる様子もなかった。
そのレヴェルの十歳に思えぬ胆力も、彼の策をトゥーエが採用しようと思った要因の一つだ。
「まぁ、今の仕事に励んでいれば、その内に望みも叶うぞ」
「そうだといいんですけどね」
また深いため息をつくレヴェルの頭をポンポンと叩くと、トゥーエは楽しげに笑った。