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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アゼルの失墜

アゼルの零落

作者: 天織 みお

アゼルの失墜、続編。2作目です。

※タグ注意

ーー男爵令嬢だった頃から、私には嫌いなものがある。





事の発端は、私と同じ未亡人であった年上の友人の一言だった。



「エディタ様、わたくしと一緒に王城にお勤めに上がりません?」

「王城……ですか?」



その頃、私は前妻の子供が跡を継いだ男爵家本邸を出て、同家が所有する別邸にいた。

長閑で閑静な田舎を楽しみ、たまに都会で買い物をする。

その生活が、とても自分に合っていた。


貧乏でお金がなくて、欲しい物が何1つとして買えなかった男爵令嬢時代とは大違い。


嫁いだ先がお金持ちで恵まれていた。


お金さえあれば、自分は幸せだと私は思い込んでいたのだ。



「ええ、そうよ。今女官が足りないらしいの。ほら、もうすぐ王太子様がご成婚されるでしょう?わたくしは息子から頼まれたのだけれど、1人では心細くって……」



結婚、と聞いて最初に思い浮かべたのは、王太子様ではなくその婚約者の令嬢だった。


この王国に片手で数えられる数しかない公爵家の1つ、アシュフォード家の三女ヘレン・アシュフォード。


私は自らの生い立ちのせいか、ぬくぬくと育てられた令嬢が大嫌いで、ヘレン・アシュフォードもそのうちの一人だった。


忘れもしない。

ほんの数年前、出席した夜会で王太子にエスコートされた華やかな顔立ちの美少女が、夜を連想させる藍色の猫目を細めて嬉しそうに微笑んでいた。


誰もが羨む、正真正銘のお姫様みたいだった。

この世の全ての幸福を集めたような美少女。


たったの一瞬の出来事だった。

でも、自分の記憶に彼女が鮮明に刻まれたのを感じた。



政略結婚とは言え、王太子様とヘレン・アシュフォードは幼馴染で仲も良いらしい。


一緒にいた人が教えてくれた瞬間、私は自分自身の凪いだ心の泉にポツリと黒い雫が落ちたのを感じた。



何よこれ。

こんなの、政略結婚って言わないじゃない。



黒い雫が落ちたせいか、僅かに水面が波打った。

でも、それだけだった。


所詮、ヘレン・アシュフォードと私は生まれが違う。育ちが違う。顔が違う。性格が違う。



だから、仕方ない。



あら、素敵な関係ね、と私はその場で悠然と微笑んでいた。

まだ私は夫のお飾りで、話題の彼らが結婚出来ない年の子供だった時の話だ。



「でも私は女官なんてした事ありませんし……」

「あら、少し王妃様や王太子妃様のお相手するだけだそうよ。でも、わたくし達は下級貴族の未亡人ですから、あまりそういった機会は回って来ないでしょうし、気分転換にどうかしら?貴女まだ若いし、田舎に引っ込むのではなく、もっと気楽に遊ぶ方がきっと楽しいですわ」



物凄く気は進まなかったが、友人と言っても相手は先代子爵夫人で、当代子爵の実の母親だ。

私みたいな先代男爵の後添えは断れなくて、彼女と一緒に王城に上がった。


王太子夫妻が結婚してすぐの事だった。


自分の屋敷とは比べ物にならない位の豪華絢爛な王城では気が引けることもあったが、それなりに人間関係は築けていた。

同じ女官達や侍女達は召使いを虐めたりして、それなりにドロドロとした職場だったが、自分もそれに同調する事によって攻撃の矛先が私に向く事はなかった。


女が沢山集まった場所なのだ。

社交界やお茶会と同じ様に振る舞っていれば、凌げる。


私はもう既に他界していた夫と同じように彼女達の顔色を伺って、精一杯媚びた。


だから誰も私の存在には、気にも留めなかった。


それ以外は王妃様と王太子妃様を褒め称え、たまに相談に乗るだけの簡単なお仕事。


側から見る、王太子と王太子妃であるヘレン・アシュフォードの仲睦まじさは噂以上で、皆それを喜ばしい事として捉えていた。


私だけだろうか。

これが喜ばしい事だとは思えないのは。


これの何処が政略結婚?


私は田舎の貧乏男爵家の長女として生まれ、好き者の初老の男爵の後添えとして16の年に結婚し、22で夫に先立たれた。


実家の借金を肩代わりしてもらう代わりに、この男爵家に嫁いだのだ。

お金で買われたようなものだった。


私の中で夫という存在は、外で愛人と子供を作ってくる貞操なしで野蛮な男だ。死んだ今でもそれは変わらない。


でも、男というものはそんなものなのだろうと自分の父親を見ていたから、特に悲壮感はなかった。


そう。なかった、筈だった。


……私も政略結婚だったのに。


ポツリと黒い雫が落ちる音がした。

それは泉の水に紛れて見えなくなった。


私は必死に直視したくない思いに蓋をして、ゆったり微笑んで周りに同調した。


子供が出来るのも早そうですね、と。








側から見たら、仲睦まじい我が国の王太子夫妻が実はそれほどでもなかったと知ったのは、それから3ヶ月後。



「エディタ様。お聞きになって?王太子様が愛妾を迎えられるそうよ」

「え……」



一緒に王城に上がった友人から教えられた事に、私は自分の胸の中に薄暗くて後ろめたい喜びがじんわりと広がるのを感じた。


愛妾は特にこれといって特徴のない、平民らしい。

噂ではパン屋の娘で巷では有名な美少女なんて書いてあったが、どこまで本当なのか。


何も持たない平民が、王太子の愛妾。


今までとは生活が一変するだろう。

王太子妃とは違って、愛妾は完全に王太子のお気に入りであり、お人形だ。



ポツリ、ポツリといつかの時みたいに、黒い雫が跳ねる音が何処からかした。


透き通った泉の水に黒い雫は、揺れて、溶け込んでいく。

元々あった水に黒が完全に溶けて隠れてしまった瞬間、私は酷く醜い事を思った。



ほら、やっぱり。

政略結婚に愛なんて、なかったでしょう?



誰に言い聞かせるまでもなく、心の中で浮かんで苦い跡を残しながら消えていった言葉。

ざまぁみろ、と見下して嘲笑ってやりたかった。


あの夜会で垣間見た、沢山の人に愛された少女の幸せに満ちた微笑みが、どうしても羨ましくて、妬ましくて。


自分がなれないって分かっていたから、真っ黒に塗り潰してやりたかった。


幼い頃から誰にも愛されなかった自分自身を、肯定する為に。







私の予想に反して、たまに見るヘレン・アシュフォードは、沢山の侍女と女官に囲まれ幸せそうに微笑んでいた。

その場に平民の妾がいても変わらずに、聖母の様に慈悲深く、優しく微笑み続ける。


その笑みは完璧過ぎていて、人形みたいだった。


彼女が一番に幸せそうにしている瞬間は、王太子が彼女を訪れた時だった。

誰の目から見ても顔を明るくするヘレン・アシュフォードは、恋する乙女そのもの。


何故、そんなに幸せな笑みを浮かべていられるの?


平民風情の愛妾と平等に愛されても良いなんて、ヘレン・アシュフォードはどうかしてる。


ポツリポツリポツリと、泉に黒い雫が落ちる間隔が短くなっている気がした。


ほら、やっぱりヘレン・アシュフォードと私は違うのだ。性格も、生まれも、姿形も、考え方も。


私の夫にも愛人はいたのに、どうして私は身体だけしか愛されなかったの?


変わらない過去と変えられなかった運命から、私は必死に目を背けていた。







私の生活に変化があったのは、に話し掛けられたのがきっかけだった。

人気のない廊下を歩いていたら、偶然彼と出くわしてしまったのだ。



「やあ、確か君はヘレンの女官……先代ベッセマー男爵夫人だったね?少しヘレンについて聞きたい事があるんだけど大丈夫かな?」



優しげに微笑む立ち姿は洗練されていて、やはりこの国を統べるに相応しい高貴さを纏っていた。

青い空のような瞳は何にも染まらないようなそんな力強さがあって、私は妙に惹きつけられた。



「はい……」

「ああ、驚かなくても大丈夫だよ。皆に聞いて回ってるんだ。今度ヘレンの誕生日だからね。サプライズで何かプレゼントしたくてさ」



それは、静かに降る雨の様だった。

いつの間にか知らないうちに灰色の雨雲が出来ていて、泉に雫を落としていく。


ねぇ、どうして?


どうして、私とあの女はそんなに違うの?

どうして、私は誰にも愛されないの?


必死に溢れそうになってくる思いを押し込める。

彼女を真っ黒に塗り潰したかったのに、いつの間にか私が黒に侵されていた。



「王太子妃様は王太子様が選ばれたものでしたら、喜ばれると思います」



口角を上げて、にこりと微笑んだ。

王太子様も私に合わせてにこりと微笑みかえす。

そしてそのまま私の方へと手を伸ばしてきて、頬を撫でられた。



「君、名前は?」



彼の青空色の瞳に好色そうな光が見えた時、私は確かにヘレン・アシュフォードに対して優越感を感じた。


いつの間にか、心に在った泉は真っ黒に濁って澱んでしまっていた。










「やあ、エディタ。来たよ」

「殿下……!嬉しいわ」



あれからすぐ私達は関係を持った。

なぜ彼が私を気に入ってくれたか分からないが、きっと私は金で買われただけあって、男を落とせる顔と身体を持っていたからだろうと自分で納得していた。


人目を忍んで、彼は時々私の住む王城の一室に来てくれる。

身重の正妻に黙って。


あの幸せそうだった無知な彼女を見下ろしている気がして、酷く気分が良かった。

彼女を下に見る事によって、優越感に浸っていた。


貴女は皆に愛されていたかもしれないれど、結婚相手には愛されなかったのよ、と。



「ねぇ、殿下。貴方あの子……、誰だったかしら?名前忘れてしまったわ。まあいいわ。平民の愛妾を下賜するのですって?」

「ん?下賜?……ああ」



最初、何の事か分からないといったように青い瞳を瞬かせた彼だったが、すぐに理解したようで淡く微笑んだ。



「そうだよ。将軍は日頃から働き詰めでね。この前私を殺しに来た暗殺者を仕留めたから、その褒美にと思って。ヘレンとの間に子供も出来るしね。時期的にもちょうどいいだろう?」

「あら、そうなの?噂で将軍と愛妾が元々相思相愛だったと聞いたのだけれど」

「そんな訳ないだろう?人は面白おかしく吹聴するものだよ。まず後宮に私の許可なく男は入れない。常に私の手の者が監視しているからね。君も知っているだろう?」

「それもそうね」



噂なんて、面白おかしく皆が言っているだけだろう。

なんせ、後宮なんて滅多に入れるものではない。

私も後宮で働いているが、警備はとても堅かった。



「まあ、元々1年程で愛妾は下賜させるつもりだったからちょうどいいよ」

「あら、そうなの」



当たり前かというような納得があった。


平民風情が軽々しく次期国王の愛妾にずっと収まっていい筈がない。

所詮平民は、私達貴族の玩具オモチャなんだから。


平民出身の愛妾なんて、王太子が愛する筈がない。

貴族の端切れだった私が愛されなくて、平民が愛される筈がないもの。


王太子も王太子妃や元愛妾みたいな年下ではなく、年上の女と遊びたいだけだというのは分かってた。

けど、私はとても楽しかった。


だって、世間と妻を欺いてまで私に会いに来てくれてるのよ?

なんだかすごく、愛されている気がするじゃない。


スリルを楽しみながらの王太子との恋愛ごっこは、とても楽しかった。

王太子もきっと同じだろうと私は勝手に納得していたし、彼も私の事をそれなりに扱っていてくれた。


私には大金と引き換えに出来るほどの、整った顔と魅惑的な身体を持っている。


少なくとも、人並み以上の感情は持たれている。


そう、勘違いするには、十分だった。











「ごきげんよう。お加減はいかがかしら?先代ベッセマー男爵夫人」

「王太子妃様?!」



愛妾が後宮を去って1ヶ月後、私は体調を崩して自室の寝台で横になっていた。

しかし、私の事を聞き付けたのか、ヘレン・アシュフォードが宮廷医師を引き連れて私の部屋に訪れた。


私が驚いた声を上げると、ヘレン・アシュフォードは聖女のような慈悲深い微笑みを浮かべて、私に諭すように言ったのだ。



「駄目よ、お医者様に見せなさい。ちゃんと薬をもらって寝ないと」

「す、すみません……」



私は衝動的にこの場から裸足で逃げ出したくなるような、罪悪感に襲われた。

私は常に幸せそうなヘレン・アシュフォードが大嫌いで、王太子と関係してからは常に見下していた。


逃げたい。

彼女が憎くて憎くて、妬ましかったのに。


自分を肯定する為だけに内心他人を貶す汚い私を、見透かされてしまっているみたいで怖かった。


ヘレン・アシュフォードが見ている中で、宮廷医師がテキパキと私の診察をし、持ってきた鞄から薬を取り出す。

渡された粉薬を水で流し込み、私はヘレン・アシュフォードに礼を言おうと口を開いた。



「王太子妃様、ありがとうござ……っ?!」



礼の言葉は最後まで言えなかった。

急に身体の力が抜けたように、。


そんな私の近くでヘレン・アシュフォードは優しく優しく、幼い子供に話しかけるように囁いた。



「ああ、可哀想な人。不相応にも、お前が私からあの人を取らなければこんな事にはならなかったのに。アゼルの時は上手くいかなかったけれど、私はあの人に1度でも関係した女はこの手で消し去りたいの。だって、どうしても許せないもの」



聖女、なんて誰が言ったのだろう。


口調や表情は穏やかだれど、その瞳は凍えるように冷たく、私を射抜くように見据えていた。

彼女は苦しむ私を見下ろして、ふふっと柔らかく微笑む。



「ああ……言い間違ってたわ。私自身の手は汚さないけれど、私は自分の目でちゃんと堕ちていくのを見ないと気がすまないの」

「……っ、ぁ」



こんな、こんなのって。

私はヘレン・アシュフォードに掴み掛かった。

私の矜持が許せなかったのか、生存本能かは分からない。


けど、まともに力の入らない私の手を彼女はあっさりと振りほどいた。



「ごめんなさいね。何を言っているのか分からないわ。夫の後を追って、ゆっくりおやすみなさい。すぐに眠れるはずよ。先代ベッセマー男爵夫人」



そして、何事もなかったかのように彼女は私を振り返る事なく、宮廷医師と共に部屋を出て行く。

追い縋る力もなくて、私はぐったりベットに横になるだけ。


息苦しさで次第に視界が霞んでいく。


暗闇に意識が引き摺り込まれる直前、まるで救いのようにその声が降ってきた。



「あれ?さっきヘレンがこの部屋に入った気がしたんだけど、気のせいだったかな?」

「王太子殿下。勝手に人の部屋を開けては……?!」



ああ……、の声だ。一緒にいる人の声も聞いた事がある。

確か、王太子が信頼している将軍だ。



「王太子殿下……!」



驚愕の声を上げた将軍に王太子は返事をしなかった。

その代わり、靴音がこちらに近づいてきて、私のぼやけた視界の中に青空が映り込んだ。


助けて欲しいと、必死に口と手を動かす。

伸ばした手は確かに王太子の腕に触れた筈、だった。



「ふふっ。ついに殺しちゃったか。まあ、この女は役に立たなかったから別にいいけど」



落とされた言葉が何を示しているのか、思考が全く働かない。

もがきは意味をなさず、霞む視界は端から徐々に暗闇へと転じていく。



「家族には病死って説明して、遺体を返す。お前もそのつもりで」



王太子の言葉に頷く声が酷く遠くで聞こえた。

じわじわと真っ黒に染まった泉が私の目も、耳も覆うように広がっていく。

何も聞こえない、真っ暗闇に閉ざされた時ふと思った。




ーーああ。私は結局誰にも愛されなかったのね、と。

今回の主人公目線から見た登場人物紹介。


エディタ・ベッセマー

本作主人公。先代ベッセマー男爵夫人。頭は結構弱い。

でも、顔もスタイルも上の上。

愛に飢えてる。貧乏男爵家に生まれ苦労した事と、ただの政略結婚とは違って奴隷のように売り飛ばされた事でかなり心は曲がってしまっている。


ヘレン・アシュフォード

アゼルの失墜主人公。厳密に言うと結婚して王太子妃だから、名前は違う。

本作主人公が、女としては最高の地位にいる彼女を認めたくないだけ。

藍色の猫目の持ち主。


アゼル

王太子の愛妾。

今回空気。将軍に下賜された。


王太子

まだ名前が出てこない人。青空のような瞳をしている美男子。

主人公は気に入ってもらっていると思っていた。


将軍

今回特筆することが無い。


先代伯爵夫人

主人公の友人……だが、逆らえない人。


先代ベッセマー男爵

主人公の夫。愛人侍らしてた野蛮な男。

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