02
――一か月前、四月、ある朝
春明の住む町は、春の盛りだった。
草花は朝露を体にまとわせ、朝日に照らされきらめいている。
春の風に茂り始めた草達は、陽を求めて、丈を目いっぱい伸ばす。
まだ斑に残っている雪の間に、ふきのとうの頭が見える。
雪解け水を含んださらさらと流れる川、甘い花の香りをのせたゆったりとした風、時間がゆっくりと間延びしている風景。
そんな中、せかせかとした生活音を響かせている家があった。
四方を田んぼに囲まれてぽつんとある、少し古びた木造の一軒家、それが春明の家だった。
まな板がとんとんと鳴る。鍋がかたかたと揺れる音。子供らのばたばたと駆ける音。
「こらっ、机のまわりを走らない!ちゃんと席について」
エプロンをつけた春明は、台所と居間をいったりきたりと忙しなく動いていた。
春明は食事を運びながら、妹弟たちを叱りつけた。
「いーっだ!」
弟妹たちは舌を出して走るのをやめない。
子供らが走り回る度に、家は軋み、天井から誇りが落ちてくる。
春明が食事を並べていると、台所から春明の母、吾妻陽子がひょこと顔出した。
「春明さん、次はお味噌汁もお願いね」
「うん、わかってるよ。ってお前らいい加減席につけ!埃が舞うだろ!」
台所の奥で、陽子がくすくすと笑っている。
春明の家族は弟二人、妹二人、そして母親と春明の六人家族。
何重にも重なった子供らの足音、春明の説教じみた大声、台所に鳴る雑多な音。
吾妻家の、いつも光景だった。
食事が並べ終わると台所から陽子が、エプロンで手を拭きながら、駆けてくる。
「ごめんなさい、さあご飯にしましょう」
陽子と春明は弟妹たちなんとかを座らせて、食事がやっと始まる。
弟妹たちは、さっきの騒ぎようとは打って変わって無口になり、夢中で食べている。
陽子はやっと一息ついて、煎茶をすすった。
陽子の隣に座っている、春明は心配そうに陽子の方を向く。
「母さんもちゃんと食べなきゃ体に悪いよ」
「ええ、大丈夫よ後で食べるから。それより」と春明に向き直り「春明さんは今日もバイトだったかしら」と聞いた。
「そうだけど。帰ったら家事は僕がやっておくから、母さんは先に寝てていいよ」と春明は、味噌汁をかっこみながら答えた。
陽子はもともと体が病弱だった。それが、夫を亡くしてからというもの、ほとんど毎日、体調を崩すようになった。また、子供が多く世話や家事などで手が塞がっていることもあり、とても仕事をすることはできなかった。吾妻家の家計は、父が残したものと春明のアルバイトによってなんとか支えられていた。
「そう、いつもごめんなさいね…」
「どうしたんだよ、今更。俺は大丈夫だからさ、気にしないで」
陽子は思いつめたような顔になり俯きながら、
「時が経つのはあっという間ね、あなたももう高校二年…」と呟いた。
「そうだね」
春明は適当に相槌うった。
「私がもっと丈夫だったら、あなたを大学にだって―」
春明はそれを聞くと表情を変え、遮った。
「その話はいいよ。それよりほら、早く食べて」
陽子は困ったように笑うと、机に向き直りぼそぼそと食事を始めた。
弱弱しく手を動かす母、食い散らかし騒ぎっぱなしの弟妹たち。
――やっぱり僕が頑張らないといけないな…。
やつれた母の横顔を見て春明は思った。
春明は食器を洗い終えると、弟妹たちの身支度を手伝ってやる。
一番上の妹は今年から中学一年になり、手間がかからない。次女は小学五年生で、姉に似てかしっかりものだった。弟は小学三年と一年でこれが腕白盛りで大変だった。
小学生の弟妹たちがちゃんと登校するのを確認すると、昼食用のスーパーで買った割引された惣菜パンを数個、カバンの中に詰め込み、
「母さん、言ってくるよ」
陽子は心配そうに、玄関まで出てきた。
「ちゃんと休めるときに休むのよ」
春明は振り向かず、靴を履きながら片手を上げて答えた。
そして速足で家を出た。




