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Sweet Encounter

作者: 春葉 名呑
掲載日:2015/08/17

いつものポケットにスタッフパスが入って無い。


私は舌打ちをした。昨夜バッグの中を整理した際、テーブルの上に置いてそのままにしたのだ。

スタッフパスが無ければ入館証を借りる手続きをしなければならない。

今日はお盆休みの初日で見たところモールは満員だから、店舗の早番は今頃悲鳴を上げていることだろう。

タイムロスが痛い。回転が止まったら売り上げが…。



イライラしながら警備員室の窓口に向かうと、輝く笑顔に迎えられた。


「おはようございます、『タイム』さん」


うっ、まぶしい!朝からコイツかよ!!


「にゅ、入館証をお借りしたいんですが」

遭遇に動揺してどもってしまった…恥ずかしい。

「では、この書類に記入をお願いします」

この頃の夏は節電対策でスタッフの共有部分は冷房が制限されており、館内部はどこもかしこも蒸し暑い。特にこのエントランスは外気が頻繁に入ってくることもあって暑くてしょうがない。

それなのに、目の前の若い警備員は額に玉の汗を浮かべつつも涼しげな瞳をしている。


「今日も暑いですね」

記入していると話しかけてきた。やっぱり暑かったんだ。

「ねぇ、嫌になりますね」

ボールペンを筆入れに戻し笑いかけると、彼は記入欄に目を走らせ、入館証を手繰り寄せた。

「僕は暑いのは好きなんですけどね」

あ、やってしまった。少し落ち込む。


「でもこの暑さは嫌になりそうです」

目が合って、また微笑まれた。

いや、彼はいつも誰にでも微笑んでいるのだから勘違いしてはならない。

しかし何故か無性に自分の化粧が気になる。




入館証を握りしめ入った店内は満員御礼、試着室とレジを待つお客様が列を作っていた。

急いで荷物をロッカーに押し込み、店頭に出る。


「調子どうよ?」

レジの中に入りつつ早番のレジスタッフに聞くと、彼女は泣きそうな顔をしていた。

「始まりがゆっくりだったから安心してたんですけど…もうすぐで死ぬところでした」

レジ対応で喋り続けていたようで、声が擦れている。

「レジ変わるから早番は休憩に行っておいで。戻ってきたら私ミシンに入るからね」

レジの裏では裾上げ待ちのパンツが積み重なって山を作っており、中番で入ったミシンスタッフが悲鳴を上げ始めていた。


『タイム』はカジュアルなアパレルブランドだ。販売層は老若男女多岐にわたり、斬新な広告戦術もあって国内ブランドの中で知名度は高い。

アパレルにとってお盆はかき入れ時だ。

今日はセール初日ということもあり、売り上げは取れるだけ取っておりたい。

だから、この混み具合とパンツ山は大変喜ばしいスタートだ。働いているものには地獄だとしても…。


「はい!…なんか茂川さん、嬉しそうですね?」


「えっ」


そりゃ、今日売り上げ良さそうだからね!


「なんか良いことあったんですか?」


朝一でイケメンの警備員に行き合ったからじゃないよ!




その日は怒涛のうちに過ぎ、無事予算を達成することが出来た。接客とミシンに集中しすぎて神経が擦り減ってしまった。もう年かもしれない。


ヘロヘロになりながら警備員室に入館証を返しに向かうと、窓口に彼がいた。


胸がときめいた…と言えば聞こえは良いが、正直ギョッとした。

てっきり早番で帰ったと安心しきっていた。

私の緊張は仕事中に使い果たしてしまって、彼に使うだけの分はもう残っていない。

恥ずかしがることさえ、もう面倒臭いというのに。


「入館証、お返しします」

窓口から話しかけると、彼は私を見上げた。


「お疲れ様です、『タイム』さん」


そうしてニコッと微笑んだ。くっそう、浮腫んだ足を持つ三十路の女には毒だぜ…。


「なにか記入するものありましたっけ?」

聞くと、彼は入館証の使用者リストを取り出し私の記入した欄にチェックを付け始めた。

「いえ、返していただくだけで結構ですよ」

何か意味も無くガッカリした。嗚呼、疲れる。


「…警備員さんのシフトって長いんですね?」

それなのになんで会話を続けるのか。

「なんか今日は欠員が多かったんですよね。連休初日なのにね」

そうしてリストのチェックを終えた彼は、私に視線を戻した。


「『タイム』さんは売り上げいかがでしたか?」

見つめられ、質問され、気にされたことに嬉しさがこみ上げる。


「初日にしては良かったと思います」

明日は分かりませんけど…と、ネガティブは飲み込む。


「そうですか。明日も、頑張ってくださいね」

またニッコリ微笑まれ、私は疲れていたことをすっかり忘れてしまった。


「はい。ありがとうございます」

「お疲れ様でした」

「お疲れ様です」




家に帰りシャワーを浴びて、山形のだしと麺つゆを豆腐にかけたものをつまみに晩酌を始める。暑い日はビールに限る。狭い狭い1Kは、少し伸ばすだけで全てに手が届く。座椅子に座りながらバッグを引き寄せ、スタッフパスをいつものポケットに戻す。


一瞬だけ、明日もこれを忘れたらまた彼に会えるかもしれないと誰かが囁いたが、

一笑に付してバッグのジッパーを閉めた。


読んで頂き、ありがとうございます。

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