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Re;(前半)  作者: 此岸満
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(後半)

 いつもなら窓から朝日が差し込んで、それで起こされるのに、今日に限ってはまるで、日が差さない。未だに薄暗い藁のベッドの上で身体を起こして、俺は辺りの匂いを嗅いだ。

 雨の匂いもしない。なのに、空は陰っている。暗く、ただひたすらに暗く。

 何かがおかしい。このハイグランドにやってきて、一週間ほど。こんな朝は初めてだ。

「セド! おいセド!」

「うぅ……まだ、暗いではないか。もう少し寝かせてくれ……。昨日、子供達に蹴り飛ばされた背中がまだ痛むのだ……」

「爺さんみたいなこと言ってる場合じゃないって! 外、外見てくれよ! もう日が昇ってもおかしくないのに、まだこんなに暗いんだ!」

「……ぬう」

 恨みがましい目を俺に向けながらも、とりあえずセドリックは身体を起こした。そして外を見やると、見る見るうちに顔の周りが強張っていった。

「ネイト。お前は急いでアリエッタのところに行け。俺は、トレインの所に行く」

「――やばい?」

「かなりな」

 セドリックは藁のベッドから飛び降りると、俺を一瞥して言った。

「考え得る最悪の事態かもしれん」

 そりゃあんまりだ。もう少し気分が明るくなるようなことを言い残して行ってもらいたい。

 そいつはさておき、考え得る最悪の事態だというのなら、俺も心してかからないといけないようだ。とりあえず、街に行こう。


 ハイグランドの街の入り口、長い坂の手前に二人の女の子が立っていた。一人は、アリエッタ。もう一人は、忘れるわけもない、クライス・ネール・キーリアだ。

「ごきげんよう」

 俺を見つけたネールは、淑やかに挨拶をしてきた。如何に取り繕っても、その裏側では怒りで煮えくり返っていることはよく分かっている。その証拠に、隣のアリエッタは笑いを噛み殺したような顔をしていた。

「……あの時以来だな。で、これはどういう状況? セドは考え得る最悪の事態、なんて言ってたけど――」

「人類が考え得る最悪の事態という呼び方が正しいかしらね。非常にまずい状況よ。アリエッタ、あなた、また書き置きでも置いてきたの?」

「置いてないよ! ――ていうかこれ、やっぱりそうなんだよね。アレが、来るんだよね?」

「間違いないわ。これは雲で出来た暗さじゃない。彼の力の一端よ。――何が目的かは分かってるけど、問題は向こうがどう出てくるか、ね。何にせよ、アリエッタやあなたが彼の目に触れるのはまずいわ。逃げなさい」

「待てよ、彼ってなんだよ、何が来るっていうんだよ!?」

「――竜の盟主、ダーインスレイヴ。六枚の翼を持ち、一切の光の侵入を許さない、漆黒の闇を操る、最大最強の竜。かつての人類、最悪の敵よ。この暗さは、その予兆。もうすぐ、彼来るわ。目的は、恐らくあなた」

「――なんで俺なんだよ!? 俺が、何したって言うんだよ!」

 心のどこかで、全く別の声がする。

 ――認めろ、と。

「あなたのことはアリエッタから聞いてる。あたしはダーインスレイヴに力をもらったから、彼のことも少しは知ってる。いい? ネイト・ハートライト。彼は児戯のつもりで親子ごっこをするような人じゃない。こうして出張ってきた以上、あなたにはそれだけの価値があるのでしょう。その価値が何なのか、あたしにはもちろん、アリエッタやトレイン・ハートライトにも分からない。そんなあなたなら、もしかしたら、」

「わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ! 俺は――俺の父さんは、正真正銘の父親だ!」

「違うわ。あなたとダーインスレイヴには何の繋がりもない。でもね、よく聞いて。彼はあなたを実の息子として育ててきた。あなたにはそれだけの価値がある。ハートライトの血を継ぐだけじゃない、それ以上の価値がある。あなたは、人類の切り札になりえる可能性がある」

 俺は、まだ何も受け容れてはいない。

 ネールの言葉は理性的で、淡々と畳みかけてくる。それでも俺は、その全てをはいそうですか、と、受け容れるわけにはいかなかった。

 ネールの目は一層冷ややかになって、そして、冷徹に告げた。

「――あなたのために、アリエッタは命を賭けた。あたしの可愛い妹分が、あなたみたいなどの馬の骨とも分からない奴に命を賭けたの。簡単に、その覚悟を無駄にするわけにはいかない」

「ネール……」

「アリエッタ、あなたもそう。彼を人類のために竜達の元から連れ出したのなら、その選択に覚悟と責任を持ちなさい。こうして彼らは動いた。彼らが動けば世界が動く。それは、あなたが行動した結果。――どんな結末になろうと、その事は忘れちゃダメよ」

「それなら、私が――」

「責任を持てと言ったでしょう。元はといえば、彼をこの舞台に引きずり出したのはあなた。あのフラフラした彼に、責任を持ってあげなさい。とりあえず、あたしはあたしのできることをするわ。ただ、命を無駄にするようなことはしないで」

 アリエッタは頷いた。そしてネールの側から駆け出すと、俺の手を取った。

「ネイト、私を信じて。――行こうっ」

 俺は、その場に留まることも出来た。だけど、そうはしなかった。

 アリエッタを、信じているから。俺だけじゃ、何が正しいかも決められない。それなら、アリエッタに決めてもらった方がいい――そう、思った。



 空から降り立つ影に、クライス・ネール・キーリアは微笑んだ。

「お久しぶり」

 太陽の光を遮られ、色を失った雲の隙間から、巨大な影が降りてくる。

 ただの少女から森羅万象を統べる大巫女となった時と同じように、再び、ネールはダーインスレイヴと向き合った。

 あの時とは、何もかもが変わった。取り巻く環境も、見える世界も変わった。

「動じていないな」

「えぇ。薄々、こういうことになるんじゃないかって気が」

「――ならば、我らがここに来た理由は分かっているな?」

「もちろん。ネイト・ハートライトというあなたの息子……義子と言った方がいいのかしら? とかく、彼を連れ戻しに来たんでしょう?」

「ネイトは、我の息子だ」

 とりつく島もない返事に、ネールは眉をひそめた。

「彼に言うならいざ知らず、このあたしにそんな冗談が通用するとお思い? あなた達は、竜の宿敵であるハートライトの血縁者全てを葬り去ってきた。それこそ手段を選ばず。にも関わらず、あなたはどうしてネイトだけを――」

「――偽らないのか。ネイトと会ったこと、ネイトがここにいることを」

「隠したところで――ここまで突き止められてしまった以上、無駄な足掻きにしかならないでしょう。あたし、無駄なことは嫌いなの。無駄なことに時間を使うぐらいなら、もっと賢く時間を使うわ。それに個人的に興味があるし。彼に、本当はどんな価値があるのか」

「お前が思っているような、価値などないさ。ネイトは、我の息子だ。それだけのことだ」

「ダーインスレイヴ、言葉遊びはやめてちょうだい。あたしの質問に、答えて」

「……ここを焼け野原にしたあと、ネイトの姿を探してもよいのだぞ? おおかた、お前の与り知らぬところで起きたことだろう? お前が関与しているわけがない。お前は、あのようなずさんな計画は立てない。もう一人の巫女が勝手にやったことなのだろう? ならば、お前が関わることで、問題をより大きくする悪手はあるまい?」

「部下の管理不行きは上司の責任よ。つまり、あたしの責任。――あたしの役目は、人と竜のバランスを保つこと。ここで完全にあなた達に屈してしまっては、あたし達が調停をする必要もなくなってしまう。人間は竜に隷属する以外の道を失い、家畜も同然になってしまう」

 巫女という存在自体が、人間の権利であるというのがネールの信条であった。その巫女すらをも竜に好き勝手にされてしまうとなれば、人は完全に竜への隷属を余儀なくされる。

 それは、人類の終焉に等しい。だからこそ、ネールは譲るわけにはいかなかった。

「あなたの望むところでもないでしょう? 人類を滅ぼすのではなく、生かす選択をしたあなたが、今更人間を虐殺するという選択をするとは思えない」

「その通り。我は無益な殺生を行いたくはない。だが、ネイトをこの手に取り戻すためならば、我は悪鬼にもなってみせるぞ? 巫女クライス・ネール・キーリアよ。ネイトをこちらに渡せ。そして、ネイトを拉致した獅子と巫女の首を渡せ。これに応じるならば、我らもこれ以上、事を荒立てずに済む。誰も血を流さない決着が訪れる。我らも、この美しい街並みを破壊するのは忍びない」

 ネールは思わず下唇を噛んだ。交渉の余地はほとんどない。ダーインスレイヴの狙いはあくまでネイトの奪還。恐らく、彼はその為には手段を選ばないだろう。

 ネールにとっての想定外は、この黒竜の執着だった。そして、その執着の理由にまるで想像がつかない彼女にとって、打つ手はほぼ無いに等しかった。

 ネールはしばらく俯きながら思考し、そして、強い視線を黒竜へと向けた。

「――ネイトは、ここにはいないわ」

「おや、さっきと言っていることが矛盾しているようだが?」

 黒竜の嘲るような口調にも、ネールは動じない。

 既に異様な空気を感じ取ったハイグランドの住民達が、ネールの背後に集まってきていた。皆、一様に不安そうな表情を浮かべ、小さな背中を見つめている。彼ら皆が巫女のことを快く思っているわけではない。しかし、対峙するのが望外の怪物となれば、巫女を寄る辺としたくなるのも当然であった。

 一方で彼らには、未だに現実味を感じることができなかった。今目の前に竜の盟主黒竜が姿を現しているとしても、依然、どこか浮ついた夢の中にいた。

「巫女と獅子が、彼を逃がしたわ。今頃、ハイグランドの樹海に入ったことでしょう。あそこなら、あなたであってもそう簡単には彼らを見つけることはできないはず」

「なるほど。そういうことか。では、我らとしても相応の手に打って出なくてはならぬ」

 ネールは思わず身構えた。が、如何に巫女の中で圧倒的な力を有しているネールであっても、結局は与えられた力。黒竜とまともにやり合って、勝てる道理はない。

「――ならば!」

 ネールの思いに共鳴し、地が割れる。荒く息を吐きながら、クライス・ネール・キーリアは、必死に背伸びし、足掻こうとしていた。

「……我らの力は、感情によって左右される。こと、竜脈が未熟なお前達人間では、少しの揺れで、暴走する。お前には練度が足らぬ。それ以上感情に任せれば、民をも傷付けるぞ」

「暴走ではなくってよ」

 ネールは指を鳴らした。すると、足下の石柱が一気にせり上がり、彼女の身体を、黒竜の眼前へと運んだ。

 黒竜の巨大な紅い瞳に映る自分の表情が、恐ろしく強張っているのに内心苦笑いしながら、ネールは続けた。

「――あたしは、あなたに与えられた力をコントロールできる。見くびらないで。――あたしの首をあなた方に預けましょう。だから、矛を収めて」

 黒竜の瞳が、鋭くなった。

「――それが、お前の答えか。我らも、お前の命は保証しかねるぞ」

「元々、長生きできるなんて能天気には考えてなかったわ。さあ、どうするの?」

「だが、我らはネイトを探すぞ。そして必ずや見つけ出す。いかなる犠牲を払ってでも、だ。それでも、お前はこの場を収めるために自分の首を差し出すのか? 巫女や獅子を、なぜそこまで守ろうとする?」

「友だからよ。それ以上の、理由があって?」

「友のため、か」

 黒竜は目を閉じ、一つ頷いた。

「――よいだろう。それで手を打とうではないか。お前の覚悟に免じて、ここは我が引き下がろう。来い、クライス・ネール・キーリア」

 ネールの周囲に、黒い靄が漂い始める。

「もう一度確認しよう。――これでよいのだな?」

「ええ。二言はないわ」

 その瞬間、ネールの身体は球状の靄の中に取り込まれた。黒い球体を傍らに引き寄せ、黒竜は傍らの紅い竜に目で合図した。竜は黒竜の顔の側まで飛び、その竜に、黒竜は囁いた。

「――後は、任せる」

 紅い竜が一つ頷いたのを見て、黒竜は六枚の翼を羽ばたかせ、その身体を雲海の上へと運んでいった。

 全ての人間は、それを見ていることしか出来なかった。竜の力の一切には為す術もなく、クライス・ネール・キーリアは竜に簒奪された。しかしそれすらも、大半の民には現実味のあることとしは受け容れられなかった。

 ただ呆然と、人々は黒竜の姿を見送った。異議の声をあげるものも、嘆くものもいなかった。まるで感情すらも奪われたかの如く、淡々としていた。

 その様は奴隷のそれであった。人類は本質的に、竜に服従しているのである。

 取り残された、黒竜と比べると小柄な竜は、大きく翼を広げた。

 雷鳴が、鳴り響く。

 嵐はそこまで迫っていた。



 俺とアリエッタは、手を繋いで、ひたすら走った。

「ちょ、ちょっと待った、ストップ……ストップ!」

「ダメだよ、もうすぐ岩場だから、それまで頑張って!」

 森の中の足場は相変わらず最悪だ。思わず蹴躓きそうになり、俺はアリエッタの手を振り払ってしまった。

「これだけ離れたんだから、大丈夫だろ……!」

「そんなこと言ったって――」

 アリエッタは振り返って、空の方を見た。街の方には、六枚の翼を広げた、巨大な何かが浮かんでいる。

「……悪魔?」

 神話か何かで見た、空想上の怪物が今、この場に存在している。考えればもう少しマシなことが言えたろうに、俺の口から出たのは平時であれば笑っちゃいそうな単語だった。

「ううん。違う。――あの六枚の黒い翼、間違いない。あれが竜の盟主ダーインスレイヴ。千年前の戦争を終わらせた、最強の竜だよ」

「――あれが?」

 あれのことを、皆は父さんだと思ってるのか?

 そんな――そんな馬鹿げた話があるもんか。俺の父さんは人間だ。

「ははは……あれが父さんなわけないじゃないか。やっぱりみんなが間違ってる。俺の父さんは、間違いなく人間だ」

「竜は、人の姿をとれるよ。千年前、情報戦でも竜が負けなかった要因はそれ」

「――だとしても、違う」

「……なら、それでもいいよ。今、重要なのは」

 アリエッタは俺の右手を掴んで、無理矢理立ち上がらせた。

「ネールが時間を稼いでいる間に、私達が安全なところに逃げること。それもできないんじゃ、あそこでネールが留まったのが無駄になる。だから、走って!」

 だけど、俺は動かない。もうたくさんだ、あんな化け物を父さんだなんて言われて、黙っていられるわけがない。こんな仮定、口に出したくもなかったけど――仕方がない。

「――だいたい! あれがもし父さんなら、俺が行けば済む話じゃないか! 俺が父さんの元に戻って、それで終わり! アリエッタ達のことは俺の方から言えば、多分、大丈夫だ! そんなにアリエッタ達がアレが父さんだって言うなら――」

「バカッ!」

 俺を引っ張り上げていた腕が、そのまま俺の頬をグーで殴ってきた。為す術無く、俺の身体はぶっ飛ばされる。

 口の中が切れたみたいだ。血の味が、広がっていく。

「――なんで分かってくれないの。君を竜の元に返すわけにはいかないの。今を変えられるのは、君だけなの。君がいなくなったら、私達にはもうどうすることも――」

「それが、みんなの望みなのか?」

「――え?」

 少なくとも俺は、望んでいない。

「そんなに今を変えることが、必要なのか? 街の人達みんなが竜を倒して、人間の世界になることを望んでるのか? アリエッタはみんなに確かめたのか? ただ、セドやトレインと同じ事を考えてただけじゃないのか? たった三人だけで決めて、それが人類の総意だなんて、本当に思ってるのか?」

 アリエッタの瞳が、揺れる。

「アリエッタ達だって、十分めちゃくちゃなこと言ってるんだよ。結局それは、千年前にできなかったことを今やろうとしてるだけじゃないか! 今はあいつらの時代じゃない! 俺達の時代なんだ! あいつらの言いなりになって、決める事じゃない!」

「……ち、違う。私は、私は、今の世界が間違ってると思うから、」

「思うから俺を巻き込んだのか!? こんなめちゃくちゃなことになって、それで、俺達以外の色んな人に迷惑かけて――ッ!」

 アリエッタを責めるのはお門違いだ。頭では分かってる。

 こいつが、難しいことをあれこれ考えて行動してないことぐらいは分かってる。

こんな風に責めたって、アリエッタの心を傷付けるだけだ。だけど――止まらない。

「もし誰かが死んだりしたら――責任もてんのかよ!?」

「――わたし、は」

「もういい。俺、あいつらの所に行く。結局、こうするのが一番良かったんだ。もし、セドやアリエッタの言っていることがほんとなら、俺達の話はここで終わる。誰も傷付かない、ハッピーエンドだ」

 俺が森を出ようと一歩足を踏み出した瞬間、街の方で動きがあった。

 六枚の翼を持つ竜が、徐々に高度を上げ始めたのだ。そして最後には、雲の中に、消えていった。後には、黒い竜に比べると小柄な、赤い何か――。

「赤い、竜……?」

「うそっ……」

 アリエッタは立ち上がり、そして、へなへなと崩れ落ちた。

「私に力をくれた、竜……。なんで、彼が今、ここにいるの……?」

 赤い竜は、けたたましい叫び声をあげた。それと同時に、陰った雲が、さらにどす黒くなっていく。そして、あっという間に音を立てて雨が降り出した。

 雷鳴も遠くで響くような、激しい雨。今までそんな気配はなかった。なら、これはあの竜が引き起こしているとでも言うのだろうか。

 だが、とりあえず黒い竜は去った。ネールの様子を見に行くためにも、一旦街に――。

「ネイト! あれ!」

 アリエッタが指差す方向を見てみると、雷光と共に赤い竜が街に向かって飛来していた。その周囲で激しく鳴り響く雷光は、容赦なく、街へと降り注ぐ。

「――なんだよ、それ」

 雷光が直撃したあたりからは、一瞬の間の後、巨大な火の手があがった。その後も、雷光は休む間もなく、街目がけて降り注いでいる。

「どうなってんだよこれ!」

「――ネール、どうして……?」

 俺達が雨に打たれている間も、休む間もなく、街に雷土が落ちる。それはまるで、人に下される神罰のような、悪夢のような光景だった。

 どうしようもない――そんな思いが脳裏を過ぎった次の瞬間、俺達のすぐ側で、凄まじい爆音が鳴った。そして次の瞬間、俺の身体は宙を舞っていた。


 濡れた地面に叩き付けられ、気持ち悪い感触と激痛が背中を走る。

「つっ……」

 なんとか歯を食いしばりながら立ち上がると、今度は雨の匂いに混じって、何かが焦げるような臭いがしていた。その臭いの出所は、すぐに見当が付いた。

「まずい――」

 凄まじい雷土で乾燥していた木々に火が点き、あっという間に燃え広がっている。いくら豪雨が降っているとはいっても、雨ではとても森が焼けるのを止めることは出来ない。

「アリエッタ! アリエッターッ!」

 返事がない。恐らく、俺と同じように吹き飛ばされたはずだ。

 だめだ、アリエッタを探している余裕はない。火の手はもうすぐそこまで来てる。

 このまま俺まで探しに行ったら、間違いなく――。

「ネイト!」

 野太い声と共に、いかにも重そうな足音がどんどん近付いてくる。

 俺が振り返るのとほぼ同時に、俺の身体は持ち上げられ、そのまま背中に乗せられていた。

「セド!」

「アリエッタは!?」

「わ、分からない。さっき、近くに雷が落ちて吹き飛ばされて……はぐれちゃったんだ!」

「チッ。この雨では鼻も効かん。ネイト、しっかり捕まっていろよ!」

 セドリックは足下のぬかるみや降りかかる火の粉をものともせず、森の深くへと入っていく。その途中、あちこちに真っ黒い、焦げたような跡が残っているのが目に入った。今も、豪雨と落雷は続いている。

「アリエッタ! 返事をしろ!」

 セドリックの雄叫びは、森の中にかき消えていくばかり。

「な、なぁ、セド、街は……」

「分からん。が、いい状況では無さそうだ。こっちの森の火の回りも早い。急いでアリエッタを見つけなければ……。くっ、せわしないな!」

 セドリックが突然移動したかと思えば、さっきのような轟音が鳴り響く。一瞬の閃光と、猛烈な熱気。セドリックは身を翻し、グルル、と喉を鳴らした。

「ま、直撃したら丸焼きだな。その時はたらふく食ってくれ」

「冗談じゃない……」

 背中に乗ってる俺も一緒に丸焼きなのは間違いない。いや、食えるほどの肉も残っているかどうか――消し炭にならなければいいが。

「ネイト、アリエッタとはぐれた場所は分からないか?」

「森の中なんてほとんど景色が変わらない。正直どうにも……」

「だろうな。あの竜は千年前にはお目にかかったことがない。新顔のようだ。しかしこの力は――やれやれ、千年も経つと次々化け物が現れるのだな」

「どうすりゃ、いいんだ?」

「どう、とは?」

 あいつがどんな目的を持って暴れているかは分からない。となると、俺達はこの災厄から逃れる術はあまりないように思える。倒すことはおろか、追い払うことも出来るかどうか――。

「俺やアリエッタでは、残念ながら竜には勝てん。人の身体を取っている内はまだなんとかなるが、こうなっては一方的な虐殺だ。ま、手がないわけではないがな」

「それ、どういう――」

「話は後だ。アリエッタを探すぞ! アリエッタ! どこだ、返事をしろ!」

 かれこれ十五分は探しているだろうか。一向にアリエッタは見つからない。雨や雷は収まることを知らない。それどころかどんどん強くなっていく。

 身体もだんだん、冷え切ってきた。吐く息が白くて、俺は我が目を疑った。

「冷えるか?」

「……かなり。氷みたいな雨だ」

「これは、自然的な雨ではない。竜術によって生み出された雷雲から降り注ぐ、人為的……というのが正解かどうかは分からんが、ともかく、そういうものであるな。雷の威力と容赦なさを見るに、この雨も俺達を追い詰めるためのものだろう――なっ!?」

「うわあっ!」

 セドリックは空中でぐるりと華麗に一回転し、火の点いた木の枝を避けた。

「ぬう――」

 セドリックが一息吐いた瞬間、カッと、視界が真っ白になった。

 やばい――と思った時には、俺達は丸焦げになっているのだろう。なんてあっさり、簡単に、走馬燈が見えてくると思ったのに、いつまで経っても走馬燈は過ぎらない。そんな間もなく消し飛ばされたのかと思ったら、そういうわけではないらしい。

 雷光は、引き裂かれていた。

 心臓の動悸が激しい。多分、今俺が使ったのはあの力だ。

「……助かったよ、ネイト」

 俺達の頭上には、薄赤色のドームができていた。

 稲妻は四方に拡散し、ひとまず事なきを得ることができたようだ。

「また、助けられたな」

「……俺だって死にたくないさ」

 少なくとも、本当のことを見定めるまでは。

「それも、そうか。――アリエッタ!」

 セドリックは大きな木の陰の方に飛んだ。よく見ると、アリエッタの細い足が見えている。回り込むと、やっぱり、アリエッタが地面に倒れていた。顔は泥だらけで、眠るように目を閉じている。

「――生きてるよな?」

「落雷が直撃したら、こんな綺麗ではいられないさ。気絶しているだけだろう。よし、さっさとずらかるぞ。この森の中では、命がいくつあっても足らん」

 セドリックは口で器用にアリエッタを持ち上げて、俺の方によこした。俺は慎重に両手で受け取り、抱きかかえる。

「待ってくれよ、街の方は……」

「今の俺達が行っても、何もできん。普通の人間でも身を守ることぐらいはできるはずだ。あの竜の暴れようにもよるが、な」

 落雷と豪雨の音の合間に、竜の甲高い咆哮が響いている。

 アリエッタは最後の一瞬、あの竜を彼と呼んでいた。そういえば、アリエッタが力をもらったのは赤い竜からだと言っていた。しかし、アリエッタの話とあの竜の行いは、どうにもダブらない。まるで別人だ。

 俺の腕の中で、アリエッタは眠るように目を閉じている。アリエッタは俺が向けた罵詈雑言を、どう受け止めているんだろう。

 ――間違ったことを言ったとは思ってない。思ってないけど、さっきセドリックを守ったように、アリエッタを守ることも出来たはず。でも、俺はしなかった。できなかった。

「……どうしようもねぇや」

 情けないったらありゃしない。俺は力の使い方一つ決められない。俺が決めなかったことで、周りのみんなが傷付いていく。

「まだ、諦めるには早いぞ」

 セドリックは真正面だけを見て、続けた。

「俺が、お前を連れて行ってやる」

 パキパキ、と、焼けた枝が折れる音と、それを掻き消す雨の音、そして、落雷の爆音が轟く中を、セドリックは全速力で駆け出した。

 巨木が倒れようが、燃えた木の葉の塊が落ちてこようが、セドリックは速さを緩めない。叩き付ける雨は一層強くなり、痛いぐらいだが、セドリックは走り続けた。進んだ先に、雷土が落ちるかもしれない。当てればひとたまりもない。それでも、セドリックは走り続けた。セドリックは信じている。落ちても、俺が防いでくれると。そして、その俺をあの場所へと連れて行こうとしている。

 千年前の英雄が待つ、あの岩場へ。

 俺に何をやらせようとしているのか、それが分からないほど馬鹿じゃない。

 でも俺は何も言えなかった。

 ――街の方へ散々降り注ぐ雷土を見ていたら、ちっぽけな俺でも何かしたいと思ったから。皆ができることがあるというのなら、俺はそれをしなければならないと思ったから。

 この災厄の中心にあるのは俺だということが、ようやく、分かった。


 岩場の中までは、さすがに雷は落ちていないようだった。以前ネールがぶち開けた大穴からは雨が侵入しているようだったが、目立った影響はそれだけ。中は一層ひんやりとしていたが、雨に直接打たれるよりはいくらかマシだ。

「セド、ありがとな」

 セドリックの身体はボロボロだった。足の辺りには木の枝やらできたのだろう切り傷があったし、火傷もあちこちある。自慢のたてがみはすっかり雨に濡れて、情けない格好を晒していた。

「お前達が無事ならば、それでいい。――これも全て、俺達のツケなのだ。千年前に終わらせなかった、我らのツケだ。これしきの痛みで、泣き言は言っておれんよ」

 それでも、セドリックの足取りは弱々しい。アリエッタも、未だに目を覚まさない。

「――俺、さ」

「ん?」

「なんか、勘違いしてた」

 何を勘違いしてたのか、いまいち言葉にはできないけど。

 俺は巻き込まれたんじゃない。俺という存在が、みんなを、このめちゃくちゃな状況に巻き込んだんだ。それだけは間違いない。

 全部、俺のせいだ。俺がいたから、みんなは傷付いて、街の人達まで傷付いて、事態はずっと悪くなっていく。俺が何かを決断しない限り、ずっと続く。

「俺はもっと、もっと早く、色々なことを知ろうとしなきゃいけなかったんだ。知っていればきっと、何かが変わっていたかもしれない」

「――俺達が勝っていれば、という仮定と同じだよ、それは。できなかった選択を今更悔いたところで、何かが変わることはない。何かを変えるには、今を選択しなければならん」

「分かってる。――だから、ここまで連れてきてくれたんだろ」

「……すまんな」

 もう、逃げるわけにはいかない。

 俺は一歩、奥へと足を踏み出した。


 アリエッタをセドリックに預けて、俺は、ウィクトーリアの前に立った。

『よう末裔。ずいぶんと、暗い顔をしてるじゃないか』

「あんたは、俺に何をさせたいんだ」

 ウィクトーリアは――トレイン・ハートライトは、ふふっ、とキザに笑った。

『戦え』

 要求は、実にシンプル。

「戦って、どうなる?」

『外の様子は、ここからでも少しは分かる。――少なくとも、あの破壊は止められる。お前と俺の力があればな』

「竜と戦って、それから?」

『それからの話は、生き残ってからすればいい。保証のない仮定など、無意味だ。そんなことを、俺に言いに来たのか?』

「俺は、千年前とかハートライトとか竜とかどうでもいい。今、あそこで暴れてる奴を止められれば、それでいい」

『別に、それでも構わないさ。結局お前は、今こうして俺の前に立っているように、選択する。俺に乗らなければならないことが、乗ってみれば嫌ってほど分かるさ。お前はそういう奴だ。俺とそっくりなお前は、必ず、自分の居場所が空にあることを思い知る』

「俺とあんたは違う」

『そう思っていればいい。で、どうすんだ? さっさと決めてくれ。守るものもないんじゃ、モチベーションに関わってくる』

 なんて、ふざけた奴。

「――一つだけ聞かせてくれ。どうして、俺なんだ?」

『お前が俺だからさ』

 まともに答えるつもりがないのか、はたまた大真面目なのか。表情一つ分からないから、判断しかねる。そもそも、俺に残された道は一つだけ。竜の前ではなく、こいつの前に立った時に俺の道は決まってる。

「乗せろよ、俺を。でも、俺、あんたの動かし方なんて分からないぞ」

『安心しろ。ある程度は俺がサポートしてやる』

 ウィクトーリアがその場で膝を突く。すると、胸の辺りが左右に開き、中からロープのようなものが垂れてきた。

『そいつに掴まれ』

 言われるがままに、ロープを掴む。すると、ロープは音を立てて上昇を始めた。

 ウィクトーリアの中は、真っ暗だった。その中へ、俺はどんどん引き込まれていく。

 ロープが巻き取られ、俺は恐る恐る、手を離して、ウィクトーリアに降り立った。中は、どこまでも広がっているかのような、黒一色。唯一の光源だった外の光も、胸部が閉じられ、遮られる。真っ暗な空間に沈黙が続くにつれ、だんだん、不安が大きくなってくる。

『神骸機とは、千年前人類の前に現れた戦闘兵器だ。竜の強大な力に対抗しうる唯一の術。こいつを御す上でもっとも必要なことは、知識でも経験でもない。そりゃあるに越したことはないが、重要じゃあない』

「じゃ、何が必要なんだ?」

『心だよ。この神骸機という兵器は、人の形をしている。だが、中身がないんだ。だから、こいつは一人で動くことが出来ない。こいつを完全な形にするためには、俺達人間が必要になる。だが、ただの人間じゃ神骸機は応えない。強い、強い心を持った人間。それを内に秘めることで、神骸機は初めて兵器になれる。――さあ、ネイト。お前の心を、見せてもらおうか』

 人間の心臓が鼓動するように、ウィクトーリアが鳴動する。

 ブオン、という重低音が響き、真っ暗な空間に、青い光が灯る。

『起動はしたか。だが――さすがに、ダメージがでかいな。どこまでやれるか……』

「――かなりやばい?」

『非常にやばい。ま、細かい機体動作は俺の管轄だ。お前が気にする事じゃない。無理矢理にでも動かしてやる。問題はお前の心だ。お前は、戦えるか? 後先考えず、こいつの刃を振るえるか?』

「そんなこと、言ってたってしょうがないだろ。ここで、こいつを動かせるのは誰だ?」

『ま、悪くない答えだ。満点じゃないが、及第点かな。今はそれでもいいさ。行くぞ、ネイト。お前に空を見せてやる』

「ちょ、ちょっと待てよ! 俺、俺はどうすりゃ――」

『戦うという意志を失うな。後は俺とこいつが助けてやる』

 戦うという意志を失わないこと――今の俺にとっては、もしかしたら一番難しいかもしれない。俺は戦いに行くのではなく、あの竜の攻撃を止めに行きたいだけだ。

『――それでは、行こうか』

 ウィクトーリアが、起動する。俺という心臓を得て、千年前の英雄が再び、空へと還る。



 セドリックは未だ目の覚めないアリエッタを背に乗せながら、ネイトの姿を待っていた。しかし、彼の前に姿を現したのは――巨大な白銀であった。

 ウィクトーリアは健在の右腕で剣を引きずるようにしながら、洞窟を破壊して現れた。

「豪快なご登場だな」

 背後の洞窟が完全に崩落するのを見ながら、セドリックは呆れ顔で言った。

『中にしまうのはともかく、出す時のことまでは考えてなかったようだな。ま、無理矢理やりゃ出れるし、よしとしよう。おあつらえ向きの穴もあるしな』

「……ネイトの方は?」

『最初からこいつを動かせるんだから上出来だ。それに、オペレーションは俺が補助できる。戦うことはできるだろう――多分な』

「勝てるとは言わないんだな」

 トレインは、しばらくの間答えなかった。

 その沈黙に、セドリックは違和感を覚えた。

「……すまない。行ってくれ。また俺はお前を見ていることしかできないようだ」

『前線に出てこられる方が迷惑だ。――飛ぶぞネイト。舌噛むなよっ!』

 ネールがかつてぶち開けた大穴から、ウィクトーリアは背のブースタを吹かせて飛び上がった。あっという間に、セドリックの視界からウィクトーリアの姿は消える。

「これでは、結果は変わらん……」

 セドリックは愁いを帯びた瞳で、つぶやいた。

「誰か一人に全ての責任を負わせていては、何も変わらん。そもそもウィクトーリアは手負い。乗っているのもトレインではない。この状況で、果たして勝てるのか……?」

 セドリックの不安は尽きない。ただ一方で、如何に気を揉んだところで、手負いのウィクトーリアにすがるしかないこともよく分かっていた。そして、この姿がかつてと何ら変わっていないことも、よく分かっていた。


 ウィクトーリアが飛翔した。暗雲たれ込める空に、白銀の騎士が現れたことは、すぐに赤い竜の視界にも入った。ウィクトーリアを一瞥し、そして赤い竜は、翼を広げ咆哮した。

 トレインは、内のネイトに語りかけた。

『俺達の時代から、奴らの意思表示の一つとして、翼を広げることがあった。翼を広げることは即ち、自らの存在を誇示することだ。互いが存在を誇示するならば、どちらかが、その存在を排除しなければならない。竜の習性みたいなもんさ。それを利用するために、神骸機には翼が備え付けられている』

「ケンカを売ってるんだから買えってことか」

『そういうこったな。ま、残念ながら今のウィクトーリアには広げる翼がない。アレ結構動力使うんだよな。カツカツ運転じゃかっこも付けられないってね』

「あの、ずっとわかんなかったんだけど、あんたって、これの中に入ってるとか、えっと……」

『今のお前に理解させるのは骨が折れそうだ。――与太話してる場合じゃないな。来るぞ!』

 無数の雷光と共に、赤い竜がウィクトーリアに向かって飛来する。ウィクトーリアは咄嗟に剣を掲げ、突撃を防いだ。片腕しかないウィクトーリアは、空中で大きくバランスを崩す。

 その隙を見逃さず、竜は空中で一回転し、棘だらけの尻尾をウィクトーリア目がけて叩き付けた。

 グシャ、と鈍い音がして、ウィクトーリアは叩き付けられる。

 ウィクトーリアの前面の各部に配されたブースタが点火し、地面に直撃する寸前で態勢を立て直した。だが、その一つ一つの挙動が、明らかにぎくしゃくしている。

 それどころか――噴出した蒼い光は一瞬でかき消え、ウィクトーリアは無様に墜落した。

 千年ぶりの実戦ということもあるだろう。未だに神骸機という存在に慣れないネイトが操縦の主導権を握っているということもある。如何にトレイン・ハートライトという希代の英雄の知識や能力が機体の根底に補助機能として組み込まれているとしても、限界があった。

 ウィクトーリアに、余力はほとんど残っていない。

 もはや空を舞うことも叶わず、二本の足で大地に立ち、剣を構えた。

『まずいな――まさかここまで……』

 赤い竜はあっという間に肉薄し、再び一回転の構えを取った。咄嗟にウィクトーリアは右腕部を庇うように機体の左側を竜に向けたが、竜のそれからの動きは違った。

「消えた!?」

 機体内部のネイトの感覚は、右側に急旋回したことで、まさしく竜が消えたように感じていただろう。

 竜は、動きを読んでいた(・・・・・)。

 ウィクトーリアの右旋回に対し、竜は左旋回で応じた。燃料不足からの瞬発力の鈍さも要因の一つではあったが、その判断の速度は、単純な瞬発力の差で片付けられるものではなかった。

 竜が右の拳を構える。右でしか防御行動のとれないウィクトーリアにとって、左は斬られようが焼かれようが殴られようが、ただのダメージでしかないが、それでもダメージはダメージである。

 竜の拳がウィクトーリアの左脇腹に突き刺さり、猛烈な勢いで吹き飛ぶ。

『チッ……。致命的じゃない致命傷だな』

 トレインの声には少しだけノイズが混じっていた。竜の拳にまとわりついた強烈な雷光は、ウィクトーリアの内部に相当な干渉を与えていた。

「それ、笑うとこ?」

『人生最後かもしれないから、笑っとけ!』

 態勢を立て直したウィクトーリアは剣を突き付け、竜に向かって突進した。

 現在のウィクトーリア渾身の一撃である。それを、竜は片手で簡単に、受け止めた。

「ヌルいぜ……」

 竜は確かに、そう吐き捨てた。

 竜は自らの手が傷付くのも厭わず、剣ごと、ウィクトーリアの身体を投げ飛ばした。

 ウィクトーリアの身体は呆気なく、ネイトが登った街の坂の辺りにまで飛ばされる。ウィクトーリアの巨体は街並みをなぎ払い、痛々しい痕跡をハイグランドに刻みつける。唯一の幸いは、住民達は揃って巫女の城に逃げ込んでいることであった。

 輝きもくすみ、左腕を失い、満身創痍でありながら、それでもウィクトーリアは剣を構える。

『――怖いか?』

 トレインは、内にいるネイトに問いかけた。

「これで怖がらない強心臓の奴がいたら怖いよ」

『――いい答えだ!』

 まだ、ネイトの心は折れていない。対して、赤い竜は不気味なほど静かに、構えていた。

「――見違えたな、ウィクトーリア。悪い意味で」

 竜は毒のこもった言葉をウィクトーリアへ投げかける。

 そこで、ウィクトーリアは攻め手を止めた。

 内にあるネイトは戸惑うばかり。――しかし、その戸惑いはすぐに、驚愕へと変わった。

『それはこっちの台詞だ、ライトニング。人間、何人殺した?』

「さぁ。俺は俺のやるべき事をしてるだけさ。俺の役目は、てめえの中にいるネイトを連れ戻すこと。その為にはいくら犠牲を払ってもいいっていう、盟主のお達しがあるんでねぇ!」

 牽制するように、城の周囲に無数の落雷が起こる。

 その悪辣な手段に、トレインは声を荒げた。

『千年で根っこまで腐ったかライトニング!』

「待てよトレイン! どういうことだよ、ライトニングって!?」

 ネイトの悲痛な叫びが、響いた。

『――そのままの意味だ、ネイト』

 トレインは冷静に、答えた。

 そのトレインの言葉に全てを悟ったライトニングは、笑みを浮かべて言った。

「トレイン、俺とネイトに話をさせろ。おっと、拒否はなしだぜ相棒。ウィクトーリアはともかく、あの城ぐらい、数回雷を落とせばそれで終わりだ。中の人間は全員蒸し焼きだな」

『下衆が――』

 しかし、トレインには拒絶することが出来なかった。人質をとられているから、というより、ネイトに折り合いを付けさせる必要があったのだ。

 神骸機は心の鏡。ふらついた心のままでは、戦うこともままならない。

『ネイト。今から、外にお前の声を繋ぐ。良い機会だ。奴に聞けること、全部聞いておけ』

「……分かった」

 ウィクトーリアの中で、ネイトは小さく息を吸って、それから、ライトニングに語りかけた。

「お前は、本当にライトニングなのか?」

「ええ、そうですよ。ネイト坊ちゃん」

 ウィクトーリアが、揺らいだ。

 思えば片手で刃を止められた時、ネイトは懐かしい感じを覚えていた。疑念は確信に変わり、確信はネイトの心を揺さぶった。

『気を確かに持て、ネイト!』

「なんで……なんで、今までずっと、父さんもお前も黙ってたんだよ!? どうして俺に、言ってくれなかったんだ!? 俺は、みんなが竜だろうとなんだろうと、なんにも気にしないのに! どうして――」

「綺麗事を言うな。お前は今、俺の姿を見て恐れている。違うか? しょせん、てめえは人間なんだ。俺達竜と相容れることはできない。だから盟主は十五年間ずっと隠し通してきた。お前がママのおっぱいででかくなるような頃からな。だが、お前が十五になって、盟主は決めた。お前が俺達の真実を突き付けても、揺るがないような強さを身に着けているのなら、俺達の正体を、世界に起きたことを、お前に伝えようってな。だが、お前はどうしようもない奴だった。だから、俺達は伝えなかった。それだけのことさ」

「そん、な……」

 ウィクトーリアが、崩れる。

『…………………』

 トレインは黙りこくっていた。

 ライトニングは一人、狂信的な光に瞳を輝かせて、続ける。

「だが、盟主はお前に伝えることにした。お優しいからな。その矢先に、奴らが現れた。お前は略取され、俺達からは厄介事の種が一つ無くなった。と思ったのも束の間、盟主はこんな大それた真似までして、お前を助け出すことを決めた。――ははははっ、よくもまぁ、他人の子に、それも俺達の宿敵の末裔に、そこまで世話を焼けるよなあ! 笑えてくるぜ!」

『――やめろ』

「……魂だけの、いや、魂すらも捨て去ったてめえに何ができる、トレイン・ハートライト! そんな片腕だけのウィクトーリアで、この紫電雷光のライトニングを討てるとでも思ったか!」

『なんでそこまで、ネイトの思いを踏みにじる? ネイトはお前達のことを信じているんだ、今も。それが分からないお前じゃないだろう!?』

「分かりませんねぇ、人間の考えることは。俺達と人間は、違う。いくら長い間付き合ってこようが、絶対に相容れることはない。それが俺の、ネイト坊ちゃんと過ごした時間の結論だ。――分かったらネイト、とっとと降りろ。盟主の元にお前を連れ帰らなければならん。いやなに、途中でぽろっと落としたいぐらいだが、城まではちゃんと連れて行ってやるよ」

『悪いが、ネイトは渡さない。――これではっきりした。ああ、嫌ってほどはっきりしたさ! 信じた俺が馬鹿だった! てめえらは一匹残らず、この世界から駆逐してやる――』

 だが、トレインの絶叫にウィクトーリアが答えることはなかった。剣はその手から落ち、ウィクトーリアは、膝を突いた。

「――人間の心がなければ動かないなんて、兵器としてみりゃ最悪の部類だな」

『人の心も忘れたら、兵器はただの兵器なんだよ』

 無様に落ちたウィクトーリアから、トレインの負け惜しみが木霊した。

「俺達を本気で殺したいなら、てめえらは人の心なんて捨てるべきだったんだよ。お前もそうだ、トレイン。そうやって未練がましく世界にしがみつくから、また人間は繰り返す。よく見てろ、ネイト、トレイン。お前らの無力さを。――焼き払え、紫電雷光(ヴァイオレットヴォルテックス)!」

 一際強い雷土が、曇天から降り注ぐ。ハイグランドの全てが、灰燼に帰そうとしていた。



 もう、どうにでもなればいい。

 ライトニングの本音は、あまりにも痛かった。あいつからあんな言葉を向けられるなんて、想像もしてなかった。もう、どうでもいい。勝手にしてくれ。

「のう、若人よ」

 いつかのあの老いた竜の声が、ウィクトーリアの中に響く。

「久しいの。しばらく見ないうちに、ずいぶんと――センチになったかの?」

「……あんたは、一体なんなんだ?」

「ほっほっほ、同じようなことを聞くんじゃな。世界から用済みになった老人。それ以外の何者でもあらぬ。――それにしても、若人よ。若人はずいぶんと、迷っているようじゃな。いや、もはや迷いですらないか。全てを諦めたい。捨てたい――そんなところか」

「……あんたは、竜?」

 竜なのは分かってる。だけど、こいつはどこか――違う気がする。

 さよう、そんな声が響いた。

「我は竜であり、竜ではない。かつて竜であったが、今は違う。そんなところかの。便宜上、かつての姿をとっているだけであり、この姿には何ら意味はない。それどころか、姿というもの自体に、そこまで深い意味はないのだよ。世界もまた同じ。世界という姿に深い意味はないのだ。世界は、世界でしかないのだから」

「世界って、なんだよ?」

「いつかの問いじゃな。――世界を俯瞰的に見られる権利は、それこそ神以外には許されておらぬ。故に、その問いに精確な答えを出せるのは神のみじゃ。我は残念ながら、神ではない。ただの老人じゃ。故に、我は経験から答えを出そう。そしてその答えは、かつておぬしが出した答えと同じもの。世界は世界でしかない。世界の真の姿などと、誰の目にも明らかな形にしようとすることなどできんのだ。生きとし生けるものもまた同じ。竜の姿も人の姿も、仮初めの姿でしかない。その内に宿す、ネイト・ハートライトという魂が、ダーインスレイヴという魂が、ライトニングという魂が、それぞれの繋がりを持つことにより、初めて人や竜となる。人や竜となった途端、繋がりは断ち切れてしまうがね。本来、種族などというものは繋がりを断つにはとても足らぬ、なまくらであるのに――悲しいことだ。魂では――いや、心では繋がり合うことができるというに」

「何が、言いたいんだ?」

 竜の優しい瞳が、あの時と同じように降りてきた。二つの瞳は俺を見据え、口元がにゅっと、笑った。

「しかし、我とおぬしは繋がり合うことができている。こうして友として、対等に話し合うことができている。これは実に、単純なことなのだよ」

「……はあ?」

「心の繋がりこそが、世界であると我は思う。ただ一人と一人の繋がりでも、それは立派な世界なのだ。忘れてはならぬ。一人だけでは世界は作れん。しかし、誰かがいれば世界は作れる。無数の心の繋がりでなりたつものこそが真の世界。世界は、そんな世界でなければならぬ。人と人、竜と竜だけではなく、人と竜の繋がりもあってこそ、世界は世界であると思うのだよ」

 この竜は――一体、何者なんだ?

「ネイトよ。かつての不始末とは、我の友を一人にしてしまったことなのだ。我はあまりに、友のことをよく理解しておらなんだ。我の不始末は、到底許されるものではない。だからこそ、我はおぬしに頼む他ないのだ。かの暗黒竜、闇を統べる竜の盟主、ダーインスレイヴを救ってくれ。おぬしならば、できる。竜を知り、そして人を知った今のおぬしなら、できる」

 俺にはできやしない。俺には、力がない。

「力なら、あるではないか。友を守ったおぬしの力――断ち切る力が。それこそが心の本質。竜達が操る術に他ならぬ」

 あの、赤い壁のことを言っているのか?

 竜は、その通りと頷いたような気がした。

「術――人が呼ぶのは竜術か。竜術は心の本質の証明に他ならぬ。竜達は人間より遙かに心に忠実なのだ。故に、人の想像にも及ばぬ超常の力を振るうことができる。だがそれは、竜にだけ許された権利ではない。おぬし達人間にも心は備わっているのだから、おぬしが振るえぬ道理はない」

「その、俺の竜術を使えってこと……か?」

「いかにも。そして、おぬしの竜術を最大限に発揮する、人を越えた容れ物がある。白銀の騎士、ウィクトーリア。その過去を断ち切り、再びこの地に、蒼翼を羽ばたかせるのだ。おぬしはウィクトーリアの心となり、神骸機を、真なる存在に昇華させるのだ」

「そうやって戦えば、守れるか?」

「望むならば、全ての悪意をおぬしのハーツは断ち切るであろう。――すまんな、ネイト。おぬしは我の唯一にして、最後の希望なのだ。酷な願いであろうとは思う。だが、頼む。世界が世界であるために、希望は最後まで、希望であってくれ」

 俺の心は、何を願ってる?

 俺はもう、しなかったことに後悔したくない。城で何もしようとしなかったこと。うだうだ悩みながら、アリエッタと一緒にいたこと。アリエッタを守ろうとしなかったこと。

 全部、俺がやらなきゃならないこと、俺自身で決めなきゃならないことだ。

 俺はもう、それに背を向けたくない――。

「なんでもいい。俺は、俺にしかできないことをしたい! それがこの力を使って守ることだっていうのなら、俺はそれをやる!」

 答えは、なかった。竜の気配は消えていた。だけど、その言葉は、俺の中に生きている。

 ――とりあえずまずは、ライトニングを思いっきりぶん殴るッ!



 ライトニングの雷撃は、全て赤い障壁に遮られ、空の彼方へと弾き飛ばされていった。

「なっ……」

 あの一撃は、そう簡単に防げる一撃ではない。そもそも、このような障壁の使い手がこのハイグランドに実在しているはずがない――いや、ライトニングは一人だけ、障壁の使い手を知っていた。しかし、彼の力にそれほどまでの練度はない。

「……なんだよ、これ」

 ライトニングは今目の前で起きていることに、驚愕を禁じ得なかった。

 曇天を切り裂く、空いっぱいに広がった、蒼い翼。地に落ちたはずのウィクトーリアは、大空高く、陽炎を漂わせながら、二本の剣と共に天空に君臨していた。

 かつてダーインスレイヴに握り潰された左腕は再生し、千年の間に傷付いた機体は、往時の輝きを取り戻していた。

 蒼い翼をいっぱいに広げたウィクトーリアは対の剣の一つを突き付け、ネイトの声で、宣戦を告げる。

「2922戦目――始めるぞ、ライトニング!」

「ハハッ……そりゃ、あのダーインスレイヴが囲い込むわけだ――」

 ウィクトーリアは蒼い残像と共に、ライトニングへ瞬時に肉薄する。

「だが――こっちもただでやられるわけにはいかねぇんだ!」

 ウィクトーリアの一撃をライトニングの雷撃が防ぐ――が、その雷撃は呆気なく、真っ二つに引き裂かれた。

 身のこなしは、先ほどまでとあまりに違う。何よりも、一太刀の後に、返す刃がある。

 素早い連撃を、ライトニングは空中で回転し、躱した。カウンターで尻尾の一撃を狙うが、既にそこには、ウィクトーリアの残像が残るのみ。

「千年前より速い!?」

『当たり前だろ。誰がこいつの駆動系を制御してると思ってる』

 響くのは、トレイン・ハートライトの声。

「上――ッ!」

 ライトニングは空中で雷撃をスパークさせ、その衝撃で大きく飛び退いた。その頭上、雲の中から、ウィクトーリアが風を切って飛来する。

 ウィクトーリアの刃は空を切る。だが、それで手を止めることはなかった。ウィクトーリアは後退するライトニング目がけて、剣を投げつける。

『そして――』

 飛来する剣を辛くも上半身を反らして躱す。

 空で、無駄な動きをしている暇はない。今のウィクトーリアの速さは、神速と謳われるライトニングを遙かに上回っていた。

 上半身を逸らす間に、再びその姿は視界から完全に消えていた。

『今のこいつには、あの時の俺よりもずっと上の、バケモンが乗ってるんだ』

 ウィクトーリアは消えていたのではない。

 投げた剣よりも速く移動し、飛来する剣の柄を逆手で握り、ライトニングに振り下ろそうとしていた。

「ッ――弾けろッ!」

 ライトニングは自らに被弾するのも構わず、至近距離で雷撃を拡散させた。

 ウィクトーリアは軽やかに空を舞い、捨て身の一撃すらをも躱す。

 地にクロス状に刻まれる剣戟を躱しながら、ライトニングは荒く息を吐いた。

「何をした、トレイン」

『さぁ、正直何が起こったかは俺にも分からん。ただ一つ言えることは、全部こいつのお陰ってことだ』

「ネイトの力、か。――そんなやばい力、放置するわけにはいかねぇな」

『威勢のいいことだが――勝てるかな!?』

「ハンッ、速度で勝っているというのなら、まずはその動きを止めねぇとなぁ!」

 ライトニングは手の平の上に雷球を作り、ウィクトーリアではなく、城に向けて放った。

 狡猾な攻撃である。しかし、想定を越えた攻撃ではなかった。雷球はウィクトーリアが放った剣に引き裂かれ、ライトニングの眼前にウィクトーリア本体が現れる。

「なんつー……」

 神骸機の力は本人の資質に依るところが大きい。ライトニングはネイトの力を、誰よりもよく知っていた。そのネイトの姿と、今、眼前で空を駆けるウィクトーリアの姿は、全くと言っていいほど、被らなかった。

 ただ一点、

「やっぱり、お前は変わらねぇなぁ……」

 ウィクトーリアは振り返らない。ただ前を見て、猪突する。片手で捌くことができた、あの頃とはまるで違う。今ここにあるウィクトーリアは、ライトニングの全身全霊を持って当たらなければ、勝つことはままならない相手であった。

「――あぁそうさ、俺は、この瞬間を待っていたッ!」

 紫電が、ライトニングにまとわりつく。翼の一端まで身体を覆い尽くした紫電は、攻防一体の究極の技。

 雷光を直接身にまとうこの姿こそ、ライトニングの最後の切り札。その翼の羽ばたきは雷鳴を引き起こし、その右腕の一撃は世界をも照らす閃光を放つ。尾は地を裂き、咆哮は暴風雨を呼び寄せる。かの竜の盟主がライトニングを自らの右腕としたのには、相応の理由がある。

「来いよネイト! 今までと同じように、今日もてめぇを負かしてやる!」

 剣は一本しかない。それさえ落とせば、ライトニングの勝利は近付く。故にライトニングは、それだけを狙っていた。素手でのインファイトであれば、ライトニングに圧倒的な有利が付く。

 ライトニングは尻尾でウィクトーリアの腕部を狙った。狙い通り、ウィクトーリアは剣でそれを防ぎにいった。その瞬間、ライトニングは尻尾をしならせ、剣の刀身に巻き付けた。

『おいネイト!』

 ウィクトーリアはあっさり剣を手放した。ライトニングは剣を自らの後方に放り投げ、ウィクトーリアの動きを警戒する。

(……なぜあっさり剣を捨てた?)

 空に佇むウィクトーリアの姿が、ライトニングにはあまりに不気味だった。まだ何か、隠し球があるのではないか。疑心暗鬼は躊躇に繋がり、攻め手を緩ませる。

 あるいは、即追撃していれば、まだライトニングに勝機はあったかもしれない。

 この瞬間を逃したことが、彼に限りなく敗北を近付けた。

 ウィクトーリアが、鳴動する。

「なっ――」

 蒼翼はそれに共鳴し、一層大きく、自らの存在を誇示してみせる。そして、空の両手には、

「蒼い、剣――」

 蒼い炎を揺らめかす、対の剣が握られていた。

 ウィクトーリアは対の剣を一とし、天高く掲げた。

 暗き世界を、蒼い剣が照らし出す。それはまさしく、狼煙であった。

「――こいつで、」

 蒼い残像と共に、蒼炎が、迫る。

 一閃を、ライトニングは為す術無く、その身体に受け止めた。

「一勝目だ……!」

 ウィクトーリアの、蒼翼が消える。

 ライトニングはそのまま、ハイグランドの樹海に墜ちていった。



 ウィクトーリアをライトニングの近くに下ろして、俺は思わず、ため息を吐いた。

『よくやった』

 トレインのねぎらいの言葉に、一つ頷く。

「なんとかなって、よかった」

『……何をしたか聞くのは、あいつに聞いた方が早そうだな。下ろすぞ』

 胸部が開いて、俺は飛び降りた。息が詰まるような神骸機の中とは打って変わって、雨の残り香を含んだ外の空気は、美味い。

 それにしても、神骸機の操作というのは意外と、というか、かなり直感的だった。意志を込めれば、こいつは思い通りに動いてくれる。それこそまるで、生き物のような――。

「……お優しい限りだ」

 背中にかけられた声に、びくつきながら振り返る。

「俺は、殺すためにこいつに乗ったわけじゃない」

 ライトニングの胸には、斜めに直線の傷が刻まれていた。

 血だまりがどんどん出来ていくが、多分、致命傷じゃない。

「……本当に、お優しい限りだ。久しぶりだな、トレイン」

『そうだな。なんであんなことをしたのか、聞かせてもらおうか。できれば、ネイトのことも。お前は知ってるんだろう? こいつの秘密の全てを。その為に、ダーインスレイヴの元にいた。違うか?』

「――バカヤロウ。色々あったんだよ。そんなに単純な話じゃねぇ」

「……知り合い?」

 ライトニングとトレインが、知り合い?

 そういえば戦闘中も、やけに互いを見知ったような感じはしていたけど――。

『千年前の腐れ縁さ。――こいつは千年前、人間の側に立った竜の数少ない生き残りだ。そして、千年前の戦争が終わったあと、ダーインスレイヴの監視のために、奴の側にいた。今日の日を迎えるために、な』

「は……?」

 それじゃまるで、ライトニングは味方だった――そんな言い草じゃないか。

『こいつは――』

「やめろトレイン。今更躊躇わせて、どうする。――ネイト、お前の力について伝えておく」

「待てよ、俺が聞きたいのはそんなことじゃない! 何を言おうとしたんだよ!」

 ライトニングの側に、歩み寄る。金色の瞳は見開かれたまま、俺をじっと見据えていた。

「お前の力の正体を知っているのは、ダーインスレイヴだけだ。俺が知っていることは、お前の力を、ダーインスレイヴが畏れていること。そして、畏れているからこそ、お前を自分の息子として育て上げた。ネイト、お前なら――」

「そうじゃねぇ! 俺の質問に答えろよ、ライトニング! お前は、どうして俺にあんなこと、言ったんだよ! おかしいじゃねぇか、だって、お前は――」

『……ああしなければ、お前は本気で戦えなかっただろう?』

「トレイン!」

 ライトニングが、トレインを咎めた。

「いいんだ、続けてくれよ、トレイン」

『……神骸機には、人の心が必要だと言ったな。それともう一つ、必要なものがある。それは、燃料だ。何を動かすにも燃料ってものは必要になる。ただ、こいつを動かすには、特殊な燃料が必要なんだ。竜の血肉。それがなければ、神骸機は動かない。そしてこのウィクトーリアには、もうほとんど余力がない。それは千年前にも分かってたことだった。ほとんどの神骸機が墜ち、もはや竜一体を倒すことも、ままならなかった。そこで、人類は――』

「ライトニングに、命を差し出せって……?」

 それで、どうにかなるのか。たった一機、ウィクトーリアしか残っていない状況で、戦況をひっくり返す事なんて、可能だったのか。いや、そんなわけがない。無茶苦茶な話だ。

 それじゃ、ライトニングに無駄死にしろって言っているようなものじゃないか。

『そうだ。ライトニングに、人類は死ねと言った。これまで必死に人類に力を貸してくれていたこいつに、死ねと。俺は拒否した。そして、一人でダーインスレイヴに挑んで、このザマだ』

「俺は、お前に死ねって言った覚えもない」

 ライトニングの言葉には、明らかに嘆きが込められていた。長い付き合いだ、それぐらいは分かる。

『……最初から死ぬ気だったからな。お前に言われるまでもない。ただ、お前という友達を、死なせたくなかっただけだ。だが、こいつは俺の言うことを聞かなかったようだ。ダーインスレイヴの元に潜伏し、お前を奪う計画を立てた』

「えっ……?」

「……人間の側に付いていた竜が、奴らに信用されるには千年近くかかった。ようやく信用されたと思ったら、今度はお前を奴らに引き渡したんじゃないかって疑われる始末だ。ま、そっちは正解だったけどな……。俺はあのあと、お前を気絶させて、あいつらに渡した。そして、あいつらを城の外に出して、騒ぎが起きている間に、ここに連れてきた。――本当はもう少し、スマートにやるつもりだったんだが、ダーインスレイヴに四六時中張り付かれてな。今日も釘を刺されちまった。一応、人の気配がしないところを攻撃したつもりだが……犠牲者が、いるかもしれない」

「ライトニング、お前……」

 じゃあ、ライトニングは最初から、俺をアリエッタ達に渡すために……?

「あんたは、知ってたのか?」

 俺はウィクトーリアに振り返って、尋ねた。

『……アリエッタとセドが、初めて俺の所に来た時、計画を聞かされた。協力者のことをあいつらは多く語らなかったが、すぐにピンと来たよ。しかし今日暴れ出した時は何事かと思ったが、そこら辺は、阿吽の呼吸だな。台本無しのアドリブで、なんとかなったよ』

「じゃあ、なんだよ……なんのために、こんなこと?」

『お前のために決まってるだろうが。お前が本気で戦えるように、お前の力を引き出すために。だけど、最後こいつは本気だった。本気のこいつに、お前は勝ったんだ。そしてこいつを倒したからこそ、ウィクトーリアはもう一度、いや、まだ戦えるだけの血肉が手に入った』

 そんなこと言われても、嬉しくない。また俺は――。

「いいか、ネイト。お前は勝手だと思うかもしれない。だけど、俺達にはもう、お前しかいない。ダーインスレイヴを止められるのは、お前だけだ。十五年前、お前と初めて会った時から、俺はお前の可能性に賭けてきたんだ。そして今日――ようやく、賭けに勝つことができた」

 全て、父さんを、俺に倒させるため。その為にライトニングは生きてきたってことか。

 俺には到底理解できない。それならもっと、もっと早く言って欲しかった。それならまだ、こうしてライトニングと刃を交えずに済んだかもしれないのに。

 悔しかった。俺がもっと早く、一人前になって、自分でなんでも知ることができていたら、こんな結果にはならなかったのに。

「……泣くな。ほら、こういうことになるから、やめろっつったのに」

『お前だって本音を伝えずに逝ったら、俺みたいになるぞ。思い残すことは、ない方がいい。それに何より、ネイトが本当の意味で、覚悟が出来ない』

「覚悟って、なんの……」

『ダーインスレイヴを、討つ。これはお前にしかできないことだ。俺やライトニングではできなかったことだ。思うことは色々あるだろう。煮え切らないとも思う。だけど、お前が決めなきゃいけないんだ。ライトニングの命を無駄にするか、それとも命を使って、お前にしかできないことを為すか。――どうする?』

「どうして、俺じゃなきゃいけなかったんだろうな……」

 こんな役回り、ごめんだ。

『「お前が、ネイト・ハートライトだからだ」』

 同じ言葉が、重なって、響いた。

 あの、老いた竜の願い。そして、ライトニングの願い。トレインの、果たせなかった願い。それを叶えられるのは、俺だけ。

 これは、そもそも他人に決められるような事じゃない。俺にしか、できないこと。

 いや、違う。俺じゃなきゃいけなかったわけじゃない。たまたま、俺だったんだ。多分、そういう簡単なこと。だけど、たまたまだろうが――なっちまったもんは、仕方がない。

「世界が、世界であるために、か……」

 あの竜の言葉を、反芻する。

 みんなと繋がっている俺という世界が、世界であるために。みんなとの繋がりももちろん大事だ。でも、父さんとも繋がりがある。

「――父さんを倒すとかそれ以前に、俺は父さんに確かめたいことがたくさんある」

 父さんと俺が親子であること。それが嘘だってことはもう分かってる。だけど、俺と父さんの心の繋がりは、紛れもなく、親子だから。それは、人と竜だろうと、隔てられることはない。

「だから、俺はもう一度飛ばなきゃいけない。ライトニング――頼む」

 死ねという、頼み。もう一度飛ぶためには、ライトニングの死が不可欠だ。

「御意に。ネイト坊ちゃん」

『時間がない。始めるぞ』

 ライトニングの両手が、切り裂かれた傷口の端を掴む。

 まさか、自分で腹を切り開くつもりか――。そんな考えが頭に過ぎった瞬間、ライトニングの絶叫が木霊した。

 俺はたまらず目を背けた。見ていられない。

『……見なくていい。これはお前の罪じゃない。俺への罰だ』

 トレインの言葉は、優しかった。

「だけど、こうしてくれって言ったのは、決めたのは、俺だ」

 だから、見届けなきゃならない。それが決めるということへの、責任。

『お前は、あの時の俺よりもずっと強いんだな』

 俺とトレインは、ライトニングが死に行くのを見届けた。

 空に掲げられる、人の身体ほどの心臓。未だに脈打つそれを、ウィクトーリアが受け取った。

『確かに』

「――ネイト、」

 ライトニングの身体が、みるみる小さくなっていく。そして、血だまりの中に、俺がよく知っているライトニングの顔があった。

「ライトニング!」

 人の身体になったライトニングの胸には、やっぱり、ぽっかりと穴が開いていた。

「……もう一つ、頼みがある」

 掠れ掠れの声で、口元に耳を寄せないと、聞き取れない。

「あの巫女に、伝えてくれ。君がいなければ、俺達の時が動き出すことはなかったと。ありがとう、と、お前を、頼むと」

 それと、と、俺の袖を、血塗れのライトニングの手が掴む。

「大巫女はダーインスレイヴが連れ去った。今から追えば、速度に勝る神骸機なら追いつける。急げ、城に着かれれば、数の差は圧倒的だ……急げ……」

 最後の言葉は、警告だった。

『――すまない』

 トレインの、小さな声が、響いた。



 ネイトの脇腹に一撃を入れたあと、ライトニングはひょいと担ぎ上げ、セドリックとアリエッタの方を見やった。

「お前らに頼みがある!」

 彼が敵対者でないことは、二人とも分かっていた。

「なんだ!?」

 ネイトの障壁に吹き飛ばされた、セドリックが問い返す。

「こいつは、世界も何も知らない、甘ったれたボンボンだ。ここを離れれば、戸惑うばかりで何の役にも立たないだろう。情けない姿も晒すと思う! それでもお前らは、こいつを信じてやってくれ。こいつがちゃんと全てを知るまでの間、守り続けてくれ。お前達の尽力を無駄にはさせない。こいつにはそれだけの力がある! ――頼まれて、くれるか?」

 時間は刻一刻と消費されていく。問答に時間を割いている余裕はない。しかし、セドリックとアリエッタは、しばらくの間、その剣幕に応じることが出来なかった。

「……分かった。私達が、必ず守るよ。どんなことがあってもその子を信じて、守る。だって、私と同じ、ハートライトなんでしょう? だったら、どれだけ凄いかは、分かってるって!」

 アリエッタは明るい笑顔を浮かべて言った。

「そうか。なら安心だ。――成長したな、アリエッタ」

「えっ……?」

「できればお前の成長も間近で見てやりたかったが、済んだことを言ってもしょうがない。ほら、行くぞ!」

 ライトニングはネイトの身体を軽々と放り投げた。それをセドリックが背中で受け止める。

「確かに!」

「――島の南東、森林を抜けた先に向かえ! 迎えが待っている!」

「分かった!」

「あとは俺が上手くやる。お前らは急げ!」

 セドリックはネイトとアリエッタを背に乗せ、走り出した。

 その背の上で、アリエッタはずっと、名の知れぬ赤毛の男を見つめていた。


 アリエッタの目が開いた。

「目覚めたか。心配したぞ」

 傍らには、セドリックがいる。外からは雨の音も、落雷の音も聞こえない。

「……いてて。雷を避けたまではよかったんだけど、背中を、打っちゃって」

「立てるか?」

「ん、なんとか……。それより、ネイトは?」

 セドリックは無言で空を見上げた。そしてそれから、ニヤリと笑った。

「見に行ってみるか」

「うん!」

 アリエッタを背に乗せ、セドリックは走り出した。


 ライトニングが墜落したのは、岩場の隠れ家からすぐ側であった。だが、二人は辺りに漂うライトニングの血から放たれる激臭にたまらず顔をしかめた。

「凄い血の臭い……。こんなになるまで、あの竜をボコボコにしたの?」

「俺もお前の側にいたからな。正直分からん。血の臭いでだいぶ鼻が利かんが……なんとか、ネイト達の場所は分かりそうだ。行くぞ」

 セドリックはぬかるんだ地面を慎重に歩を運びながら、ネイト達の元へ急いだ。

 また少し進んで、二人は見知った顔を見つけた。

「ネイト!」

 アリエッタがセドリックの背から飛び降り、血だまりの中で佇むネイトに飛びつく。

 ネイトは少し驚いた表情をしながらも、しっかりと、抱き留めた。

「……よ、よう」

 別れる前の一件もあってか、ネイトは少し気まずそうである。

「あ、ご、ごめん、急に抱き付いちゃって。あははは、ごめんね、ほんと……」

 アリエッタは別の意味で気まずそうにしている。

「……その、大丈夫か? 身体とか」

「うん、背中がちょっと痛むけど、それだけ。大丈夫。心配してくれてありがとう。それより、これは……?」

 アリエッタは血だまりを指差しながら尋ねた。

「これは、その……あの赤い竜が流した血だ。俺が、殺した」

『こいつは、その心臓だ』

 ウィクトーリアの手の上には、未だに脈打つライトニングの心臓が握られている。

「その心臓を、どうするの?」

「心臓をウィクトーリアの動力にする。そういうことだろう?」

 千年前の軍人であるセドリックは、さすがに心得ていた。

『そういうこった』

「だが、どうする? 技術者はいないし、生憎俺はこの身体だ。さすがにウィクトーリア自体でそれを燃料に取り込むのは無理があるだろうし……」

『方法はある。……アリエッタ、君の力を貸してくれ』

「私の?」

 ネイトから身体をようやく離し、アリエッタは不思議そうに首をかしげた。

『ウィクトーリアの鎧をはがして、この心臓を中に取り込むんだ。あとは、こいつと心臓がやってくれる。簡単な話だろ?』

「か、簡単かどうかはよく分からないけど……その、あなたは大丈夫なの?」

『俺がいる……というか、俺が組み込まれているのは機体の深奥だ。ガワを剥がされる分には問題ない。あぁ、痛みなんかも感じないから、容赦なくやってくれていいぞ』

「よ、容赦なくって……。でも私、神骸機の鎧なんて外したこと無いし……」

『大丈夫だ、外したことある奴なんてこの世には存在しない。君は堂々とやればいい。君ならできる。大丈夫だ』

 アリエッタは、不安そうにネイトを見た。

「俺も……大丈夫だと思うよ」

「ほんとに?」

「嘘ついたってしょうがないじゃないか。アリエッタならできると思う。トレインだって言ってるじゃないか。大丈夫さ」

 そっか、と、アリエッタは微笑んだ。

「じゃ、やるよ。どうすればいい?」

『腹の辺りの装甲を開いてくれ』

 アリエッタはこくりと頷き、手を前方に掲げ、念じ始めた。

 ウィクトーリアの腹の辺りに、うっすらと蒼い光が輝き、装甲が左右に開かれ始める。

「私ね」

 アリエッタはネイトを横目で見ながら、続ける。

「ネイトに言われて、なんだか情けないなぁって思ったんだ。ネイトをあの城から連れ出しただけで、役目は終わったヅラなんかしちゃってさ。もう私の出番は終わりって、心のどこかで思ってた……。それじゃ、ダメなんだよね。私には責任があるんだ。ネイトをこんなところまで連れて来ちゃった責任が。私、そのことすっかり忘れてた。――後ろのあの人に、ネイトのこと、お願いされてたのに」

「……気付いてたのか」

「そこまで鈍くないですヨ」

 おちゃらけた口調――しかし、ネイトはそれが強がりだということを知っていた。

 アリエッタを抱き留めた時、反射的にネイトはその視界を遮ったつもりだったが、既に彼女には万事承知の上だったようだ。アリエッタは申し訳なさそうな顔をして、続けた。

「ごめんね、ネイト。一人にして。これからは、私もネイトと一緒に戦うから。私だって、ハートライトの人間だもん。少しは、トレイン・ハートライトの責任を負ってあげないと」

「……クライス・ネール・キーリアが、ダーインスレイヴに連れ去られたって」

「そっか。なら、取り戻さないとね。ネールはあれでも、人類最強だからさ」

 アリエッタはいつもの調子を崩さない。その強さが、どこか羨ましかった。

「それと、ライトニングは、君に礼を言ってた。アリエッタがいなかったら、止まった時は動き出さなかったって。ありがとうって、言ってた」

「お礼を言うのは、私の方だよ。あの人がいなかったら、私はずっと、ひとりぼっちで生きていくしかなかった。みんなと出会えたのは、あの人のお陰。……そっか、やっぱり、私に力をくれた竜だったんだ。最後に一言、お礼を言いたかったな。――ふう、これでいいかな!?」

 ウィクトーリアの腹は、見事に開かれていた。装甲は無理矢理開かれたからか、かなり大きくねじれていたが、とりあえず、うまくいったらしい。

 その姿を見て、ネイトはまるで人間のようだ――と、のんきな感想を抱いた。昔どこかで見た解剖図と、ウィクトーリアの姿が被った。

「……あれ、最初からこいつ、腕あったっけ?」

「今気付いたのか……」

 それでもどこか抜けているアリエッタの様子に、ネイトは一安心するのだった。

『……ありがとう。これからは、俺がやろう』

 ウィクトーリアは、心臓をその内に近付けていく。

 飲み込まれていく心臓――まるで水にものが沈むように、心臓の姿が消えていく。

 そして、最後の一片までが取り込まれ、ウィクトーリアの胸部装甲が独りでに閉じた。

 蒼い光が、一際大きく、発する。

『準備完了――だな』

 追撃の準備は、整った。



「少し待ってくれ」

 俺がウィクトーリアに乗り込もうとすると、セドリックが呼び止めた。

「ここから先、俺達はお前と一緒には行けない」

 そりゃそうだ。あのコクピットにセドリックが入るスペースはない。

「恐らく……何を言っても無責任だと思うだろうが、」

「そんなこと、ない。こっから先は、俺一人の責任だ。ウィクトーリアに乗るのを決めたのも、ウィクトーリアであの竜を追うことを決めたのも、俺だから」

「……そうか」

 セドリックは、なんだか嬉しそうに見えた。

「俺が余計なことを言う方がよほど無責任か。ならば、俺はアリエッタと共にここで、」

「私は行くよ」

 多分、俺はセドリックと同じ顔をしているだろう。

 アリエッタは毅然と続ける。

「私だって、ハートライトの人間だから。――それに、ネールが連れて行かれたのは私のせい。なのに、ここで指を咥えて待ってるなんてできない」

『まぁ、セドリックではなくアリエッタとネイトなら重量オーバーってことはないだろ。ウィクトーリアのソフトとしては、問題ない。あとはネイトがどうかだろうな』

 今のアリエッタの気持ちは、俺なら分かる。

「……なら、一緒に行こう」

「ありがと、ネイト。足手まといにはならないようにするから」

『決まりだな。――さっさと乗ってくれ。いくぞ』

 俺とアリエッタはトレインの言葉に頷いた。

 俺達がウィクトーリアに乗り込むと、胸部装甲が閉ざされ、緩やかな浮揚感の後、俺達の視界は遙か上方へと移っていった。

 ウィクトーリアは飛翔した。さあ、確かめに行こう。本当の、ことを。



 黒竜は城がようやく見えてきたところで、その飛行を一旦止めた。

 後方に何か、猛烈な速度で近付いてくるものがある。この速さは竜か、あるいは別の何かか。

「――竜では、なさそうだな」

 そう、竜でないのは明らかだった。そして、それの正体を知っていた。

「ウィクトーリア……! なるほど、ライトニングは退けられたか。いやあるいは、ライトニングは自ら退いたか――。なんにせよ、やらねばならぬな」

 黒竜は反転し、いち早く臨戦態勢をとった。

 しかし、白銀の騎士はいきなり襲いかかろうとはせず、空中で静止した。

 声が、木霊した。

『久しぶりだな、ダーインスレイヴ』

 軽薄な言葉に、黒竜の血が沸騰する。

「その声――千年ぶりだな、トレイン・ハートライト!! 地獄の淵から蘇ったか!」

『勝手に地獄行きにされるのは気に食わねぇが――覚えていてもらえたのは恐悦至極! てめえが持っていった物は、返して貰うぞ!』

「ほう――どのようなまやかしを使ったかは知らぬが、また一人で、我に勝てるとでも思っているのか? 如何に何度蘇ろうとも、お前が我を克することはできぬ!」

『今回は――一人じゃない!』

 蒼翼が、羽ばたく。それは紛う事なき戦意の証明。

 地上最強の黒竜に挑むという覚悟を見せられ、退くわけにはいかなかった。

 竜の盟主としての誇りが、不戦を許すことはできなかった。

 その白銀の鎧の内にあるものが、なんであったとしても。

「ならば再びその白銀、闇に閉ざしてくれようぞ!」


 黒竜の六枚の翼から、黒い濃霧が噴出された。ウィクトーリアが濃霧から逃れることは叶わず、一瞬にして、海上一帯が闇に閉ざされる。

「なんだよこれ――」

 ウィクトーリアの内で、ネイトが困惑の声をあげる。

『俺がやられた時と同じだ。――ダーインスレイヴが操るのは闇。あの翼から濃い闇を噴出し、獲物を内へと取り込み、なぶり殺しにする。それが奴の戦い方だ。闇の有効範囲は半径一キロ程度。取り込まれたら最後、闇が晴れる頃には――』

 闇の中で、蒼い翼が踊る。判断材料は直感しかなかった。

 攻撃が来るかもしれない――その思いが、ギリギリでウィクトーリアに攻撃を回避させた。

 空を掴むは、強壮な爪を持った漆黒の豪腕。反撃に転じようとしたところで、腕は霞のように溶け、消えた。

 ウィクトーリア内部のネイトは、少しだけ動じていた。

「トレイン! 俺は、」

『甘えた考えは捨てておけ。――今は戦うしかない。お前の覚悟を、見せてやれ』

「んなこと言って――」

 また、不可避の一撃が迫る。ウィクトーリアは後方に機体を翻し、攻撃を受けた方向へと斬りかかる。が、残るのは空を切った手応えのみ――。

 瞬間、全く別の方向から、強烈な衝撃があった。防御行動もまるで間に合わず、ウィクトーリアの身体が空を舞う。機体の中で、ネイトとアリエッタの身体が大きく揺られた。

「どうなって――」

 蒼翼が羽ばたき、ウィクトーリアが空中で態勢を立て直す。今のところ、攻撃の気配はない。

 だからといって、警戒を解くことはない。ウィクトーリアの内で、ネイトは次撃の気配を窺う。そして――来た。

『……こいつは俺の仮説だが』

 重い一撃を剣で受け、機体全体に強烈な震動が伝わる。少しだけ声にノイズを混じらせながら、トレインはその仮説を語った。

『この闇は、ダーインスレイヴが発生させてるものじゃない。発生させていることは間違いないが――恐らく、単純に切り離していいものじゃない』

「どういう意味?」

『今、俺達を攻撃しているのは、奴の手や尻尾だ。この闇の空間に突然尻尾や腕が出現し、攻撃する。俺は最初、闇の外からダーインスレイヴが攻撃している。あるいは、この闇はいくつも重なっていて、一つ外側から攻撃しているんじゃないかと考えたりもした。――でも、どれも違った。それなら当たるはずなんだ。だが、現実は当たらない。昔、こいつとやり合った時、レーダーの類は全く通用しなかった。この闇の中では正常に働かなかったんだ』

 あの巨体が移動すれば、レーダーの類が通用しなかったとしても、動体探知(モーショントラッカー)で捉えることができるはずなのだ。しかし現実、捉えることはできなかった。

 早い話、この闇の中で動くものはウィクトーリア以外、いなかった(・・・・・)のだ。

 レーダーもまた同じ事。この闇の中に動く敵影は、そもそも存在しない(・・・・・)。

 実に、単純なことだったのだ。黒竜の闇に、精密機器を狂わす機能はない。

 しかし人類は、竜の力という未知のものを過剰に畏れてしまった。竜であれば、精密機械を無効化する闇を作っても不思議ではないと思ってしまった。人類は自らを発展させてきたその手の技術さえをも疑ってしまった。その時点で、彼らに勝機はなかったと言える。彼らは、技術を信じるべきだった。

 そう、狂わされたと思っていた精密機器の情報は、全て真実だったのである。

 濃い、深い闇の中で、振るわれる暴虐を避けるため、ウィクトーリアは舞い続ける。

 千年前と、何も変わらない。いずれ、ウィクトーリアは敗北する。

 ただ一つ、違いがある。

『この闇自体が――ダーインスレイヴなんだ。奴の身体自体が闇となって獲物を取り込む。だったら合点がいくんだ。敵の位置を特定できなかった理由が』

 トレインは千年前の敗北の後、分析し続けていたのだろう。来る日も来る日も、ひたすらに分析を続けていた。それはもはや人の所業ではない。延々と続く分析の日々――それはもはや、システムだ。

 しかし、システムに身を窶してもなお、トレイン・ハートライトは執念を抱き続けた。

『だから、ネイト。攻撃しろ。闇を断て。切り刻め。避けるのは任せろ――』

 自らを屠った闇を断つ、この日のために。

「――分かった」

 一瞬の静謐の後、ウィクトーリアは蒼翼を一際大きく広げた。対の剣に、蒼い光が灯る。

 闇から奔る黒腕や黒尾をかいくぐり、白銀の機体は舞い踊る。

 剣戟の速度は千年前の比ではない。双剣から振るわれる一撃は、確実に深い闇を削いでいく。

 ただ闇雲に剣を振るっているようにしか見えなかったとしても、それが意味のある行いであると、トレインは信じていた。無数に刻まれた傷跡を一瞬静止して見つめたあと、トレインは叫んだ。

『ネイト! ライトニングをやったアレは使えるか!? ただの剣戟では埒が明かない。一撃で引き裂くぞ!』

「了解!」

 ウィクトーリアの手中に、蒼光が揺らめいた。

 闇の内を仄かに照らし、蒼光の大剣が闇の頂点に向かって掲げられる。

『刮目しろ、ダーインスレイヴ! これが、千年前の俺との差だ!』

 極大の剣が、振り下ろされる。刃は闇に蒼い傷跡――いや、蒼い空を、闇の向こうにある空の景色を、取り戻していった。

「見事」

 短い言葉が、空に木霊した。

 闇が収縮し、再び黒竜の姿をとる。

 その身体には、無数の傷跡が刻まれていた。


 双剣を携えたウィクトーリアは、無言のまま、切っ先を黒竜に向けた。

『続きをするぞ、ダーインスレイヴ』

「……ふん、勝利の美酒に浸らなくてよいのか?」

 六枚の翼が、所在なく揺れる。闇を打ち破られ、身体に無数の傷を刻まれてなお、黒竜はまるで堪えていないように見えた。

『あんたを地に落とすまではとっておくことにしてるんだ』

「――なるほど。ならばその言葉、そのまま貴様に返しておこう」

『なに……!』


「よもや我が――繰る闇のみで竜の盟主になったとは、思うまい?」


 六枚の翼が、力強く広がった。翼の末端にまで漲る力を見て、トレインは、絶句した。

「踊れ、強壮なる竜の魂を持つ、人の子よ」

 空一面に広がるのは、黒ではなく、血のような紅。

 紅に刻まれた紋様が、牙を剥く。白銀の騎士を食らいつくさんと。

『おもしれぇ――第二ラウンド、やってやろうじゃねぇか!』

 黒翼に応え、蒼翼が広がる。交差した双剣の向こうから、人を模したウィクトーリアの双眸が、真っ直ぐ、黒竜を捉えた。

 瞬間、烈光が、迸った。


 無尽の紅い牙が、ウィクトーリアへと襲いかかる。

 これはもはや、人類が知る由もなかった、黒竜の第二の力。

 いや、あるいは――これこそが、黒竜の力。闇はあくまで黒竜の性質であり、この、敵対者を地の果てまで追い続ける紅の烈光こそが、黒竜の真の力であるのかもしれない。

 ウィクトーリアは、双剣で紅い烈光を払い除ける。しかし、弾く側から次弾が襲いかかった。

 無慈悲な追跡者はウィクトーリアの四肢に噛み付き、えぐり取る。

「――ッ!」

 ネイトはウィクトーリアの内で唇を噛んだ。

 これは、ネイト個人の力でどうにかなる相手ではない。

 それどころか――人がいかなる技術を以てかかったところで、勝ることのできる相手ではない。果たして、この執拗で敏速に繰り出される追撃の烈光を、躱しきることができる人間が、あるいは人間の被造物があるだろうか。

 再生したウィクトーリアを以てしても、逃れることは叶わない。

「墜ちろ。ウィクトーリア」

 後方から飛来した紅い牙が、ウィクトーリアの両肩を噛み砕く。

 貪欲なまでに、紅い牙はウィクトーリアを最後の一片まで食らい尽くす。

 これは戦闘ではなかった。

 一方的な、虐殺であった。

 紅い牙は黒竜の元に舞い戻り、四肢と翼をもがれたウィクトーリアが墜ちていく。

 終幕を見て、黒竜が背を向けた瞬間、海面に大きな飛沫が、上がった。



 わけのわからないまま、終わった。

「……ごめん」

 ウィクトーリアの中は既に真っ暗になっていた。アリエッタがどこにいるかも分からない。

 トレインの声も聞こえない。

 終わったんだという実感と落胆が、俺の腑に落ちていく。

 ――腑に落ちる?

「――ざけんじゃねぇ」

 そんな簡単に、納得してたまるものか。俺は父さんのことを、まだ何も知ってはいない。

 なのにこんな所で終わるなんて――そんなこと、認められるわけないだろう!

「おい、トレイン・ハートライト! なに黙りこくってるんだよ! あんたも俺もアリエッタも、まだ死んじゃいないだろう!? 勝手に、勝手に諦めてんじゃねぇよ!」

 返事は、ない。

 それどころか、機体のどこかでぐしゃりという嫌な音が、鳴った。

「なっ――」

 まず感じたのは、潰れる、という恐怖感。海の底に鉄の塊が沈んでいくんだから、いずれは水圧で潰れてしまうだろう、と、頭で冷静に考えることはできたとしても、俺を支配するのは恐怖感のみ。

 そういえば、なんとなく息もしづらくなってきたような――。

 と、自覚したのが最後だった。

「ほんとに、これで――」

 あまりにもあっさりと、意識が、途絶えた。


 あの世界の匂いがした。灰の、匂い。

「……おぬしをここに迎えるのは、初めてだの」

 あの竜の声がした。

「多分、これが最後だ」

 もう一つ響いた声を、俺はよく知っている――気がした。

「ということは……おぬしは、ここで諦めるのか?」

「諦めるというか――諦めざるを得ないってところかな。ここが俺の限界だ」

「――よいのか?」

「良いも悪いも――人間誰しも限界はある。そいつと俺は折り合いを付けたってだけ」

「さようか。おや、おぬしの子が目覚めたようだ」

 竜は、俺の方を見やった。

 竜の傍らには――俺、がいた。

「よう、ネイト」

 気さくに手を挙げた俺に、手を振り返したところで、ある可能性に思い至った。

「……トレイン? でも、どうしてここに……」

「正解。俺の未練と妄執が、ここまで連れてきてくれたらしい。最後のお役目を、果たさなきゃならんらしい」

「最後って――」

「ウィクトーリアは死んだ。内にあった俺も死んだ。もう、あっちに俺はいない。そして、いつまでもここに留まるわけにもいかない」

「別に、おぬしが望むならば残っても構わぬぞ?」

「……あっちで俺を待ってる人がいる。ずっと、待たせたからな。そろそろ逝ってやりたいんだ。それに……さすがにもう、限界だよ」

「なるほど。ならば、無理強いすることはあるまい。――席を外した方が、よさそうかな?」

「そうしてくれるとありがたい」

 竜は首を微かに上下に動かし、灰の世界から、姿を消した。

「――俺とお前はよく似てる。でも、根っこの部分は全然違う。根っこっていうのは、多分、心って奴だな。俺は結局、人間っていう狭いカテゴリーでしか物事を考えられなかった。この世界には、人間以外にも生きている奴らがいる。多分、俺達の時代の人間はみんな、そのことを忘れてたんだと思う。俺達の時代じゃ、竜はただの侵略者だった。侵略者は排除しなきゃならない。そいつは当然の思考だ。……でも、今は、俺達の時代じゃない。時代が変われば、考え方も変わる」

 トレインの穏やかな黒い瞳が、俺を真っ直ぐ見つめている。

 機械としてしかあいつと話したことはなかったから、未だに実感できずにいる。

 結局これは、死にそうな俺が見ている都合のいい幻想なんじゃないか、って。

「安心しろ。……俺とあいつが、お前達は終わらせない。ま、俺がやれることはもうないから、そっちは人間の限界ってことにしておいてくれ。正直言ってこういう無駄なことはガラじゃないんだけど、考えれば考えるほど、もうこれしか、お前にはしてやれないと思ってさ」

「トレイン……?」

「ウィクトーリアに宿っていた俺は、結局のところ、ダーインスレイヴの闇を断つためのシステムだ。突き詰めれば突き詰めるほど、俺という人間から、システムへと近付いていってしまう。システムの俺は多分、お前にあの闇を断つためだけの行動を要求した。――このままだと、俺は冷血漢みたいに思われちゃうからな。ちょっとは暖かみのあることを言って、あっちに渡りたいんだよ」

 千年前の英雄は、ひたすらに優しく、微笑んでいた。

 トレインはシステムと言っていたが、俺はそうは思わない。あの執念を燃やすシステムも、今ここで優しく微笑む俺によく似た人間も、トレイン・ハートライトなのだろう。

「――ネイト。俺はもう満足だ。奴を仕留められなかったのは心残りだが、それもやっぱり、俺という人間の限界なんだろう。システムになったとしても、それは同じ事。だから、俺のことはもう、気にするな」

 トレインが、俺の側にゆっくりと歩み寄る。

 そして、大きくてボロボロの掌が、俺の頬に触れた。

「ここからは、お前の時代だ。俺には俺のやり方があったように、お前にはお前のやり方がある。だから、お前は、お前を信じろ。絶対に、自分のやり方が正しいんだと信じ続けろ。これが、お前に伝えたい言葉だ」

 俺のやり方――俺の、やりたいこと。

「そして最後に、俺は、お前を呪う」

 物騒な響きに、俺は思わず身構えた。

 でも、それは杞憂だった。

「……トレイン・ハートライトの息子はきっと――きっと、お前みたいな奴だったと思う。だから、礼を言わせてくれ。ハートライトの血を……ここまで継いでくれて、ありがとう」

 そして、俺の耳元に口を寄せて、とある「呪い」をかけた。

「……セドには、悪いが先に退場すると伝えてくれ。それじゃ、後は頼む」

 トレイン・ハートライトは俺に背を向けた。

 そして、一度も振り返らなかった。

 トレインが真っ直ぐ歩くその先に、老いた竜が、再びその姿を現す。

「往くのか」

「ティナが待ってるんでな。千年も遅刻だ。ま、今まで一度もデートに遅れたことはなかったから、多分、許してくれるだろう。一回ぐらいの失敗はさ」

「そうか。……我からも、礼を言う」

「礼を言われるようなことはしてないが――あんたが俺に礼を言いたいと感じているなら、一つ、頼まれてくれ。あいつを、頼むぞ」

 竜の首が、微かに、縦に揺れた。

「じゃあな」

 高らかに右手を挙げて――希代の英雄は、消えた。

 俺にははた迷惑な呪いをかけ、老いた竜には押しつけがましい頼み事をして、英雄は、あまりにもあっさり――この表現が正しいかどうかは分からないけど――その魂の役割を終えた。

 だけど、俺やこの老いた竜は未だ、消えることはない。

 俺達の魂にはまだ、役割が残っている。

「――戻れるか?」

 老いた竜の優しい言葉に、俺は首を縦に振った。

「俺はまだ何も知らないから。戻らなきゃ、いけない」

 よろしい、という声が響いたような気がした。



 黒竜は、異変に気付いた。

「ぬ――?」

 海中から一瞬、大きな鼓動を感じた。気のせいではない。

 黒竜は自身の鋭敏な感覚を信じていたし、明らかに、そこには異変があった。

 海面のある一点が、紅く、変色している。

「なにが――」

 答えは、現象として現れた。

 海中から突如飛び上がったのは、紅い球体。それもちょうど、ウィクトーリアが没した辺りから浮上したものであった。

「なんだ、アレは――」

 攻撃するべきか、否か、黒竜は迷った。悠久の時を生きてきた黒竜を以てしても、全く望外の事態が起きようとしていた。

 黒竜の視線の先で、球体は数度、鼓動した。

「たま、ご……?」

 長らく忘れていた単語だ。確かに、一部の竜は卵から生まれた。しかしそれは、始原の頃に生まれた竜のみ。

 鼓動の間隔は短くなり、球体にヒビが入り始めていた。

 生まれる。それも何か、絶対的によからぬものが――そう直感した黒竜は、紅い牙で以て、攻撃を開始した。無数の牙が球体に向かって食らいつく――しかし、

 同じく紅い半透明の壁が、牙をせき止める。

「ぬっ……!」

 黒竜の身体の正面に紅い光が集束し、球体を捉える。

 加減は無用だった。

 絶対に、排除する――黒竜の身体からはその気配が漲っていた。

 それと同時に、球体に一際大きなひび割れが、一直線に走る。

 そして――黒竜の砲撃は、二つに、裂かれた。

「なんっ、と……」

 球体の中から現れたのは、蒼翼を広げた、ウィクトーリア。

 しかし、明らかにその気配は違っていた。

 精錬とした白銀の騎士――否、その白銀に宿るのは、純粋すぎるほどの黒い闘気。

「まだ、蘇るか――しかし、何度蘇ったところで、結果は同じ事!」

 紅が、牙を剥く。

 瞬間、翼の色が、変わった。

 黒竜が操る紅と同じ紅。紅翼、であった。

 しかしそれは、変貌の一端でしかなかった。

 ウィクトーリアは、崩壊を始めた。白銀の鎧が次々と、海中へと没していく。瞬く間に晴れ渡った空を雲が覆い尽くし、付近に激しい雷鳴が鳴り響く。

 赤い雷土はウィクトーリアの鎧を強く打ち、削ぎ落としていく。

 鎧の下から現れるのは、漆黒。かつての精錬とした姿ではなく、機体の各部には暴虐性が具現したかのような装飾が施され、人を模していたはずの頭部は、獣のような頭部に成り変わっていた。いや、これは、獣ではない。それは、竜の頭。

 機体の胸部からは四肢には無数の紅いラインが血管のように伸び、紅い発光体が循環する。

 最後、翼を覆った白い装甲が落ち、漆黒の両翼が現れる。縛られた両翼は割け、新たな三枚の翼になった。都合六枚の翼が、空に広がる。

 其はまるで竜の如く――生まれ落ちた怪物は、咆哮する。

 咆哮に応え、紅い烈光が眩いばかりに光り輝く。

 そして、ウィクトーリアは再誕(リユニオン)した。


「トレイン・ハートライト! 貴様、一体何をした!?」

 黒竜の声に応えたのは、トレイン・ハートライトではなかった。

「……あの人は、もういない」

 答えた声に、黒竜はたじろいだ。黒竜にとって、この場に絶対存在してはならないものの声が、高らかに響いたのだ。

「トレインは、死んだ」

 その言葉自体も衝撃的なものであったのは間違いなかった。千年前から竜の前に立ちはだかってきた仇敵の死は、平時であれば、黒竜に並々ならぬ衝撃を与えただろう。

 しかし、今の黒竜にはそんなことを考えている余裕はなかった。

「……なぜ、お前が、ここにいる?」

 そう、問いかけるしかなかった。

 その名を口にすることははばかられた。

 そしてその問いは、新たなる神骸機の内にいるネイトにとって、答えに等しいものだった。しかしそれでも、答えを答えとして受け容れるわけにはいかなかった。

 故に、とるべき行動は一つ。

「ここじゃなきゃ、本当のことが、分からないから」

 そして――再誕した神骸機(リユニオン)は両手の五本の爪を広げた。

「本当のことを、俺は知りたい!」

 六枚の紅翼が、広がった。

 翼の末端にまで力を漲らせ、リユニオンは高らかに、宣戦する。

 問いかけて答えが得られる――そんな甘い考えはない。戦って、勝ち取るしかない。それが、ネイトの出した結論だった。

「――よかろう」

 黒翼もまた広がり、十二枚の翼が空に広がる。

「来るがいい。蘇りし神骸機よ……!」


 黒竜の周囲に再び紅い光が灯り、そして容赦なく、紅い牙が放たれた。ウィクトーリアにしたのと同じように、紅い牙は瞬く間にリユニオンに接近し、まとわりつく。

 ウィクトーリアと違い、リユニオンに武装はなかった。武器による迎撃もできず、リユニオンは逃げの一手になる――黒竜のそんな読みは、外れた。

 紅翼の周囲に、紅い剣が浮かび上がる。一本二本どころではない。空を覆い尽くさんとばかりにずらりと展開した剣は、リユニオンの一挙と共に、放たれた。

 空を駆け巡る無尽の剣は、黒竜より飛来した牙を次々と叩き斬り、落としていく。

 ウィクトーリアの時のようにはいかなかった。牙は一つとして、リユニオンには届かない。

 剣は次々と出現し、空へと放たれていく。それはさながら、竜達の操る竜術が如き、超常の力。かつてあらゆる神骸機が至ることの無かった境地に、リユニオンは至っていた。

 リユニオンの操る剣は、無尽。

 黒竜の操る無尽の追跡者と、リユニオンの操る無尽の剣。尽きることのない剣戟が空で幾度も交わされ、その度に、剣が勝利する。

 黒竜は、知らずのうちに圧倒され始めていた。

 しかし同時に、あることに、思い当たり始めていた。

「無意味か――」

 牙が一瞬にして収縮し、黒竜の元へと舞い踊る。

 剣もまた、リユニオンの元に馳せ参じた。

「だがしかし、それほどの力――生かすわけには、いかぬ!」

 黒竜の周囲に、紅い光で作られた五輪の花が咲き乱れる。花びらがゆらりと回り、一際紅い光を放った瞬間――花粉のように、細かい粒子が放たれた。

 粒子は瞬く間に周囲を覆い尽くした。

 先ほどの闇とはまた違った、紅い世界。そこで、漆黒の影が対峙する。

 花は未だに咲いていた。不気味なほど鮮やかに。

 かつての戦乱を終わらせた最後の日と、同じように。

「――塵も、残さぬ」


 五輪の花から、烈光が放たれた。それだけならば、単純な攻撃でしかない。剣で迎撃するでもなく、リユニオンはそこで身を翻して躱し――失策を悟った。

 紅い粒子の壁に烈光が直撃した瞬間、太い光は無数に裂け、幾つかはリユニオンの方へ、また幾つかは別方向の粒子の壁へと放たれた。

「ッ――」

 リユニオンの剣が参集し、裂けた光を受け止める。

 しかし、一方向だけを止めて済む攻撃では、ない。

 後方から、多別の光から裂けた一撃が飛来する。剣での防御は間に合わない。

 故に、リユニオンは、飛んだ。

 常人では目で追うことも叶わないような、圧倒的な速度でリユニオンは紅の世界を飛んだ。光と光のギリギリの隙間を縫いながら、無数の剣と共に。

 リユニオンの意図はある意味明確だった。回避し続けるのにも限界がある。光が粒子壁にぶつかる度に、リユニオンを襲う光の数は増加する。当たること、即ちそれは静止を意味した。

 止まれば、全方向からの紅い光がリユニオンの全てを食らい尽くす。ともすれば、執るべき手段はただ一つ。ひたすらに前進し、黒竜を排除する。

「来るか――」

 リユニオンの装甲には、既に無数の傷がついていた。しかしそれでも、致命傷は避けている。トレインによる駆動面での補助は既に頼れない状況にあってもなお、リユニオンの動きは、往時のウィクトーリアの全てを凌駕していた。

 六枚の紅翼のそれぞれが意志を持ったように開閉し、減速加速を巧みに切り替え、リユニオンは飛び続ける。

 黒竜には慢心があった。絶対に、近付かれる前にケリはつくという、確信にも似た慢心が。しかし、不慮の事態であったとしても、黒竜には確かな経験があった。

 花が再び光り、もう一度、紅の光を照射するべく、強く発光した瞬間、

 リユニオンに付き従っていた剣が五本、花に向かって放たれた。

 花の中心に、剣が突き刺さる。

 あまりにも呆気なく花は散り、爪を広げたリユニオンが、迫る。

「――甘い!」

 散った花びらが、さらに細かくバラけ、紅い光が辺りを包み込む。

 ――花びらから、花が放ったのと同じ光が放たれたのだ。

 頭でそれを認識するよりも早く、リユニオンは対応した。

 剣の障壁を瞬時に展開し、直撃だけは逃れた。

 しかし、十本を超える剣の障壁を以てしても衝撃を完全に無力化することはできず、機体はきりもみ回転をしながら、粒子の壁へと叩き付けられた。

 力なくリユニオンは落ちるが、六枚の翼が、なんとか機体を空に留めた。

「良い腕だ」

 その姿を見て、黒竜は讃えた。

「今のお前にならば――伝えても、よいだろう」

 黒竜は、翼を閉じた。

 それに倣い、リユニオンもまた翼を閉じる。

「よくぞここまで来た」

 そして黒竜は、その内にある、よく知った少年を、ひたすらに讃えた。



 黒竜の言葉は、優しかった。そして俺は、この優しさをよく知っていた。

「……ネイト?」

 傍らのアリエッタは、ずっと顔面蒼白のままだった。

 俺は操縦に(操縦らしいことをしていた自覚はない。ただ思うがままに動かしていただけ)集中していたから、ある意味よかったのかもしれない。一方アリエッタは、隣でひたすらに、戦局を見つめ、命の奪い合いの恐怖を目の当たりにしていたんだ。こうなっても不思議じゃない。

「……俺は、だいじょうぶ」

 もう、トレインはいない。ここから先は、俺一人だけの戦いだ。

「ほんとに?」

「ほんとさ。こいつは……俺がケリを付けたいんだ」

 俺は真っ直ぐ、黒竜を見据えた。

 黒竜の声が響く。

「何から、話したものか。いざとなると、なかなか言葉がまとまらぬ。しかし……そうだな。取り繕うことのないことをまずは話そう。――我は千年前、トレイン・ハートライトとウィクトーリアを屠った竜の盟主ダーインスレイヴであり、」

 言葉が、途切れた。

 だけど、俺はその続きを、覚悟していた。

「ネイト。お前の、父親だ」

「……そ、っか」

 覚悟はできていた。だから、揺らぐことはない。

 だけど――俺がその名を口にするまでは、紛れもなく、あの竜は俺の本当の父さんだ。

「ネイト、お前の望みはなんだ? トレイン・ハートライト亡き今、お前の戦う理由はなんだ? もし、明確な理由がないのなら……まだ間に合う。刃を退け」

「……父さん。俺には、どうしても知りたいことがあるんだ」

「なんだ?」

「どうして……俺を、息子にしてくれたんだ?」

「なぜ、そんなことを問う?」

「だって――俺は人間で、父さんは竜じゃないか! なのに、どうして――」

「父子に、理由が必要か?」

「俺には必要なんだよ、父さん」

 距離はだいぶ開いているはずなのに、俺はピリピリとした緊迫感を感じていた。すぐ目の前に、父さんのあの気難しい顔があるような――そんな、感じがした。

「……それも、そうであるな。我ら竜が如何に人の姿を取り繕ったところで、竜と人の間には間違いなく隔たりがある。しかしそれは……あくまで、ただの人と竜の間の隔たりだ。ネイト、お前は――心に、竜を飼っている」

 どきり、とした。俺が見たあの灰の世界のことは、まだ誰にも言っていない。

 知っているのは、俺と、あの竜と、トレインだけ。

 でも、俺が聞きたいのはそうじゃない。もっともっと、根源的なことを聞きたいんだ。

「その神骸機の姿が証左だ。神骸機は心を移す鏡。それは忠実に、乗り手の心を表現する。今、お前が駆っている姿はまさしく竜のそれだ。それも……我にとてもよく似た、な」

 俺やアリエッタからは、この神骸機がどんな姿をしているかは分からない。ただ、感覚で、これがウィクトーリアでなくなってしまったのは、分かっている。

「故にお前ならば……我ら竜と共に往くことも可能だろう。ネイトよ、刃を退くのだ」

「それでも――」

 穏やかな、しかし、凜とした声が響いた。

「ネイトは、人間でしょ? あなた達とは違うよ。私達巫女だって人間だよ。ネイトや私は、普通の人には使えないような力を使えるけど、人の領域を飛び越えることはできない。あなたがいくら望んだところで、ネイトは人間なんだよ?」

「――大巫女の片割れか」

「ええ。私はアリエッタ・ハートライト。あなたの仇敵の血を継ぐものよ」

 アリエッタの細い指が俺の手首の辺りを握った。

「……なるほど。目的は巫女の奪還か。しかし、我から巫女を奪い取ったところでどうする? それで何が変わるという? いや、確かに変わるかもしれぬ。人類は蘇りし神骸機と共に、竜に宣戦したという事実が生まれるのだからな」

 宣戦――。

 空の上で翼を広げる、ただそれだけのことじゃない。そいつはつまり、戦争をするってこと。

 千年前と同じように、竜と人類が戦い――恐らく、

「それでも結構」

 俺はぎょっとした。声は、俺の隣からあがった。

「人類側の調停者である大巫女に干渉したのは、そっちでしょ? 先に動いたのはあなた。私達はそれに応戦しているだけ。確かに、あなたの元からネイトを奪ったのは私達。それに対する報復だっていうなら、スジは通ってるよね。だけど――ちょっと、横暴がすぎるんじゃない? 人間だって、家畜じゃない。横柄な暴力に立ち向かう権利はある!」

 アリエッタは、俺よりずっと冷静だった。

 目の前のことしか考えることができなかった俺と違って、この子はずっと大局を見ている。ちょっとだけ、感心した。

「……立ち向かって、どうするという?」

 父さんは、冷徹に尋ねた。

「その神骸機ただ一つで、我を屠ることができるというか。よしんば我を屠ったとしても、全ての竜を討ち果たすことができるというか。お前達のやろうとしていることは無意味だ。それどころか――無責任な行いだ。今、我らと再び刃を交えれば、千年前の比ではない速度で、人類を駆逐することも可能だ。人を守る神骸機は、もはやその一機のみ」

「それ、立派な脅しだよね」

「先に脅しをかけたのはそちらではないか」

「――父さん。俺の質問に、まだ答えてないよ」

 アリエッタ一人に、戦わせてたまるものか。

 この舞台にあがることを選択したのは俺だ。それならば、相応の責任を負わなきゃならない。

「俺は――父さんの息子なのか? 父さんの、本当の息子なのか?」

 どんな答えを、望んでいるのか分からない。

 でも多分、どんな答えを聞いても喜びは、しないだろう。

「生き物としての父子の話となれば……我とお前は、父子ではない。竜は、人を産めぬ。しかし、」

 精神的には父子――そんなことは、俺だって分かってる。

 父さんは俺が心に竜を飼っているといった。だから、父子なのだといった。

 でも、生き物として見れば、俺と父さんは父子じゃない。

 つまり、俺と父さんの関係は、打算から生まれたもの――。

「……そこから先は分かってるよ」

 心なし、俺の手首の力が強まった気がした。

「俺だって、そう思ってる。でも、俺は――ある人に、呪われちゃったからさ」

 イメージするのは、六枚の紅い翼の展開。

「――なぜだ?」

 父さんの声には、困惑が滲み出ていた。

 今まで生きてきて、初めて聞いた声だった。

「多分父さんは、いくら言っても、その巫女を返すわけにはいかないんだと思う。でも俺達は、その人をずっと奪われたままにするわけにはいかない。なら――こうするしか、ないんだ」

 戦って、奪い取る。

 そうしなければ、人類の尊厳が奪われてしまうというならば、俺は、戦う。

「その人を、返してもらうよ。――父さん(ダーインスレイヴ)!」



 リユニオンは六枚の翼を羽ばたかせ、一気にダーインスレイヴに肉薄した。

「……ならばこちらも、力ずくで奪わせてもらおう!」

 ダーインスレイヴの身体が、溶ける。

 既に闇は破られている。畏れることはない――ネイトの心にそんな油断と困惑が広がった瞬間、闇から、花が咲いた。

 数は先ほどの比ではない。リユニオンは後方に大きく飛び退き、そして、

 紅い閃光を、散らした。

 それは、陣。花とは少し趣が違うが、機能は同じだ。閃光を放出し、対象を攻撃する。

 ダーインスレイヴは陣の展開を見て、素早く自身の身体を再び竜の姿に戻した。その意図がリユニオンの内にあるネイトには分からなかったが――構わず、放った。

 極太の砲撃が、ダーインスレイヴへ真っ直ぐ向かう。

 ダーインスレイヴは左腕を空に掲げ、連なった花を出現させた。

 砲撃は花の前にあえなく四散した。花は未だに空に残っていた。砲撃を防いだだけで、その役割を終えたわけではない。花びらは急速回転し、猛烈に光った。

 紅い烈光が、周囲を覆い尽くす。

 リユニオンの黒鎧をも飲み込んだ一撃を見て、一瞬、ダーインスレイヴは油断した。

 光が、裂けた。

 強烈な砲撃に対し、リユニオンは回避ではなく、直進で応じた。

 リユニオンの手に握られた二本の剣が、徐々に、光を食らっていく。

 六枚の翼はさらに一層大きく広がり、リユニオンは加速する。

 紅翼は激しく揺らめき、剣は一層肥大し、ダーインスレイヴに迫っていく。紅と紅が散り、リユニオンの装甲に傷を付ける。

 しかしそれでも、リユニオンは止まらない。確固たる意志を持ち、リユニオンは進む。

「これほどまでとは――しかしッ!」

 ダーインスレイヴは攻め手を緩めた。平時ならばともかく、この瞬間において、攻め手にかかったリユニオンを勝ることはできないと判断したのだ。

 その合図で幾つかの花が連なり、ダーインスレイヴの元へと向かうリユニオンをせき止める防壁となる。しかし、その程度では、阻むことはできなかった。

 それどころか、リユニオンは一層速度を増した。もはや、ダーインスレイヴの操る術に、その突進を食い止めるだけのものはなかった。

 黒き小竜が、竜の盟主を食らい尽くそうとしていた。

 しかし、全く打つ手がないわけではない。未だ、周囲には紅い粒子が満ちている。

 乱反射した閃光が、再び粒子の檻の中に放たれる。

「ネイト!」

 危機を知らせる声がリユニオンの内に響いた。

「さっきは捌けなかったけど――今なら!」

 六枚の翼の周囲に、凄まじい量の剣が出現する。剣は合図を待つことなく、リユニオンを護るため、迎撃を始めた。

 紅き閃光が入り交じり、幾度となくぶつかり合う中を、リユニオンは直進する。

 リユニオンの装甲の一部にも、次第に亀裂が入り始めた。特に光を引き裂く両腕部のダメージは痛々しく、ボロボロとこぼれ落ち、機体の骨格部が剥き出しになっていく。

 しかしそれでも、リユニオンは止まらない。

「――この距離なら、やれる!」

 リユニオンの正面に、陣が連なる。未だ、リユニオンの進度は半分ほど。

 それでも、ネイトはやれると判断した。

 陣は花と同じように急速回転し、光の中央に向かって、極大の砲撃を放った。

 真っ向から力と力がぶつかり合い――弾けた。

 ダーインスレイヴまでもが大きく仰け反るほどの衝撃。それをまともに食らったリユニオンが、無事で済むはずがない。さらに、後方は粒子壁により乱反射された紅い光の雨が降り注いでいる。これでケリはつく――ダーインスレイヴは顔を背けながら、そんなことを思った。

 その視線の先を、翼を失し、左腕を完全に喪失したリユニオンが落ちていく。

 ――終わった。そんな安堵感が、ダーインスレイヴの胸に去来し、


 紅翼は、噴出した。


 リユニオンは抜群の瞬発力をもって、消えた。

 ダーインスレイヴが驚愕したのは二点。一つは、未だにリユニオンが動けたこと。

 そしてもう一つは、リユニオンを駆る息子の心は、未だに微塵も折れていなかったこと。

「ああああああああああああああッ!」

 粒子壁の頂点から、一直線にリユニオンが飛来する。

 紅い光によって形作られた左手と未だ健在の両手が握るのは、機体の数倍はあろうかという巨大な大剣。

 大剣は狼煙のように空高く掲げられ――一瞬の迷い無く、振り下ろされた。

「グオオオオッ……!」

 ダーインスレイヴの身体が、裂けていく。傷口からはどす黒い血と共に、その身体を構成していた闇が吹き出す。その内に、リユニオンは強壮な爪を挿し入れた。

「見つけた――!」

 その中から、黒い球体をリユニオンは取り出し、素早く反転。

 紅い粒子の雨の中を突っ切り、極大の剣で以て粒子壁を引き裂き、一気にダーインスレイヴから距離を開けた。

「ネールは!?」

「大丈夫……だと思う。降りて確かめる余裕はまだないけど」

「……よかった」

 ネイトはリユニオンを通して、真っ直ぐダーインスレイヴを見据えた。


「ネイト」

 ダーインスレイヴから、声が響いた。

「……我が憎いか?」

「そんなこと、ない」

 ネイトの本心だった。ダーインスレイヴを恨む理由など、欠片もない。

 ならばなぜ、戦わなければならないのか。ダーインスレイヴには分からなかった。

「ならばなぜ、お前は人の側に付く――。お前はその行いが正しいと思うのか?」

 その問いに答えたのは、ネイトでも、アリエッタでもなかった。


「のう、我が同胞よ」


 ダーインスレイヴが、ぎょっとした様子で血塗れの顔を上げた。その右目は醜く裂け、潰れていた。

 その驚愕はアリエッタも、恐らく、ネイトも同じ事だったろう。

「ほっほっほ、何も、化け物を見るような目をすることはないだろう。我はもはや、千年前の忘れ形見と同じく、魂だけの存在。畏れることはない。特に、ダーインスレイヴ、お主はな」

 アリエッタを置いてけぼりにして、ネイトの中でだけは、事態の理解が進んでいた。

 この声の主は、あの灰の世界の主だ。

 しかしネイト以上に、ダーインスレイヴは事態を把握しているらしい。激昂の声が響く。

「――なぜ、ネイトの身体に貴様が宿った! 貴様は再び、世界を混沌に落とすつもりか! 世界の理に逆らい、死してなお定命のものに干渉するなど、紛う事なき大罪である!」

 ネイトとの戦闘でも動じていなかったダーインスレイヴは、揺れていた。

「大罪であるかどうかの是非はともかく――かつてお前に敗れ、命の灯火が消えようとした時、我の頭に嫌な考えが過ぎった。お前はもう、全てを顧みることなく、ありとあらゆる全てを灰燼に帰し、覇道を往くのだと。我は、それを止めなければならぬ。故に、意志と肉体を、我は分割したのだ。危険な賭けであったが、ひとまずは上手くいった。――そして、我は待つことにした。気の遠くなるような長い時間、お前がいずれ作るであろう灰燼の世界で、お前という闇を食らい尽くす、竜の如き心を持つものを」

「我の世界は、灰燼の世界などではない! 貴様に何が分かるというのだ! 我よりもよほど、人の作る世界の方が灰燼の世界であろうが! 今の世界は、緑に満ち溢れている! これの何が間違っているというのだ!? よもや、人類全てがこれ以上の世界を望んでいると、本気で思っているのか!? お前達の行いは、むしろ世界の安寧を蔑ろにする行為なのだぞ! お前達は、死者の亡霊に踊らされているに過ぎぬ!」

 ダーインスレイヴの激しい言葉が、ネイトとアリエッタに向けられる。

「与えられた安寧なんて、いらない。これは……トレインの言葉なんてなくても、いずれ私が至ったであろう結論だよ」

 答えたのは、アリエッタであった。

「確かに、私達のやり方に諸手を挙げて歓迎してくれる人は、そんなにいないのかもしれない。戦いなんて望んでいない人も、大勢いると思う。あなた達に支配されていることも忘れて、今の世界を最上のものだって思っている人もいるかもしれない。でも、今の世界だけが、世界じゃないよね? 千年前のこと、トレインやセドちゃんに聞いたよ。この世界で生きてきた私には、とても想像ができない世界。――私は、世界のみんなに、自由で、煌びやかな世界を見せてあげたい。それに、刃をとった責任は、取る。責任を持って、私が変える! 私には、色んな責任がある。ネイトをここまで連れてきた責任もそう。私一人で背負えるものじゃないのかもしれない。それでも――それでも背負う!」

「人に刃を向けられる覚悟もしているというか。口でならどうとでも言える! お前達は何も分かろうとしていない! 今こそが、世界にも、人類にも、竜にとっても、最上の状況なのだ! ネイト、お前は必ず悔いることになる! その死に損ないの竜や愚かな巫女も同じだ! 何もしない方がよかったと――自分達の行いは間違っていたということを! 貴様らを焚き付けたトレイン・ハートライトはもういない! 死人に……死人に縛られてはならぬ!」

 ネイトには、言わなければならない言葉があった。しかし、まだ言葉にはできなかった。

 代わりに答えたのは、のんびりとした声であった。

「確かに、理解はできよう。だが、それを享受することはできぬ。我の望みは、お前の道を正すこと。そして、世界を正しき姿に保つこと。今のお前が往く覇道は正道ではない。――ダーインスレイヴ、顧みるのだ。世界に色は戻ったやもしれぬ。しかし、この世界に感情は存在しない……。なぜそれが見えぬのだ?」

「……貴様は何も変わっていない。あの時敗れた時のままだ! 貴様には世界の今の姿しか見えていない! だが我には、千年先、万年先が見えている! お前が守ろうとした人類は、千年前、世界を破滅の寸前まで追い込んだ! それが我には見えていた。故に我は貴様を倒した! 貴様の時代はあの時に終わったのだ! 敗者が未来に口出しするな!」

「無論、今も我の時代が続いているとは思っておらんよ? しかし、それはまたお前にも言えることであろう? お前を突き動かしているのは、太古の時に見た、千年、万年先の光景に過ぎぬ。我らは化石なのだよ、ダーインスレイヴ」

 声は、穏やかな口調で続けた。

「先の大戦より千年間、竜の時代を作り、お前は何を得た? 人との折衝を断ち、人を理解するべく先人が編み出した人の姿で古城に暮らし、仮初めの息子を得た。それがお前に何を与えた? そして、お前は何を与えたのだ? 人に、息子に、何を与えた? お前は何も与えていない。それなのに、人は変わらないという。故に、人を変えるという。お前は人から世界を奪い、文明を奪い、いずれ全てを奪い尽くすであろう。しかしそれは、お前の怠慢ではないか? のう、ダーインスレイヴ。胸に手を当てて考えてみるがいい。お前とこの子は、少なからずわかり合えていたのではないか? 親子として、良好の関係を気付けていたとは思わないのか?」

 いずれの問いにも、ダーインスレイヴは答えられなかった。

 彼は、何も与えてやれなかった。常にネイトの側にあったのはライトニングであり、ダーインスレイヴは彼の成長を見守ることしかできなかった。叱咤激励を与えることはできた。裏返せば、それだけだ。それだけ、関係の破綻が怖かったのだ。

「ネイトとお前は、わかり合えた。ネイトは……お前のいう死人に呪いをかけられた今も、最後の一線を守り続けている。健気に、お前を思って、だ。ネイトのこの思いを、踏みにじるのか? 子の思いではなく、矮小なる人の思いとして――」

「黙れ! ならば貴様は、貴様は人類が星を食らい尽くしてもよいというか! 我らがやらねば誰がやる! これは、我らが負うべき業なのだ! 人がこの地に刻んだ業は、我らが負わねば世界は救えぬ!」

 ネイトと自身の相互理解を一般化した時、ダーインスレイヴの信念は根底から崩壊する。

 しかし、父子の相互理解を否定したくはない――ダーインスレイヴにとって、苦渋の選択であった。

 そして、竜の盟主は、より苦難に続く道を選択した。

「負う必要のない業を、負うべきというのはいかがなものかな。いやそもそも、業などというものを後の時代に残すことこそ、先人がもっとも避けなくてはならぬ。お前が健在なうちはよい。お前が倒れたら、竜達はどうするのだ? 人と竜の業を、お前は次の世代に押し付けてもよいというのか? 後の竜達がどれほどのものかは知らぬ。だが恐らく、お前ほどの傑物はもうおらぬだろう――となれば、行き着く先は、この者達が選択した未来とさして差はない。竜達は人の存在を悪と断じ、戦う術のない彼らを食らいつくし、それこそが世界の安寧と言うだろう。他の竜はお前ほど思慮深くはない。このままでは、再びの衝突は避けられないのだ。かつて、おぬしが人類との全面戦争を選択した時点で、結末は決まったのだ。――しかし、その結末を変える好機が、今、ここにある!」

 竜とて、永久に生きられるわけではない。あらゆる命には、必ず終わりが訪れる。

 ダーインスレイヴ亡き後の世界――ダーインスレイヴは一度として想像したことはなかった。

「……既に時は動き出してしまった。もはや、止めることはできん。それに、我はまだ死なぬ」

「そうだとも。まだ猶予はあるが、時を止めることはできぬ。時が移ろう中で、何をするかが重要なのだ。我が盟友よ、ネイトを信じるように、人を信じることはできぬか? 彼らの過ちを正すことは肝要。しかしながら、人の全てを奪うことはない。彼らと対話し、破滅を避けるための手立てを示すのだ。誰も犠牲になることはない。犠牲無き解決こそが、もっとも必要な方法ではないか? ひいてはそれが、竜という種の救いにもなる」

「――お前は何も分かっていない。我ら竜が守るべきは、あくまで世界。そして星だ。竜という種に救いが与えられる必要はない! 我らは星の管理者となり、破壊者を排除する。そうすれば、星と世界の安寧は守られる! 世界と共に生まれ落ちた時から、それは決まっていたことであろう!」

 この二体の竜は、やはり、相容れない。それは遥か太古に分かりきっていたことだ。

 しかし、老いた竜はまだ諦めない。諦めるわけには、いかない。盟友を止める、最後のチャンスなのかもしれないのだから。

「人類を駆逐し、竜が世界を管理する――それは、もはや世界ではない。ただの、竜の楽園(ディストピア)だ。なぜそれが分からないのだ、ダーインスレイヴ……人がいることもまた、世界である条件なのだ! お前が好きに作り替えた世界は世界ではない!」

「我は、好きに作り替えているのではない! 世界を元の姿に戻しているだけだ! 貴様にどうこう言われる筋合いはない!」

「――ならば! 息子として育ててきたネイトまでをも含め人類を根絶やし、お前のいう世界の元の姿に拘るというのか! 答えろ! 答えてみろ、ダーインスレイヴ!」

 ダーインスレイヴの願いは、そういうことだ。そう願い続けるのならば、いずれ彼は息子をも殺さなければならなくなる。

 その願いは、歪んでいた。

「ネイトは、我の息子だ。人間では、ない。――そして、人は、いずれ駆逐する」

 刃を向けられ、命のやりとりをしてもなお、ダーインスレイヴはそう言い切った。

 それはあまりに滑稽で、情けなく、竜の盟主にあるまじき姿だった。

 彼は愚直なまでに、「ネイトの父親」であろうとしていた。



 嬉しかった。父さんの思いは、嬉しかった。

「――父さん。俺は、父さんの息子ってことに誇りを持ってる。父さんと十五年間一緒にいられて、幸せだった。それは嘘じゃない。これから先もずっと、幸せだったって、言えると思う」

「ならばネイト――」

 俺は、父さんの言葉を遮らなきゃいけない。

「でも――アリエッタやトレイン、セド、みんなと一緒にいた時間も幸せだった! みんなと会えなきゃ、俺はこうやって、父さんの前に対等の存在として立つこともできなかった! だから、俺にはどっちが大事かなんて決められない。だけど、どっちかが無くなるのだけは嫌だッ! 竜も人間も、手を取り合うべきなんだ。世界は、世界でなきゃいけないんだ……!」

「お前も、人がいる世界こそが世界というか……」

「世界は、誰かが定めるものじゃないと思う。もっと大雑把でいいんだよ、父さん」

 この竜は、俺にこうすることを求めていたんだと思う。竜を知り、人を知る俺なら、父さんを翻意することができるかもしれない。

「――それでも、」

 でも――そっか。続く言葉は、すぐに分かった。俯きそうになって、きゅっと、右手に暖かさを感じた。

 この場で手を握ってくれるのは、一人だけ。

 アリエッタの暖かい笑顔が、そこにはあった。

「……目を逸らしたら、きっと後悔するよ。どんなに受け容れがたい言葉でも、ね」

「それでも、我は、いや、我らは――」

 俺は、潤んだ世界を前に向けた。

「人を信じられぬ」

 決定的だった。ダーインスレイヴは、竜は、人を信じない。

 つまりそれは、俺を信じないのと同じこと。俺は、変えられなかった。

「――それが、お前の答えか。ダーインスレイヴ」

 穏やかないつもの声には、落胆の色が濃かった。

 しかし、落胆の色はすぐに消え去った。

 そして、雄々しく、かつて覇を唱えた竜の片割れとして、宣言する。

「ならば、今度こそ……殺し合わねばならぬな。どちらかを根絶やしにするまで……」

「そう、だな。こうなってしまった以上……それしか道はない」

 俺は俯かない。アリエッタも見ない。真っ直ぐ、父さんを見つめる。

 ――俺がそんなことはさせない。

「ネイト」

 名前を呼ばれて、少しだけ、視界が揺らぐ。

「……これでも、お前は我の息子といってくれるか?」

 もちろんだ。その事実は、絶対に揺るがない。父さんが変わらないと同じように、俺もまた、変わらない。

 でも――人類の英雄、竜の宿敵、その血を継ぐのが、俺。

 竜の盟主に育てられ、この時代の唯一の神骸機の乗り手にして、ライトニングを討ったもの。

 全部ひっくるめて、俺なんだ。

「うん、父さん」

 そして、俺はトレイン・ハートライトに呪われた人間――。

 だから俺は、父さんに言わなきゃならない。

 俺は――

「でも、父さん。俺は――ネイト・ハートライトなんだ」


『お前は、ネイト・ハートライトだ』


 希代の英雄は、黒い瞳から涙を流しながら、俺の耳元で呪いを語った。

 ケッ、泣きながら、呪いをかける奴があるものか。

「……そうであったな」

 父さんの声は少しだけ、嬉しそうに聞こえた。

「ならば……ネイト・ハートライト。そして、アリエッタ・ハートライトよ。この場はひとまず、矛を納めようぞ。互いに手負いだ、今、これ以上の交戦は無意味だろう。そして、お主らは人の元に戻り、伝えるがいい。人と竜は再び、刃を交えると。そして――我らは勝つ。それは、千年前より何も変わらぬ結果だ」

「……そうやって、驕っているがいい、ダーインスレイヴ。お前が思っているほど、此度の戦、甘くはいかぬと心得よ。お前の敵は、この神骸機とネイト・ハートライトだけではない」

 父さんは振り返ることなく悠然と、島の方へと帰っていった。

 その背中は、灰の世界で俺の前から消えたトレインに、似ている気がした。

 そして俺達は、父さんの宣戦の言葉を肝に銘じる。

 ここから先は、俺達の時代だから。




 クライス・ネール・キーリアがハイグランドに戻って、早三日が経った。世界は未だに動いていないが、世界が動こうとしていることは、明らかであった。

「ほんと、肩が凝るわ」

 ハイグランドの城、玉座の間と呼ばれる部屋から出てきたネールは明らかにげっそりしていた。戻ってすぐに目覚めたネールは、ネイトよりもよっぽど健康体で、精力的に仕事をこなしていた。街の復興の指揮や、リユニオンの置き場など、決めることは山ほど残っている。

「お疲れ~」

 そんなネールをふやけた顔で迎えるのはアリエッタだ。

「お疲れ~、じゃないわよ。誰のせいでこのあたしが謝罪行脚する羽目になったと思ってるの。だいたいね、あんたがネイトを連れてこなければ、」

「まぁまぁ、その説教は前にもしてもらったからサ。それより、どうだった、みんなは?」

「――割れてるわ」

 ネールはアリエッタを除いた各大陸の巫女にこれまでのあらましを説明し、どうするべきかを話し合っていたのだ。彼女らはあくまで竜の側の調停者。しかし、その中でも最大の力を持つネールとアリエッタが叛乱を起こした。大問題である。

「私の側につくといった巫女が二人。態度を明確にしていないのが五人。敵対すると明言したのが三人。ま、想像より敵は少ないわね。それでも、前途は多難だわ」

「どうするの?」

「とりあえず、二人の巫女とネイトを引き合わせるわ。二人とも気になってるみたいだったし。彼はどう?」

「んー……難しいところだよね。なんか、そういう話題を出すのも憚られる気がしてさ」

「ま、それもそうか……。とはいえ、いつまでもそんな様子でいてもらっちゃ困るわね。あたしとしても、お礼は言わなきゃいけないし」

「お礼?」

 きょとんとするアリエッタに、当たり前でしょ、とネールはふんぞり返る。

「このあたしを助けたのだから、それ相応のお礼をしなきゃいけないでしょ。それに、彼とは全然、これっぽっちも話す機会がなかったから、単純に話してみたくもあるわ。ダーインスレイヴの元で育ち、私達以上に竜術を使いこなし、挙げ句、英雄トレイン・ハートライトの血を色濃く継ぐ……間違いなく、彼は世界を動かすわ。いい方か悪い方か、それを決めるのはあたし達ではなく、人々だけど――。いい方に動かしてくれると、あたしは信じたい」

 ネールの目が、好奇心で爛々と光り輝いている。こうなるとろくなことにならないことを、アリエッタは嫌というほど知っていた。

「でもね、アリエッタ」

「ん?」

「あたしは何よりあなたにお礼を言いたいの」

「……なにさ、急に」

「結局、あなたがいなければ何も始まらなかった。私達はやりたくもない調停をし、自由を願う人々をこの手で握り潰し続けて、一生を終えるしかなかった。それが、変わろうとしてる。結局それは、あなたが行動したからに他ならない。だから誰かがなんと言おうと、あたしはあなたの選択を尊重するわ。尊敬もする。そして願わくは、あたしにも手伝わせて欲しい」

「森羅万象を統べる大巫女様がいれば、千人力だね」

 アリエッタの茶化しに対し、ネールは大真面目な顔で頷いた。

「任せなさい。このあたし一人で、万人分の働きをしてあげるわ!」

 実に、気のいい話である。

「じゃ、ネールが万人分の働きをしてくれるみたいだし、私はネイトのところに行ってくるね」

「……は?」

 言うが早いか、アリエッタの姿は消えていた。


 手負いのリユニオンは、ひとまずあの岩場に収納された。

 とはいえ、修繕設備も無い以上、本当にただ置いておくだけ。

「――まずはお前を直してやらねばならんな」

 リユニオンが戻ってきた時、セドリックは実に驚いた。

 そして同時に、あることを直感した。神骸機は心を移す鏡――様変わりするには、それなりの理由がある。たとえばそう、搭乗者が変わった、とか。

 その時点で、覚悟はしていた。その覚悟が現実となったのは、リユニオン帰還後のバタバタの中であった。

 セドリックはトレインからの伝言を、何かにつけて思い出す。

「よくもまぁ、無責任なことを言えたものだ。俺はお前ではないというに……」

 セドリックには、自分が役不足という自覚があった。

 確かに彼は優秀な軍人ではあったが、戦いの中心にいたとは言い難い。戦争という非常事態の下において、英雄でもなんでもない、ただの凡人であった。

 いつも彼は蚊帳の外で、情け容赦ない、事実(・・)だけを伝えられてきた。

 どこの誰かが死んだという、事実。トレインが帰還する度に、セドリックはそんなことを聞かされてきた。事実を語るトレインの顔は沈んでいて、しかし、その瞳にはセドリックでさえたじろぐほどの、強烈な憎しみが宿っていた。

 出撃の度にトレインの瞳の憎しみは強まり――遂には、帰ってこなかった。

 二度目は、感情を映す瞳すら失って、トレインは戦場に赴き、帰ってこなかった。

 セドリックはこれで二度、トレインの未還という事実を体験したことになる。

 それが自分でよかったと、セドリックは思った。

 彼は良くも悪くも軍人であり、「ただ一人に戦力が傾倒した場合に何が起こるか」という事象に一般化することができていた。覚悟ができていたと言い換えてもいい。

 覚悟ができていたのなら、その先のことも分かっているだろう――そんな、意地の悪い台詞を吐く彼の顔が浮かぶ。

「……だからこそ、後を託すのが俺なのか」

 トレインが生きていた頃、常に彼は時代の中心にあった。ウィクトーリアとトレイン・ハートライトは希望であることを求められ、トレインはその人々の望みに、忠実なまでに応えた。

 彼がどれほど孤独だったか、セドリックはよく知っている。

 それは軍人としてではなく、一人の友人として、よく知っていた。

 だからこそ、機体の内から意識さえも消えた今ようやく、トレインには安寧が訪れたと考えると、この事実に、一抹の安堵を覚えるのだ。

 その安堵は、不安の裏返しでもある。今は人々も困惑しているだろうが、いずれ、希望を仮託するしかないのだと気付くだろう。まだ幼い一人の少年に――。この構図は、千年前の英雄が通ってきた道程とまるで同じだ。

 その道程の中で、セドリックは黒子だった。何もできない黒子だった。

「しかしなぁ、トレイン。俺はあいつらに何もしてやれん。お前に何もしてやれなかったように……」

 トレインの時代は終わった。トレインの言葉を借りるならば、これからはネイトの時代。

 そして、まだ青臭い少年の時代を象徴するのが、この漆黒の神骸機。

「ここでも俺は見ているだけ、か……」

「よっ、セドちゃん!」

「ぐげぇっ!」

 アリエッタが勢いよくセドリックの背に飛び乗った瞬間、うめき声が響いた。

「……おまえぇ……」

「お? 痛かった? ごめんごめんー、ところでさ、ネイトいる?」

「今日はここには来てないぞ……」

「あら。ここにもいないとなると、どこにいるのかな……。ところで、どしたの?」

「お前に乗られて苦しいんだ……」

「あ、ごめんごめん」

 全く悪びれた様子もなく謝ったあと、アリエッタはセドリックから飛び降りた。

「で、どしたの?」

「……お前は惚けているのか鋭いのか、たまに分からなくなる」

「ふっふっふ。秘密のある女という奴ですヨ」

「なるほど――いやなに、俺はまた何もできなかったなと、思っただけさ」

「んー……何もできなかったなんてこと、ないでしょ」

 意図らしい意図も見えない、あっけらかんとした軽い口調だった。

「だってさ、セドちゃんがいなきゃ、そもそもネイトはこの神骸機に乗ることもなかったし、ネイトがこれに乗らなきゃ、世界はなんにも変わらなかったでしょ。いずれ訪れる破滅を受け容れるしかなかった。セドちゃんは実に立派なことをしたんだよ」

「ネイトのような子供を表舞台に引っ張り上げた挙げ句に、これ以上何もしてやれないというのは……あまりに、無責任が過ぎる。しかし現実――俺は無責任だ。アリエッタ、お前でさえ、あの時共に往ったというに、俺はこの土地に残るしかなかった」

「帰る場所に待ってる人がいるって重要だと思うよ。まぁねぇ、これで可愛い女の子ならって思うけど、生憎なことに毛むくじゃらのセドちゃんだからなぁ。そういうモチベーションにはならないかな」

 そういって、アリエッタはからからと笑った。

「……なら、やはりダメではないか」

「いやいや、そんなことないよ。セドちゃんは私やネイトに、色んなこと、教えてくれるでしょ? これから先、セドちゃんの知識が必要なくなるなんてことはない――ううん、私達にはセドちゃんの知識と、もふもふが必要なのだよ!」

 アリエッタはセドリックのたるんだ腹を撫でた。

「やめい! いやしかしだな、」

 とぼけた顔で手を引っ込めてから、アリエッタは凜と前を向き、言った。

「まだね、私達のことを認めてくれる人達は少ないと思う。私達を肯定してくれる人達はもっと少ないと思う。四方八方敵だらけ。竜と戦うだけじゃない、ううん、もしかしたら、私達に剣を向ける人達と戦うことが、しばらくは主戦になるかもしれない。私は慣れてるけど……ネイトは、すり減って、疲れちゃうと思う。そんな時に、味方がいなかったら大変だよ」

 どんなことがあっても、自分のことを肯定してくれる存在。

 セドリックにとってのトレインは、そういう存在だった。

「そうか……言われてみれば、そうかもしれないな」

 しかし、自分は果たして、どんなときでもトレインの味方でいれただろうか。

 いや、違う、とセドリックは思った。いれたという確信があれば、こんなことは思わない。

 ならば、と、続けて思った。

 少なくとも自身の最期の時に――後悔だけはしたくない、と。

「これは、俺に与えられたチャンスなのかもしれないな……次は後悔無く生きろという……」

 アリエッタは無言で、セドリックの頭を撫でた。

「おっと、忘れるところだった。ネイトを探さなきゃ」

「何か用か?」

「うーん、用ってほどでもないんだけど。ほら、なんとなく誰かと会いたいなーって時、あるじゃん? そういう時なんだよ、今は」

 アリエッタはそういって、誤魔化すように舌を出した。

 そして、セドリックから離れ、ひらひらと手を振る。

「じゃ、私は他のところにいくから!」

 セドリックは笑みをこぼし、目だけで後ろ姿を見送ると、リユニオンを見上げた。

「白がトレインで、黒がネイトか。意外と、心の本質というのは分からないものだな」


 傷だらけの男が一人、玉座に坐していた。

「盟主……もう少し、休まれた方が……」

 枢機卿達は、傷だらけで戻ったダーインスレイヴを気遣っていた。

「……気遣いはいらぬ。それよりも我らは、これからどうするかを決めねばならぬ」

 ダーインスレイヴの声は、意外なほどに平坦であった。

「――我は、人を滅ぼす。新たに現れた神骸機も討つ。しかしその前に、一つ片付けなければならないことがある」

「それは、一体……?」

「死に損ないの竜は、敵はトレイン・ハートライトの忘れ形見と新たに出現した神骸機だけではないと言った。それは、奴自身を数えに入れているのではないかと思ったが――恐らく、そうではない。所詮、奴は言葉を繰るのみ。我らと直接刃を交えるわけではない。で、あるならば……」

 枢機卿達は続きを待つ。

「――神骸機は奴の肉体より生まれたもの。恐らく、あの六枚羽根の神骸機以外にも、奴の身体の一部が世界のどこかで眠っている。それも一機だけではない。先の大戦で我らに辛酸をなめさせてきた神骸機のうちのいくつかが生き残っている可能性も十分あり得る。故に我らは、まず、眠る神骸機を破壊する」

「あの黒い神骸機は放置でよろしいのですか? ライトニングを討滅し、盟主にそれほどの傷を負わせる力の持ち主。手負いである今ならば、」

「……無論、追撃をしないつもりはない。だが、あの神骸機にとって、手負いであるかどうかはあまり、関係がない。奴の紅い光は即席の腕をも生成した。手負いだからと侮れば、我であっても手傷を負う。実力の劣るものが向かえば、無事では済まないだろう」

「ならばすぐにでも――」

「案ずるな。あれを駆るネイトのことは、我らもよく心得ているだろう? アレには武力ではなく、全く別の方法で仕掛ける」

「別の方法、というのは?」

「我らが人の姿をとれること――それを利用しない手はあるまい? 世界各地に散る竜を一旦招集せよ。選別を行い、一部のものをネイトの元に向かわせる」

 ならびに、と、ダーインスレイヴは言葉を続ける。

「枢機卿はここを離れ、世界に散れ。我の耳目となり、隠された神骸機を見つけ出せ。そして、余すことなく破壊せよ!」

「御意!」

 十二の声が、響き渡る。

 彼らの姿を見送るダーインスレイヴの左目は既に、誇り高き竜の盟主のそれだった。

 もう、潰れた右目が開くことはない。それは決別の印であるから。

 しかし今この瞬間も、その右目は疼いていた。



「――すまなかったな、おぬしが望む望まないに関わらず、このような辛い立場を強いて」

 老いた竜の声は、神骸機を通さなければ、俺にしか聞こえない。しかし、俺が眠っていなくても、声が聞こえるようにはなった。曰く、力が少しだけ強まったらしい。

「いいや。俺は、あの城で外の世界を望んでた。だから、これでいいんだよ。願いが完璧に叶うなんて、そんなことできるわけない。俺のご先祖様だって、できなかったんだから」

「そうか……。そういえば、あの神骸機、おぬしは名を知っているか?」

「……そういや、知らない」

「ならば、あの神骸機をリユニオンと呼ぼう。リユニオンというのは、再誕という意味だ。ウィクトーリアの内から再誕した神骸機、故に、リユニオン。いかがかな?」

「いいんじゃいかな、呼びやすいし」

「さようか」

「……一つ聞いてもいいか?」

「なんじゃ?」

「リユニオンが使った力や、俺の使った力。あいつは、一体……? ていうかそもそもあの時、ウィクトーリアに何が起きたんだ?」

「ふむ……あの赤い竜が心臓を捧げたことで、ウィクトーリアは再び空に戻った。それは理解しておるな?」

「ああ」

「神骸機は、かつて我が魂が宿っていた肉体を分割して生み出した存在。つまりは、竜の身体の一部なのだ。それに、竜の心臓が納まった。これにより、竜の身体を構成するものが揃ったのだ。言うならば、神骸機としての本来の姿であるな。しかしその時、ウィクトーリアの内部にはトレイン・ハートライトの魂があった。故に、ウィクトーリアの姿を保っていたのだ」

「だけど、父さんの攻撃で、トレインの意志が、死んだ……」

「いかにも。その瞬間、あの神骸機の内にあったのはおぬしとアリエッタ。神骸機は乗り手の心を映す。おぬしらの心に忠実な姿に、ウィクトーリアは変貌したのだ。無論、そう簡単に神骸機は姿を変えぬ。神骸機は我の身体である以前に一つの物体。それも、人の手が入った兵器だ。人は、人の形をした装甲で神骸機を縛った。ウィクトーリアも同じ事。そのウィクトーリアを縛っていた装甲を解き放ったのは、他でもない、アリエッタの力だ」

「アリエッタの解放の力が、ウィクトーリアの装甲を引っぺがして、俺の心の姿に変える準備をしたって、ことか」

「いかにも。本来、神骸機は乗り手を選ばぬ。選ぶようにしたのは人だ。装甲によって一つの姿に固定したことで、その姿にふさわしい心の持ち主しか乗れぬようにした。無論、心は二つとして存在しない、唯一無二のもの。神骸機の本来の姿からは離れていったわけじゃ」

「……それで、俺の力って?」

「断つ、力」

 何かを、断つ力。

「ある時は過去の一点を断ち切り、ある時は攻撃を断ち、あるいは、肉を断つ。恐らく我以来、長らくこの地上から消えていた、実に希有な力だ。まぁ何より希有であるのは、人の身でありながら、あれほどの規模で顕在化させる心の力であるがな」

「父さんが言ってた、俺が心に竜を飼ってるって、そういうこと……?」

「それは、わからぬ」

 声に、ため息が混じった。

「奴がお主の力に我の影を見たのか、はたまた、また別の要因があったのか。こればかりは、奴にしか分からぬ。知りたければ、再び奴の前に立つことだ。――しかし、ま、死に損ないが知恵を絞るに、竜の如き強き心、あるいは、竜以上に強き心、それをお主に見出したのではないかな?」

 俺の心は、そんなに大したものなのだろうか。

「あのリユニオンの姿には、二通りの解釈がある。一つは、我の身体と新鮮な竜の心臓がその姿の形成に大きく作用したのではないかということ。もう一つは、」

「もう一つは?」

「お主の心が、竜そのもの――いや、ダーインスレイヴの如き心であるということよ」

「竜の形。それも、父さんによく似た姿、だからか……」

「――どちらとも言えぬが、あえて言うなら、我は、後者であると思う」

「神骸機は人の心を映す鏡、だから?」

「うむ」

 声は、優しく肯定した。

 だとしたら、俺はどうするのがよかったんだろう。もし、俺が竜の側の心を持っているのなら、ここにいてはいけないんじゃないだろうか。やっぱり、俺の居場所は――。

 ふと、セドリックの言葉を思い出した。

「できなかった選択を悔いても意味はない、か……」

「その選択を、また執る道があるかもしれぬ。心は如何様にも変容する。おぬしのような若人なら、なおさらな。無論、執らぬという選択もある。おぬしに提示される選択は無限にある」

 そしてその続きを、思い出す。

「重要なのは、今、何を選択するか……」

「そしてそれは、おぬしにしかできぬ選択だ。トレイン・ハートライトが言ったように、今は、我の時代でも、トレインの時代でも、ましてやダーインスレイヴの時代でもない。おぬし達の時代じゃ」

 トレインの、去り際の言葉。

 あいつは、自分を信じろと言った。

「――なに、案ずることはない」

 藁小屋のドアが、開いた。

「ようやく見つけた! もう、真っ昼間だっていうのに、今の今まで寝てたわけ?」

 最後に一言残して、声の気配は消えた。


 おぬしには、よき仲間がいるではないか。


 外に出て、街の方へと少し歩く。言われるがままに連れ出されたものの、その前に交わしていた声との会話のせいか、なかなか口を開きづらい。

「んで、なにやってたのさ?」

「なんにも。ボーッとしてただけ」

「そう? ボーッとしてたようには見えなかったけど」

「じゃあ、なんに見えたんだよ?」

「すごく、真面目な顔してた」

「ははっ。そりゃ多分、気のせいだよ。――で、そっちこそ、なんでこんなとこまで? なんか、緊急の用事でも?」

「ううん、そういうわけじゃないよ」

「? じゃあ、誰かが俺を呼んでるとか?」

「あー、それはあるね。ネールが会いたいって。色々聞きたいことがあるみたい。でもま、それは今じゃなくていいよ」

「い、いいのか……?」

「うん。今すぐ会いたいって言われたら、私もっと必死でネイトのこと探すもん」

「ははは……」

 あの一件があっても、アリエッタはネールのことが苦手らしい。

 怖いものはやはり怖いようだ。

「……なんていうかサ」

「うん」

「誰かと無性に会いたい時って、あるんだよね。で、私は今、無性にネイトに会いたかったわけ。セドちゃんでも、ネールでもなくて、君に会いたかったんだよ」

「そ、そうか……」

 いまいち、アリエッタの言わんとするところが分からない。

 あ、そうだ。早速さっき言われたことを伝えておこう。

「アリエッタがいなきゃ、あの時、俺の神骸機――リユニオンは生まれなかった、みたいなんだ。ありがと。一緒にきてくれなかったら、俺、死んでたかもしれない」

「――えへへへ。面と向かって言われるのは、嬉しいなあ。なにより、ネイトが死ななくてよかったよ。それが一番かなー。私のお陰って言われると、ちょっと、救われた気がする」

「そんなに罪の意識、感じてたのか?」

「――だって、私が何もしなかったら、ネイトは今も平穏無事に過ごしてたじゃん」

 どきり、とした。

 さっき、俺の頭に一瞬過ぎった、選ばなかった選択を言葉にされて。

「覚悟とか責任とか取り繕っても……本気でそうは思えないんだよね。もしかしたら、私の味方は誰もいないんじゃないかとか……嫌な考えが、頭を過ぎっちゃう。あ、ご、ごめんね! こういうことを愚痴るっていうか、言うつもりはなかったんだけど――」

 アリエッタだって、結局は俺と年の変わらない女の子だ。

 俺が抱くような不安を、この子も抱く。

 それなら俺は――俺の回りにいた大人がしてくれたのと、同じ事をしてあげよう。

「――アリエッタは、アリエッタのやり方を信じてくれ。俺が、俺のやり方を信じるように。そして、俺はアリエッタのやり方を信じるよ。だから――自分で否定しないでくれ」

 アリエッタはしばらく、ぽーっとしていた。

 そしてそれから、俺の顔をジッと見て、笑った。

「ネイトは、優しいね」

「そう、かな……?」

「うん、凄く優しい」

 でも、と、言葉を切る。

「やっぱり優しいネイトに、こんなこと、させたくなかったよ……。もっとネイトのことを知ってれば、私――」

「違うよ、アリエッタ。俺は、自分で選んだんだ。父さんと戦うって。人の世界――いや、世界の本当の姿を取り戻すって。あの竜やトレインに強制されたんじゃない。ましてやアリエッタに強制されたわけでもない」

 いや、違う。アリエッタが気にしているのは結局、大元になってしまったことだ。

 多分、それを癒してあげることは、今の俺にはできない。

 それなら――。

「アリエッタ、俺、約束するよ」

「約束?」

「俺は必ず――竜と人間、双方にとって最高の結果を出してみせる。俺は、どっちかを根絶やしになんてさせない。その為にも、俺はもっと強くなる。父さんよりも、どんな人間よりも。トレインだって、超えてみせる」

 アリエッタのためにも、そして何よりも、俺自身のために、もっと強くならなきゃいけない。

 もっと強くならないと、人と竜の両方にとっての最高の結果なんて出せるわけがない。

「だから、アリエッタは心配するな」

 なんとなく、アリエッタの肩に手を置いて、言った。

「ごめんね……」

 それでも、アリエッタは謝ってくれた。


 人と竜の戦争は、もうすぐ始まる。

 いや、もう始まってるのかもしれない。

 正直言って、口ではああ言ったけど、俺にはどうすればいいかさっぱり分からない。ネールやセドリックと相談して、いい方法を探していかなきゃいけないと思う。

 だけどまずは――。

 俺のことをこんなにも気にしてくれるこの子が、もう二度と悲しませないようにしよう、と、心に決めた。

 できないなんて、思わない。

 なんてったって俺は――

 ダーインスレイヴの息子にして、トレイン・ハートライトの血を継ぐ者。

 ネイト・ハートライトなのだから。


拙文をご覧いただき、ありがとうございました。

出す前はこれが一番だと思っていたわけですが、半年も経てば良い意味で醒めて、もっとよくできるなと強く思っております。

というかその題材でこの料理の仕方はないだろーと、思っているところばかりで、修正も思ったより規模が大きくなっております。

まぁ、なかなか楽はできないということで。


重ね重ねになりますが、長い間お時間とっていただき、まことにありがとうございました。

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