前半
GA文庫三次選考落ちの作品です。
ジャンルはファンタジーではあると思います。竜とロボットと父と子の話です。
ほとんど投稿時のままですが、一部さすがにどうか、という点に関して修正を加えています、ご了承を。
これが三次にいくのか、という指針にもしていただければと思っております。
個人的に六割ぐらい気に食わない部分があるので、現在、大規模な改訂を行っています。改訂の進み具合によって、公開をとりやめたり、全く別物に変更される可能性もありますので、ご容赦ください。
また、現在本業で大きな案件を抱えているため、作品に関してレスポンスをいただいても、反応が遅れてしまうと思います。申し訳ありません。
世界が人のものであった、最後の日。
世界に太古から潜んできた竜達は、世界を破壊せんとする人類に誅罰を加えるため、竜の盟主と共に立ち上がった。竜達の圧倒的な力は人類の勇士達を次々駆逐し、その戦力差は開く一方であった。戦局は、終局に向かい始めていた。
人類に最後の審判を下すべく、空の全てを覆い隠す漆黒の翼が現れた。
全高八〇メートルはあろうその巨体は、漆黒の逆鱗に覆われていた。逆鱗の間からは、二つの紅い烈光が輝いている。
六枚の翼を羽ばたかせ、その竜の盟主は、単独で立ちはだかる白銀の鎧を見据えた。
戦場で相まみえるのは、今日が初めてだ。しかし、両者はお互いを嫌というほど知っていた。
互いが、互いの同胞を何人も殺めてきた。何度殺しても殺し足りないほどの憎悪を、互いは互いに抱いていた。両者の間に漂う緊張感は、今にも爆ぜそうなほどになっている。
先に口を開いたのは、竜であった。
「――なぜお前は、そうまでして我らの前に立ちはだかる?」
その背中に守るべきものがないことを、竜は知っていた。人類は最後まで彼らと共にあった英雄を切り捨てた。勝ち目のない戦に、これ以上の戦力は割けない――英雄もまた、それを是とした。
如何に人類から英雄と呼ばれようとも、人の身であることに変わりはない。ただ一人で刃を交えることを、拒絶する権利もあった。初めから全てを投げ出し、竜達に頭を垂れる選択もあった。しかし、英雄――トレイン・ハートライトはそれを是とはしなかった。
「俺まで諦めたら、人類は終わりだ。お前達に恭順すれば最後、人類は全て奪われる。自由も、尊厳も、世界も、全てだ! だから、俺は諦めない。――それに、俺はてめえが気に食わねぇんだ、ダーインスレイヴ! 俺はてめえをぶっ殺す!」
白銀の騎士――竜に唯一対抗しうる術、神骸機ウィクトーリアは、対の剣の切っ先を突き付け、その背の蒼い翼を広げた。
漆黒の翼と蒼い翼が対峙する。
「さすがだ、我が仇敵よ。その気高き心、人の身には実に惜しい。我らの同志にあっても、それだけの強き心を持つ竜はいるまい。なぜ貴様が人の身を持ったのか――世界はとみに残酷であるな」
「竜の身体なんて死んでもごめんだ! 俺は人として生きて――人として死ぬッ! そして、それは今日じゃねぇッ!」
「よかろう――」
ダーインスレイヴの雄叫びと共に、六枚の翼から濃い黒い霧が噴出する。
竜達の身体能力は、神骸機を初めとした近代兵器とさして差はなかった。神骸機の方が上回っていたと言っても、過言ではないかもしれない。それでも戦局が一度として人間側に傾かなかったのは、竜達が「竜術」と呼ばれる、正体不明の力を操ったからだ。竜術は津波を起こし、風を吹かし、雷を轟かせ、炎を生み出し、中には遙かに高度な、人間の理解を超える事象を操る竜もいた。
その中でももっとも特異かつ圧倒的な竜術こそ、このダーインスレイヴが操る霧である。
その霧を、人類は「闇」と呼んでいた。ダーインスレイヴから噴出した闇は空を覆い尽くし、蒼空と光を闇へと閉ざす。
そうして、一対一の戦争が始まった。
闇は晴れた。
――最初に姿を見せたのは、紅い花の大輪だった。
ダーインスレイヴは悠然と、花を背負うように飛んでいた。
そして、その眼前を、あまりにちっぽけな人型が落ちていく。
大きな飛沫が上がって、片腕を失ったウィクトーリアは、海中へと没した。
冷徹な視線を下に向け、ダーインスレイヴは首を振る。
「これでもなお、貴様はその言葉が正しいと思うのか……? 所詮、人間にとって力は力でしかない。お前が与えてやった力も、所詮は敵を討ち果たすためだけの道具にしかできんのだ。ならば、力には力で挑むしかあるまい――」
ダーインスレイヴはウィクトーリアが没した海中をしばらくの間見つめていた。が、蒼い翼が再び羽ばたくことはないと確認すると、澄み渡る晴天に向かって、咆哮をあげた。
その咆哮に誘われるように、無数の小さな黒い影が様々な方角から、ダーインスレイヴの元へと飛来する。世界に潜んでいた竜達は鬨の声をあげた。
これは長きにわたって続く竜の時代の、その始まりである。
男は城主、あるいは、盟主と呼ばれていた。故に、彼を盟主と呼ぶことにする。
盟主は世界の辺境の小島にある城の主であった。
そして今日も朝食の席で、彼は不肖の息子と自身の執事に向かって苦言を向けていた。
「遅いぞ、ネイト、ライトニング」
紅い瞳が二人を非難がましく見つめたあと、執事の方に揺れる視線を定めた。
「……特にライトニング。お前は朝から廊下をバタバタと。みっともないとは思わないのか? もう少し、我の執事であるという自覚を持て」
正装に身を包んだ赤毛の青年――ライトニングは直立不動の姿勢をとりながらも、表情は少々ニヤけ気味に応じた。
「そりゃもちろん……十二分に自覚しておりますよ」
盟主は答えに満足した様子ではなかったが、ひとまず、視線をライトニングから外した。
「ネイト、いつまで突っ立っている。座りなさい」
ライトニングの傍ら、居心地が悪そうに後ろ手を組んでいる少年――ネイトは一層身を固くして、父の言葉の続きを待っていた。
「……下がれ」
盟主の言葉に応じて、ライトニングを含めた使用人達が一斉に部屋を出て行く。一刻も早くこの場から立ち去りたいという気持ちは、彼らの共通認識であったらしい。
取り残されたネイトは、父の真向かいの席に座った。元々、食事は二人分しかない。
「……一ヶ月ぶりだな。お前の誕生日以来か」
盟主はバゲットにバターを塗りたくりながら、ネイトの方も見ずに言った。
「そ、そう……だね、父さん」
ネイトはなんとも居心地が悪そうに視線を泳がせている。残念ながら味方はいない。
「いつまで呆けているのだ。さっさと食べなさい」
「は、はい……」
二人の紅い瞳は、なかなか交わらない。ネイトは一向に俯いたまま、パンにバターを塗っている。その姿を見ながら、盟主は静かに、しかしよく響く声で語りかけた。
「一ヶ月、どうしていた? 顔も見せないのはやりすぎではないか?」
ネイトは答えない。というより、答えられなかった。
ネイトは十五歳の誕生日を迎えたすぐあと、自分はこれから自立すると宣言し、自室に籠もり始めたのである。なんの脈絡もない、突然の出来事であった。
「好きにしてもよい、とは言ったが、傍若無人に振る舞って良いと言ったわけではない。ずいぶんと、ライトニング達に迷惑をかけているようではないか。全く、我はお前をそのように育てたつもりはないぞ?」
「――いや迷惑かけてるってわけじゃ。逆だよ逆、みんなに迷惑をかけないように、俺は一人で自立しているところを見せようと思ったわけでさ」
「朝は太陽が昇りきった頃に起きて、夜は日付が変わった頃に眠るのが自立か? 食事や、着替えを侍女に持ってこさせるのが自立か? なんとも愉快な自立があったものだ」
ネイトは居心地悪そうにバゲットの端を囓りながら、しゅんとした表情を見せた。
「……スイマセンデシタ」
「分かればよい。お前は心技体全てにおいて未熟だ。一つの目安である十五を超えたからといって、一人前面をしてはならん。今日からは心を入れ替えて、懸命に鍛錬に励むように」
「はい」
ネイトは素直に頷いた。
「やれやれ、それぐらい殊勝な態度をライトニングや侍女達にも見せてやれないものか」
「お、俺だって、みんながそんな風に言ってくれたら、少しは改めるよ」
「ネイト、お前は我の跡継ぎだ。ゆくゆくは、この城の主として皆を統率する立場になる。そういう者に直接苦言を呈せるものは、なかなかいない」
「そんな風に俺が跡継ぎになるって思ってるの、父さんだけじゃないの? 俺は結局父さんの息子ってだけで、よっぽどライトニングの方が跡継ぎらしいじゃないか。ライトニングは強いし、頭いいし、この城の中でも古株なんだろ? 父さんだってよく言ってるじゃないか、血筋よりも能力が重要だって。城の跡継ぎなんてまさしくそういうことなんじゃないのか?」
「……確かに、お前の言葉には一理ある。だがな、ネイト。血筋も立派な力なのだ。お前が我の血を継いでいるということが、何よりも皆の頭を垂れさせる理由になる。ただ剣の腕が立つ、術の練度が高い、我の仕事をよく手伝う――これらは努力をもってすれば得られる能力ではあるが、流れる血の色は努力では変えられぬ。そういうことだ」
「じゃあ、俺が血筋にかまけて手を抜くようなことをしたら?」
「無論、そんな盟主に付いてくる愚かな家臣はそうおらぬ。だからこそ、我はお前がそうはならぬよう、智慧を授けようとしておるのだ。そして幸いにも、お前の素質は愚者ではなかった。もっとも、お前が我の跡を継ぐのは遥か先の話だ。正直言って、少し嬉しいぞ、ネイト。まだ若輩の身でありながら、自分の身の振り方をよく考えている。我らの未来は安泰であるな」
ネイトは誤魔化すようにパンを急いで口の中に詰め込んだ。
そしてすぐ、表情が苦しそうに歪む。
「んぐっ、ぐぐぐっぐっ!」
「何をやっているのやら……」
盟主の呆れた視線に晒されながら、ネイトは牛乳で喉に詰まったパンを流し込んだ。酷く品のないうめき声を漏らしたあと、ネイトははあ、と息を吐いた。
「……ご、ごめんなさい、父さん」
「別に、お前のやること全てに目くじらを立てるつもりはない。――お前はそのままでよい。そのまま、強くなればよい。そうすれば、輝かしき未来は必ずや我らの手の内にやってくる」
盟主の最後の言葉は、どこか祈るような調子であった。
朝食を終えて、ネイトが部屋の外に出ると、ライトニングが腕組みをして待っていた。
「久々の親子の対話はいかがでございましたか、お坊ちゃん?」
「別に、いつも通りさ。――んで、どうしたんだよ?」
「いやいや、久々の親子の対話のついで、俺にもちょっとお付き合いいただけないかな、と」
そう言って、ライトニングはこれ見よがしに手をパキポキ鳴らした。
「えー……」
「そんな嫌そうな顔しないでくださいな。俺のナイーブな心が傷付くじゃないですか」
「だってお前、加減がないじゃないか。――ったくもう、まぁいいけどさ。付き合って、や、る、よ」
「ありがたきお言葉」
ライトニングは恭しく礼をして、ネイトを伴い、城の中庭へと向かった。
◆
俺は、この島で生まれた――らしい。物心付いた時、俺の側にいたのは父さんやライトニングだけだった。母さんの顔は、知らない。母さんのことを尋ねても、父さんやライトニングは答えてくれなかった。
島の名前は、知らない。俺にはここしかないのだから、知ったところで意味がないのだ。実際問題、皆はここを島としか呼ばないから、多分、名前はないんだろう。
島の周りは海。一面の海だ。島の中は自然が豊かで、この城の周りには熱帯雨林が茂っている。熱帯雨林の中は凶暴な獣や毒を持った虫、草のオンパレードらしく、父さんから絶対に入るなと昔からキツく言われていた。
城は四階まであって、今、俺達は城の一階、吹き抜けになった中庭にいる。普段、ここを利用しているのは俺とライトニング、それに憲兵達だ。
この城にいる人間は、おおまかに三種に大別される。一つは、父さんとその直属となる、ライトニングをはじめとした十数人で構成される枢機卿と呼ばれる集団だ。なんでも父さんとは昔からの付き合いらしく、城の人事を任されている。ライトニングは一括りに、上層部という。
その上層部の配下にある、下部の人員が二種目になる。俺の部屋のメイドだとか、厨房の料理人といった、城の生活を支える人達だ。
そして最後、枢機卿によって指揮されている憲兵団。彼らがこの城を何から守っているのか、俺は知らない。未だに彼らが剣を抜いたところを俺は見たことがないが、父さんが未だに置いているということは、きっと必要なのだろう。
――俺は、この城が苦手だ。
もちろん、みんなが嫌いだとか、そういうわけじゃない。どうしても一部に、気に入りようのない奴らがいるんだ。
廊下を歩いていると、俺に向かって頭を下げてくれる人達と、あからさまに俺を無視する人達とがいる。子供の頃はさっぱり理由が分からず、部屋で無性に泣きたくなるようなこともあった。今はもう慣れたけど。
ちなみに、理由は未だにさっぱり分からない。
父さんに直接聞いたことはないが、ライトニングに一度だけ聞いたことがある。
『ま、お坊ちゃんが羨ましい、それだけです。皆、あなたと同じ子供なんです』
ライトニングにはうまく誤魔化されたと思ってる。
俺はこの城しか知らないのに、城の中ですら知らないことばかりだ。俺の知りたいことは、誰も、何も教えてくれない。俺が知りたくもないことを、皆はこぞって俺に教える。
本当に知りたいことは、俺自身の手で知るしかない……のかもしれない。
たとえば――そう、城の外のこととか。
「――なあ、ライトニング」
鍛錬用の木剣を受け取って腰に挿しながら、傍らのライトニングに問いかける。
「どうしましたか、ネイト坊ちゃん」
「……真面目な話なんだ」
「真面目な話か」
ライトニングは真顔になって、剣を脇に置いた。
そして、雰囲気がガラッと変わる。俺が良く知っている、兄貴になる。
「どうした?」
「俺、ずっと気になってたんだ。――なあ、海の向こうには何があるんだ? ライトニングなら知ってるよな? 外のことを書いた本は読んだことないし、城の中にもないみたいだからさ」
ライトニングは、口ごもった。ちょっと、意外だった。
あっさり答えてくれるとばかり思っていたから。
「なぜ、それを知りたい? 誰かから、変な話でも吹き込まれたか?」
「そういうわけじゃ、ないんだ。でも、あのさ……あっ、これ、父さんには内緒にして欲しいんだけど――なんとなく、なんだけどさ、誰が悪いってわけじゃないんだけど、俺、ずっと昔から、この城がなんとなく居心地悪かったっていうか……。だからもしかしたら、ここじゃないどこかに行けたら、俺のもやもやも晴れるかな、って」
「居心地が悪い、か。ま、確かにそんなこと、盟主には言えないわな。お前の居心地を悪くした奴を探し出してしばきあげかねない。――そうか、そうか」
ライトニングはしみじみ、二度頷いた。
「なんだよ、俺は真面目に相談してるんだぞ。十五年も暮らしてるのに――俺が変なのかなって、結構悩んでるんだ。これでも」
「人間誰しも、合わない水ってのがあるもんだ。お前にとってはたまたまそれがこの城だっただけのこと。あんまり気にしても仕方ないぞ? しかし、急にどうした。前はそんなこと一言も言ってなかったじゃないか」
「……俺なりにさ、十五歳になって好きにやってみて、もしかしたらこのもやもやが吹き飛ぶかなぁって思ってたんだ。……でも、もやもやは消えなかった。それどころか一層強くなってさ。どうして俺は――」
「お前がここにいる理由は、盟主の息子だから。それだけだ。――そう、それだけだ」
ライトニングは立ち上がった。その手には、いつもの剣。
「余計なこと考えててもしょうがないだろ。ほら、相手してやる。ネイト、剣を振り回してたら、そんな無駄な悩みを気にしなくて済むぞ」
「無駄な悩みだとは思わないけど――さ!」
木剣を、ライトニングの剣に合わせる。
「ハンッ、今日こそは俺が勝つ」
「一ヶ月もろくに鍛錬してないお前が、果たしてどこまでやれるものかな……?」
一睨みしてやってから、腰を落として剣を構える。
ライトニングはいつもと変わらず、剣を右手だけで構えた。こいつは必ず、利き手の左手を封印して俺と鍛錬する。ま、それだけ舐められているっつーことだ。とてつもなくむかつく話だが、舐められているのに一向に歯が立たないのは紛れもなく俺が悪いので、かっこ悪いことこの上ない。
「うっせー、一ヶ月の間に体調を万全に整えてたんだよ!」
もちろん大嘘だ。
「はっはっは、そいつはいい。来い! 万全になった体調とやらを見せてみろ!」
ライトニングは俺より遙かに上背がある。リーチでは勝ち目がない。とすれば、俺がまともにやって勝つには、懐に潜って仕掛けるしかない……のだが。
「くっそ!」
片手しか使っていないにも関わらず、ライトニングの剣技は軽やかで、隙がない。
俺が腰を入れて叩き込んだ一撃も、簡単にライトニングははね除けてくる。ほとんど力が入っていないような軽い剣戟なのに、的確に、俺の剣先は逸れていく。
しかも、ライトニングは懐に潜り込もうとする俺の侵入を全く許さない。どうしても、身体の手前で進撃が止められてしまう。右に剣が走ったと思えば、それを受けている間に、素早く左から振りかぶられる。なんとか先に進んでもすぐに連撃で押し込まれ、気付けば間合いは開くばかり。しかも、一度開いてしまった間合いは、そう簡単には詰められない。
俺と奴には、馬力にも大きな差がある。ライトニングの一撃は重く、まともに受けるだけでも、凄まじい衝撃が身体を駆け抜けていく。
「はぁっ……はぁっ……!」
鍛錬を始めて、まだ数分。なのに、すっかり俺の息は上がってしまっている。
いつもこのパターンだ。結局奴の懐には入れず、防戦一方になり、俺が体力切れを起こす。ふらふらのままでは、事故で俺を斬りかねない――そう言って、ライトニングは剣を下ろす。いつも通り、何も変わらない。
「潮時だな。一ヶ月やらなかった割に、腕は鈍ってないようだ。それとも、成長の限界を迎えたか……」
不穏な一言を付け足して、ライトニングはニヤリと笑った。
「――まだだ!」
剣を杖にして、立ち上がる。
最後の一言がちょっとむかついた――それもあるが、一人前扱いされるようになったのだから、前と同じじゃ、いられないんだ。
だが、ライトニングは乗ってこない。
「いや、もう、だ。これ以上やったって、お前を無駄に怪我させるだけだ。これで、お前の0勝2921敗だな」
俺とライトニングが鍛錬を始めて、足かけ八年。毎日毎日、来る日も来る日も俺とライトニングは同じ事を繰り返してきた。俺は毎日同じように負けてきた。まるで変わらない。これが、俺の日常だ。
「一々数えるのやめろっての……。はあ、2921敗かぁ……。いざ数字にされると、堪えるな。なかなか」
ライトニングは楽しそうに笑ったあと、剣を鞘へと仕舞った。それからすぐに笑みを引っ込めて、諭すように言った。
「だけどな、一の敗北の積み重ねがいつかの勝利を呼ぶんだ。いいか、ネイト。お前は余計なことを考えるな。強くなることだけを考えろ。俺や盟主がいなくなった時、一人でも進めるように。お前が思っているほど、この世界は盤石じゃない」
「……どういう、意味だ?」
「年長者からのアドバイスさ。なに、ビビることはない。何が起きてもいいように、身体だけは鍛えておけって話さ!」
ライトニングは景気づけするように、俺の肩をバンバンと叩いた。なんとなく軽い態度を見せているけど、そういう単純な話じゃないような気がする。
だって、ライトニングがこんな思い詰めたような顔をするのは――初めて見たから。
ライトニングから夕飯も盟主に付き合ってやれと言われて、俺は父さんの待つ食堂にやって来た。食堂の窓から差し込む日差しはオレンジ色。
オレンジ色に照らされながら食べる夕飯が、この城で俺が一番好きな光景だ。
一ヶ月ぶりに見ると、感慨もひとしお――だ。
我ながら、何をセンチになっているのやら。
とりあえず、目の前の美味そうなステーキを切り分ける。この城で肉が出ることは珍しい。
「今日もライトニングには負けたか」
父さんは開口一番、ちょっと困った風に笑いながら言った。
「あぁ、うん……。2921敗目だ」
「はっはっは、敗北も3000近くなれば、相当なお前の血肉となっているだろう。なに、気に病むことはない。ライトニングはこの城の中でも最強に近い武人だ。アレに勝つことは無理かもしれんが、他の城の者であれば、お前には歯が立たんだろう。ふむ、近いうちに闘技大会でも盛大に催してみるか。この城には娯楽が足りない、そうは思わないか?」
「娯楽かぁ……。娯楽なんて考えたこともなかったよ」
「お前のような年頃の人間からしてみれば、信じられない言葉だな。ま、お前にとっては、強いて言うならばライトニングの組み手が娯楽だったのかもしれないが……。元より、外の世界の娯楽など欠片も望まない者が多かったからな。お前のような若人のことを慮ってやることにまで、気が回っていなかったな」
俺のような年頃の人間、それに、外の世界の娯楽――父さんからそんな言葉が出てきて、少し驚いた。
でも同時に嬉しくもあった。やっぱり、海の向こうには俺が知らない世界があるのか。
「――父さん、あのさ、俺ずっと気になってたんだ。この城に子供って、俺しかいないよな? みんな、子供が成長して大人になるんだよな? なのに子供が俺しかいないって、なんか……変、じゃないか?」
ずっと感じていた一つの違和感が、これ。思えば、十歳の頃から気になっていたかもしれない。ライトニングに成長の仕組みを教えられた時、素直に父さんにした問いかけと同じ疑問が頭をもたげたのを覚えている。
「――すまない」
しばらくの沈黙の後、父さんは絞り出すように言った。
「思えば、我らはお前を酷な環境に置いてしまったのやもしれぬ。同年代の友というものが成長に不可欠であろうことは、少し考えれば分かりそうなものだったが……。だが、急にどうした、そんなことを聞くなんて」
しまった。ライトニングに忠告されていたのをすっかり忘れていた。
結局はさっきの、俺の違和感に行き着くのだ。居心地が、なんとなく悪い。
そんなこと、素直に父さんに言えるはずがない。
なんとか、ストレートな物言いにならないように気を遣わなければ。
「いや、その、なんつーか……ちょっと気になっただけっていうか。なんとなく今日、海を見てたら、あの向こうには何があるのかなぁ、とか、そんなことが気になっただけで。ライトニングに聞いても答えてくれなかったしさ」
「……海の向こう、か。気になるか、ネイト」
父さんの目は、自然と夕陽が差し込む窓の方に向いていた。
「何があるのかは、気になるよ。でも、行きたいわけじゃない。同年代の友達とかも、正直言っていらない。今まで何の不自由もせずに暮らしてきたんだ。今更欲しがったりしないよ。俺は、このままここにいられればいい。だって俺は、父さんの息子だから」
「そう、か」
父さんは、小さく息を吐いた。
「語るべき時なのかもしれぬ。――元より、十五年でお前を一人前と認めると決めていたのだから、本来はもっと早く、語っておくべきだったのかもしれぬ。我らの起源を――」
「起源?」
「そうだ。あらゆるものには起源がある。生まれ出でるところが、な。お前が食べている肉と、お前の起源は違う。それと同じように――」
父さんはそこで一旦言葉を切って、しばらくの間、紅い瞳で俺のことを見つめていた。
「なあ、ネイトよ、」
そんな父さんの言葉を遮るように、
轟音が響いた。
◆
この古城の城門には、常に警邏の者が三人ついている。
いずれもライトニングに勝るとも劣らない強者だ。
それが、ほぼ五分保たずに無力化された。
「――噂には聞いていたが、それほどのものとは」
唸るような低い声が響き渡る。
「うーん、あんまりこういう使い方はしたくないんだけどねー」
それに答える軽薄な声に、低い声の主はむむぅ、と唸る。
「……これからはどうする? 俺は、立ち塞がる敵は全てねじ伏せるべきだと思うが」
「セドちゃんの言うことはよく分かるよ? でもさぁ、博愛主義者であるべきじゃない?」
そんな軽口を叩きながら、二つの声の主の顔が夕焼けに照らし出された。
一人は、少女。グレーのベレー帽を被り、三つ編みにした髪を揺らしながら、地面に伸びている男達の意識を完全に奪ったかどうか、つま先で念入りに確認している。
その瞳は、左右で色が違った。右目は金色、左目はブラウンのオッドアイである。
「殺しちゃ、ダメだよ」
「……分かった。お前のいうことに従おう」
と、言いながらも不満そうな顔を見せている「もの」は――。
大きな顔に、鳶色の瞳を持った獅子であった。
獅子はそれがさも当然のことのように、口を開き、発声していた。
「城の内部構造は知っているのか?」
「知らないよ。虱潰しにやるしかないよね」
「……少しだけ、この話に乗った自分が馬鹿に思えてきたよ。まぁ、後から言っても仕方ない。では行こうか、アリエッタ」
「うん。行こう。――私達の希望、取り戻さないとね」
獅子と少女は、意気揚々と城内に入っていく。
そして城のどこかで、轟音が響き渡った。
盟主の決断は速かった。
「枢機卿達を招聘せよ! 各枢機卿は旗下の兵を招集。状況を把握するのだ! ――ライトニング!」
ネイトが周囲を見渡している間に、枢機卿達が参集した。
少し遅れて、ライトニングがやってくる。
「ここに」
十三人が一様に声を発した。
「よい。現在の状況を説明しろ!」
小太りの枢機卿が甲高い声で答える。
「はっ! 侵入者のようであります! 既に城門の警邏の者達は排除。命を奪われてはいないようですが、襲撃時の記憶が曖昧であり、侵入者の特定には至っておりません!」
「侵入者の位置は?」
誰も、答えるものがいない。
しばらくしてから、一人の枢機卿が答えた。
「――竜脈網から次々構成員が離脱しております。全員がそのまま連絡が途絶しております」
「命を奪われたわけではないだろう。――枢機卿の諸君、力の行使を許可する。今ここにいる兵卒では、城門警備兵を短時間で無力化するような侵入者を排除することはできないだろう。諸君らは兵卒をまとめ上げ、直接指揮を執れ」
枢機卿達は一礼し、急ぎ足で食堂を出て行った。
残ったのは盟主とネイト、そしてライトニングだけである。
「ライトニング」
ダーインスレイヴは険しい顔つきで、ライトニングの紅い瞳を見据えた。
「お前にネイトを任せる。――久方ぶりの敵だ。我も出る」
「御意に」
ライトニングはネイトに目配せをして、椅子から立ち上がらせた。
それから、少し困ったような顔をして、どこに逃がしてやれば――と、肩をすくめる。
「……恐らく、戦場になるであろう。部屋の中に隠しておけ。お前は、部屋を」
「重ねて御意に。――しかし、なぜ今更になってこの城が? そもそも、海の向こうの奴らがこの城の場所を知っているわけがないでしょう?」
「分からん。内通者がいないとも限らないが……調査は後だ。お前は早く、ネイトを」
ライトニングは力強く頷き、ネイトの手を掴むと「行くぞ」と声をかけ、一気に走り出した。二人が出て行ったのを確認してから、ダーインスレイヴは立ち上がる。
「では、往こうか」
黒衣をたなびかせ、古城の主は忍び寄る闇の如く、戦場へと赴いた。
枢機卿達が集っていた食堂からは少し離れた二階の踊り場で、獅子と少女は交戦していた。
「おい! 本気でノープランなのか!? ヤツが出てきたらどうする!?」
「その時は――その時だよ!」
少女が手をかざすと、石造りの壁が内側から弾け飛ぶように破裂した。無数の煉瓦が飛び散り、その付近にいた城の兵達は瓦礫をモロに食らい、その場に突っ伏す。
「そもそも! もしその子が私達の希望で、私達がその希望を守るに値する存在なら、あれこれ策を講じなくても――!」
今度は床に敷き詰められた石が飛び散り、廊下から迫る枢機卿の一人に襲いかかる。
「アリエッタ、上にもいるぞ!」
枢機卿が少女と同じく右手を空にかざしたのを見て、獅子が吠える。少女はそれに、元気いっぱいで答えた。
「運命ってやつが、巡り合わせてくれると思うよ!」
枢機卿の前の空間が、何の前触れもなく爆ぜた。
少女は手を休めず、再び右手を床に触れさせた。噴き上がる瓦礫に巻き込まれ、枢機卿の身体は後方に三十メートルほど吹き飛ばされる。
「アリエッタ、二手に分かれるぞ。これだけ広い城だ。目的のブツを見つけるよりも先に、こっちが数の暴力でやられるぞ!」
「ううん、一緒にいた方がいい。セドちゃん、もし万が一にでも私みたいのと遭遇したらどうするの? ここにいる奴らの中には、私よりずっと強いヤツもいるかもしれない」
「ぬぅ……」
「唸らない! ――でも、なんとなく分かることはあるよね。彼を大事にしてるってことは、さ。わざわざこんな激戦地の近くに置いたりはしないでしょ。みんなして守ってるのかもしれないけど、守るなら、その場を動かないよねぇ? ふふ、私の乙女のカンがビンビンですよ?」
「大事にしていない可能性は?」
「大事にしてない人を、十五年も酔狂で育てるかな?」
「なるほど、確かに。では、上に行くか。――アリエッタ!」
階上から、鉄の鎖が二人目がけて振り下ろされる。少女と獅子は素早く分散し、回避した。
「やれやれ、次から次へと……」
「ここから脱出しなきゃいけないと思うと気が滅入るよねぇ!」
階上の男の周囲が爆ぜる。四方向からの攻撃に為す術無く、男の身体は階下に叩き付けられた。少女は少しだけ、荒く息を吐く。
「大丈夫か?」
獅子の不安そうな視線に、少女は小さく首を横に振った。
「まだいける」
「……お前に無理をさせると具合が悪い。厳しくなったら、俺に言えよ」
「ありがと、セドちゃん」
獅子が先行し、階段を器用に登っていく。少女は背後を気にしながら、二人は三階へと上がった。
ネイトとライトニングの視界に部屋のドアが入ると同時に、ドアが弾け飛んだ。
「うわっ!」
たじろぐネイトをライトニングが反射的に庇う。部屋の中から、煙と炎が立ち上った。
「なんなんだよ、なんなんだよこれ!」
困惑を露わにするネイトに、ライトニングは強い口調で言葉をかける。
「――あっちはダメだ。行くぞ!」
ライトニングはネイトの手を掴んだまま、部屋の前から引き返す。続けざまに、下方からも轟音が響いた。
「ど、どうなってんだ? 父さんは……他の人は!?」
「安心しろ、盟主も枢機卿も、そう簡単にやられるタマじゃない。どれだけ奴らが手練れでも、そう簡単には仕留められないさ。急ぐぞ、お前が――」
ネイトが、ライトニングの手を振り払う。
そして、一層強い困惑を露わにして問いかける。
「――奴らって、なんだよ」
「は?」
ネイトはライトニングの目を見据えながら、揺れる思いを隠しもせず、重ねて問いかける。
「誰も、敵が複数なんて、言ってなかったじゃないか。みんなやられてるって、枢機卿が言ってたじゃないか。なのになんで、ライトニングは知ってるんだ――?」
ネイトからしてみれば、違和感をそのまま口に出し、問いかけただけなのだろう。しかし、その直球の問いかけに、ライトニングの表情は揺れた。
「そりゃお前、複数じゃなかったらこの城を攻めようなんて欠片も思わないだろ? 常識的に考えれば分かるだろうが、キョーダイ」
動揺を覆い隠しながら、ライトニングは淡々と答えた。しかしネイトとて、ライトニングの動揺が見抜けないわけがない。重ねて、問い詰める。
「父さんだって、そんな断定してなかった。なのにどうして、ライトニングは奴らだなんて言い切るんだ? なあライトニング、一体何を知ってるんだよ!? 今日はなんかおかしかったし、何も知らないとは言わせないぞ!」
「俺は何も知らないよ、ネイト。お前はこの異常な状況で、少しパニくってるだけさ。俺に任せておけば大丈夫だ。さ、安全な場所を探すぞ」
ライトニングはそう言って手を差し出した。しかし、ネイトはその手を掴まない。
未だ不信の表情を浮かべている。
「おい、ネイト――」
ネイトの瞳は、納得できないと訴えかけていた。
盟主はただ一人、悠然と廊下を進んだ。
その紅い瞳の先の踊り場に、獅子と少女が現れた。距離にして、三十メートルほど。
盟主はその先にいる人の気配を見て、首をかしげた。率直に、驚いていた。
「――この気配。尋常な手合いではないと思っていたが、そのような取り合わせだとは思わなかった。何者だ、貴様ら」
「名乗る名前なんてありませんって。ただの、通りすがりってとこかな?」
「おいアリエッタ、もうあまり時間はない。俺が時間を稼ぐ、お前は――」
「セドちゃん、そういうのは無しって言ったでしょ。まずはこいつを排除して……」
「排除とは……この我も侮られたものだ――」
紅い瞳が、鈍い光を放つ。まだ、盟主は何もしていない。
しかし、少女と獅子の表情からは一瞬で余裕が消えていた。
「セドちゃん、さっきの取り消し」
少女の金の瞳が眩く輝き、周囲には無数の眩い光球が浮遊する。
「私がどこまでやれるかはわかんないけど――時間稼ぎ、ヨロシクされちゃうからね!」
少女の無理矢理作ったような笑みに、獅子は無言で踵を返し、階段を駆け上がる素振りを見せた。
その瞬間、三度目の轟音が響いた。音の出所は、二人の頭上の天井――つまり、四階の床――に瞬く間にひび割れが走り、躱す間もなく、無数の瓦礫が二人目がけて降り注いだ。
「アリエッタ!」
獅子はその場で大きく身を翻し、少女の身体をその巨体で庇った。
盟主も一旦大きく後退し、すぐに臨戦態勢をとる。
盟主が退いたことで、両者の間に、十分すぎる間合いが空く。
そのわずか一瞬。盟主の瞳が頭上に泳いだのを、少女は見逃さなかった。
「セドちゃん! 上!」
「心得た!」
獅子は吠え、少女の身体をその背に乗せると、勢いよく飛び上がり、階段を全段飛び越えていった。盟主は去っていくその背中を見据えながら、四階を見上げた。
「やはり、人の身では不便であるな」
ダーインスレイヴは遠いあの日を夢想しながら、小さな手の平を見つめた。
「いつまでも、このままではいられないということかもしれんな。ネズミはいずれ捕まるだろうが、やはりネイトには真実を伝えなくては――。その為にも頼むぞ、ライトニング」
ダーインスレイヴはそんなことをつぶやきながら、瓦礫に背を向け、歩き出した。既に、その視線はこの城で起きている戦事ではなく、その先に向いていた。
少女とダーインスレイヴの頭上が崩壊する瞬間――四階にいるネイトとライトニングにしてみれば、彼らの足下が崩壊しかけた瞬間、ライトニングは横っ飛びでネイトの身体を抱きかかえ、間一髪、崩落から身を守った。
「……大丈夫か?」
瓦礫に汚れた黒髪を払ってやりながら、ライトニングは腕の中のネイトに尋ねる。
「あ、あぁ、うん……」
「――来たか」
そこにいろ、とネイトに声をかけ、ライトニングはゆっくりと、現れた二人に振り返った。
「ようやく、見つけたぞ」
獅子の唸るような声が、廊下を突き抜けていく。
ライトニングの後ろで、ネイトが目を丸くした。
「動物が……喋ってる?」
ネイトがぽかんと口を開けながら見つめているのにも構わず、獅子は傍らの少女に言う。
「あの顔立ち、間違いない。アレが、俺達の探し物だ」
「やれやれまぁ、危ない橋を渡らせてくれるよねぇ。ていうかどうしよ、大穴開いちゃってるよ。さっきのはこれかぁ……。助かった、とはいえ死にそうな目に遭うのは勘弁して欲しいな」
獅子と少女の弛緩した空気に、ネイトの驚愕が怒りに変わる。
「お前ら――お前ら一体なんなんだよ! お前らが、ここをめちゃくちゃにしてるのか!? 一体どうして――何のために!?」
「――アリエッタ、どうする?」
「素直に言うこと聞いてくれる雰囲気じゃ、ないね。残念だけど、腕ずくでやるっきゃないか。しっかし、あれを息子って言い張って、通用するのも分かるよね。そっくりだもん」
「俺の質問に答えろよ!」
ネイトは立ち上がり、一層語気を強めて叫んだ。
「悪いがその時間はない。――だが、これだけは信じてくれ。我々はお前の味方だ。そして、お前のいるべき場所はそこではない! 我らと共に来い、ネイト・ハートライト!」
「何言ってんだよ! こんなことして味方だなんて――冗談キツイっての! それに、なんで俺の名前知ってるんだよ!? っていうか、ハートライト……?」
ネイトは血走った目で二人を睨み付けた。が、それをライトニングが制する。
「お前は下がってろ。――俺がやる」
ライトニングの周囲で、バチバチと、異音が鳴った。その音は次第に大きくなり、視覚ではっきりと捉えられる、雷光となった。
その雷光の一つが剣の形をとる。それを見た少女は周囲に光球を浮かばせ、不敵に微笑んだ。
「簡単には渡してくれないって――そりゃそうだよね。ま、それでもいいよ。私とセドちゃん、あなたが思ってるよりもずっと強いから……!」
三十メートルにも渡って大穴が開いている。そこでどうするのか――と、ネイトが訝しげに眉をひそめた瞬間、両者は同時に動いた。
光球がライトニング目がけて飛来し、それをライトニングは「飛んで」躱した。中空で無数の光球の間をすり抜け、少女へと肉薄する。
「セドちゃん!」
ライトニングをまんまと引き寄せた少女は、獅子へと吠える。その合図を聞くまでもなく、獅子は横の壁を三角飛びの要領で蹴り、ネイトの側へ移らんと、飛ぶ。
「行かせねぇよ」
ライトニングは後方に左手を掲げた。瞬間、獅子の胴の辺りに強烈な閃光が炸裂し、その身体を階下へと叩き付けた。
「――本気!?」
「そう簡単には渡せねぇって、自分が言っただろうが!」
ライトニングが剣を振り下ろす。それと同時に、獅子を吹き飛ばしたのと同じ閃光が少女を襲った。その全てを光球で少女が打ち消すが、明らかに後手に回っている。
剣を光球でいなしながら後退していた少女だったが、位置取りが悪く、壁に背を付けてしまった。その背中に冷たい感触を覚えた瞬間、少女の表情に焦りが生まれる。
対してライトニングは、無表情に剣を構えていた。
「ぐおおおおおおおっ!」
少女を追い詰め、剣を振りかぶった瞬間、階下から再び獅子の姿が現れた。
「――チッ!」
ライトニングは咄嗟に少女に背を向け、爪と牙を真っ向から受け止めた。
「もらった――ッ!」
少女の手の中に幾重にも連なった光球が出現する。ゼロ距離で打ち込み、その全ての光球を爆ぜさせるのが狙いだ。まともに食らえばひとたまりもない。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
戦況を眺めているしかなかったネイトが、絶叫した。
獅子と少女の身体が、その場からピンポン球のように吹き飛ばされる。
「グアッ!」
「きゃんッ!」
よほどの衝撃だったのか、二人は呻いたきり、叩き付けられたその場に崩れ落ちた。
二人を吹き飛ばしたのは、ライトニングの周囲に出現した、薄赤色の壁であった。
「はあっ……はあっ……」
ネイトの紅い瞳が、爛々と輝いている。
「ゴホッ、ゴホッ……! これは、想定外だな……」
獅子の口から、どす黒い血が吐き出された。その瞳には、無念の色が強い。
「――あちゃー、ちょっと、大ピンチ?」
少女は何度も立ち上がろうとしたが、その度に力なく、崩れ落ちた。下半身に全く力が入らないようだ。
ライトニングは突っ伏す二人を冷徹に見つめたあと、踵を返し、ネイトの方へと歩き出した。
「なんで――」
ネイトの口から、自然と疑問の声が出る。完全に敵を無力化するチャンスなのに、ライトニングはみすみす、その機会を捨てた。
この場で優先するべきは、自分の安全だとしても、敵を排除してしまえば済む話だ。にも関わらず、なぜなのか――そんな疑問が頭をもたげるネイトの前に、ライトニングが帰ってくる。
◆
必死だった。ただ、あいつを守りたかった。何が起きたかも分からない、が、恐ろしく、身体がだるい。
「ライトニング、どうして……」
視界がぼやける。ライトニングは答えてくれない。側に寄ってきたライトニングは左手で俺を立ち上がらせた。お礼を言いたくても、言葉にならない。視覚だけじゃない、聴覚すらもぼやけてきた。意識がどこかへ、溶けていってしまうような感覚――。
「ありがとな、ネイト」
だけど、その言葉だけは、はっきりと聞き取れた。
言葉にならないのは分かってる。それでも、それに答えようと口を開いた瞬間――。
腹の辺りに強烈な圧迫と衝撃を感じて、俺の意識は真っ暗闇に閉ざされた。
灰の匂いが、した。
「……ここは?」
周囲にはまるで何もない。見える色は赤と灰。炎の中に放り込まれたような、そんな錯覚を覚える。
身体を起こしてみる。地平線いっぱいに広がるのはやはり赤と灰。
視線を落としてみれば、目に入るのは砂、砂、砂――。
「――のう、若人よ」
何もない空間に、渋みのある声が響く。
スッと後方から影が差して、俺はゆっくりと、振り返った。
「……ん?」
何かが、俺の眼前にそびえていた。見上げても、とても全容は窺えない。ただ、それが生き物であることはなんとなく分かった。こいつには、生き物の暖かみがある。
「この景色を見て、若人は何を思う?」
柔らかい声色で、俺に尋ねる。未だに状況がほとんど飲み込めないが、とりあえず、ありのままを答える。
「何って……殺風景だな、とか。味気ないな、とか。ここは、どこだ?」
「さて、な。強いて言うならば、誰もが望まない結末とでも言ったところか。のう、若人よ。若人の望む未来は何かな? 若人は、このような砂礫の世界を望んでいるか?」
こんなものを望むわけがない。こんな何もない世界、望むヤツなんているものか。
「望まない。こんな世界、誰だって嫌に決まっている」
「なるほど。では重ねて問おう、若人よ。若人にとっての世界とは、何か」
俺にとっての世界――世界って、なんだ?
父さん達がいるあの古城が、俺にとっての全てであり、世界だ。だけど、俺の目の前にそびえるこいつが求めている答えは、そういうことなのだろうか。
世界、世界ってなんなんだ。
いや、考えたって仕方がない。
「世界は――世界なんじゃないのか?」
「その心は如何に?」
「その心って言われても……。俺には難しいことは分からないよ。世界がどんなものかなんて難しく考えたところで、答えは出ない。だから、そう思っただけだ。世界は世界でしかない。そもそも、世界がどんな世界かなんて、答えられるヤツの方がどうかしてると思う。それはそいつが見て捉えただけの世界なんじゃないか、って」
「よい、答えだ」
その言葉と共に、長い首がぬっと俺の方へと降りてくる。
キリン――いや、違う。キリンに鱗はない。それに、逆向きの鱗でもない。
「顔を合わせるのは初めてであるな。その瞳、よう似ておる……。おっと、懐かしさに浸ってしもうたわ」
俺の目の前で口を動かすそれには、金の瞳があった。顔からは二本のひょろひょろした髭が伸びていて、口からは綺麗に並んだ無数の牙が覗いている。その顔を覆うのは、鋼の逆鱗。
おとぎ話でしか見たことがないような存在が今、ここにいる。その事実に、俺の頭は完全にフリーズしてしまっていた。
「りゅ、う……?」
声の主は、軽やかにその背の翼を羽ばたかせる。
竜は、平然と人語を話し、答えた。
「さよう。我は竜である。しかし、我が竜であろうとただのジジイであろうと、若人には関係のないことだ。よいか、若人よ。心と心の繋がりを断つのは、種族の隔たりではない。我はそう信じておる。若人よ、若人には我の姿を見てもなお、我の目を見据えられる強さがある。その強さで、我のことを受け容れてはくれぬか?」
「受け容れるも何も――」
確かに、ここにいるこいつは俺の想像も及ばない化け物なのかもしれない。だけど、こいつには紛れもなく知性がある。そして、優しさが滲み出ている。
――多分これは夢だろうから、だから俺は落ち着いていられるんだろう。そう、夢で老いた竜に会った、それだけのことだ。
「多分、俺とあんたは、仲良くできると思う」
「そうか――老いぼれを友としてくれて、嬉しい限りだ。では、先ほどの話の続きをしよう。とはいっても、若人は既に答えを出しておる。そう、世界は世界でしかないのだ。誰かが一人で夢想した世界は世界ではない。独りよがりの夢想家の空想だ。――そんな世界が世界とまかり通ること――おぬしはどう思う?」
「そんな世界は――多分、間違ってる。その世界が受け容れるのは多分、独りよがりの夢想家だけだ」
世界っていうのは、もっと広くておおらかなものであって欲しい。
ただ一人じゃなくて、皆から望まれるような世界。
「いかにも。全くもってその通りである。世界は個人のものではない。その個人が如何に世界のことを思っていようとも――個人によってのみ望まれた世界では、全ての存在を受け容れることはできない。世界は本来、全ての存在を受け容れることができるはずなのだ。世界に住む我らに無限の可能性があるように、我らが住む世界にもまた、無限の可能性があるはずなのだ」
竜の目は、空を向いていた。紅い空を、眼を細めながら眺めている。
一瞬だけ、この空は血で染められているような気がした。そんなことを思ってしまった心が恐ろしくって、俺はたまらず、竜に視線を戻した。
「あんた……」
「若人よ。一つ、頼みたいことがある」
竜は顔の向きを変え、じっと俺の目を見据えた。穴を開けるように、じっと。
「紅き瞳と黒き髪を持つ若人よ。世界が世界であるために、その力を使って欲しい」
「……俺の、力?」
「そうだ。我らの不始末を後の若人に託さねばならぬこと、申し訳なく思う。だが、若人であれば、託してもよいような、そんな気がするのだよ。無論、若人にしてみれば身に覚えもない先人の不始末を押し付けられて、よい気はしないだろうが……。頼まれて、くれんかの? なに、今は答えを出さんでよい。ゆくゆく、若人の答えを聞かせて欲しいのだ。全てを知った若人の答えを――な」
「全てを知るって――全てってなに!?」
「――若人の知らぬこと、とでも言っておこうかの。そろそろ時間のようだ。若人は若人のいるべき場所に戻るのだ。このような終わった場所は、老いぼれ一人で十分だ」
竜が言葉を結んだ瞬間、俺の眼前の砂礫が舞い上がった。
猛烈な勢いの風に思わず目を瞑ってしまう。
「近いうちに、また会おう」
竜の言葉に送られて、俺の意識は再び闇の中へと落ちた。
さらさらと、風で木の葉が揺れる音がする。ゆっくりと目を開けると、木漏れ日が差し込んでいた。
一瞬、島の森林で目覚めたのかと思った。だけど、匂いが違う。海の匂いが、しない。
「目が覚めたか」
ぬっと、俺の前に巨大な顔が現れた。
「うわっ!?」
本でもこんなに間近で見たことはない。二つの目と一つの鼻と口、そして、大きなたてがみ。
ライオンだ。
「まるまる五日も眠ったままでは、死んだのでないかと心配したぞ。まぁ、騒ぎを起こされるよりはマシだが……。何か、飲み物を持ってこよう。そこにいろよ。この森の中ではぐれられたら面倒だ」
ライオンは平然と言葉を話した。
なんなんだ、なんなんだこいつ。
「ここ、ここどこだよ!? 城は!? みんなは!? ライトニングは!?」
「……ここはお前の知っている島ではない。やれやれ、ダーインスレイヴも面倒なことをしてくれたものだ。話がややこしくなって構わん。俺達は味方だと言うのに」
「味方があんなことするかよ! あんたら、あんたら一体なんなんだよ!」
「詳しく説明するのは後だ。ひとまず、俺達はお前に危害は加えん。ネイト・ハートライト。俺達を信じてくれ」
「喋るライオンの言う事なんて信用できるか! お前、中に何かいるんじゃないのか! だいたいなんだよ、俺はネイトだ! ネイト・ハートライトなんて名前じゃない!」
「残念ながら背中にジッパーの類はないぞ。世間知らずのお坊ちゃんの相手は疲れる。――フルネームが不満なら、ネイトと呼ぼう。だからいい加減喧しいのはやめてくれ。歩き通しで疲れているのだ、こっちは」
世間知らずなんて言われるのは心外だ。いや、確かに俺は城のこと以外何も知らないが、そんな俺でもライオンが平然と喋る世間がないことぐらいは想像が付く。
「あんたみたいな世間があってたまるか! だいたい、俺は歩き通しよりも酷い目に遭った!」
「む。まぁ、確かに俺が世間だとは思わないが……。やれやれ、ジェネレーションギャップがありすぎる相手と話すのはしんどいな。アリエッタはどこへ行ったのやら」
「呼んだ?」
ガサガサッ、と激しい音を立てて、木漏れ日の中から帽子を被った女の子が降ってきた。
手にはリンゴ。ミニスカートの中には、黒い短いズボンを履いていた。
「お前は一体何をやっていたんだ」
ライオンは降ってきた少女に呆れていた。
「食料の調達と、追っ手がないかの監視だよ。セドちゃんがいくら鼻が利くって言ったって、空から来られたらどうしようもないでしょ?」
「なるほど、確かにな。――しかし、いつまで経っても果物と水では身体が保たんな。ここで行き倒れられては困る、肉を探してこよう」
ライオンは逃げるように木立の中へ消えていった。女の子はむくれながらライオンの背中を見送って、俺へと視線を移した。
「さて、初対面じゃバタバタしててろくに挨拶も出来なかったけど……はじめまして。私、アリエッタ。アリエッタ・ハートライト。よろしくね」
色の違う二つの目が、俺のことをジッと見つめる。右は、金色。左はブラウン。普通じゃないのは明らかだ。
ただそれよりも驚いたのは、ハートライトという名前。そういやさっき、あのライオン、俺のことをネイト・ハートライトって――。
「君はネイト、でいいんだよね?」
「あ、あぁ……うん」
この子が城を襲った張本人なのは間違いようのない事実なわけで、俺は恨み節の一つでも向けなければならないはずだが、なんとなく毒気が抜かれてしまう。
「よかった、話が通じないかと思って心配してたんだ。ドラゴン語なんて分からないからね。シューッシューッ……みたいな?」
「……は?」
「うわ、今の反応はちょっと傷付いたよ。絶対、ぜーったい、私のこと馬鹿って思ったでしょ」
思った。
「ま、いいけどネ。分かり合うのには時間が必要だから。馬鹿と思われようが、私は一歩も退かないのデス。あ、それとね、さっきの気難しそうなライオンはセドリック・アーカントーチ」
「名前付けるなんて、あれを巨大な猫だとでも思ってるのか? 喋るし、でかいし、なんか臭いし。なんなんだよ、アレ」
「アレとか臭いとか言わないであげて。アレで結構気にしてるから。彼、人間なのよ?」
「――は?」
アリエッタはなんとも得意げに笑ったあと、詳しくは本人からねと言って、リンゴを俺に差し出した。
「あ、ありがとう」
なんだか酷く腹が減っている。五日も眠っていたらしいし、それも当然か。
ただのリンゴだっていうのに、無性に美味しく感じる。
しかしなんで俺は、五日も眠っていたんだろう。ちゃんと睡眠はとっていたから、疲れはなかったはずだ。それなのに、五日も眠るか、普通。
よくよく考えてみると、ここに来る前の記憶が曖昧だ。城がこいつらに襲撃されたのはちゃんと覚えてる。でもその後、俺に何が起きたのか――まるで思い出せない。
「大丈夫?」
「……俺、あの後どうなったんだ? ライトニングをあんた達から守ろうとして、それから」
「それは……そうだねぇ……」
アリエッタは眼を細めて、しばらくの間、遠くを眺めていた。
「今の君には、ちょっとヘビーかな」
「ヘビーってなんだよ。ていうかそもそも、あんたらが城を襲わなきゃこんなことには……!」
「それにはやむにやまれぬ事情があったんだよ。それも含めて、セドちゃんが帰ってきてから、って、噂をすればだね。ナイスタイミング!」
ライオンの巨体が森の向こうから帰ってきた。口には兎をくわえている。
「……それだけ?」
俺とアリエッタの声が綺麗に重なった。
「うるさいな、この身体は森の中の狩りには向いていないんだ! アリエッタ、これを捌いてくれ。久々のタンパク質だ」
「うう、私のようなか弱い女の子にこんないたいけな兎を捌けだなんて、セドちゃんも酷な注文をするよね。ま、やーりまーすけーどさー」
アリエッタはスカートのポケットからナイフを取り出し、くるくる回しながら、鼻歌交じりに兎の解体を始めた。こっちが目を背けたくなるぐらい残酷な光景である。
「……どこがか弱い女の子なんだ?」
「見目麗しくないわけではないな。はっはっは。……さて、と。食事の用意が出来る前に、改めて自己紹介をさせてもらおうか。俺はセドリック・アーカントーチ。こんなナリだが、一応、元人間だ」
「……元? あれか、魔法で姿を変えられちゃったとか、そういうヤツか?」
絵本で王子がカエルに変えられた話なら読んだ気がする。
「はっはっは、魔法か。魔法であれば幾分希望もあったんだがな。俺は、千年前の人間だ」
「せ、せん……?」
いち、じゅう、ひゃく、せん……四桁!?
気が遠くなるような年数だし、にわかには信じられない。千年前の人間がライオンって、もう全くまるで意味が分からない。
「信じられない、といった顔だな。その様子では、千年前に何があったかも分からない……ということか。まぁ、千年前のことをわざわざお前に伝えるわけもないか」
「ネイトに分かりやすく正確に言うと、セドちゃんは千年前の軍人さん、だね」
「千年前の、軍人……?」
頭がこんがらがってくる。さっきからこの二人は何を言ってるんだ。
千年前だとか、軍人だとか。俺は、何も知らない。よっぽど俺は間抜けな顔をしていたのか、セドリックは乾いた笑いを漏らしながら、言った。
「やれやれ、これは骨が折れるぞ、アリエッタ。なぜ俺は五歳の子供でも知ってるような歴史を十五歳にもなるヤツに教えてやらなきゃならないんだ」
「まあまあ、いいじゃんいいじゃん。幸か不幸か、時間はたっぷりあるみたいだからさ。しかしまぁ、これはこれで不気味だけどね。追っ手が何人も来るだろうと思ってたけど、こうも全く音沙汰ないとは」
「ごたついているのは間違いないだろう。奴らにしてみれば、千年以来の戦争だ。それも仕掛けられた戦争となれば、奴らもそう簡単に一枚岩にはなれんよ。俺達はその間に、できうる限りの準備をするだけだ」
「あんた達は、一体何をするつもりなんだ?」
「言っただろう、戦争だ。――そして俺達は、勝利しなければならない。全人類の自由のためにな。そしてそのためには、お前の力が必要なんだ。ネイト・ハートライト――おっと、すまない」
セドリックの失言には、とりあえず目を瞑ってやる。
「俺の力が……どうして?」
「全ての質問に答えるためには、長くなる。――だが、なるべく早く全てを語らなければならない。だが、先に約束する。俺達は、絶対にお前を傷付けない。お前を必ず守る。この言葉を信じてくれ」
セドリックは、鳶色の瞳を瞬き一つさせずに、俺を見据えていた。
その強い瞳に、俺は頷くしかなかった。そもそも、こいつらは城を襲撃してきたとはいえ、捕まった俺がどうこうされた感じもないし、何より、ライトニングを二人がかりでもある程度追い込む奴らだ。俺一人で、なんとかなる相手じゃない。
セドリックは小さく頭を下げた。ライオンなりの感謝の表し方なのだろう。
「ありがとう」
それから、少し長くなるから座れと、セドリックは続けた。俺は手近な切り株に腰を下ろし、アリエッタの鼻歌を聴きながら、セドリックの語りに耳を傾けた。
「――全ての始まりは、千年前にある。千年前、俺が人としてこの世に生まれた時、既に世界は戦争状態にあった。人間と、竜の戦争だ」
「竜?」
「そうだ。さすがにお前も、シルエットぐらいは想像できるだろう? 奴らは太古より世界に住まう、人智を超えた怪物だ。竜達は人類を世界の破壊者とみなし、人類への全面戦争を仕掛けた。奴らの力は、当時の近代兵器を遙かに凌駕していた。戦艦、航空機の類はまるで通用せず、戦争序盤で、人類は完全に追い込まれた。その状況を一時的に打開したのが、神骸機と呼ばれる人型汎用兵器だ。神の骸の機械と書く。由来はよく分かっていない。神の如き力を持つ、神ではない何か――故に、神骸機とでも呼ぶのかな。残念ながら、人間だった頃から俺は、神骸機の操縦には向いていなくてな。全く縁がなかったのだ。お陰で知識はほとんどない」
そう言って、セドリックは少し、自嘲気味に笑った。
「お陰で俺は――誰も何も守れなかった。守られてばかりで、助けてやることすらもできなかった」
「セドちゃんの愚痴、いっつも同じだよね。そんな姿見たら、あの人、気にするよ」
「茶化すな、アリエッタ。……それと、アイツには黙っておけ」
「分かってるよ。さ、続き続き」
セドリックはごほんと咳払いし、話を続ける。アイツって、誰のことだろう。
「人類の状況は神骸機の発見で、一時的に好転した。特に、トレイン・ハートライトという、人類史上もっとも完璧に神骸機を乗りこなした男が現れてからは、勝利さえできるのではないかと、人類が期待した時もあった。――しかし、トレイン・ハートライトの駆る神骸機ウィクトーリアは、竜の盟主ダーインスレイヴの闇の前に敗れた。トレイン・ハートライトの敗北は人類の敗北を意味した。あの男はそれほどまでに、圧倒的な力を持っていた」
「トレイン――ハートライト?」
俺は思わず、アリエッタの方を見た。アリエッタは兎の解体を終えて、血塗れのナイフをしまうところだった。俺は、見たことを後悔した。
「……そうだ。アリエッタはトレイン・ハートライトの血を継いでいる。そして恐らく、いや、間違いなく、お前はトレイン・ハートライトの血を継いでいる。故にお前は、ネイト・ハートライトなのだ」
「ま、待ってくれ。俺の父さんは父さんだ! 俺は、父さんの息子だ!」
急にごちゃごちゃと、知っている名前ばかりを聞かされて、困ってしまう。
だって、千年前の話なんだろう?
「らしいな。だが、それは違う。奴ら竜は人の姿をとり、あの城に潜んでいたのだ。お前の父を騙る男の本当の名前は、竜の盟主ダーインスレイヴ」
「嘘だ!」
父さんが竜だなんて、そんな馬鹿げた話、あるわけがない。
セドリックが何か口を開こうとした。が、アリエッタがそれを遮る。
「急に言ったって、信じられるわけないよ。はい、お話中断! ご飯にしましょ。でも、セドちゃん。兎ってどうやって食べるの? みんながみんな、セドちゃんみたいに生食できるわけじゃないんだよ?」
「……火を起こす道具を探してくる。千年前に戦争があった。人類は敗北した。それさえ、お前は承知しておけばいい」
そう言い残して、セドリックは森の中にとって返していった。
話の内容はともかく、なんでも調達に行かせられるセドリックが、なんだか可哀想に思えた。
「焦ったってしょうがないのにねえ」
「焦る?」
「刻限がいつなのか、分からないからね。――あ、私も、手、洗ってこよう」
血塗れの手を見て嫌な顔を見せたアリエッタも同じように、森の中に消えてしまった。
俺はたまらず空を見上げた。城のバルコニーから見た空と何一つ変わっていないのに、俺のいる場所はまるで違う。どこにいるかも分からない。どうやったら帰れるかも、分からない。
「はーあ……一体、何がどうなってるっていうんだよ……?」
俺の前途は、日の陰った空と同じくらい、真っ暗だ。
セドリックが持ってきた乾いた樹皮と木の棒で火を起こし、アリエッタが両手いっぱいに抱えてきた落ち葉を可燃材にして、晩餐が始まった。晩餐といっても、解体した兎と、アリエッタ曰く「食べられるらしい(・・・)」キノコを直火で焼くだけ。
食べた後のことを想像すると、それだけで胃を下しそうだ。
「……そんな死にそうな顔をしなくても、安心しろ、毒などは入れておらん」
「あんたらが入れなくても、そもそも最初から入ってるかもしれないだろ!」
「その時は仲良く腹を下せばいいじゃないか」
セドリックは美味そうに、両前足で棒に刺さったキノコを食っている。そもそもこいつと俺じゃ胃の作りが違うだろうし、こいつは大丈夫でも、俺がやられるってこともあるかもしれない。一応同じ人間らしい、アリエッタの方を見てみると――。
アリエッタもまた、女の子らしからぬ豪快さで、兎の肉を食べていた。
「あんたら……タフだなぁ……」
見ていると無性に腹が減ってきた。
うん、きっと大丈夫。それに、死にはしないだろう。死には――。
しかし、このキノコのまだら模様は嫌に気になる。
「食べないの? お腹減ってないなら、私が食べてあげようか?」
物欲しそうな目をするアリエッタは、本気で言っているようにしか見えなかった。きっと、アリエッタは本気で食べられると思っているんだろう。
ええい――死にはしないだろう!
「――んぐっ!」
口の中に、仄かな熱さと香りが広がる。よかった、とりあえず味は美味い。
「あー、意地が悪いなー。ちょっと期待させて食べちゃうなんてさ」
アリエッタはむくれながら、あっという間に兎の肉を食い尽くした。
鼻歌歌いながら兎を解体するわ、食い意地を張るわ、豪快に肉を食らうわ、俺が想像していた女の子――という存在からはかけ離れている。外にはおとぎ話のお姫様なんていないのか。
「なに、どしたの?」
「あぁ、いや、別に……」
俺の視線にアリエッタは不思議そうな顔をした。そんな顔をしたいのはこっちだ。
「……で、俺はこれからどうなるんだ? あ、あんたの話を信じたわけじゃないからな。どうせここからじゃ一人で戻ることも出来ないだろうし、嫌々あんたらに付き合ってやるだけだ」
「ふん、ま、なんとでも言え。――そうだな、あと一日はこの森の中を行くことになるだろうが、ここさえ抜ければ俺達の街がある。そこまでいけば、もう少しマシなものが食えるぞ」
「マシなもん食わすために、城に殴り込んできたわけじゃないだろ?」
「――お前に、見てもらいたいものがある。見た上で、どうするか決めてもらう。先に一つ言っておくが、そこから先は、お前の好きにしてくれて構わん。戻りたければ、戻るがいい。残りたければ、残るがいい」
「俺が、戻る以外を選択するとでも?」
「お前はまだ、何も知らない。何も見ていない。検閲された情報のみに触れてきた、はっきり言って、赤子のようなものだ。赤子が正常な判断を下せる道理はあるまい。お前も、城の外に興味がなかったわけではないだろう?」
そりゃまあ、そうだ。とりあえず今のところの感想は、自然がいっぱいってくらいか。
城の周りも自然がいっぱいだった、けど。
「少なくとも俺達は、お前に城の外を見せてやることができる。その辺りに、価値を見出してもらいたいものだ。――全てを見聞きして、それでも城に戻るというのなら、その時は、協力は惜しまない」
セドリックは、それで俺達が無事で済むとは限らないが、と不穏な言葉を付け足した。
「そこら辺は覚悟の上だよ。戦争ふっかけたのはこっちなんだから。責任はそりゃ、私達が持たないとね。他の人類に申し訳が立たないもん」
「さすが巫女様だな。見上げた心がけだ」
「それほどでも」
アリエッタはニヤリと笑う。ミコサマ、ってのはなんだ?
「――ミコサマっていうのは?」
「戦争があった、というのは承知したか? 相手はともあれだ」
相手が竜で、そのボスは父さんだった、なんていう荒唐無稽な話には同意できないが、一応、承知はしてやろう。
俺は首を縦に振った。
「よし。人類は敗北し、竜の支配下に下ったわけだ。――だが、竜は直接人類を統治しようとはしなかった。奴らは巫女と呼ばれる少女達を選別し、自らの力を預け、人類と竜の調停役として定めた。世界には十二人いる。十二人はそれぞれ二人一組になって、各大陸を統治している。ま、統治というよりかは監視というべきかな」
「監視?」
「調停役と言っただろう? 彼女らの役割は、竜への叛乱分子への粛正だ。――人間に人間を監視させ、殺させる。この世界の危ういバランスを維持するためには、彼女らが必要なのだ。ま、重心は人間側に大きく偏っているがね」
「……ん? アリエッタも、巫女、なんだよな?」
アリエッタは兎の肉が刺さっていた木の棒を後ろに放り投げ、若干得意げに、頷いた。
「これでも巫女です!」
「……調停役で、監視役?」
セドリックは、もし人間だったら肩をすくめているような、スカした表情を見せた。未だに表情の変化はいまいち分かりづらいが、多分、そういう顔をしていると思う。
「この娘はレアケースだ。奴らもまぁ、巫女に叛乱を起こされるとは思わなかっただろう。調停のために預けた力が、叛乱に使われたのだから――あまりに大きなリスクを払ったと言わざるを得ん。奴らも、我々もな。奴らに関しては、正確には払っていた、か」
「我々もって――つまりその、調停役をしなきゃいけない奴が叛乱を起こしたって、リスク?」
「その通りだ。間違ったことをしたとは思っていないが、それはあくまで、俺とアリエッタともう一人の身勝手。だが、奴らはそうは考えない。巫女全体の叛乱と判断するやもしれん。ま、一時の怒りにまかせて人間全体に牙を剥くような猛獣だとは思わないが……可能性はゼロではない」
「えっとさ。勝算があるんだよな?」
セドリックとアリエッタは、同時に「ない」と断言した。
「じゃ、じゃあ、その……仮に、仮にだぞ。竜が怒ったら、二人は――」
「俺達だけの犠牲で済めばいいが」
「私達は、ある意味勝手に人類を危険に晒したってわけだね。改めて考えると、とんでもないことしちゃったね」
「……改めて考えるまでもなく、とんでもないことをしにいったつもりだったんだが、当人はこの調子だ。俺は羨ましいよ」
俺だって羨ましい。
「まー、なるようになるでしょ」
天真爛漫に笑いながら言われると、なんだかそんな気もしてくるのが怖い。だけどやっぱり不安で、俺はセドリックに尋ねた。
「……なるのか?」
「分からん」
セドリックがそうとしか答えられないのは分かっていたけど――できれば、なる、と答えて欲しかった。
俺だって、できることなら二人が死ぬようなところは見たくない。いや、そもそも、誰かが死ぬようなところは見たくない。
翌日、日が昇ってすぐに俺達は移動を開始した。セドリックが先行し、俺達が進みやすいよう、道を整えてくれる。だらだらと歩き続けていると、どこからともなくいい匂いが漂ってきた。これは、何かを焼くような匂い――?
「街の匂いを久しぶりに嗅ぐと、なかなか懐かしい気分になれるな。……だが、街に行くのは後だ。先に隠れ家に行くぞ」
「隠れ家? なんでまた、隠れ家なんか?」
「巫女もさ、大変なんだよ。何より、匿ってあげなきゃいけない人……? 人でいいんだよね?」
「いや、俺に聞かれても……」
つまり、こいつらは誰かを匿っているということか。それで隠れ家なんかを用意していると。果たして、俺と関係があるんだろうか。ないわけがないか。街に直行せずに、隠れ家に行こうとしているみたいだし。
「――む?」
「セドちゃん?」
セドリックは俺とアリエッタを目で制した。
「嫌な臭いがする。巧妙に隠れてはいるが、間違いない。何かが、いる。アリエッタ、ネイト。警戒を怠るな。一人や二人ではないぞ――」
「りょーかい。ネイト、私とセドちゃんから離れないでね。――そういえば、ネイトさ、私とセドちゃんを吹っ飛ばしたアレ、アレはなんなの? 私と同じかなぁ、と思ったんだけど、食らった感じちょっと違うんだよね」
「アレ……?」
朧気ながらも覚えている。必死でライトニングを守ろうとして、俺の中から何かが、溢れた。正直言って、何がどうなったかさっぱり分からない。よっぽど俺は要領を得ない顔をしていたのか、アリエッタは、はあ、と大きなため息を吐いた。
「巫女の力と同種なのかな。ま、君のことを調べるのは後にして。――セドちゃん、どする?」
「ネイトを守りながらでも十分対応できるだろう。追っ手ではないな。機械の匂いがする。ということは、お前の身内じゃないか、アリエッタ」
「機械、か。――はーあ、じゃ、やりますかっ!」
アリエッタの金色の瞳が強い輝きを放った瞬間、森の向こうで無数の蒼い光が眩く光るのが見え、少し遅れて悲鳴があがった。
「ほらほらっ! ぼけっとしてると吹っ飛んじゃうよぉ!」
「挑発してどうする!?」
セドリックは素早く身を翻すと、俺の真ん前に立った。どうやら守ってくれるらしい。ホッとしたのも束の間、森のあちこちから、ガチャン、という無機質な音が響いた。
「な、なぁ、何が始まるんだ!?」
「頭を出すな! アリエッタ、とっとと片付けろ!」
「加減しなきゃいけないんだからさ、焦って腕吹き飛ばしたりしたらまずいでしょ!」
「腕吹き飛ばすってどういうことだよ!?」
蒼い閃光が何度もほとばしり、その合間を縫うように、激しい音が何度も響いた。俺達の周りにある木々の幹に、いくつも穴が空いていく。何が起きているのかいまいち分からないが、まずいことになっているのは間違いないようだ。
「お、おい、アレに当たったらどうなるんだ?」
「死ぬほど痛いぞ」
「分かった」
なるべく、セドリックの身体の影に縮こまる。風を切るような音がする度にヒヤリとする。
それでも臆することなく戦ってくれている。
二人がここまでしてくれる理由は、分からない。
ただ、信じて良いということは、さすがに分かった。
アリエッタは最後に一際大きな蒼い閃光を弾けさせ、一つ、大きく息を吐いた。
「終わったよ」
「手早い仕事だ。――やれやれ、弾丸に当たるというのは身体が変わっても良い気分はしないな。ま、痛みは人間の頃とは段違いだが」
「ありゃー、お尻からも血出てるじゃん。大丈夫? あ、ネイトの方は?」
「俺は、平気だ。……その、血が出てるって、大丈夫なのか?」
セドリックはゆっくりと立ち上がった。その足下には、血だまりが二三個。
「この程度、蚊に刺されたようなものだ。俺の身体はそこらの動物よりも遙かに頑丈だ。当時の遺伝子組み換え技術の随を尽くした、特注品のボディだからな」
「えっと、つまり?」
「こんなにぷにぷになお腹の割に、ナイフは刺さらないってことかな」
「ぷにぷには余計だ。――急ぐぞ、アリエッタ、ネイト。あぁもまぁ容赦なく引き金を引いてくるということは、彼女も腹に据えかねているということか。はっはっは、後が怖いな、アリエッタ」
「他人事じゃないよほんと。どう見ても殺す気できてるじゃん。後じゃなくて今が怖いんだよ! 私に言わせてもらえばダーインスレイヴよりよっぽどあの人の方が怖いよ!」
「……な、なあ」
「ん?」
「城の時からずっと気になってたんだけど、あの、蒼い塊……一体なんなんだ?」
「これ?」
アリエッタの手の中に蒼い球が渦巻いた。
「そう、それ」
「……うーん、今の君に説明してちゃんと理解してくれるかどうか、ちょっと不安だけど。私達巫女がね、竜から選ばれるってのは分かってるよね? でも、調停役が無力な女の子じゃダメでしょ? それじゃ、バランスが維持できない。だから、竜達は巫女に力を授けたの。彼らの持つ術――竜術と呼ばれる力の一端をね」
「竜……術?」
「何言ってるんだこいつー、みたいな顔しないでよ。ぷんぷん。嘘は言ってないよ。で、竜術はその人間の持つ性質によって力が変わるんだけど、たとえば私は「解放」の性質を持っているから、解放の竜術が使えるわけ。で、解放の竜術の効果は、口で説明すると難しいんだけど、詰まったものをドカンと破裂させる感じ……かな。やろうと思えば、人間の身体の内側を解放して、バラバラにすることもできると思うよ」
アリエッタはしれっとした表情で、とんでもないことを言った。
その光景は、想像するだけで恐ろしい。
「ま、そこまで練度が高まってないし、そんなに殺意満タンで戦ってもねぇ。私は人間を殺すために、巫女やってるわけじゃないし。私の力は、人を守って、導くための力だから。調停するためだけの力だけじゃない。巫女としての有り様からは外れているのかもしれないけどね」
「――それで、いいのか?」
「私がいいんだから、いいの。それに、昨日も言ったでしょ? なるようにしかならないんだから。小難しい覚悟だとか、決意だとか、いちいちしたってしょうがないもん。ただ、みんなの世界が少しだけ豊かになれば、それでいいんだ」
少しだけ、アリエッタが偉い人のように思えた。世界と、人を憂う巫女。
その横顔は綺麗だと思った。
しかし、疑問が全て解決したわけじゃない。
「……で、さっきのは?」
「さっきのって?」
「いや、その、俺達攻撃されたじゃん。あんな武器を城の人達が使ってるのは見たことないから、俺のことを追ってきたわけじゃないだろうし……口振りからして、あんたらの知り合いだろ? なんなんだ?」
「知り合いってどころじゃないんだよねぇ。言うならば……同業者? あの人らは、この大陸の巫女、クライス・ネール・キーリアの部下だよ。私よりもよーっぽど、巫女の職務に忠実な人。敵ってわけじゃあ、ないんだけど」
「こちらがそう思っていたとしても、向こうはどうかな? この後、顔を見せに行くのか?」
「まぁ、顔出さないわけにはいかないよ。そもそも持ち場をほっぽり出したわけだからねぇ。かんかんになるのも分からなくもないし、ただ、いきなり銃で襲われるっていうのはちょっとムカツキ、だけど」
なるほど、だから二人はすぐには街に戻らなかったのか。俺が一人納得していると、セドリックが疑問を呈した。
「しかし、俺達が何をしようとしていたかまでは、あの巫女は把握していなかったはずでは? 情報が早すぎる。まさか、竜の奴らが既に抱き込みにかかったのでは……」
セドリックの不安はすぐに解消された。
「私が書き置きしてたし。今からネイト・ハートライト君を助けに、彼らの城に乗り込みますって。まずかった?」
これまでの情報を整理する限り、俺でもまずいということぐらいは分かる。セドリックなんて、しばらくの間口を開けっぱなしで、何も言わなかった。そんな間抜け面を、アリエッタは心底不思議そうに見つめている。
「……俺には付き合いきれんよ」
セドリックは肩(?)を落とし、再びとぼとぼ歩き出した。
それからまたしばらく歩いて、俺達の前に巨大な岩場が現れた。
「ここは?」
「私達の隠れ家だよ! 昔は、セドちゃん達の隠れ家だったらしいね」
「――大昔の話だ」
セドリックはのしのしと岩場の方に歩いていって、前足をポン、と岩の表面に乗せた。
すると、ゴゴゴ、という重低音と共に岩の一つがせり上がっていった。
「すげっ……魔法じゃん!」
「遙か昔のテクノロジーだ。先へ行くぞ」
セドリックが俺達を先導し、岩場の奥へと歩いていく。アリエッタが堂々とその後に続いて、俺が最後に、岩場の奥へと入った。
岩場の中は薄暗くひんやりとしていて、雨が降った後のように、じめじめしている。
一筋の明かりすらもなく、足下は全く見えない。アリエッタに倣って、セドリックの背中に手を置きながら、奥へ、奥へと進む。
「な、なあ。こっからどうするんだ?」
「黙ってついてこい。しかし、ようやく帰ってきたという感じだな。身体中くたくただ」
「セドちゃん、オッサンぽいよ」
「……悲しいかな、オッサン言われるのを否定できない年になってしまったんだよ」
そんな嘆きを口にしたあと、セドリックは突然歩を止めた。
「――臭いが違う」
「臭いって? なんか、いるってこと?」
「――この臭い、知っているぞ」
セドリックがそうつぶやいた途端、俺の耳元で、ボワッ! という音が鳴った。
――発火!?
続けざまに発火の音が鳴り響く。俺達の周りを取り囲むように、無数の火の玉が浮かんでいた。オレンジ色の炎が、暗い洞窟の中を照らし出す。何もない空間に、ぽっかりと浮かぶ無数の火の玉。こんな非現実な事象、あるはずがない。
突然の事態にもかかわらず、嫌に落ち着いた口調で、アリエッタはつぶやく。
「はあ……超古代のテクノロジーって、セキュリティ緩すぎじゃない?」
「厚さ二十メートルの岩場に大穴ブチ開けて侵入してくる相手は、さすがに想定していない」
周囲の炎から、進行方向へと視線を動かす。俺達の進む先は大きな広間のような空間になっており、広間には明るい日の光が差し込んでいた。光の中央には、長い、煌びやかな金髪を揺らす、アリエッタとさほど年は変わらないだろう少女がいた。
「ごきげんよう」
少女は上品に挨拶した。
アリエッタとセドリックの空気は、スッと鋭くなった。
「セドちゃん、ネイト。いいこと教えておいてあげる。あの人がごきげんようって挨拶する時は、心の中じゃ欠片もそんなこと、思ってないの。一番メラメラ怒ってる時に、ああやって挨拶するの」
「あの人って……あの人、だよな? 誰なんだ?」
「クライス・ネール・キーリア――大巫女と呼ばれる、世界でもっとも竜に近い人間だ」
もっとも竜に近い人間――セドリックの言葉には、不穏な空気が充ち満ちていた。
「セドちゃん、ネイトのこと、お願い。城の時みたいに手を出しちゃ、ダメだからね。私は、責任持てないよ」
「やれやれ、どこへ行ったかと思っていたら」
炎が消えて、広間の少女――クライス・ネール・キーリアは、こちらに向かって歩いてくる。見かけはただの少女でしかない。しかし、俺の背中には意図しない冷や汗が伝っていた。
「あの書き置き、悪い冗談だと思ってたんだけど――こうまざまざ見せつけられると笑えない。アリエッタ、そこに直って、説明してもらおうじゃないの。まさか、このあたしに刃を向けようってつもりじゃないでしょうね? この先にあるもの、あたしもさっき見せてもらったけど、まさかあなた本気で――」
「本気だよ、ネール。私は本気。でも、ネールがあくまで巫女の役目を優先するっていうなら、私だって本気で、ネールと戦わなきゃいけない」
「巫女の役目を優先するとは言ってないでしょう? でもそれは、あまりに無謀で、皆を顧みない事よ。あなたは自分が何をやろうとしているのか――ッ!?」
蒼い閃光がネールの周りに出現し、一斉に爆ぜた。アリエッタの奇襲を想定していなかったのか、ネールは軽々と吹き飛んだ。奇襲なんて、えげつないことをする。
「――アリエッタ」
ネールの発した声は冷ややかだった。
そして、口の端を腕で拭いながら、立ち上がる。拭った後からも、赤黒い血が伝った。
「……あんまり舐めんじゃねぇぞ」
ぞわりとした怖気が、ネールから噴き上がる。何より、口調が違う。
「ったく、こっちが下手に出てやりゃどいつもこいつも付けやがりやがってもう……! こちとら、巫女を束ねる大巫女なんだからなッ!」
アレが、キレるということか。目の当たりにしてみるとなんとも恐ろしい。
それはともかく、その激情に反応するように、地面が割れる。
「は?」
「逃げて!」
俺はセドリックに首根っこを噛み摘まれ、咄嗟に壁際に対比した。俺達がさっきまでいたところは綺麗に地面が二つに裂けており、底の見えない奈落の口がぽっかり開いてしまっている。
「な、なんなんだよアレ!」
「クライス・ネール・キーリアの力は、巫女の中でも桁違いだ。奴が竜達から賜った力は、森羅万象を統べる力。もはや、スケールが違うのだよ。あまり力を振るう機会はないだろうが、やはり質は段違いだな!」
「褒めてる場合か!? 火の玉飛ばすわ地面割るわ、こんな狭いところじゃなぶり殺しにされるだけだぞ! アリエッタだって、強いのは分かるけどこんな状況じゃ!」
「俺達がお前を連れてきた理由がこの先にある。ここで退くわけにはいかないのだ!」
アリエッタは無数の光弾をネールの周囲に出現させ、連続で爆ぜさせて牽制する。
ネールの周囲にはどうやら透明な壁が出現しているらしく、全く動じていない。
「アリエッタ、俺もやる!」
「さっきの言葉、聞いてなかったの!? この人は、ダメッ!」
「何をごちゃごちゃと――ッ!」
強烈な、赤。超巨大な紅い光球。太陽の如き、烈火の炎。それが真っ直ぐ、俺達の方を向いている。顔や手の辺りに、チリチリとした熱さと痛みを感じる。恐らく今作り上げられた火球の温度は、想像を絶するものなのだろう。
「ネールも加減がないんだから!」
アリエッタは帽子がとれるのも構わず、勢いよく地を蹴り、ライトニングにしたのと同じように、肉薄して、解放の力を放とうとした。
だが、今回はあの時のようにはいかない。
再び地がせり上がる。連続でせり上がる石柱にアリエッタの身体は空中で弄ばれ、地面に叩き落とされた。
「か、はっ……!」
「アリエッタァッ!」
セドリックが、吠え立てた。しかしネールはアリエッタのことなど気にも留めず、俺達に火球を向ける。広間に飛び込んだアリエッタはともかく、まだ通路の中にいる俺達に逃げ場はない。セドリックは後方に大きく跳ぼうと、後ろ足に力を込めた。
「――そんなもんぶつけられたら、アリエッタにまで当たるだろうがッ!」
「ネイト!」
セドリックに咥えられた部分の服が破れた。背中に、チリチリとした熱さを感じる。
「これで頭を冷やせぇッ!」
ネールの絶叫と共に、巨大火球が放たれる。
あの時、ライトニングを守ったような感覚――。ただ、守れと願う。それしかなかった。
願いは、届いた。
ネールのぶち開けた大穴から、爆炎が噴き上がっていくのが見えた。俺達の眼前には、薄い、薄い赤の壁があった。如何に薄くとも、確かにネールの火球は防いだ。ただ、ライトニングを守った時のように、原理は分からずとも、守ることが出来たのはよかった。
「――なんなの、そこの男」
ネールは少しだけ息を荒げながら、俺のことを睨んでいる。
「あんたの頭は冷えたか? 何考えてるんだ、こんな狭い空間であんなもんぶち込もうとするなんて。全員蒸し焼きになるところだったんだぞ!」
「うっさいわね……。アリエッタ、いつまで死んだフリしてんの。あの壁使いはなに?」
「あれ、もう怒ってない?」
アリエッタはむくりと身体を起こし、にんまりと笑った。
「……さあ、どうでしょう。とりあえず、あたしの質問に答えてちょうだい」
「壁使い――アレはただの壁じゃないよねぇ。それはさておき、彼が、ネイトだよ。ネイト・ハートライト。私達にとっての最後の希望。トレイン・ハートライトの血をもっとも濃く受け継ぎ、かのダーインスレイヴの加護の下にあったもの。彼が本来あるべきところに、取り戻してきたよ」
「あれま……」
ネールはそのまま大の字になって、その場にぶっ倒れた。俺もセドリックもアリエッタも、しばらくの間呆然としていたが――。
「……大丈夫なのか?」
セドリックが心配そうに、もっとも近くにいるアリエッタに尋ねる。アリエッタはおずおずとネールの首の辺りに手をやり、とりあえずは、と答えた。
「気絶してるみたい。どうしたのかな?」
「ま、容易には受け容れられない真実でも突き付けられたのではないか? まぁいい、これは好都合だ。さっさと最初の目的を果たそうではないか。ようやく、本題に入れるな、ネイト」
セドリックは器用にネールがぶち開けた地面の裂け目を避けて、奥へと歩を進める。俺は黙って、その後を追いかけた。ネールは本当に気絶しているらしく、高そうなドレスのスカートを地面いっぱいに広げ、眠っているかのように目を閉じていた。
「怪我、とかは?」
「あー、あの人丈夫だから、大丈夫だよ」
「あっちのことじゃないよ。……ほら、肩貸してやる」
アリエッタは脇腹を庇いながら、弱々しい足取りでこちらにやって来た。よほどの痛みなのか、左目を閉じながら、こちらの方に歩み寄ってくる。
「……ありがと」
アリエッタの柔らかい腕が、俺の首に回される。よく見ると、口からは出血の跡が見えた。腹をやられて口から出血したとなると、軽傷とは言えないだろう。
「内蔵?」
「多分。無茶するよねぇ、女の子の腹に石柱ぶち込むなんて、人間のやることじゃないよ。あいたたた……これ、内出血で済んでればいいけど……」
「仲、悪いの? 同じ、巫女なんだろ?」
「……セドちゃんが説明してくれてたでしょ、あの人はもっとも竜に近い人間。他の巫女を統括する立場にあるの。口うるさい上司と仲良くしろって言われても、無理な話。もちろん、嫌いじゃないよ。私、人間を嫌いにならないことをモットーにしてるから」
「巫女は人間の範疇に入るのか?」
「入るよ、一応」
アリエッタは俺の隣でニッコリ笑った。なんともお優しい限りだ。
「ただこれから会う人は……」
しかし、不穏な一言が付け加えられる。
「人間の範疇には入らない、かもね」
「――竜とか?」
「その対極にある人だよ」
広間を抜けると、明らかに雰囲気が変わった。見えるのは、自然ではない明かり。蝋燭やランプの類の明かりでもない。
セドリックは行儀よく座って、俺達が来るのを待っていた。
「――やれやれ、生きてお前にまた会えるとは思わなかったよ」
セドリックは誰かに語りかけている。俺とアリエッタが不自然な明かりに照らされた空間に足を踏み入れると、そこには――。
「……なんだ、これ」
巨大な柱が組み合わされた台座のようなものの上に、甲冑を着た巨大な人間が乗せられていた。いや、こいつは人間じゃない。人間から感じるような暖かみみたいなものが一切無い。
左の腕は肩の辺りから完全にもがれており、その断面からは無機物が飛び出している。健在な右腕には、あちこち刃こぼれした巨大な剣が握られている。
これは、一体なに――。俺がそんな疑問を口に出そうとした時、静寂が打ち破られた。
『そいつが、件の玄孫? おっと、玄孫っていうのは正しくないな。玄孫の何乗?』
「喋った!? こ、こいつ、人間なのか?」
アリエッタの手が、そっと俺の胸の辺りに触れた。
「怖がらないで。この人は味方。私達人間にとって、この上ない味方。――セドちゃん、お互いが理解できるように、説明してあげて」
「なかなか難しい注文だな。――とりあえず、互いを紹介しよう。ここにいる彼は、ネイト・ハートライト。ああ、お前が呼ぶ時はネイトと呼んでやってくれ。どうやら奴らに本当の名前を教えられずに生活してきたらしい。お前も名前ぐらいは承知しているだろう? 十五年間、ダーインスレイヴの下で暮らしていた。とんでもない世間知らずだ。何も知らない。お前の名前も知らない。相当な情報統制の下にあったようだ」
『俺の名前が後世の歴史教科書に載るような一般常識として流布されているのは末恐ろしい限りだ。さて、セド。俺のことはどう紹介してくれるのかな?』
「ううむ。……この元優男は、トレイン・ハートライト――の残留思念とでも言ったところだ。まずお前には、この白銀の神骸機の説明をしなければならないな」
「しんがいき……神骸機……ああ、戦争がどーのこーのって奴の……。すげー」
「ご覧の通りだ。千年前の戦争すらもこいつは知らない。存在自体を知らないんだ」
『ま、親子ごっこをする上で自分が戦争に加担していたことを告白するのは遊びのリアリティを損なうよな。――俺はお前の親父、ダーインスレイヴと最後に戦って、負けた男。そして、お前の遙か昔のご先祖様だ。理解したか?』
ご先祖様がこいつで、父さんは父さん――こいつの言ってることはあまりに矛盾している。何よりこいつの軽薄な口調がとてもむかつく。
「トレイン、彼はまだ混乱している。世界の本当の姿も知らないのだ。いきなりそんなことを言って理解しろというのは、横暴が過ぎる」
『どうせお前ら、後先考えずに過激な手段に打って出たんだろ? これから連中がどんな手に出るか、分かってるだろうに。……セドはいつもそうだ。ま、俺はそれでいいと思うけどね。連中の鼻っ柱を明かしたってだけでも、胸がすっとする。とかく、そいつをどうするか、だな』
「どうするって……」
『とって食うわけじゃない。セドの外見は肉食だが、中身は元ベジタリアンだから、人食いはしないだろう。それと、ネイト・ハートライト。お前には世界の本当の姿を知ってもらわなければならない。こういう身体になると、便利な使い方もできるんでな』
白銀の鎧が、蒼く輝いた。一瞬、視界が真っ青になったあと、周囲の壁の様子が様変わりしていた。何の変哲もない壁の上に、何かが映し出されている。
「まぼろし……?」
壁には、黒い何かが白い何かと何度もぶつかり合っている様子が映し出されていた。他にも、赤い何か、青い何か、それぞれと白い何かが戦っている。
よくよく目を凝らせば、白い何かは紛れもなく、今ここにいる巨大な人型。そして、赤や青、そして黒は――。
翼を持った、怪物。それを人は、竜と呼ぶのかもしれない。竜達はこの白い人型の前に、次々と敗れ去っていく。俺にはその図の中の白い人型が、悪役に見えて仕方がなかった。
『このウィクトーリアは、千年前の大戦で最後まで戦場にあった神骸機だ。こいつと俺は、竜と戦った。何度も何度も戦った。何体も竜を殺して、俺は、何人も友達を殺された。殺して、殺して、殺しまくった。そして最後には――俺が、殺された』
「でも、あんたは生きてるじゃないか!」
『……こいつはがらんどうだ。俺はがらんどうの神骸機に宿った、哀れな、哀れな死者の怨念さ。ただ復讐のために、千年間、ここで眠り続けていた。それを見つけたのが、こいつらだ。セドは俺の数少ない親友でな。後の時代に俺達の技術を残すために、人間の身体を捨てることを選んだ。ま、千年前の施設の大半は竜達に破壊されて、せっかくの知識を生かす機会もほとんどなかったようだが』
「目覚めたのが遅すぎたのだ。百年と少し前に俺は目覚めたが、少なくともこの大陸には、現存する千年前の設備はない。かつての耐久寿命一万年の謳い文句は外さなければならないな。ま、外部からの想定を越えた攻撃を計算に入れて設計しろというのも、無茶な話だが」
「じゃ、ここは?」
少なくとも、俺が見たことのあるようなものはない。
『ここは、このウィクトーリアを隠すために、人類が作った急造の隠れ家だ。整備用の機材なんて気の利いたものはないし、本当にただ置いておくためだけの施設だな。ま、だからこそ奴らに気取られなかったのかもしれない。――そういえばさっき、天井に大穴ぶち開けてきたとんでもない子がいたな。あの子はどうした?』
「気絶してるよ。ダーインスレイヴの所からネイトを連れてきたって言ったら、そのままノック・アウト」
『上に立つ人間は大変だね。……それよりアリエッタ。君はいいのか? 別に、俺達にそこまで肩入れすることはないんだぞ? 君には立場があるんだろう?』
「私は――私が正しいと思ったことをしてるだけ。トレインは気にしないで」
『そうか。さて、ネイト。壁の映像は見たな? これでもまだ、竜の実在を信じないか?』
壁にはこのウィクトーリアと竜との戦いの様子が映し出されている。この映像が偽物だとしたら――こんな手の込んだことをする理由はない。それに、セドリックやアリエッタだって、平然と竜がいると言っている。
それならもう、信じるしかないじゃないか。
「……竜がいることは、信じるよ」
『一歩前進だな。固定概念を崩すことは何よりも重要だ。……そして俺は、竜の盟主ダーインスレイヴに敗れ、ズタボロにされていたこの機体に、これまた見るも無惨な状態だった俺の身体から脳を取り出し、データ化してこの機体にインストールした。後の時代に神骸機の動かし方をしっている人間の知識が必要だったんだ。成功する望みはまるでなかった危険な賭けだが、うまくいった。俺は人類が竜に反旗を翻すその日まで、ここで眠りに就くことになった。――だが、その間に世界の様子は大きく変わったらしい』
トレインの言葉を、セドリックが引き継ぐ。
「うむ。巫女や竜のことは承知しているな? 竜は巫女を通じて世界を監視している。叛乱が起きないように、な。そこに奴らが人類と戦争を始めた理由がある。奴らの目的は、世界――というより、この地球という星を生き延びさせることだ。アリエッタやお前にはとても信じられないだろうが、千年前、地上の自然はほとんど死に瀕していた。人間の横暴によって、だ。それを罰するために奴らは来た。勝利は奴らの正当性を裏付けし、人類が二度と星を傷付けることがないよう、徹底的な監視態勢を敷くようになった。歴史の表舞台から、姿を消してな」
「前にしてもらった話と一緒だ」
「そう怒るな。本題はここからだ。神骸機はウィクトーリア以外喪われ、その他の近代兵器も現存しない。もはや竜に対抗する術はない――と俺達は思っていたが、奴らはまだ安心できないらしい。奴らにはハートライトの血筋が、恐ろしくてたまらないようなのだ」
セドリックは俺と、アリエッタの顔を見やった。
「過去の記録を紐解いていると、竜達は極稀に姿を現し、小さな街を焼き払ったという記録がある。そして、焼き払われた街にはハートライトの名を冠する家系が存在していた。――奴らは、ハートライトの血を根絶やしにするべく、行動している。恐らくお前も、本来は命を奪われるはずだったのだろう。それがなぜか、ダーインスレイヴの寵愛を受けた。俺にはこれが分からん。なぜあの狡猾な男がお前を、あろうことか、息子として」
「俺は父さんの息子だ。正真正銘、な」
これだけは、譲れない。ダーインスレイヴなんていう悪の親玉みたいなやつじゃない。
「ネイト――」
何か言いたげなセドリックを遮る。
「竜が存在することは認める。あんた達が戦ったことも認める。だけど、父さんが竜だなんて、そんなことは――信じられない。信じるだけの説得力もない。だから、俺は信じない」
『はっはっは、こいつはいい。ダーインスレイヴの狙いもこれだろう――と言いたいところだが、なんとも言えないな。ただ単に懐柔するのが目的ならば、これまでのハートライトの血筋に連なる人間に対して同じ事をしなかった理由が分からん。奴らは無意味に生殺与奪するような種族じゃない。他のハートライトは脅威であると認識し、ネイトが脅威ではないと判断したのはなぜか――』
「だから、俺は父さんの――」
『お前は、その父さんとやらの名前を知っているか?』
「父さんの、名前……」
そういえば俺は、父さん、としか呼んだことがない。
城の皆も、父さんのことは盟主とか、主、とか、呼んでいた。
固有名詞――と言うんだったか――で呼んでいる人はいなかった。
『知らないだろう? 奴に人としての名前はない。故に、お前に名前を教えなかったんだ。本当の名前を教えたら、嘘が根底から揺らいでしまう。――自分で言うのもなんだが、俺は竜共を子供だろうがなんだろうが殺しまくった。種族全体から恨まれるのも当然なことをしてきた。お前の名が明かされた時はお前達の親子関係の破綻と同義。お前がネイト・ハートライトになってしまう。それを、奴は望まなかったんだろう』
違う、俺と父さんは偽りなんかじゃない。本当の親子だ。
そう言いたいのに、剣幕に押されて、声を出すことが出来ない。
「おい、トレイン――」
『ダーインスレイヴのことは、忘れろ。奴は俺達人類の、最低最悪の敵なんだ。奴が殺めた人類の数は、十億を下らない。奴一匹に滅ぼされた国もある。人類は奴らに管理され、家畜のように生きていくしかない! 隷属の歴史によって作られた明日なんかに価値はない! 奴を殺さなければ、人類に本当の明日は来ない! その為に、俺達に力を――』
「トレイン・ハートライト!」
セドリックが、大声を張り上げた。
「貴様、人の身と一緒に、人が感情を持つ生物であることも忘れたか! この子は、まだ十五だ。あの時戦っていたお前よりもまだ若い。世界がなんたるかも、未だに分かっていない。そんな子供にただ現実を突き付け戦えなどとよく言えるな! 俺達に時間はあまりない。だが、急く余りにネイトの感情を無視するようなことをしていては、千年前と何も変わらんぞ!」
『セド、手段を選んでいる場合じゃないだろう? 打って出たのは俺達だ。奴らがどんな手で出てこようと、その時までに対応できるようにしておかなければならない。その為には、ウィクトーリアの力が必要なんだ! こいつを動かせるのは、そこにいるネイトしかいない! なら、やれることは一つしかないだろうが!?』
セドリックとトレインの言い合いは、どんどんヒートアップしていく。俺には到底口出しできないような雰囲気が続く。
「戦う理由も持たず、技術も持たない人間が、資格があるから――ただそれだけの理由で神骸機に乗ったところで、生き延びることはできないことを、お前は嫌というほど見てきたはずだ! また同じ事を繰り返すのか!?」
『――同じようにはさせない。俺の意志はこいつのオペレーティング・システムの補助領域にまで干渉できる。知識や技術がなくても、こいつを扱うことは出来る! その為に余計なもの全部を廃して、俺の魂が生き残ったんだ』
「神骸機の操作は可能かもしれない。だが――最後に引き金を引くのは、ネイトだぞ」
セドリックは冷淡に言い放った。
『――引けるさ』
「さあ、どうだかな。――すまん、ネイト。ここまで激しい言い合いに巻き込んでしまうとは思わなかった。ひとまず、今日はこのぐらいにしておこう。あいつも少し、気が立っているのだ。余裕もない。だか、最後にはお前のことも理解してくれるはずだ。あいつは馬鹿じゃない」
俺はただ、頷くことしかできなかった。
「トレイン、お前も少し頭を冷やせ。俺達に二度目の失敗は許されん。今度こそ、今度こそは成功させなければならないのだ。その事よく、肝に銘じておけよ」
『嫌ってほど刻み込まれてるさ。――それに、そいつは間違いなく、選択するよ』
トレインは、予言した。
『ネイトは、俺と気味が悪いほどよく似ている。俺とお前は同じだよ。だから、分かる。最後には必ず、戦うことを選択する。それしか自分に道がないことが、最後には思い知らされる。俺がそうだったように、お前も、必ず』
こいつのことが、本当にむかつく。俺とお前は、違うんだ。
「――俺は、あんたよりも、父さんのことを信じたい」
竜の盟主、ダーインスレイヴなど知ったことか。俺が知っているのは、古城の主で俺の父さんだけだ。こいつらが――いや、俺の先祖面をするこの声の主、トレイン・ハートライトがなんと言おうと、俺の考えは変わらない。
そんな俺を見透かすように、声は言い放った。
『ご先祖様の言うことは、聞いておいた方がいいと思うけどな。祟りは怖いぞぉ〜?』
トレインの憎まれ口を聞きながら、俺達は洞窟を通って、ネールが気絶している広間の方へと戻った。
俺達が広間に戻ると、ネールが後頭部を押さえながら立ち上がるところだった。
「あいたたた……。なんなのよもう、最悪……」
ネールと、俺達の視線が交錯する。一斉に身構えたが、やり合いに発展することはなく、ネールが疲れた表情を見せて、肩をすくめた。
「ごきげんよう、お三方」
「とりあえず、無事なようで何よりだ。頭は冷えたか?」
イヤミたっぷりのセドリックの台詞に、ネールはまぁまぁね、と応じた。
「頭冷えすぎてスッキリしたわ。はーあ、ほんとにもう、とんでもないことしでかしてくれたわね、アリエッタ」
「人をさも悪人のように言わないで欲しいなー、もー」
「あたしに言わせりゃ極悪人よ。で、そっちの話し合いはまとまったの? って、その顔を見る限り、まとまらなかったみたいね。どうするの、これから。そこの彼を匿うのだって、一筋縄に行くことじゃないぐらい、分かってるでしょ?」
「……少なくとも、売ることはない、と受け取って良いのか?」
セドリックの問いかけに、ネールは頷いた。
「同族を竜に売るようなことは、したくないわ。それもトレイン・ハートライトの子孫だというのなら、なおさら。安心して、こっちはそれなりに上手くやるわ。ただ、アリエッタ。あなたの方はこれで済ませるわけにはいかないわね」
「げっ」
「げっ、じゃないの。自分でしでかしたことの説明ぐらい、自分でやりなさい。そっちのおっきいネコさんには頼らずにね」
「ネ、ネコ……?」
意外と世間知らずなのかもしれない、と、思った。当惑するセドリックを尻目に、ネールはちょいちょい、とアリエッタに向かって手招きする。
「アリエッタ……」
セドリックはアリエッタをジッと見つめたあと、器用に前足をポン、とその肩に乗せた。
「武運を」
「……骨は拾っておくれ」
なんだか古めかしい口調で言って、アリエッタはとぼとぼとネールの方へ歩み寄っていった。アリエッタがたどり着くと、ネールはガシッとその肩を掴み、恐ろしく作為的で上品な笑みを浮かべた。
「ごきげんよう」
そうして、アリエッタはネールに連れられていった。
「……なあ、セドリック」
「なんだ」
「なんで、あんなに辛そうな顔してたんだ?」
「地獄を見るのが火を見るよりも明らかだから――かな。さて、俺達も行くぞ。さすがにもう野宿は勘弁だ」
俺はセドリックに連れられて、外に出た。
出てすぐ、俺達に注ぐ西日は恐ろしく目に明るかった。
◆
巫女達には専用の居城が与えられている。人間に対して権威を示すため、竜から与えられたものであり、特に、森羅万象の力を与えられた大巫女クライス・ネール・キーリアの居城は、壮観であった。城下町であるハイグランドの街は人も多く集まり、活況を見せていた。
だがしかし、城下の活況とは裏腹に、最上階のネールの部屋には重い空気が流れていた。
「――つまり、あのガラクタを動かすためにはハートライトの生体情報が必要だから、ネイト・ハートライトをダーインスレイヴの城から奪還する必要があった。そして、あなた達はそれを実行した。そういうことね?」
部屋の中央で仁王立ちしながら問い質すネールと俯き加減で答えるアリエッタの姿は、まさしく尋問のそれである。身長や体格は明らかにアリエッタの方が良いのだが、ネールの小さな身体から放たれる威圧感は、尋常ならざるものであった。
アリエッタがセドリックと出会い、二人であの岩場の隠れ家を見つけたのは、ほんの一ヶ月前のことである。そして、アリエッタは当代の人間であれば誰もが知っている英雄、トレイン・ハートライトの意志が未だに生きていること、さらには神骸機ウィクトーリアが健在であることを知った。そして、二人はトレインから、神骸機ウィクトーリアの起動のためには、ハートライトの血を持つものの生体情報が必要だということを聞かされたのである。
「……ハートライトの生体情報が必要だというのなら、あなたの血ではいけなかったの? あなただって、ハートライトに連なるものでしょう?」
「私の血は薄すぎるから、動かせなかったの。第一、本当に継いでいるかどうかも分からない。セドちゃんが言うように、ハートライトの血は根絶やしにされるのが普通みたいだし……。それが生き残って、あまつさえ巫女になるなんて、変でしょ?」
「そうね。でも、血の薄い濃いや種別はどうでもいいわ。一つ聞きたいのだけれど、ネイト・ハートライトが竜達の手の中にあること、どうしてあなたが知っていたの? あたしですら、彼が存在していることも知らなかったのに」
「それは――」
アリエッタは言い淀んだ。それからおずおず口を開きかけると、ネールはぴしゃりと言い放った。
「セドリック・アーカントーチやあのガラクタに宿ったトレイン・ハートライトが知っていた、なんて理由は信じないからね。よしんば知っていたとしても、彼らだけでやったはずだもの。千年前の因縁に無関係なあなたを巻き込むとは思えない。――ま、情報源なんて些細な問題だわ。その顔じゃ、教えてくれないだろうし」
「ごめん、ネール」
「いいのよ。最大の問題は、これからどうするか、なんだから。さっきの様子を見る限り、あなた達のアテは外れたようだし。何があったの?」
アリエッタは、ネイトが置かれていた状況と、トレインの様子をネールに伝えた。
聞き終えたネールは、頬に手をやりながら、天蓋付きのベッドに腰を下ろした。
「ダーインスレイヴの親子ごっこ、か。ちょっと意外だわ」
「ネールは、ダーインスレイヴに力をもらったんだよね?」
「ええ。彼がどんな人格をしているかは、少しは知っているつもりよ。だからこそ、分からないわ。そんなに情緒的な人じゃないのは間違いないもの。とても、とても冷静に損益を考えて、必ず自身や種族の益になることを選択する。ネイト・ハートライトとの家族ごっこに利点を見出した――あるいは、ネイト・ハートライトとの親子関係に利点を見出したか……」
「家族が欲しかった……とか?」
「それなら、適当な孤児を拾ってくればいいのよ。たとえば、あたしを家族として迎え入れるというのでも問題はなかったはず。恐らく、彼らにはネイト・ハートライトでなければならない理由があった。――そういえば彼、あたし達と似たような力を使ってたわね」
「あ、うん、使ってたよ。まだ思い通りにコントロールすることはできないみたいだけど。彼も、竜脈から力をもらってるのかな?」
竜脈とは、竜達の操る竜術の源泉であり、体内にごく微少に存在する、エネルギーの一種である。竜脈を持つ量が多ければ多いほど、竜術の力は増す。ダーインスレイヴの闇や、ネールの森羅万象は通常では考えられないほどの竜脈を保有しているからこそ扱える力なのである。
これらの事実を知っているのは、竜達と、竜に選ばれた巫女のみだ。千年前の人々や、今、この世界で暮らしている人々はこの事を知らない。
「ま、あんな力を常人が出せるわけはないから、恐らくそういうことでしょう。でも自覚がないっていうのは、変な話ね。ダーインスレイヴと親子だったというのなら、彼が伝えていてもおかしくないはず。彼らが力を把握していなかったとしたら、私達のような竜脈をより多く持つ人間を特定し、巫女としてきた根底が崩れるし……」
そう、巫女とは竜脈をより多く使うことの出来る少女達によって成る存在なのだ。竜達は優れた竜脈を持つ少女達を選別し、監督者としての立場を与える。
――巫女は、竜に近いモノ。
それを自らが自覚しているからこそ、彼女らは冷徹に、調停者たり得るのである。
「敢えて、伝えてなかったとか?」
「伝えない理由は何かしら? ――あるいは、あの力を持っているから、ダーインスレイヴは彼を手元に置いていたとか、ね」
「でもそれなら、先に殺しちゃった方がいいんじゃない? こうして私達に奪われちゃったわけだし、変にリスクを抱えるぐらいなら、いっそ……」
「そうよね。竜という種の絶対有利は変わらないのだから、もっと暴力的な手に打って出ても不思議じゃないし、実際に打って出てくることは多かった。彼だけが特別な理由は何……?」
ネイトと一瞬力をぶつけ合ってネールに言わせれば、まともにやり合ったとしても、間違いなく自分が勝者になるであろうことは疑いようのない事実であった。
「竜脈を使えるハートライトの人間――だとしても、あなたがいるものね。年から言っても、あなたの方が年上だから早い者勝ちってわけでもなさそう……。はぁ、これじゃ、考えてもしょうがないわね。とりあえず、この後どうするかを考えましょう」
ネールの言葉に、アリエッタは不思議そうな顔をした。
そんな顔をされるのは意外だったのか、ネールは小首をかしげる。
「どうしたの?」
「いや、もうちょっと怒られるかと思った。私が後先考えないでやったらいっつもネールは怒ってたし、セドちゃんもとんでもないことをしでかしたんだぞって言ってたから、もっと、怒られるかなって」
「ま、あなた達の秘密基地であれだけ怒れば、ちょっとはスッキリしたわ。それにもう、済んだことにうだうだ言ってもしょうがないでしょう? 今からネイト・ハートライトをはいどうぞって返したところで、事態が元通りになるわけじゃないんだし。そうは言っても、奴らがどう出てくるか、考えるだけで頭が痛いわ」
悲観的な言葉を口にしながらも、ネールは無理矢理笑みを浮かべていた。彼女は自身が巫女であり、調停者であり、同時に、人類にとって唯一の竜との間口であることを自覚している。
そんな彼女が暗い顔をするわけにはいかない。巫女が不安な顔をすれば、それだけ人々は不安を覚える。それなら、笑っていなければ――ネールの口癖であった。
「でも、安心して。あたしは、あなたの味方よ。それに、巫女が調停者であったとしても、あたし個人としては、人間のことは好きだもの。あなたの人間に自由を与えたいって気持ちは、理解できるわ。できれば、やる前にあたしに相談して欲しかったけど」
ネールは勇気付けるように、アリエッタに微笑みかけた。
「あなたが不安な顔してどうするの。いつも通り、馬鹿みたいに笑ってなさい。連れ去ってきたのはあなたなんだから、ネイトのことにも、責任を持ちなさい。自分がやったことに責任を持てない人にはあたし、怖いわよ?」
「わ、分かってるよ、ネール」
ネールは、そう、とまた笑って、アリエッタの肩を抱きしめた。
「――何かあった時は、あたしがみんなを守るから」
それから、茶目っぽく笑って付け足す。
「それと、さっきはごめんね。痛かった?」
「痛いに決まってるでしょ!? モロだったんだからね、モロ!」
「そんなに怒れるなら大丈夫よ。でもま、薬湯にでも浸かっておきなさい。すぐに傷も治るわ。それはそうと……あの大きなネコと、彼はどこで寝泊まりするつもりなのかしら?」
「大きなネコじゃなくて、ライオンだよ、ネール。――そういえばどうするんだろう、聞きそびれちゃった。ま、明日、街に行けば会えるかな」
「あの連れじゃ目立つでしょうしね。……お風呂、入れてきてあげる。一週間も留守にして、身体も疲れてるでしょ? 今日はゆっくり休みなさい」
「あ、ありがと……」
アリエッタからしてみれば、常に怒っているネールが異様に優しいのは不気味でならないのだろう。しかしネールにしてみればここ数日、気が気でなかったのである。怒りも忘れて、甘やかしたくなるのも当然であった。アリエッタが無事で戻ってきたこと自体、望外の幸運といっても過言ではなかったのだから。
鼻唄を歌いながら城の風呂場へと向かう彼女の後ろ姿は、城の者達を不安にさせた。
ネールがご機嫌――それは不幸の兆しであった。
◆
俺はセドリックと一緒に、ハイグランドの養鶏場で一夜を明かした。セドリックは気にならないらしいが、人間の俺にはとてもとても、耐え難い環境だった。なんでもセドリックのことはアリエッタがネールに秘密にしていたらしく、無理を言ってここを借りているそうだ。
セドリックだったらそこら辺に寝かせておいても大丈夫だろう。一刻も早くここを引き払うべきだ、と、俺は鶏に頭を蹴飛ばされながら、思った。
「……あんた、よく平気だな」
「ん、なにが?」
目をしょぼしょぼさせながら、セドリックは首をかしげる。
「いや、やっぱいいや……。で、今日はこれからどうすんの?」
「街へ行く。何はともあれ、腹ごしらえだ。――それにしても、帰りたいとは言わないんだな。少し意外だ。昨日のあの様子ではとてもとても……」
「今戻ったら、セドリックやアリエッタに迷惑がかかる」
「気遣わせてすまないな。――それと、俺のことはセドと呼んでくれ。お前にセドリックなどと言われると、なんというか、むず痒い」
「どうして?」
セドリックは少し、可笑しそうに笑った。そして、おかしな事を言った。
「お前の顔は、恐ろしいほどトレインに似ている。トレインに他人行儀にセドリックなどと呼ばれると、どうにも居心地が悪いのだ。……おっと、すまんな。昨日の様子では、あいつに似ていると言われても、嫌な気がするだけだろう」
「……それで、あんたが喜ぶなら」
あいつは嫌いだが、セドリックは嫌いじゃない。俺のことを守ってくれたのは事実だし、アリエッタもセドリックも、よかれと思って俺をあそこから連れ出そうとしてくれたのだ。
それに対して、まぁ、言いたいことは色々あるけど、悪意とか敵意を持ってはいない。
こう思うことが、正しいのか間違っているのか、俺には計りかねるけど。
「そ、そうか。まぁ、お前の呼びやすいように呼んでくれ。俺は気にしない」
「さっきはばっちり気にしてたじゃないか、セド」
「――それなら、据わりが良いな。行くか、ネイト」
セドリックは意気揚々と藁のベッドを飛び降り、歩き出した。
少しだけ、千年前のことを知りたくなった。俺の、知らない世界のことを。
それにしたって、ハイグランドの街は綺麗だった。街は白煉瓦で形作られ、朝の日差しを浴びて、眩く輝いていた。煙突からもうもうと立ち上る煙は、どことなく城のことを思い出させた。ただ、感動するほどの目新しさはない。それが少し、残念だった。
緩やかな坂を上りながら、俺はセドリックに尋ねた。
「なあ、セド。ずっと昔から、こんなもんなのか? その、あのウィクトーリアとかいうデカいのを作れるなんて、とても思えないんだけど」
「千年前、このような街並みは珍しいものだった。観光客がごった返すのが目に浮かぶようだよ。それが千年経って、これが普通になってしまった。人間は後退しているんだ。確かに、この暮らしぶりの方が世界に与える影響は小さいだろうし、かつてのように、世界のバランスを脅かすことはないだろう。これはひとえに竜による管理の成果だ」
セドリックは歩を進めながら続ける。
「人は薪を燃やすことで火が生まれることを思い出し、油で明かりを生み出すことを思い出し、家畜を育て、育てた家畜から肉をもらい、穀物を育て、育てた穀物からパンや飯を作ることを思い出した。いずれも、俺達の時代の人間が忘れていたことだ。当たり前のことを忘れた人間は暴走に近い進化を続け、戦争と略奪を繰り返し、地上のあらゆる生物を傷付けた。――それが今や、世界の皆が当然のように必要最低限の薪で冬を越し、自然からもたらされた食物で命を繋いでいる。この仕組みに文句を言う人間は誰もいない。子供達は獣を追って野を駆け回り、大地の実りを探して、ようやく見つけた果実一つに感謝する。これが自然と世界のあるべき姿、そう思わないといえば嘘になる」
セドリックは立ち止まって、空を見上げた。俺も釣られて空を見てみる。澄み切った、綺麗な空だ。空の青を見つめながら、セドリックは語り続けた。
「正直言って、あの時代に生きて、世界の破壊に加担していたといっても過言ではない俺からしてみると、奴らのやったことは正しいように感じるのだ。方法は別として、生み出した結果は悪いものではない。――だが、人類にとっては、数十億年かけてコツコツ積み上げてきた歴史の全てを無に帰されたも同然だ。果たしてそこまでやる必要があったのだろうかと、俺は今でも思うよ」
「話し合いとかは、しなかったのか?」
「さてな。一軍人に、政治は分からんが……。互いが話す舌も持たないと考えていた可能性は否定できん。人と竜はあまりに違いすぎる。今の状態でも一切の交渉がないのだから、かつての我々では、奴らに心を開くことはできなかっただろう。そしてその結果が戦争だ」
「じゃあ、竜のこと、みんなは何も知らないのか?」
「巫女と交渉を持っている人間なら少なからず知っているだろうが、大半の人間にとっては、竜はおとぎ話と歴史の中の存在になりはてているかもしれないな。奴らと遭遇することなどほとんどない。その点で言えば、お前と今の人類にはさして差はないのかもな」
俺がちょっとムッとして口を開こうとすると、セドリックは、だが、と遮った。
「人は、竜の恐怖を口伝している。いや、遺伝子の螺旋に組み込まれていると言っても過言じゃないかもしれない。平和な空に、対の翼が広がった時の絶望を。俺もよく覚えている。忘れることは、恐らく一生無いだろう。お前は幸せだよ。何も、知らないのだから」
「何も知らないのが幸せだなんて心外だな」
「知らないからこそ、学ぶことが出来る。知らないからこそ、恐れを抱かず戦える。それは、余人には得難い強みだ。何も、恥じることはない。ハートライトの血やダーインスレイヴ云々の前に、お前は様々なことを知るべきだ。あの城では、残念ながら知ることは出来ない。それはお前も重々承知しているだろう?」
確かに、セドリックの言うことには一理ある。俺はセドリック達に出会うまで、ほとんど何も知らされてこなかった。確かにまだ、セドリック達の言うことが全部本当だとは、信じ切れない。だけど、俺の知らない世界があったことは、紛れもない事実なわけで――。
「まぁ、お前は自分の心が望むようにいればいい。戻りたくなれば、すぐに言えよ」
「……そういやさ」
「ん?」
「あの城からここまで、どうやって戻ってきたんだ?」
「む、それはな……」
セドリックはわざとらしく視線を逸らした。
「なーなー、無知な俺に教えてくれよー?」
「都合のいい時だけ自分の事情を利用するな! って、ゲェッ!?」
「な、なんだよ突然気持ち悪い声出して!」
その理由は、すぐに分かった。
「あーーーーーーっ! セドリックだーーーーーーーっ!」
朝の静かな雰囲気をぶち壊す絶叫と共に、道の向こうから子供の一団が一目散に駆けてきた。目標はもちろん――。
「おま、お前らっ! 俺のたてがみはおもちゃじゃないぞ!」
セドリックはあっという間に子供に包囲され、その場に引き倒されると、たてがみを引っ張られたり、腹の辺りを揉まれたり、もみくしゃにされていた。
「ぐあっ、ちょっ、だからやめろ、やめろって!」
「セド、しばらくどこに行ってたのー? 何も言わずにどっか行くなんて最低だよ、もー」
「俺はお前達の所有物ではなっ、ぎゃあっ! だからたてがみを引っこ抜くのはやめろ!」
小さい子供を見たのはこれが初めてで、正直言ってどうしたらいいか分からなかった。とはいえ、セドリックも本気で嫌がってはいないようで、手出しは無用のようだが――。
「ねーねーセドー。あっちのお兄ちゃんは誰―?」
「あー、それはな……ゴラァッ! 腹の肉を摘むなぁ!」
「やはははー、セドが怒ったー!」
子供達はセドリックの咆哮を聞くと、揃って大笑いをした。
「セドー、かけっこしてあそぼ?」
「セドー、戦いごっこしよーぜー」
かけっこや戦いごっこで、セドリックと勝負になるんだろうか。子供達の遊びというのはよく分からない。
セドリックは器用に身体を起こすと、俺の方をちらりと見やった。
「好きにしろよ。自分の面倒は自分で見られる」
「む、そうか? しかしな……。おぉ、ちょうどいいところに」
坂の上から見知った顔が降りてきた。それなりに元気そうだ。
「おはよう諸君! 昨日は藁のベッドでよく眠れたかな?」
アリエッタは陽気に笑っていた。子供達はアリエッタの方をちらりと見たあと、一斉にセドリックの影に隠れた。
「――行ってやってくれ」
セドリックの言葉に少し違和感を覚えながらも、俺は言う通りにした。
去り際、セドリックの口が「悪いな」と動いたような気がした。
子供達は再びセドリックをもみくちゃにし始めた。その様子をアリエッタは微笑むことなく、ジッと見つめていた。俺は何も言わないのに、アリエッタは全部分かっている風に頷いて、ぽつりとつぶやいた。
「嫌われ者だから」
「……そう、なのか?」
アリエッタは切ない、なんとも言えない笑みを浮かべた。
「竜のことを憎んでいる人は多いし、私達はどちらかというと彼らの側。子供に、巫女に近付くなって教えているんでしょ。逐一彼らに報告するわけでもないのにね。あくまでも、私達は事が起きた後の調停役。言葉狩りみたいな真似をするわけでもないのに」
「……大変、なんだな」
「――ま、大巫女様と比べたら、私は出来損ないですからネ」
出来損ない。とんでもなく後ろ向きな言葉を平然と言い放つアリエッタの横顔は、昨日までとは違って見えた。
「朝ご飯、食べましょ」
アリエッタの小さな背中に、俺は頷いた。
ハイグランドの坂を登り切り、ネールやアリエッタが暮らしているという城の近くに、美味しいパン屋があるのだという。パン屋はともかくとして、彼女達の城は父さんの城とそっくりだった。煉瓦の種類も全く同じ。こんなことってあるんだろうか。
アリエッタに促され、俺は明るい日差しの差し込む外の席に腰掛けた。
ここからだと、街の往来がよく見える。街の人達はみんな、子供と手を取り合って、笑顔を浮かべて、花を買ったり、パンを買ったり――とにかく、みんな笑っていた。城のみんなとは、ちょっと違う雰囲気だ。城のみんなはどこか余裕が無くて、笑顔が無かった。
子供達は、坂の下のセドリックの姿を見つけて、一目散に駆け下りていく。
下方からは、セドリックの絶叫が聞こえてきていた。
「ネイトはコーヒー派?」
「あ、あぁ」
アリエッタは微笑んで、店の奥へと消えていった。しばらく経って、アリエッタがコーヒーカップを二つ載せた盆を持って戻ってきた。
「お待たせ〜。ごめんね、さっきは」
「謝られるようなこと、あったか?」
「ほら、朝から暗い気分にさせちゃったし……さ。あれ、気にしてなかった?」
「言われなきゃ気にしなかったな」
「……意地が悪いなぁ、君は」
アリエッタは俺の隣に腰掛けて、コーヒーに一口口を付けた。すると、途端に眉をひそめた。
「うげぇ、にがぁい……」
「コーヒー飲めないのに、なんで頼んだんだ?」
アリエッタはげんなりとした顔をしながらも、平静を装ってコーヒーを飲み続けている。
「飲めないなんて言ってないもん」
などと意地を張って飲み続けても、良いことは一つもないだろうに。そういや、俺も昔はコーヒーを無理して飲んで、ライトニングや父さんに馬鹿にされた覚えがある。
「……なぁ」
「ん? どうしたの?」
「さっきの出来損ない、って……? いやその、言いにくいなら別に、無理して教えてくれなくてもいいんだけどさ。その、ああいう言われ方をすると、気になって……」
「ははははっ、ま、気になるような言い方をしたのは私だもんね。私も誰かに聞いて欲しかったのかも……。だって君は、私と繋がってるんだもんね」
アリエッタの細い指が、俺の手の平に添えられた。
「ね、私の目を見て。よーく、見て」
ブラウンと金の瞳が、俺の目をジーッと見つめてくる。左右で違う色の瞳。城にも少なからずそういう人がいたから、別にどうとも思わない。だけど、こうして間近で見つめられると、なんとなく、変な感じがした。
「気付いた?」
アリエッタは、なぜかウィンクをした。閉じられたのは左目。
右目はぴくりとも動かなかった。
見開かれた右の瞳には、感情らしいものが一つも映し出されていない。
「義眼……?」
「正解。普段は、右目も動かせるんだけど。こんな風に左目を動かすことを意識しちゃうと、右目を全然動かせなくなっちゃうんだ。ちょっと、気持ち悪いよね」
自分のことを、卑下するような悲しい笑顔。
ちょっと、昨日までのアリエッタからは想像もできないような笑顔だった。
アリエッタは左目を開けて、ニッコリ笑った。うん、こっちの笑顔の方がアリエッタらしい。
「なんでまた、義眼なんか?」
「出来損ないなんだ、私。私が巫女になった時、いや、正確に言うと初めて、竜に会った時かな。あのね、私もその時まで、竜が実在してるなんて信じてなかった。というか、過去にどんなことがあったかも知らなかったんだ。――私が生まれたのは、六大陸でもっとも危険なレヴィントンって大陸でね。凄く寒冷な気候で、家族を持つなんて以ての外。一人で生きていくので精一杯な世界なんだ。もちろん、私も一人だった。そこに、竜が現れたわけですよ」
「――竜が、か」
「赤い竜だった。赤い竜は、私の名前を教えてくれた。私はアリエッタ・ハートライト。世界を救おうとした英雄の末裔だって。私にはきっと、世界を救うための力を持つ、資格があるって。――でも、私の身体には彼らから力を受け取れる資格がなかった。竜脈っていう力の源が、巫女になるには少しだけ足りなかったの。だから、赤い竜は私に取引を持ちかけた。力が欲しいなら、身体の一部を捨てろって」
「それで右目を?」
「うん。右目を抉って、新しい右目をもらった。腕とか足でもよかったんだけど、手足は代わりが効かないから。目なら片方無くても、もう片方が見えるもの」
片目を抉られるなんて、その痛みは想像を絶していただろう。それにも耐えて、アリエッタは力を得ること――巫女になることを選んだ。
「なんで、そこまでして……」
「赤い竜は、私に色んな事を教えてくれた。千年前のこと、神骸機のこと、トレイン・ハートライトのこと、そして、人類に起こったこと――私が知らないことを教えてくれた」
そんなことまで伝える意味があるのか?
何も知らないままの方が、調停者としての巫女の役割を遂行できるんじゃないだろうか。
「そして、竜は言ったの。君が望むように力を使えって」
「それじゃまるで、赤い竜は君に、人間の味方をしろって言っているようなものじゃないか。調停者としての巫女ではなく」
アリエッタは首をゆっくり横に振る。
「あの竜があの時の私に何を求めていたかは、今となっては分からないけど……。私は、間違ったことはしてないと思う。私の力は、人類から後ろ指を指されたとしても、誰がなんと言おうと、私は人のために力を使う。私が人類のためと思ったことを、する。みんなも義眼のことは薄々勘付いてるみたいだから、出来損ないに自分達の頭を抑えられるのが気に食わないんだろうけど。でも、出来損ないと思われようと疎まれようと、私は、人類のために生きたいと思うんだ」
人のためだと思ったから――アリエッタは、あの城から俺を連れ出した。
「アリエッタも竜を見た。セドリックも竜と戦った。アイツも、戦った。竜がいるってことにはそりゃ、もう、疑問を挟もうとは思わないけど……」
「君がいた城の人達が竜とは信じられない?」
「そりゃ、いくらみんなに言われても、納得はできないよ。この目で見るまでは、絶対に。それに、みんな間違ってることだってあるかもしれないだろ!」
「ま、竜の実在を現実として認識している人は実際問題少ないし、君のように子供の頃から人間として接してきたんじゃ、現実を受け容れることは難しいよね」
アリエッタは渋い顔をしながらも、コーヒーを一気に飲み干した。
ひとしきり顔をしかめたあと、アリエッタは一転笑顔で言った。
「でも私は、君のそういうところ、嫌いじゃないな」
嫌いじゃない――アリエッタの言葉が、くすぐったい。
「そうやって、何かを信じられること。それって凄く大切なことだと思う。君は色んな人のことを信じてる。それって簡単なことのように思えて、すっごく難しいもん。私だって、本当に信じてるのはセドちゃんやトレイン、ネールに……君ぐらいだもん」
「――な、なんでそこに俺がいるんだよ」
「守ってくれたでしょ? あんな風に守られたら、そりゃ信じたくなりますって。迷惑かな?」
「いや、そんなことはないけど……」
「そっか。よかった。それなら、よかったついでにさ」
アリエッタは目を閉じて、ニッコリ笑った。
「私のことも信じてくれないかな? あ、私の言うことは別に信じなくていいよ。でも、私のことは信じて欲しい。気持ちとか、行動とか、そういうとこ。あれ、そしたら言うことも信じてもらわなきゃいけなくなっちゃうな……。困ったネ」
アリエッタの無邪気な笑顔のことは、ずっと前から信じてる。
でも、言葉にすると嘘っぽくなりそうで、俺は、一つ頷くことしかできなかった。
「えへ、よかった。あ、それでね、ここのパン、すっごく美味しいんだよ。ほっぺた落ちちゃうくらい。焼きたてほやほやなのが絶品なんだぁ……」
「そいつは楽しみだ。……久々のまともな朝飯だしな。ていうかさ、あの寝床、どうにかならないのか? セドはいいのかもしれないけど、俺には無理だ。あんなところは人間が生活する空間じゃない」
「あははは、セドちゃんって、結構人間面すること多いけど、立派なケモノだよね。なんていうか、生活の根っこみたいな所はさ。それにああやって子供達に遊ばれてるのを見たら、ネールが大きいネコって勘違いするのも分かるよ」
「そういや、もう一人の巫女とは上手くやれたの?」
「とりあえずは、なんとかなったかな。もっと怒ってるかなぁって思ってたんだけど、意外と怒ってなくて。拍子抜けっていうか、あの時の怒りようはなんだったのかっていうか……。ま、悪い人じゃないから、こっちの言い分を分かってくれただけのことだと思うけど」
「言い分……?」
「人類のためにって、奴ね。ネールは巫女を統べる大巫女なんて言われるけど、かなりまともな方だよ。私達よりもずっと真っ当な方法で、人間の立場をよくしようとしてる。力もあるし、知性もある。私よりずっと育ちもいいしね。スーパーエリートっすよ」
「スーパーエリートねぇ……。ま、俺の印象はめちゃくちゃな奴ってだけだな」
「めちゃくちゃな人なのは否定しないけど……大丈夫、悪い人じゃないのは確かだから。君も、会ってちゃんと話してみれば分かるよ」
「できれば、しばらく直には会いたくないもんだな」
アリエッタは何も言わず、鼻の下を伸ばして、いたずらっぽく笑った。
◆
ネイトが少女と獅子に拉致されたという情報はすぐに城内を駆け巡った。
既に十日が経とうとしていたが、未だに目立った動きはなかった。
「傷は癒えたか、ライトニング」
ネイトの部屋を間借りして、ライトニングは療養に努めていた。ネイトの部屋で起きた爆発は、あくまでドアを吹き飛ばしただけで、内部は無事であった。しかし主を失った部屋はあまりに殺風景で、静寂に沈んでいた。
弟分のネイトを失い、痛手を負ったことも手伝ったのか、ライトニングは精気を失っていた。
その意気消沈っぷりは、実に珍しく、盟主が常に気に掛けているほどであった。
「……申し訳ない、盟主もネイトがいなくなって、おつらいでしょうに」
「別れには慣れている。……嫌というほど慣れさせられた。だから、お前に心配されることはない」
ライトニングは、小さく首を横に振った。
「昔、ウィクトーリアにやられたのは、あくまでもあなたの配下だ。家族じゃない。家族を失う痛みは、さすがのあなたも……」
そんなライトニングの気遣いに、盟主は小さく首を横に振る。
「――慣れている、と言ったはずだ。お前に、心配されることではない。それよりも、もう、動けるか?」
「え――えぇ、まぁ。何か、動きでも?」
「ネイトが見つかった。――我が出る。できるなら、お前にも力を貸してもらいたい。枢機卿を今、この城から離れさせるのはまずい。何より、お前を仕留めた相手への復讐も、望むところではないのか?」
ライトニングは剣を突き刺されているところを、枢機卿達に発見されたのだ。その時には既に侵入者とネイトの姿は城のどこにもなく、ライトニングを責めるものが多いのは隠しようのない事実だった。
言うならばこれは、汚名返上の機会。それも盟主が手ずから与えた機会だった。
ライトニングに拒絶する理由はなかった。
「……分かりました。共に往きましょう、我が盟主」
「万全ではないのに、無理をさせてすまない」
「いえ、これが、俺の役目ですから」
盟主は一つ頷き、立ち上がった。
「急ぎ支度をしろ。すぐに飛ぶ」
「……少し待ってください、盟主。ネイトの居場所は、どうやって?」
ライトニングの問いかけに、しばらくの間、盟主は沈黙で応じ――意外だったか? と、問い返した。
「え?」
「我らがネイトの居場所を突き止めたこと、意外だったか、と聞いている。答えは簡単だ。ネイトと我は、親子だ。親子が簡単に引き裂かれる道理はあるまい?」
盟主は振り返り、小さく口元を緩めると、今度は振り返ることなく、そのまま部屋から去っていった。
完全にその後ろ姿が見えなくなったあと、ライトニングが小声で毒づいた。
「よく言うぜ」
事態が動こうとしている雰囲気をピリピリと感じながら、ライトニングはベッドを飛び降りた。このまま寝たきりを続けている場合ではない。
「ここからは、お前次第なんだからな」
ネイトが普段、間抜けな寝顔を晒していたベッドを一つ撫で、ライトニングは毅然とした背中を追いかけた。
城の中は明らかにゴタついている。刃を向けるならともかく、刃を向けられたという事実は、やはり彼らにとってはあまりに想定外の事態であった。
末端にいくに従って混乱は増大し、かつて城にあった統制は失われてしまった。
だが、その状況を目の当たりにしても、盟主は揺るがなかった。
さすがに、これ以上の難局を幾度となく乗り越えてきただけのことはある。
彼はこの状況で何をするべきか、よく心得ていた。
「――我が子が、拐かされた。どこの馬の骨とも知れぬ賊だと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい」
城の玄関ホールには、恐らく城中の人間が集まっていた。
その中心にいるのは無論、盟主である。
「ネイトを奪ったのは、十二の巫女が一人であった。我らが与えた力を、彼の者は何を勘違いしたか、我らに刃を向けるために用いた。その償いは、させなければならぬ。思えば、我らはあまりに姿を隠しすぎた。人は我らへの恐怖を忘れ、調停者たる巫女のみを恐れる始末。それでは何の意味もない。人間は再び過ちを犯し、我が星を傷付けるかもしれぬ。悪しき芽は摘まなければならない。手遅れにならないうちに、悪の病巣は切除しなければならない。――故に我は、再びその翼を広げよう」
集まった枢機卿や城の者達から、どよめきが起こる。
「我が翼が世界に光をもたらすならば、何の躊躇いもなく、我は翼を広げよう。跳梁跋扈する悪へと裁きを下そう。千年前のように――」
「――ネイトの意志は無視か」
ライトニングは苦虫を噛み潰したような顔で、つぶやいた。
「刮目せよ、我が同志達。翼の広げ方すら、忘れたわけではないだろうが――我らに翼があること――我らにのみ翼が与えられたこと、今再び思い出すのだ!」
「……俺は正解じゃないと思うけどね」
ライトニングの醒めた瞳とは対照的に、玄関ホールは熱狂的な空気に包まれていた。
盟主の言葉は、城の者達のうちに眠っていたあの光景を思い起こさせた。
地を揺らし、海を沸騰させ、空を震わせたあの鬨を。
「大虐殺は、あなたはおろかネイトの望むところじゃないでしょうに――。ま、そんなことはさせませんがね……」
盟主の腹の内にある思惑がどうあれ、ライトニングのやることは決まっていた。
彼はあくまで、ネイトの兄貴分としていくと、そう固く誓い、視線を上げた。
「今回の征伐には、我らが誇る雷光にも参加してもらうこととなった」
黒竜は、盟主の声で語る。
皆の視線が一斉に集中し、ライトニングは気まずそうに肩をすくめた。
「病み上がりなので、盟主には迷惑をかけないようにやりますよ」
注がれる視線はやはり冷ややかだった。しかし、それを気にするライトニングではない。
朝雨週をかき分け側に立ったライトニングに、盟主は穏やかな声をかけた。
「では往くか」
「御意に。――我が盟主、ダーインスレイヴ」
黒い翼と、紅い翼が空へと広がる。
空を制す、六枚の黒翼。
黒翼より噴出する闇は空を閉ざし、雲を閉ざし、陽を閉ざす。
かつて竜の盟主と呼ばれた黒竜は永劫の時の果てに、帰還した。