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月磨き

作者: aoto

   月磨き                    

                亜音


 数日振りに彼と連絡がつながる。彼のアパートで、私たちは本心を打ち明けあう。

 風のふきしきる夜の日。窓はドンドンと太鼓の連打を打ち鳴らす。



  あなたをあなたのまま無条件に愛することができなかったから、

  私はあなたの好きなものを愛することにした。

  あなたの好きなポニーテイル。

  あなたの好きな白のチュニック。

  あなたの好きなひとくくりのメッセージを手に、

  私はあなたの色に染まったの。



 彼は残念そうな表情を浮かべ、

「お前を信じることができなくなった」

 といった。私は言い返した。私もあなたを信じられなくなった、と。彼は驚きを隠せないでいた。



  空白を埋めるとき落書きをする。

  それはたわいのない想像。

  そのようにしてリアルな私の空白も埋められていくのだろうか。



 次の日の夕方、ベッドからはい出て、本棚から『月磨き』の物語を見つける。色鉛筆の淡い色使いで描かれた絵本だ。



  月には掃除夫が一人いた。

  掃除夫は国から追い出されたので、仕方なくこの地にやってきた。

  日を重ねるごとに、彼は重大な事実に気がつく。

  月には何もないのだということを。

  そこにはクレーターのある、でこぼこした冷涼な荒地が広がるばかりだった。

  掃除夫は、唯一自分の持ち物として残された箒を使い、月の表面に積もるほこりやちり屑を宇宙の外へとはきだした。

  モップと、バケツと、潤沢な水さえあれば、今よりもっとキレイにすることができるのに。

  掃除夫はそんな空想を働かせながら、毎日、毎日、月を掃除し続けた。

  月の輝きが誰かの眼に止まり、彼の存在を見出してくれるまで。



 私は『月磨き』の絵本を閉じ、背表紙をチラ見してから本棚に戻した。

 よく読んだ本だ。『星の王子さま』がかつてマイブームになっていたころ、偶然古本屋で見つけた。多くの人は『星の王子さま』のストーリーを知っているけれど、『月磨き』の話は知らない。

 誰にも邪魔されたくないとき、私はこの本を読んで、心の支えにした。

 「向井巧太」聞いたことのない作者だ。福平私立中学校という学校の同人誌として発表されたらしい。それがどういうわけか古本屋の手元に行き着くことになった。

 この本には評論も、作品研究も、解釈もない。おそらく。だから、私一人だけの感情を詰め込むことができる。



  誰かに何かをうまく伝えられない。

  それだけで、

  私たちはものすごく孤独になる。



 私は彼の住むアパートに出かけた。チャイムを鳴らしても、彼は出てこなかった。外出していていないのかもしれない。居留守を使っているのかもしれない。あるいは、この部屋はもうすでに別の人のものになっているのかもしれない。

 薄いドアに耳をつけ、携帯電話でメールを一つ送ってみた。ドア越しになにかの音楽がかすかに聞こえてきた。



  何もかもが誰かの立てた作戦に見えるし、

  何もかもが初めから計算されたことだったかのように見えてくる。

  私のしたことといえば、

  予定調和の軌跡をあとなぜしただけ。



 私は涙があふれるのを我慢して帰宅した。歩くと、たしかな距離になることは分かっていたのだが、バスを利用することはためらわれた。

 もしも、バスを使ってしまえば、何か大切なものを取りこぼしてしまうことになるような、理屈に表現できない予感がした。



  月の残酷性は隠し通せるものではない。

  仮に分厚い黒雲が空にかかったとして、

  我々の知識はそれのむこうに彼がいることを忘れさせてはくれない。



 涙を流しながら八分ほど歩いた。空には月が浮かんでいた。拭うと、手の甲は色づいた。化粧は崩れ落ちていた。きっと、皮膚が焼け爛れているくらいひどい顔だろう。

 時々、見ず知らずの人が通りかかる。闇夜の気配が嬉しかったのだが、誰かとすれ違うとき、その人の顔は唇の色までくっきり見えていた。



  他人の幸福と自分の幸福との間に硲を感じると、

  何がただしいことで、

  何を求めていけばいいのか分からなくなる。



 帰り道を三分の一歩いたところで、彼からの電話が鳴る。

 呆然としている間に、呼び鈴は五回を鳴り終えた。どうしたらいいのかわからなくなる。それは、今後一切アパートにやってくるな、という警告かもしれない。

 たとえ、もう一度話をしよう、と言われたとして、この顔をどのようにして見せることができるだろうか。

 どうしたらいいのかわからなくなる。


1:19 2010/01/21

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