8
遥か先で突き当たりの廊下を右折したのは松下美音と、いつかの男子だった。
名前もよく憶えていないが、彼の困った顔は印象的でよく憶えている。
楓は混雑が収まった会議室を出ると教室を目指した。その時目に入ったのが美音と湊太郎の姿だった。
美音が彼に対して好意を抱いているのは何となく知っていたし、会議室で先に行くことを告げられた際も、斜め後ろに座っていたあの男子と接点を持ちたいんだなあ、と想像するのは容易かった。
そしてその予想は見事に的中し、端から見ると完璧で非の打ち所が無いカップルが楽しそうに歩いている姿が目に留まったのだ。
HRの関係で比較的遅めに会議室に入った楓と美音は、まばらに席に着いていく生徒らに倣い空いている席に着いたのだが、その際ドアの直ぐ傍に陣取っていたのが『彼』だった。
基本的に友人の居ない楓は唯一の知り合いである美音の他に、顔だけを知っていた湊太郎の存在に気付いたのは必然に近い偶然だった。
しかしだからと言って彼について特別な感想を持つことは無かった。
もしかすると避けたのかもしれない。
その証拠に廊下や図書館で偶然見かけた時は、自然と彼の姿を目で追っていたからだ。
興味の切っ掛けとなったのは、唯一の『知人』である松下美音が想いを寄せる相手だと認識した時だった。
しかもあの完璧な美少女である美音の好意に気付く素振りも無く、また遠まわしとは言えアプローチを受けて平気で居られる彼に強い衝撃を受けた。
だから今この瞬間に、彼と彼女が共に歩んでいる姿を見て、楓は美音の恋愛が成就できるよう心から願い、そして原因不明の胸の痛みを伴っていたのだ。
楓は胸に残るシコリを松下美音に対する僻みと認識すると、この件に関しての思考を停止した。
それは楓が培ってきた心の防衛本能が働いた結果でもあった。
僅かな戸惑いの後に楓は思考を切り替えると、これからの予定について考えを巡らせ、そして深いため息をついた。
彼と彼女の事情よりも楓にとっては重要で気の重い案件が待っていたのだ。