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水の楓  作者: あまねく
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6

連続二話投稿です。ご注意下さい。

 12月に入って初めての月曜日。楓が以前まで過ごしていた街では、すでに霜が降り厳しい冬の到来を告げていた。

 しかしこの鷹城市では霜はおろか霧さえ出ない。

 寒くないわけでは無いが、山間部の故郷と比べると環境の違いが顕著に見て取れた。


 『おはようございます』

 心の中で小さくで挨拶を述べた楓が教室に入るとそこには数人の生徒達が登校を済ませていた。

 特に返事が返るわけではないが、唯一彼女の存在を気に留めた松下美音まつしたみねがはっきりと楓に向かって言葉を掛けた。


 「おはよう秋本さん。時間通りね。じゃあ早速はじめましょうか」

 マフラーを巻いたままの姿でそう告げた彼女の机には、数種数十枚のプリントが広げられている。

 現在7時30分。

 少し早い時間帯に二人が集まったのには理由があった。

 松下美音はこのクラスの委員長を1人で務めている。その美音が楓を誘ったのである。

 学校に早く慣れる為にも私の補佐をしてみない?、と……。

 この学校では全ての生徒がなんらかの委員会に入らなければならないが、全ての割り当てはすでに1学期に完了してしまっていた。よって後から編入してきた楓にそのノルマは存在しない。しかしそれでは楓に対して不満を持つ生徒も出るだろう。それを察した美音が気を利かせたのだ。

 彼女の机の上に並べられたプリントは年末から年始に掛けての行事に関するものが多数交じっている。三学期の予定表や生徒会便りといったものから、期末考査後に立て続けに実施される合唱コンクールや持久走大会といった直近のイベント事のプリントも見受けられた。


 「私はこっちの資料をまとめてるから、秋本さんはこっちを集計してもらっていいかしら?」

 美音が差し出したのは、合唱コンクールの自由曲を決めるアンケート用紙である。

 反射的に用紙の束を受け取った楓が、遅れて「わかりました」と口を開いた。


 「とりあえずそっちの集計が終わったらまた声を掛けてね。まだいくつか仕事が残ってるから」

 無言で頷いた楓は席に着くと、シャーペンとノートを取り出し作業を開始した。

 黙々と作業を始める二人。

 教室のエアコンは入ったばかりでコートを脱ぐとまだすこし肌寒くもある。

 遠くからは朝練に励む生徒の掛け声と、教室へ向う生徒の足音が響いてくるだけだった。


 「ところで秋本さんはどうしてこの学校に転校してきたの?」

 唐突に尋ねられた質問に楓は顔をあげ数瞬の戸惑いを見せるが、すぐに視線は机へと下がる。両目に掛かった前髪は鬱蒼とした森を連想させるようにその奥を見せることは無かった。


 「あ、あの、そ、それは……」いじめられてたから……

 とは口が裂けても言うつもりはないが、咄嗟には言葉が出てこなかった。

 美音は世間話をするような軽い気持ちで尋ねているのは楓にも分ってたが、それでも言葉が出てこない。


 「親の仕事の関係?それとも離婚とか?中学までならそんなこともよくあったわ。夏休み明けに居なくなってる、……とかね」

 楓にとって目の前に居るこの少女は正に自分が理想としている人物像であった。

 容姿端麗というだけでなく、聡明で他人を気遣う余裕を持っている。友人も多い。さらに進んでクラス委員に立候補し誰もやりたがらない作業までも平然と処理していた。

 だからこそ、その姿を見ているうちに自ずと楓が美音へと向ける感情は尊敬から淡い羨望へと変化するのに時間は掛からなかった。

 でも……。

 同時に心の奥深くに眠る暗い感情に気づくことになった。


 ――嫉妬――


 自分に無い全てを持っている彼女が心の底から羨ましく思えてならない。

 だから美音に対してはより一層、その顔を見ることも目を見ることも出来きずにいる。今や楓にとって美音は憧れと、もう一つの感情を掻き立てる存在となっていた。

 そしてその気持ちに気付いた時、楓は激しい自己嫌悪に陥ったことは言うまでもない。

 耐えて、

 耐えて、

 耐えるだけだった。

 結果、耐え抜く前にドロップアウトした自分が、

 聡明で、

 優雅に、

 余裕を持ち

 他人へ優しさまでも向ける美音に対して嫉妬の感情を抱く『権利』なんてあるはずがないと思った。

 他人を不快にさせる自分が、他人を労わる彼女と当価値であるはずがないと思ったのだ。

 しかし手で塞いだ傷口からじわりと血が滴り落ちるように、嫉妬心を抑えることは難しかった。

 楓は平静を装い、と言っても常に挙動不審な彼女が基準であるが――美音が訊ねた質問への回答を思考し口を開いた。


 「お父さ……ち、父が鷹城市に転勤になったんです。私は残ることも出来たんですけど……」

 そのあとの言葉は出てこなかった。

 楓は残ることも出来たと言ったが、本心では残りたくなかった、正確には逃げたかったのだ。それを告げないのは羞恥心と見栄である。

 きっと彼女はいじめの過去を聞いたとしても、それを受け止めてくれるだろう。もしかすると慰めてくれるかもしれない。

 でもそんな彼女の優しさにすがることは出来ないのだ。


 「ふ~ん。そうなんだ」

 さして興味を示すわけでもなく淡々と事務処理を捌きながら呟いた美音は、その後特に言葉を交わす訳でもなく黙々とその作業に没頭した。

 もちろん楓もそれに習ったわけだが、ついにはその作業が終わるまで楓から美音に言葉がかけられることは無かった。


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