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「楓、一緒に出かけないか」
日曜の昼下がり、昼食も取り終え部屋で読書をしていた楓を、半ば強引に連れ出したのは秋本司、楓の父であった。
新たな土地に移り住んではや3週間。12月も目前に控え寒さも日に日に厳しさを増している。
幼い頃より物静かな子供だと思っていた思っていた楓が、学校でイジメの対象となっていることを知ったのは二学期が始まって早々の時期だった。
自宅に帰ってきた司は玄関に脱ぎ捨てられた靴を見た瞬間、大きな違和感を感じたのだ。
綺麗好きで自室はもちろんリビングやキッチン、トイレまで念入りに掃除をしている娘の靴が異様に汚れている。
手にとってみるとそれはただ事ではないことがすぐに理解できた。ソールには多数のステープルが打ち込まれていたのだ。
そしてそれは誰が見ても明確なイジメの産物だった。
始めは否定していた楓も、途中から堰を切るように嗚咽してしまい司の想像が事実だったことを裏付けることになった。
物静かでいて、周りより早く精神的に大人になった彼女は、彼の知る限り泣いた姿を見たことは無かった。
そんな娘が声を上げて泣いたのだ。つらいと。
その出来事を機に、楓は司の進めもあって不登校となり、また司は前々から話のあった転勤の要請を受け入れることにした。
そこからはあっという間だった。成績は低下気味だったとはいえ鷹城高校への編入試験も簡単にパスし無事に新しい門出を迎えたのだ。
しかし司は不安だった。自分の育て方が間違ったのかどうかは分らないが、お世辞にも活発とは言えない、悪い表現だと地味な娘に育ったからだ。
人付き合いも得意ではないし、土日に友人と遊ぶような約束をしているようにも見えなかった。
ずっと読書をしていたのだ。少なくとも楓の母、13年前に亡くなった秋本静久は気が強く活発だった。
そのこともあり司は今更ながら娘との接点が少なかったことを悔やんだのだ。
本来ならば寝る間も惜しんで遊びたい盛りの子供が、休日は家に引きこもる。それはそれで悪いとは思わなかったが、今まで教えてあげることが出来なかった外の世界の楽しみ方を、少しでも伝えたかったのだ。
そんな想いを知る由も無い楓は、父が運転する車に揺られながら遠くを眺めていた。
時刻はすでに16時、自宅を出て3時間以上経過している。成すがまま車に揺られて最初に向ったのは西区住宅街を抜けた先にある大型ショッピングモールだった。
沿岸を埋め立てて作られた広大な土地にはモールだけではなく観覧車まで併設されており、休日は多くの人で賑わっていた。
二人がこういう場所へ一緒に来ることは今までなかった。親子揃って無精な性格が災いし近所のスーパーや商店街が行動範囲だったからである。
家族連れやカップルでごった返したショッピングモールを徘徊するのは楓にとって苦痛以外の何ものでもなかったが、普段触れることの無い雑貨の数々や日用品の豊富さに瞬間心奪われることは幾度もあった。
買い物を済ませる頃にはショッピングカートは山盛りの日用品で溢れていた。物持ちがよくて月の小遣いも最低限しか求めてこない楓は、本当に必要出ない限り衣類をねだることもなかった。
年頃の娘の買い物は男親にとっても、また娘にとってもナイーブな問題である。従ってそれ用に定期的にお金を与えていたが派手に使い込むようなことは無かった。
だからこそ司は派手に買い物をしたのだ。亡き妻が見たら呆れるような不器用さである。母と娘が本来行うはずの営みに比べれば天と地ほどの差があるが、それを体験させてやりたかったのもある。
その結果、ほぼ司の独断であらゆるテナントに顔をだし、店員の勧めるままに靴や服、雑貨、生鮮食料品を買い込んだのだ。
「楓、疲れてないか?」
ショッピングモールを抜けて市街中心部へ進路をとっている乗用車の中で、司が問いかける。視線は前を向いたままだ。
「大丈夫。人が多かったけど楽しかった。それより本当に良かったの?靴を三足も……」
「ああそんなこと気にするなよ。大体楓は年頃の子供達と比べて物がなさ過ぎる。これくらい贅沢じゃないさ」
「でも」
「でもじゃない。大体お前は母さんに似て美人なんだからもっとオシャレとかしていいんだぞ。はやりの化粧品くらい持ってたいだろ」
「……あまり興味ない」
か細い声で告げた楓の本心はこの言葉の通りであるが、司にしてみればそれが本音なのかどうかは分らなかった。
「ところでお父さん。今どこに向ってるの?」
「ああちょっと寄りたいところがあるんだ。学生時代からの友達が店をやってるんだ」
司が何の店なのか告げることはなかったが、楓にとってはそれは興味の対象ではなかった。今日という日を予想外に楽しめたことで満たされていたし、それに父が気を使って連れ出してくれたことも気づいていたか
らだ。だから旧友と再会を果たす時間をとることに異論はなかった。
車内にはFMラジオから流れるポップスが響いている。車はやがて鷹城市中心部手前の路地に入るとコインパーキングに停車した。
「じゃあ楓、ここから歩いてすぐだ。いくぞ」
駐車場を後にした二人が歩を進めている場所は鷹城市中央区大明と呼ばれる地域である。
そもそも鷹城市一番の繁華街は新街と呼ばれており、南北を貫く片側5車線の天南通り沿いに栄えている。
この通りには有名百貨店が軒を連ねており、通りに併せて巨大な地下街も形成されている。さらに基点となる大通りの裏手には蜘蛛の巣のように裏通りが張り巡らせており様々なショップが建ち並んでいた。
その中でも近年急速栄えているのが新街西部の大明である。若手オーナーのブティックやカフェ、バーなどの飲み屋が増え人が流れてくるようになったのだ。
すれ違う若者が奇抜なファッションという者も少なくない。
楓の格好は茶色のダッフルコートの下にグレーのチェニック。そしてジーンズにシューズという出で立ちだった。一応彼女も年頃の女の子である。自分の格好が場違いなことに気づいてはいたが特にそれ以上の感情が芽生えることは無かった。
細い割りに車通りの多い路地を幾度か曲がり、たどり着いたのは幅の無い小さなビルの前だった。1階にはアジアンレストランが入っている。
「ここだ。入るぞ」
「レストラン?」
「階段で3階だな」
階段の前にはテナントの看板がいくつも設置されているが、楓には3階の店の看板を見つけることは出来なかった。
外からの印象よりも思いのほか明るい階段に好感を得ながら登りきると司がガラス戸の扉に手を掛けた。
扉の上には小さな看板。そこには可愛らしい文字で「Aqua Sketch」と掲げられていた。




