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水の楓  作者: あまねく
12/25

11

「期末試験前にボールで遊んでると先輩に叱られるぞ」

 不意に届いた声に顔を上げたのは湊太郎の旧友でサッカー部の溝口光一である。

 彼は湊太郎を視認すると再び視線を足元に向け、器用にリフティングを続行した。


 「心配には及ばないさ。すでに怒られた後だ」

 「お前なあ」

 呆れ口調で湊太郎が溜息をつくが、光一はボール捌きをやめることはない。


 「さっきまでフットサルやってたんだ。さすがに10人しか集まらなかったけどな。まあ俺以外にもサッカー馬鹿はあと9人居ることだし大丈夫だろ」

 「未だにグラウンドで馬鹿やってるのはお前一人じゃないか。つまりお前が一番のサッカー馬鹿ってことだ。いい加減にしないとまた補修漬けで部活ができなくなるぞ」

 「良い意見だ。俺にとって実に効果的だと思う。だけどな理屈じゃないんだ。俺の魂がこの外周68cm、重さ430g、人工皮革で出来た球体を求めるんだ」

 力強く蹴ったボールが空高く舞う。

 オレンジ色の夕焼けを背にした光一の顔は切なさが混じり、より一層の悲哀を含んだ印象があった。

 しかし湊太郎がだした光一への感想はまた違うものであった。


 「いや、勉強したくないだけだろ」

 重力に捕らえられたサッカーボールが二人の間に落ち、何度ものバウンドを重ね湊太郎の足元へと転がってくる。

 木枯らしが両者の頬を撫でる度、二人は寒気に襲われるがその場を動く気配は無い。


 「湊太郎……」

 「光一……」

 二人の視線が交錯する。

 数秒の時が流れる中、口を開いたのは光一だった。


 「俺、数学と英語と物理と古典と政経、あと地理が全く分からないんだ」

 「ほ、ほとんどじゃないか……。どうしてギリギリまで放っておいたんだよ」

 「ボールが俺を呼んでたのさ」

 その瞬間、湊太郎の左足は地面を掴むように踏み締め、竹の様にしなり上がった右脚がサッカーボールを捉えた。

 バンッ――という音が続けて2回鳴り響く。1度目は湊太郎が発した見事なシュートによるものである。2度目は結果を見れば明らかだろう。

 グラウンドには腹を抑え崩れ落ちた光一の屍が転がっていた。


 「い、痛いよパパ」

 「誰がパパだよまったく……。そら図書館に行くぞ」

 「やだ。勉強したくない」

 「このままだと結果的に冬休みまで勉強漬けになるんだぞ。いいのか?」

 「それも嫌だ。でも今勉強するのも嫌だ」

 「じゃあいつ勉強するんだよ」

 「明日」

 「絶対しないだろ」

 「絶対なんてこの世の中には無いんだぜ、相棒」

 「ああそうだな、でも俺には分かる。お前は絶対に勉強しない。絶対にだ。だから俺は強制執行することにする」

 そう告げた湊太郎は光一へ近寄ると襟に手を伸ばしそのまま引き擦るように校舎へ向けて歩き出しだ。


 「わっちょっと待て、苦しい、苦しいって、お、おい、瀬戸さん?湊太郎さん?苦しいってマジでマジで。ホントだよ」

 「黙れ。逃げないと誓うなら離してやってもいいけど、お前逃げるだろ」

 「に、逃げないって。たぶん」

 「たぶんってなんだよ」

 「恐らくって意味に決まってるだろ。まさかtabun、神経ガスと勘違いしたのか?」

 ゴッと鈍い音が響き、湊太郎のゲンコツが光一の脳天にヒットした。


 「お前は一度病院で診てもらったほうがいいな。もちろん頭だぞ」

 「いってぇー……。悪かった。マジ悪かったって、絶対逃げないから許してくれ」

 「本当か?」

 「ホントホント」

 じっと光一の目へ疑いのこもった視線を送った湊太郎が、掴んでいた手を離した。

 同時に、光一はグラウンドの砂で汚れたズボンを払いゆっくりと立ち上がる。


 「まったく強引な奴だ。勉強したらいいんだろ」

 「だれの為にやってると思ってるんだ」

 「もちろん俺様の為だろ?」

 再び湊太郎からため息が漏れる。


 「ハイハイ。そのおバカな俺様の為だよ。分かったなら行くぞ」

 湊太郎が歩きはじめ、光一が湊太郎の横に並ぶように早足であとに続いた。


 「ところで今日はバイトないのか?」

 「試験の5日前からバイトさせてくれないんだよ」

 「隠れてやったらいいじゃねーか」

 「そのバイト先がシフトに入れてくれないんだ」

 「そりゃお前にとっては難儀だな」

 「バイトさせてくれって頼んだら、田島ジムもダイビングも、両方共から同じこと言われたよ。学生の本分は学業にある。成績落ちたらクビだって」

 「マジか……。田島先輩のとーちゃん、めっちゃ怖いし、成績落ちたらクビだけじゃなくて鉄拳制裁くるかもしれないな」

 「普段は優しいんだぞ。大体お前が昔から悪戯するから叱られるんじゃないか」

 「若気の至りってやつさ。女子を見たら悪戯したくなる年頃だったんだよ」

 「こんど桃子さんに伝えとくわそれ」

 「思い出を掘り起こす行為はやめてくれ。今の田島先輩はマジ人間凶器だから仕返しされる」

 「合気道、空手、どっちも黒帯とったらしいぞ」

 「せ、成長してるじゃないか。最後に聞いたときは合気道3級だった」

 「エンカウントが楽しみだなあ」

 「あと一年、全力で逃げるしかない。俺はやってやるぜ」

 「まあ頑張れ」

 「ところで湊太郎。今日お前何やってたんだ?」

 「今日?なんのことだ?」

 「いや昼休み職員室に居ただろ?」

 「ちょっと探してる人が居たから名簿を見せてもらってたんだ」

 それよりお前はなんで職員室に居たんだ? と思う湊太郎だったが、その理由を問いただすのも野暮だと思われた。どうせロクな理由じゃないからである。


 「なんだ?女子か?」

 ニヤけた光一が湊太郎へ尋ねるが、湊太郎はそんな光一の思考を読むように顔色を変えることなく口を開いた。


 「女子は女子だがお前の想像とは大きく違うからな」

 「気になる娘が出来たんだろ?白状しろよ。別に恥ずかしい事じゃない。誰しもが通る青春さ」

 「だから違うって。バイト先に客で来てる娘がいるんだよ」

 「ん?だったら直接その娘に聞けばいいだろ?」

 「会ったこと無いから名前でクラスを調べてたんだよ」

 「なんだそりゃ。湊太郎が何をしたいのかサッパリわからん。アフターケアまでバイトのうちか?」

 「正直俺も理解に苦しんでる最中だよ。オーナーから友達になれって言われたんだ」

 「はあ? マジで意味不明だな。ちなみにオーナーってダイビングの方か?」

 「そうだよ」

 「あのハゲのおっさんか。……隠し子だったりしてな」

 「お前、ハゲって言ったら殺されるぞ。ちゃんとスキンヘッドと言わないと」

 「どっちも同じだろ。それでその娘には会えたのか?」

 「いやD組からH組まで調べたけど見つからなかった」

 「じゃあABCのどれかだな。って学年は分かってるのか?」

 「ああ1年らしい」

 「かわいいのか?」

 「オーナーはすごい美人だって言ってたな」

 「残りのクラスで一級の美人って言ったらうちのクラスの美音かB組の最上さんと小野さん。あとA組の林さんだな」

 「違う名前だよ」

 「じゃあ誰だよ。準一級も含めるとあと5人はいるぞ」

 「っていうか1級とか準1級ってなんだよ」

 「お前学内ランキングを知らねーとはさてはモグリか、はたまたゲイか」

 「どっちも違う」

 「それはよかった。お前の意中の相手がもし俺ならば、俺はお前を殺さねばならないからな」

 「ああそうしてくれ。だがその前に光一のその腐った思考回路を破壊するのが先だ」

 湊太郎は握り拳を作ると高らかと天へと掲げた。


 「まったまった、ストップストップ冗談だよ。冗談。相変わらず冗談が通じないやつだ。もっと柔軟になったほうが人生楽しいぞ。お前の様にいつもしかめっ面してたら幸せもどっかいっちまうだろうさ」

 「悪いがお前の前以外では基本笑顔なんだ。安心してくれ」

 「ちょっ、ひどいことをサラっと言うな。何気に傷つくだろ」

 「お前が五月蝿いからだよ。それよりお前知らないか?秋本さんって言う娘なんだけど」

 「ん?なんだって?」

 「いや、秋本さんっていう女の子だよ。知らないか?」

 驚いた顔の光一、対照的に湊太郎は怪訝な表情で光一へ視線を送っている。


 「知ってるもなにも、秋本楓ちゃんだろ」

 「知ってるのか」

 「っていうか、お前も会ったことあるぞ。先月頭にジャージ借りに来たじゃないか。その時俺が投げたジャージが当たった女子が秋本さんだよ」

 「ジャージ……。あっ、あの前髪の長い」

 その瞬間、湊太郎はあの時の光景が脳裏に蘇った。

 間近で見た彼女の瞳、白い頬と薄桃色の唇。それだけじゃない、あの時嗅いだ香りまでも克明に再現された。


 「そうそう、あの暗い感じの女子だよ。それにしても美人ってお前のところのオーナーの目は節穴だな。あれが美人ならクラスのほとんどが美人に属してしまうだろうさ」

 光一の彼女に対する感想が耳に届くことなく湊太郎は口を開いた。


 「あの娘が秋本さんっていうのか……」

 「なんだ、もしかしてお前あんなのが好みなのか? やめとけやめとけ。暗いし、声は小さいし、何よりあの容姿だぞ。一部の女子からは貞子なんて言われてるんだ」

 「いじめられてるのか?」

 「いやいや、あくまでそう揶揄されてるだけでいじめられてるわけじゃない。それに美音が面倒見てるからイジメなんて有り得ないさ」

 「ならいいんだけど。とりあえずおかげで探してた人物が判明して助かったよ」

 「そうかそうか、じゃあその分、湊太郎から古典の知識を頂くとしよう」

 「試験は数学からだろ、だからまずは数学からだ」

 「やっぱりそうくるか」

 「当然だ、観念しろ」

 「わかったよ。素直に教えさせてやるぜ」

 「減らず口を叩くな。もう図書館だから静かにしろよ」

 「俺は子供か! いくらなんでもそれくらいの常識は持ち合わせているよ」

 「俺もそうであると信じたいよ」

 そう告げた湊太郎は図書館へのドアを開くと暖房の聞いた室内へと身体を滑り込ませた。それに続くように光一も中へと入っていった。

 時間は16時、下校時刻まではまだまだ十分に時間は残っていた

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