龍神様の花嫁候補
「世界は空っぽでした。
そこに三柱の龍神様がやってきて、天と海と地をつくりました。
そして、たくさんの命を生み出しました。
龍神様たちは居心地がよくなったので住むことにしました。
それで、となりにつくった世界で今も龍神様たちは私たちを見守っているのです」
わたしが物心ついた時から、下手すればお腹のなかにいたときから聞かされていた昔話はこれだった。
伝統があると主張するわりに信者も氏子さんもいなけりゃご本尊もないボロボロの神社がわたしの実家。その境内って言うには荒れすぎた敷地内を無言で掃除する。
貧乏神とか疫病神とかを奉ってるんじゃないの?ってくらいに寂れた場所を掃除するのは、はっきり言って拷問だと思う。特に今は真冬だから、本当に嫌になる。
わたし、御笠宜 水季の日常はこの大して必要性を感じない掃除から始まる。
土着の民俗宗教とさえ言えない信仰者=両親のみ、実質信者人口2人というヘンテコな神様を奉ってるのがうちだ。
これっぽっちも龍神様とやらを信じてないわたしが当代の巫女である。同じく無神論者な弟は神職に就かず、御笠宜家当主になるらしい。当主って、こんなあばら屋に住んでて…なんとなく滑稽な気がする。
しかも、意味がわからないことに、長女で巫女のわたしは生涯結婚してはならない上に男性と一切関係を持ってはならないらしい。
いつの時代の巫女なの?
…まあ、悲しいことにわたしは男性と縁がないらしく一度たりとも好意を向けられたことないんだけどね。
だって、お金が無さすぎて…人と遊ぶ暇なんてなかったもん。
レースを編み上げると意外と高く売れるってことで、手編みレースでわたしは小さい頃から稼いで忙しかったし。
コースターからえろえろな下着まで…ほんとに色々編んだなぁ。
洋服とか、中古で買ったのをリメイクして流行に合わせてたし…裁縫で食っていけるんじゃないかと最近は本気で思ってる。
悲しくなってきた。
夏休みがかきいれ時って毎日内職に明け暮れてても楽にならない暮らしか。
やっぱり、うちが奉ってるのは龍神様とかじゃなくて疫病神とかそんなんだと思う。
そんなくだらないことを考えながら石畳とおぼしき石が隆起してる場所を掃いていると、とうの昔に枯れたという井戸からベタッという水を含んだ音がした。
「ひぃ?!」
思わず竹箒を落としそうになりながら、井戸を見やる。
ぴた、びったん、ずりずりずるり。
何かが這い寄ってくるみたいな、音。
口が強ばって動かなくて黙ってはいるものの、心の中はパニックで絶叫が響いてる。
某有名ジャパニーズ・ホラーのメインヒロイン、黒い御髪がチャーミングな意外と肩の強いあの人が思い浮かぶ。
わ、わたし呪いのビデオ見てないんだけど?!
水さえない井戸から上がるその奇っ怪な音にすっかり驚いたわたしの足はがくがく震えるばかりで全く動いてくれない。
馬鹿みたいに凍りついて井戸を見つめていると、ついに淵に辿り着いた何かの手が出てきた。
緑色に、ぺったりして水気のある肌。半透明の水掻き。
続いて現れた頭部のてっぺんにはつるんとしたお皿、嫌に艶やかな黒い髪と尖ったクチバシ。
井戸から、河童が出てきやがっただと…?
「結構です!」
真冬の朝の凛とした静謐な空気にわたしの声が響く。この神社の周りは森ばかりだからいいけれど、街中ならとんだ近所迷惑なんだろうな。
でも、これは仕方ないんじゃないかと思う。
この季節に外に突っ立ってじっとしてたら歯の根が噛み合わなくなるほど冷えて当然で、今まさにわたしがその状態。
こんな最悪のコンディションで話をマトモに聞けるはずないじゃないか。
そりゃ、外で立ち話させてるのはわたしだよ?
でも、この話し相手を家に上げるのは絶対に嫌だ。というか、無理。
これはもう差別じゃないから。区別だから。
だって、普通枯れ井戸から突然現れた河童とそのお付きを自宅に案内できます???
むしろなんとか会話を成立させたのを褒め称えてほしいくらいなんだけど。さらに言うなら、全員びっしょびしょなんだよ?うちのボロ屋に上げて滴る水で床が腐ったらどうするんだ。ただでさえ体重や重心に気を使って生活してるのに。我が家じゃ成長は床の軋む音でわかるからね。
体の芯まで冷えきって、手が真っ赤になっているのを見てたら現実逃避したくなってきた。
それでも河童とお付きの水棲生物モドキは話すのをやめない。
「ですから、貴女様の家系の巫女様は龍神様の花嫁候補として…」
濡れハンカチを使い額の汗を拭うような動きで水分補給をしつつ、困った様子の自称神使な河童は同じ話を繰り返した。
相手の容姿が人外すぎて身元の確認とかするつもりはさっぱりないけど、この神使達を見るに龍神様とやらの花嫁になんかお断りしたいことこの上ない。
色眼鏡は良くないって言うけど、明らかに色から違うもん。現実問題として、種族も住むところも違い過ぎるでしょう?
筆頭河童はともかく、両脇に控えてるお付きの方なんて蛙と鮟鱇を足して2で割った頭部の謎生物だからね。
正直、この親玉であるという龍神様など想像もしたくない。余りにも人とは違う自称神使達の「素晴らしいお方で、美しいお方です!」なんて言葉信じらんないもの。
てか、自称神使達の美的感覚が想像もできないしね。
頭に皿を載っけたようなハゲた黒い鬣のカエルアンコウ蛇(龍神イメージ)とは結婚できない。
生理的に受け入れらんないことが目に見えてる。
それなのに、せっかくやんわり断るわたしの事を無視してひたすらに龍神様の花嫁候補の試練について話される。いい加減やめてほしい。
苛々したわたしは大きな声で河童の話を遮った。
「大変申し訳ありませんが、わたしはこれでも巫女なのです!御笠宜の巫女がいくら龍神様の花嫁候補として選ばれようとも、生涯未婚と誓っているのです!」
両親の巫女教育とかロクに聞かないで内職してたから大して知らないけど、なんか未婚が巫女の条件らしいし、お母さんも未婚貫けって言ってたからこれでいいでしょ。
でもあわよくば結婚したい、と思ってる嘘まみれのわたしの発言を聞いた河童達が凍りついたように固まった。実際に礼服らしい不思議な着物の裾は凍ってるけど。
わたし、なんか不味いこと言ったのかな?
微動だにしない河童達に驚いて思わず後退ろうとした瞬間、心のダムが決壊したみたいに泣き始めた。
「なんて、信心深い…っ。今時の巫女様は、伝承を軽んじていらっしゃる方が多くありますのに…!ご安心くださいませ。水季様のいらっしゃる御笠宜神社はご存知の通り、我らが龍神様に仕える神社で御座いますゆえ。御身を捧げるご覚悟しかと…!」
な、なにいってるの???
まさに滂沱の涙と言った様子で、目からビームもとい水を吹き出させた河童が何やら言っている。意味がわからない。
わたしが混乱している間に顎でくいと河童がお付きに指図した。
すると、どこから取り出したんだか、漆塗りで金の装飾が美しい大きな箱が出てきた。
「この中にある材料を用い、御自分の花嫁衣装を…こちらでしたら白無垢をお作りください。それが予選となります」
「やりません」
きっっぱり断らせてもらった。
昔から裁縫は得意だったから出来ないことはない。…うん、毎日のご飯のために必死だったからね。
でも、カエルアンコウ蛇と結婚とか嫌だ。
「内掛けの半分以上をご本人がお作りになるのでしたら、手伝いはいくら雇ってもかまいません。ですが、人選は慎重にお間違いのないよう…あくまで、これは龍神様の課した試練なのでございます」
え、あれ?
人の話を聞いてないの?この河童耳悪いの???
「いえ、ですから、やりませんって!」
首をぶんぶん横にふって一歩下がると、例の高そうな箱がすすっと前に出る。
もう一度繰り返すと、またすすっとついてくる。
…あれ、なんか可愛いかも。
わたしとうるちゃん(箱)の追いかけっこを見守ってた河童が溜め息をついた。ちくせう。
「今宵は満月、これより一年と三度月が満ちる時までに完成させてください」
一年ちょいで内掛け作るの?装飾間に合わないから…ってそういう問題じゃない。
まあ、いいや。
無視して完成しませんでした、って言おう。河童だってわたしの言い分聞かなかったし、おあいこだ。
「これは花嫁となられなくとも龍神様への献上品であり供物でございます故、完成し差し出すことができないとあればなにかしら災害が起こるのでご留意ください」
河童が動かないクチバシの代わりに目だけで笑った。
「下位も下位の私ではあまり信憑性がないかと思われますが、水の災害が起きると思われます」
そう言うと、河童の背後にある井戸から水がどっぱんと吹き出して今までたまってた石とか泥とか落ち葉とかを巻き上げて飛び散る。
すぐ横の石畳にガツンと硬い音がした。
か、河童のくせになに神通力みたいなの使ってるの?!相撲で勝負しろよ!!!
びっくりしすぎて訳のわからないことを考えながら、ぼんやりと逃げられないことを感じた。
「完成、心よりお待ちしております」
河童とお付きが深く礼をしてそそくさと立ち去った。
三人だか三匹だか判然としない神使一行は井戸に歩いて戻り、中に飛び込んで行った。
間抜けにもほどがある退場である。
もしかして、さっきの神通力って井戸をお掃除したかっただけじゃ…?
気を抜いたら呆けて座り込んでしまいそうになるのを抑えて、ふらふら漆塗りの箱に近寄る。
蓋を開けると、金銀白の絹糸と絹の織物がびっしり入っていた。目が痛くなるほどの輝きに目が眩む。触ればその肌触りの良さや織り目の美しさに溜め息がもれてしまった。
河童が書いたのか誰が書いたのか。
箱の中には紙…と言っても貧乏人のわたしでさえわかる上等なものだけど…が入ってて、要約すると「完成したなら、余った材料は売って構いません」と書いてあった。
なんと…ここに、きて、飴を置いていくのか!
色々な意味でどうやらこの予選試験だか試練だかは受けざるを得ないようだ。
だけど、カエルアンコウ蛇の嫁になるつもりはない。
完成度について言わなかった河童がいけないもんね。
適当に作ってぐだぐだなのにしてやろう。
残った材料をどうやって売ろうか考えてにまにましながら家に向かう。この箱は一人じゃ持てそうもない。
弟を呼んで一緒に家のなかに運ぼう。
…このとき、わたしは本当に色々なことを見逃していて。それを後で後悔するんだけど、当時のわたしに言いたいことが一つだけある。
その箱、家に入れたら床抜けるから!!!
食事制限(経済事情により)をしてるわたしでさえ床が軋む家に金銀財宝のような糸や織物が詰まった箱が入るわけなかった。
この日床が盛大に抜け落ちた。
水を司る龍神とその眷属は水脈を通り移動する。先ほど水季と別れた神使達は井戸を伝ってその道へと入った。
途端に河童の姿が歪み、見る間に細長い蛇のような姿になる。
翠玉の鱗に黒曜石のように光る黒の鬣。背には青の斑紋が浮かび、首には真っ白な輪が下がっている。時折楽しそうに動く二対の髭は紅玉のように赤かった。
龍というよりは蛇と蜥蜴の中間で、神々しいというよりは荒々しい威圧感があった。
水の龍神のはじまりの眷属にして最大の腹心、蛟である
。
その横を蛙の水掻きのようなヒレを使ってすいすと泳ぐのは、二匹の蛙と鮟鱇の間の子のような妖だった。
「蛟様、あの巫女様はこの試練を乗り越えられるのでしょうか?」
ぽつり、と左の妖が尋ねると蛟は笑い声を立てました。
「さあ、どうでしょうか?御笠宜は最も古い血筋ですが、あの水季という巫女には龍神様に対する信仰もその威光を求める欲望もありそうになかったですしねぇ」
花嫁衣装の材料には特別な術がかけられており、製作に携わった者の龍神に対する思いが色として現れるようになっていた。もちろん、龍神の元に届くまではただの布としか見えないのだが。
「善き信心は光に、悪しき欲望は影に…普通は程度はあれど、光るか黒ずむかですが…あの巫女、龍神様の存在すら知らぬようでありましたし…どう転ぶか、さっぱりですよ。が、今の兄上の性格ならば気に入りそうだと思いますね」
龍神の神使の末席にかろうじて連なる名もなき妖には過ぎた情報をさらりと話す蛟。龍神の声すら聞いたことのない妖には何と思えばいいのかもわからなかった。
詰まってしまった左の代わりに、右のが口を開いた。
「左様でございますか。…ところで、蛟様、何故あのようなお姿に変化なされたのですか?」
名もない自分等からすれば河童でさえ雲上の存在ではあるが、龍神に次ぐ順位に座す蛟がなぜ河童に変化したのか理解できなかった。
蛟は驚いたように右を見て口を開いた。
「え、河童って人間界じゃメジャーな水際の妖怪なんでしょう?
本性だと大きすぎでしょうし、人型より神使って感じがでるではないですか。
それにこないだこっそり行った寿司屋では河童が沢山いましたよ。日本人は河童に馴れてるんですよね?」
「「…」」
蛟から目を反らし、賢明な二匹の妖は口をつぐんだ。