第9話
「うむ、承知した。それでは早速準備を進めるとするかのう。…して、お主は如何するのじゃ? そこで待っておっても構わぬが、終わるまで時間がかかると思うぞえ?」
ユトナの清々しいくらいの直球な返答に満足げに頷くと、今度はロゼルタの方へと視線をずらすセルネ。
すると、何か思案を巡らせるように口元に手を置いてから、ロゼルタはゆっくりと口を開いた。
「…否、少し用事がありますので一旦席を外させて頂きます」
ロゼルタはそれだけ端的に言うと、2人の返答も待たずにさっさと踵を返して部屋を出て行ってしまった。
後に残されたのはユトナとセルネばかり。改めてセルネは準備を始めようと部屋の片隅にずらりと並べられた本棚や文献の山を漁り始める。
それから暫く待たされる羽目になったユトナは暇を持て余していたが、漸くセルネから声が上がった。
「…ふむ、待たせたのう。それでは早速始めるぞえ」
「おう、ちゃっちゃと終わらせてくれよ」
普段あまり使わないのか、片手に魔導書を開き時折ページを捲りながら滑らかに呪文を詠唱している。
…と、周りの空気が次第に張り詰めていくのをユトナも感じ取ったようだ。
重苦しく、例えるなら重量を持った透明の空気が自分の身に伸し掛かってくるかのよう。
恐らくはセルネが詠唱している魔術によるものなのだろうと何となく察したユトナは、苦しげに眉をしかめるものの不満を口にする事は無かった。
「闇の魔女よ、目の前に立ちはだかりし者を深淵の牢獄へ葬り給え…!」
最後の詠唱を高らかに言い放った刹那、ユトナの周りを支配する空気が一層鋭くどす黒く感じられて。
不快そうに顔を歪めるユトナの首筋に一瞬、焼け付くような痛みが走る。
一体何事かと首筋に視線を落とし無意識のうちに首筋を摩れば、そこには黒い刺青のようなものがはっきりと刻み込まれていた。
「うわ、何だよコレ?」
「それが妾が発動した魔術…と言うより呪いじゃのう。その呪印がある限り、お主の一切の魔力は封じられた状態になる。じゃが、これで取り敢えずは魔力が暴走する事も無くなるじゃろうて」
「え、マジかよ!? 良かったぁ…ホントこのまま制御不能で炎ぶっ放しまくったらどうしようかと思ったぜ…」
「妾の発動した魔術は完璧じゃ、安心するが良い」
全ての魔術を終えて一息吐けば、手にしていた魔導書を近くにあったテーブルに置いてから自信たっぷりにそう断言するセルネ。
ユトナもまた、自分の制御を超えた所で周りの人達を傷つけてしまうという最悪の事態は避けたかったのだろう、心から安堵の息を吐く。
──誰かを傷つけたくなんかない。そんな綺麗事を言うつもりは無いけれど。
でも、自分が未熟なせいで周りの大切な人達を危険に晒すのは耐えられない。それを防ぐ為だったらどんな事だって厭わない。
「そういやコレ、このままずっと取れねーのか?」
「否、妾が解除するか…妾が死ねば自動的に解除される。なに、魔力を制御する道具を生成次第、呪いは解くから安心せい」
「そっか、そんならまぁいっか。いや~でも助かったぜ、ありがとな」
「フン、礼には及ばぬ。用が済んだのならさっさと立ち去るが良い」
首筋を摩りながら、とりあえずは納得した様子のユトナ。
間に合わせで急ごしらえしたものではあるが当面は大丈夫であろう事を確認したユトナは、セルネに軽く会釈をすると言われた通り部屋を出て行こうとした…のだが。
何か思い出したらしく、その場にはたと立ち止まる。
「……あ。そういやあのアホ王子何処行ったんだっけか? アイツが戻ってくるまでオレも待ってた方がいいのか?」
「嗚呼、あやつなら用があると申しておったな。しかし、放っておいても良いのではないか?」
「ん~…そーだな。ほっとくか」
2人揃って何とも薄情且つ淡白な結論に至ったらしい。普段、彼女らがロゼルタをどう認識しているか…この態度を目の当たりにすれば一目瞭然であろう。
気を取り直して部屋の入口へと歩を進めたユトナが扉のノブに手をかけた、その瞬間。
「ふぉうっ!? ななな、何だよびっくりさせんなよっ!」
「……っ、別に私が故意に驚かせた訳では無いでしょう。それに、此方も不快ですよ扉を開けるなり貴方の顔を間近で見る羽目になるとは」
「オイ、それどーいう意味だよ?」
「そのままの意味ですがそれが何か?」
突如扉が開いたかと思えば、その先から現れた人物──ロゼルタと顔を合わせるなり口喧嘩を勃発させる辺り、この2人は仲が悪いと言うべきか、それともある意味では気が合っているというべきか。
兎も角も、暫く不毛な口喧嘩を繰り返した後、これ以上は時間の無駄だと判断したロゼルタが盛大に溜め息を吐き出してみせた。
「ところで、魔術は無事にかけられたのですか?」
「おう、とりあえず大丈夫みてーだぜ。暴発も起こらねーってな」
「そうですか。それでは応急処置は済んだという訳ですね」