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教室主義桜色派1

 耳元からの爆音に叩き起こされて、俺は緩慢な動きで身を起こす。

 時刻は午前八時過ぎ。四月二十九日、金曜日の朝だった。

「……、おはようございます」

 誰にともなく発した声は、朝のまどろみへ融けるように消えていく。相変わらず、起床という行為は地獄だった。

 昨夜は日付が回るよりも早く眠ったというのに。どうしてこう、毎日が戦争じごくなのだろう。

 ほとんどずり落ちるような動作で、俺はベッドからフローリングへとのっそり転げる。べたん、という感じの擬音を伴って触れた床は、早朝の身体にひんやりと心地よかった。

 なんでもいい。とにかく刺激を五感に与えることが、一日の活動の第一歩になるのである。

 ギヴミーモア刺激。

 なんて、あるいはそんなことを考えてしまったからなのかもしれない。

 自室の扉が、唐突に、前触れもなく押し開かれた。

 低い位置にいる俺は自然、入ってきた姉さんに見下ろされるような形になった。

「……おはよう、姉さん」

 俺は言う。

 ノックもなかったことへはとりあえず言及せず、まずは挨拶を優先した。

「おはよう」

 と姉さんは端的に言う。

 加えてついでのように、

「起きてたの? それとも床で寝てるの?」

「あー……起きてます」

 せぇい、と我ながら間の抜けた掛け声とともに、俺は起き上がって足で立った。

 筋肉や関節の駆動を確かめつつ、気になったことを姉さんに訊く。

「どうしたの、いきなり扉開けるなんて?」

 肉親だし、別にそう気にしているわけではないが、姉さんは普段きちんとノックをしてくれる。

 その辺りの線引きを緩めないのが末吉雪音という姉だったのだが、今日は違ったようだ。まだ寝ていると思っていたのだろうか。なるほど、ありえない仮定はなしではない。

 と、姉さんは非常になんでもないことのように口を開く。

「――お客が来てる。ちゃんと出迎えて」

「客……? え、俺に?」

「そう」

 相変わらず姉さんは無感動だったが、俺からすれば青天の霹靂だ。

 こんな時間に俺を訪ねてくる人間になど、まったく心当たりがなかった。そもそも、今の俺が住んでいる家を、知っている知り合い自体がいない。

「…………いや」

 違う。ひとりだけいた。

 というか、ひとりだけ《できた》というか。

「対太?」

 まだ寝ぼけているのかと名を呼ぶ姉さんに、俺は「わかった、今出る」と慌てて伝えた。

「着替えるから、中に入れてもらってもいいかな」

「わかった」

 言うなり姉さんは扉を閉め、玄関へと向かって言った。

 正確には、玄関近くのモニターに、だが。俺と姉さんの暮らすマンションは、住人以外が立ち入れぬよう、一階ロビーの自動ドアが外側からは開かない仕組みになっている。

 立ち入るには鍵を使うか、もしくは中から住人に開けてもらう他ない。

 扉が閉まるのを見届けるよりも早く、俺は寝間着代わりのジャージを脱ぎ捨て、急いで制服に着替え始めた。ワイシャツとパンツをすばやく身に着け、しかしブレザーまでは羽織らず俺は洗面所に向かう。

 一瞬で洗顔を済ませ、速攻で歯を磨いてしまう。

 その間、わずか三分足らず。カップ麺すらまだ固い。我ながら、なかなかに素早いと悦に浸った。

 と、そうこうしている内に、インターホンの音が鼓膜を揺さぶった。

 俺はネクタイを締めながら玄関へ向かう。途中で廊下から居間を覗くと、姉さんは優雅に朝の珈琲を愉しんでいた。見習いたいマイペース加減である。

 テレビのニュースに目を通しているらしい姉さんを尻目に、俺は直線の廊下を玄関に向けて歩いた。

 洗面所から玄関までは、せいぜい十歩にも満たない程度の距離しかない。

 その短い道を、俺は少しばかりの緊張を覚えつつ進む。そして、ゆっくりと扉を押し開いた。


「――ども。来ちゃったッス」


 予想通りと言うべきか。

 そこにあったのは、森瀬双里の顔だった。

 あるいは、そう。

 ――そこにあったのは彼女の姿だった、と言うべきなのかもしれないけれど。

「……なんのつもりだ」

 俺は問う。問わざるにはいられないだろう。

 双里は小さく首を傾げると、

「えっと……迷惑だったッスか?」

「……いや、そうは言わないけど……」

 殊勝にされるとどうにも弱い。俺はきまり悪く言葉を濁した。

 しかしいったい、なんの罰ゲームだというのだろう。確かに刺激が欲したが、この展開は些か刺激的に過ぎる。もう目など一瞬で覚めてしまっていた。

「昨日、対太から家の場所は聞き出しておいたッスからね。恋人らしくちょっと迎えに来てみたッス」

「…………」

 俺は昨日、双里と一緒に帰宅した。

 学校まで徒歩の俺と、電車の双里では交通手段に違いがあるが、学校からの方面は一緒なのだ。双里が駅に着くまでの約十分ほどの道程を、一緒に帰ったとしてもおかしくはないだろう。

 ならば帰路で交わした会話の最中さなか、互いの家の位置について触れていたとしても、やはりおかしいとは言えないと思う。事実俺は、なんの疑いも抵抗もなく双里に自宅を教えてしまっていた。部屋番号までなんの気なしに伝えてしまったことは愚かだったかもしれないと、今さらになって後悔する俺は、かなりの間抜けであることを否定できない。

 もっとも、それを記憶している双里も、やはりどうかと思うのだが。

 まさか聞き出されているとまでは考えていなかった。


「対太は、まだ寝起きッスか?」

 寝癖がスゴいコトになってるッスよ、と双里に指摘されてしまう。

 言われて頭に触れてみると、確かにかなり乱れていた。洗顔のときに鏡は見たはずだが、やはりまだ寝ぼけているらしい。

 俺は双里から視線を逸らし、言い訳のように言葉を零す。

「朝には弱いんだよ。いっつもギリギリに起きてるんだ」

「なるほど、ふむふむ……また対太に関する情報をゲットしたッス」

 ご満悦、とばかりに双里は笑んだ。

 そう、何を隠そう、彼女がいきなり俺を訪ねてきた理由は、つまりはそれが理由なのだった。

 昨日、双里に告白を(ある意味で)された、その帰りしな。

 双里は俺に、こんなことを宣った。


     ※


「――そんなわけで、対太には偽の恋人を演じてもらうコトになったわけッスけど」

「ああ」

「つきましては、相手に疑われぬよう、互いのコトをよく知っておくべきだと思うんスよ」

「……というと?」

「誕生日とか、血液型とか、そういうデータはもちろんのこと、食べ物は何が好きとか、音楽はどういうジャンルを聴くとか……」

「おい待て、お前に告白した相手ってのは、そんなこと訊いてくるのか?」

「はい。向こうはあたしのことフリーだと思ってたわけッスから。ぶっちゃけ、疑われてるんスよ」

「聞いてないんだが」

「それくらいでもなきゃあ、あたしだってこんなこと頼んだりしませんよ」

「まあ……かもしれんが」

「そんなわけですからね。予行演習といきましょう。普段から、あたしとは恋人同士という体でお願いします」

「それは、なんというか……」

「やっぱり……嫌ッスか」

「嫌じゃないが。でも、……うあ、くそ、なんか恥ずいぞ!?」

「す、素で照れないでくださいよ! あたしまで恥ずかしくなってくるじゃないッスか!?」

「お前が照れんなよ! 頼んできた側のくせに!」

「ひどー! あたしだって一大決心だったんスからねー!?」

「俺が知るかっ! つか、もしかして学校でもか!?」

「ま、まあ積極的に喧伝したりはしないッスけど、訊かれたら否定はしないでほしいな……と」

「そこまでする必要あるか!?」

「どこから漏れるかわからないじゃないッスか、失敗するわけにはいかないんスよー!」

「くそ、詐欺だ、騙された……!」

「と、とにかくっ! そういうわけで、よろしく頼むッスよ!」


     ※


 とまあ、そんな具合で。

 俺はどうやら、割と本気で役作りに励む必要があるらしかった。

 まあ、一夜明けて、今では《そういうバイトを始めたんだ》という自己洗脳を働かせることに成功していた。これならば平常心で活動できるはずだ。

 よもや朝から訪ねてくるとは予想外だったが、大丈夫、きっとうまく対応できるだろう。

「――対太」

 と、背後から声をかけられた。雪音姉さんである。

「あ、玄関塞いでごめん。もう出る?」

「ああ」

 姉さんは小さく首肯する。

 と、刹那、双里と姉さんの視線がぶつかった。

「どうも、初めまして」双里が言う。

 姉さんは「うん」と小さく答えると、俺に向かって首を傾げる。

「……彼女か?」

 問われる。

 問われた。

 問われてしまった。

 一瞬、違うと答えそうになったものの、その瞬間に双里の視線が横から突き刺さった。

「…………そう、だよ」

「そうか」

 意を決して答えたものの、姉さんはやはり姉さんだった。

 小さくこくりと頷くと、「戸締りはしろよ」とだけ言って、そのまま出かけて行ってしまった。

 双里が小さく零す。

「お姉さんッスか?」

「ああ」

「なんか、めっちゃ美人ッスね……驚いたッス」

 どうにも、なんとも。

 俺は答えが返せなかった。

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