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教室主義茜色派2

 森瀬双里は、こう言ってはなんだが随分と変わった奴であった。

 別にクラスの中で浮いているというわけではない。人の輪というものに関わるとき、その立ち位置は中心でも端でも変わらず衆目を浴びてしまうものだが、森瀬がいるのはそのどちらでもない一番無難な立ち位置だった。

 その意味では、どこか俺と似ている部分があるのかもしれない。性格も何も共通する個所などまるでないが、しかしそのポジションには同じ地点を選んでいた。

 俺の場合、選ぶまでもなく流された感はあるのだがそこには言及しない。

 閑話休題として。

 実際のところ、集団の中における森瀬双里という人物は、そうおかしなところにいる人間ではない。彼女の変人具合は、一対一で関わったときにこそ目の当たりにするものである。


 ――と、いう事実を。

 四月時点の俺は、まだ知る由もなかった。


     ※


「で、教室フェチの末吉くんは、ここで何をするつもりなんスか?」

 放課後の教室で、森瀬と遭遇したその日。

 彼女は首を傾げて俺にそう聞いてきた。

「フェチって言うな」

 とはいえ実際のところ、特に答えるほどの目的などない。

 さてなんと答えたものかと思案投げ首していると、森瀬は首を傾げたまま、

「あ、もしかして、あれッスか」

「あん?」

「えっちなことでもしに来たんじゃないッスか?」


 爆弾を投げ込んだ。


「んなわけあるか!」

 堪らず叫ぶ。いったい何を言い出すのか、こいつは。

 だが森瀬は顔にいやらしい笑みを浮かべて、

「末吉は、教室が好きなんすよね?」

「その言い方は語弊を生む」

「教室にいると興奮するんスよね?」

「その言い方に至っては語弊しかない」

「なんなら席は外すッスけど」

「余計な気を回すんじゃねえよ!」

「女子の縦笛を狙うチャンスッスよ! がんばッス!」

「応援すんな! つか今どきそんな古典的な変態行為に及ぶ奴がいるか! そもそも高校の授業に縦笛はねえ!!」

「また律儀に突っ込むもんスねえ……」

 生暖かい目で見られてしまった。

 なんだこの感じ。俺がおかしいのか。違うだろうそれは。

 そう考える俺を尻目に、森瀬はまたとんでもないことを宣う。

「末吉って、なんというか、あれッスね」

「……なんだよ」

「――ぶっちゃけ、少し変わってるッスよね」

「お前にだけは言われたくねえ!」

 まったく遺憾の極みである。

 俺は強く睥睨をくれてやったが、しかし森瀬には通じる様子もない。

 彼女はなぜかやり遂げたような表情で、

「いやあ、さっそく末吉との親睦を深めてしまったッスよ」

「どちらかというと溝が深まった気がするが」

「猥談をセレクトする、あたしのセンスの勝利ッス」

「何に勝ったつもりでいるんだよ……」

「まあまあ。いいじゃないッスか別に、細かいことは。友情ってのはそういうものッスよ」

 その言葉を、本当に嬉しそうに森瀬は言っていた。だから俺には、逆に何も言うことができない。

 まあ確かに、楽しい会話だったことは認めざるを得ないけれども。

 妙な話し方をする奴だとは思っていたが、妙な話をする奴だとまでは知らなかった。

 ……それはそれで、悪くない気分だったのだけれど。


「それで結局、末吉は暇ってことッスか?」

 と、森瀬はとたとたと俺に近づいてきて問う。

 ありていに言ってしまえばそうなのだが、認めるのも若干癪である。俺は首を横に振って否という返事の代わりにする。

 森瀬は「はあ、そうッスか」とぼんやり頷くと、考え込むように腕を組んだ。

「本当に用があるなら、これ以上雑談に付き合わせるのは遠慮するッスけど」

「……いや、そこまで逼迫したものじゃないんだが」

 よもや森瀬がそんな気遣いを見せるとは思っていなかったため、俺は瞬間的に少し狼狽えた。

 実際忙しいわけでもないのだから。見栄を張ってしまったことが少しだけ後ろめたく、俺はそれを隠すように言葉を付け加える。

「宿題でもしようかな、って思ってただけだよ。特に用事はない」

「……まさか、そのためにカラオケの誘いを断ったんスか?」

「なんだ、聞いてたのか?」

「聞いてたも何も、普通に教室の真ん中で話してたじゃないッスか」

 それもそうか。俺は首肯を返す。

「まあ、今日は教室に残るって決めてたからな」

「普通なら、そんな用事は優先しないと思うッスけど……」

「宿題は大事だろう」

「カラオケに行く程度の余裕はあるはずッスよ」

 その通りだった。

 一応は進学校である慧嶺だ。一年のこの時期から、割と容赦なく宿題を課されている。

 とはいえ、それでもまだ入学して二週間程度なのだ。そこまで切羽詰った量は出されていない。

 森瀬が訊きたいのは、そこではないということなのだろう。


 俺は少し眉を顰めて、森瀬の顔を窺った。

「……なんだよ、やけに突っかかるな」

「いや、……ちょっと気になっただけッスけど」

 奥歯に物が挟まったような様子の森瀬。

 森瀬にしては珍しい態度だと一瞬思ったが、そもそも付き合い自体短いのだ。知った風な口を利くのは躊躇われ、俺はそれを言葉にはしないでおいた。

 代わりではないが、語る。

「ま、なんちゅーかね。たまにはひとりで、黄昏れたくなることもあるんだよ。理由なんてそれくらいだ」

 もちろん、言われるまでもなく解っている。

 本当にひとりになりたいのなら、もっといい方法はいくらでもあるということを。わざわざ放課後の教室なんて不確定な場所を選ぶ必要はない。

 だから結局のところ、《ひとりになりたい》というのは俺の本心ではないのだろう。

 かといって、まったくの嘘でもないのだけれど。

「末吉……」

 と、森瀬はこちらを見上げて言う。

 言いにくそうに、上目遣いで俺の顔色を窺うような表情で。

「『黄昏る』という言葉に、『物思いに耽る』的な意味はないッスよ?」

「うるせーよ」

 と、俺は笑った。


 俺は自分の席へと向かう。窓際最後列。くじ引きで運よく勝ち取った、およそ考え得る最高の席。もっとも本当の窓際は森瀬であり、俺はそのひとつ廊下側なのだが。

 机に腰かけると、俺はさっそくのように机へ教科書を広げる。後ろをついて来た森瀬も自分の席に座ると、

「勉強ッスか?」

「他にやることもないしな」

 かといって、ここで帰宅するのも森瀬に何か負けたようで癪だ。

 ここは居座らせてもらう。

《放課後の教室》がひとりの空間でないことは残念だが、元よりこればかりは時の運だ。出直してもいいが、森瀬ひとりならば、まあ許容範囲だと言えよう。

 中藤の誘いを蹴ったことも考慮に入れて、一応の目的である宿題くらいは果たしておきたかった。

「お前はどうするんだ、森瀬?」

 問うと、森瀬はしばし迷うようにしてから、自席に腰かけて答えた。

「まあ、適当に外の景色でも眺めてるッスよ」

「……あっそ」

 思うところはあったが、追求するのはやめておく。そこまで踏み込むつもりはないのだ。

 少なくとも、今のところは。


 そして。

「…………」「…………」

 俺は作業を開始して、森瀬もまた本当に窓の外を眺め始めた。

 黙々と数式を解き続ける俺。

 森瀬も口は開かない。

 最初は一応、

「これさ、なんか気まずくないか?」

「何がッスか」

「こんな広い教室で、わざわざひとところに固まってるのもなあ」

「あたしも末吉も、自分の席に座ってるだけじゃないッスか」

「まあ、それはそうなんだが……」

「もしかして、誰かに見られたらー、みたいなこと気にしてるんスか?」

「……してねーよ」

「それなら心配いらないッスよ。クラスのみんなはもう全員帰ってます。あたしはずっとこの教室にいたッスからね。カバン持って出てったのは確認してますよ」

「だから気にしてねーっての」

「それよか、あたしは末吉がカバン持って出て行ったのに、なぜか戻ってきたことの方が気になるんスけど」

「誘い断ってんだから誤魔化しは必要だろう」

「中藤たちは、末吉より先に帰ったじゃないッスか」

「……教室に残って勉強始めて、他の連中に『早く帰れ』みたいなオーラ出すの嫌なんだよ。だから図書室で時間潰してたんだ」

「へえ……そんなもんッスか。あたしは特に気にしないッスけどね、そういうの」

「俺は気にするんだよ」

 みたいな会話もあったものだが、それもすぐに尽きた。

 以降、そのまま俺たちは、一時間ほどまったく口を利かずにいた。

 俺はいつしか教科書の文字に没入し、森瀬の存在を意識から外してしまう。

 ひとりで教室にいるときと、それは変わらない感覚で。

 少なくとも、悪いものだとは思わなかった。

 だが一時間も経つと、宿題など全て消化しきってしまう。俺は顔を上げて、隣に座る森瀬を見た。

 彼女はまるで微動だにせず、何が楽しいのか、本当に景色を眺めつづけていた。

 窓からは学校脇の畦道が多少見えるだけで、これと言って目を引く景色など広がっていない。一時間もの観賞に耐えうる光景とは思えなかった。

 俺は教科書や筆記用具を鞄に詰め、森瀬へ向けて告げる。

「宿題終わったし、俺は帰るぞ」

「そッスか。あたしは、もう少し残ってることにするッス」

「……じゃあ、また明日」

「またッス」

 正直、ほっとしたような気分があった。

 その理由には心当たりがない。だが自分の心を深く追求しようとも思わない。

 俺はそのまま席を立って、教室の出口へと向かった。

 扉から出る寸前、俺は少しだけ振り返って森瀬の様子を窺った。

 彼女はやはり動くことも、喋ることもなく窓から外を眺めている。

 まるで籠の中の鳥が、外の世界に焦がれるように。

 何か意味がある行為なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。いずれにしろ森瀬の邪魔をするつもりにはなれなくて、俺は結局、そのまま教室を立ち去った。

 彼女は、最終下校時刻まで教室に残っているつもりなのだろうか。

 少しだけ疑問に思ったが、訊ねる気にはなれなかった。

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