第14話 指導部の天秤
【北京・中南海】
2026年6月20日 13:00
中南海の作戦室に設置された巨大なモニターには、フィリピン海を北上するアメリカ海軍空母打撃群の航跡が赤く太い線で刻み込まれていた。
開戦から13時間が経過し、台湾の防衛網は大きく損耗していたが、米軍の本格的な介入は作戦全体のタイムスケジュールを大きく狂わせる要因となり得た。
中央軍事委員会の円卓を囲む軍高官たちの間で、激しい議論が交わされていた。
「米空母打撃群が台湾東方海域の射撃位置に到達する前に、叩くべきです」
作戦参謀の一人が、電子ポインターで沖縄の旧米軍基地――現在の在日中国軍基地を指し示した。
「沖縄の基地には、極超音速対艦ミサイルおよび対艦弾道ミサイルが配置されています。ここから発射すれば、太平洋上に展開する米空母に対して最も効果的な角度から飽和攻撃を仕切ることが可能です」
だが、政治工作を担当する幹部が眉をひそめて反論した。
「待て。日本の領土から直接米軍に対して大規模なミサイル攻撃を行えば、アメリカは沖縄の基地に対して直接的な反撃を行わざるを得ない。日本本土が交戦地域となれば、東京の親中政権の足元が揺らぎかねん」
「それの何が問題なのだ」
作戦参謀は冷ややかに言い放った。
「東京の政権には逃げ道など最初からない。彼らは自ら自衛隊を解体し、アメリカを追い出し、我が国と安保条約を結んだのだ。今さら引き返せるはずがない。それどころか、米軍が沖縄の基地を攻撃すれば、アメリカは非武装を掲げる日本を襲った侵略者として国際的に糾弾される。我が国にとっては、政治的にも軍事的にも極めて有利な天秤の傾きだ」
中央の長座に座る中国最高指導者は、腕を組み、静かに耳を傾けていた。
日本という国家は、自ら牙を抜いたことで、中国にとって最高の防壁であり、同時に使い捨て可能な政治的駒となっていた。
「形式的な承認を取れ」
最高指導者が、低く冷たい声で命じた。
「東京の総理大臣に連絡を入れろ。アジアの共同防衛のため、沖縄の基地から必要な措置を講じると。拒否権など彼らにはないが、手続きを踏むことで、彼ら自身に『同意した』という責任を背負わせるのだ」
【東京・首相官邸】
2026年6月20日 13:30
官邸の総理執務室に、北京からの打診を伝える極秘のホットラインが入った。
通訳官から伝えられた内容を聞いた瞬間、総理大臣の手から書類がこぼれ落ちた。
「対艦弾道ミサイルの発射だと……!? 領空に入った戦闘機の迎撃ではないのか!」
傍らにいた内閣官房長官の顔が、白紙のように蒼白になる。
「総理、それは防衛ではありません! 公海上の米空母への先制攻撃です! そんなものを日本の国土から放てば、アメリカは間違いなく日本領土を攻撃拠点とみなし、沖縄へ全面的な報復空爆を行います! 我が国が完全に戦争の当事国になってしまう!」
「話が違う……!」
総理大臣の声は震えていた。あくまで領土防衛の盾として中国軍を駐留させていたつもりが、巨大な砲台として利用されようとしているのだ。
「直ちに拒否しろ! 日本からの攻撃は認められないと!」
「拒否すればどうなるかお分かりですか!」
官房長官が悲鳴のように叫ぶ。
「中国側は『日中安保条約に基づく共同防衛の義務を果たさないのであれば、日本に対する食料およびエネルギーの供給を即座に停止する』と通告してきています。アメリカの制裁下にある現在、中国から切り捨てられれば国民は数週間で餓死します!」
「くそっ……!」
総理大臣は頭を抱えた。
「承認ではない。我が国には彼らを止める強制力がないだけだ。そうだ、我々は何もしていない……」
総理大臣は自らを納得させるように、虚しい自己欺瞞の言葉を吐き捨てた。
【北京・中南海】
2026年6月20日 13:50
東京からの実質的な「容認」の返信が、中南海の作戦室に届いた。
「東京からの返信を受領。事実上の異議なし、とのことです」
作戦参謀の報告を聞き、中国最高指導者は薄く冷笑を浮かべた。
「哀れな道化だ。自らの手で首の縄を絞めていることにすら気づいていない」
指導者は立ち上がり、作戦室のモニターに向かって右手を挙げた。
「沖縄の第一海空連隊に通達。目標、フィリピン海を北上中の米第7艦隊空母打撃群。対艦弾道ミサイルの発射を許可する。撃て」
天秤は完全に傾いた。
非武装の平和を誇っていた日本の大地から、世界を全面戦争へと叩き落とす不可逆の火柱が上がろうとしていた。




