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小説

二季

作者: ちりあくた
掲載日:2026/03/05

 私の一年は、春と冬だけでできている。


 子供の頃、人生は移ろう四季のようなものだと思っていた。楽しみに満ちた春があり、汗を流しながら耐え忍ぶ夏があり、静かな色づきに囲まれる秋があり、やがて冬の吹雪へと消えてゆく。それでもまた、春は来ると。


 今は二十五歳のしがない会社員である。就職活動では三十社落ち、内定が出たのはこのIT企業だけだった。


 三年前の四月、私は入社式にいた。桜前線はとうに頭を越し、満開の春だったはずだ。「社会を変えるプロダクトを」と社長は壇上で言った。スライドには、花吹雪のアニメーションがわざとらしいほどに舞っていた。私はあの瞬間、本気で拍手をしてしまっていた。


 だが、開発部門への配属通知を受け取った途端から、季節は裏返った。


 新入社員ごときの手も借りたいほど、その部署は仕事を背負っていた。私は新兵にも関わらず最前線に駆り出され、怒号とため息の飛び交う戦場で戦いはじめた。顧客の要望は毎日コロコロと変わる。昨日完成した画面は、今日の会議で白紙へ戻る。仕様書は凍土だ。バグは氷柱のように垂れ下がり、触れればまた別の修正が割れる。


 この世に賽の河原があるとは思わなかった。

 ……私なりに親孝行はしていたつもりだったが。


 いつも通りの深夜一時、モニターの青白い光の前で、私は無言でキーボードを叩く。Slackは常に更新され、通知音はとっくにオフにしていた。


「これ、明日の朝までにいけるよね?」


 そんな無責任なセリフが、吹雪のように降り積もっていく。私が死んだ声で「はい」と言う前に、上司はどこかへ去っていった。どうせ彼も仕事だろうが、今は他者を憐れむほどのエネルギーがなかった。


 三年目になった今、私は炎上案件の消火係として扱われている。会社には四季がない。あるのは「納期」という冬だけだ。みんなの表情は常に凍りついていて、熱のない機械のように動いている。


 だが、私にはもう一つの季節があった。


 たまに終電近くの駅前コンビニで、安いウイスキーとメビウスを買うのだ。いくら疲れていても、タバコは番号で呼んでやる。そうしなければ、最後の人間らしさが擦り切れる気がしてならない。


 ワンルームに戻り、PCの電源を落とすと、ようやく雪は止む。氷を落としたグラスがからりと鳴る。最初の一口で、凍りついた喉がひび割れていく。


 アルコールが喉を焼き、煙が肺を満たす頃、部屋の空気はやわらかく膨らむ。私は満開の桜の下にいる。単なる白熱灯だというツッコミはよしてほしい。上司も顧客も存在しない、それだけで春一番が吹いたような気分になっているんだ。笑い声がこぼれ、根拠のない万能感が胸に芽吹く。


 それが私の春なのだ。


 だが、楽しい時間は流れ星みたいに去っていく。目覚ましの振動で、私は冬の最中へ叩き戻される。頭は割れるように痛み、口は枯れ、昨日の桜は冷たい光になっている。気づけば、チャットの通知が三十件溜まっていた。


「緊急です」


 その文字が、しんしんと雪を降らせる。私はダウンコートを羽織るようにスーツを着て、再び、凍った画面の向こうへ歩き出す。


 私の一年は、冬と春だけでできている。


 そして春は、夜ごとに枯れる。

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