夏休みケイ
1.強制連行された哲学者
夏休み三日目。
外気温35度。アスファルトが溶け出しそうな猛暑日。
俺――ケイは、冷房の効いた車内ではなく、ラウンドワンの駐車場で不機嫌に立ち尽くしていた。
隣にいるのは、チャラついたサングラスをかけた大学生。
俺の実の兄、サトシだ。
「ほらケイ! シャキッとしろよ! せっかく兄貴が遊びに連れてきてやったんだぞ!」
「……有難迷惑だ。俺はクーラーの効いた部屋で『精神現象学』を読みたかったんだ」
「また難しい本読んでんのかよ。夏休みだぞ? 身体動かさないと腐るぞー」
サトシ兄貴は俺の頭をガシガシと撫で回す。
この男は俺と真逆だ。直感的で、楽天的で、筋肉で物事を解決するタイプ。俺がピアノや勉強に没頭していた時も、一人でサッカーボールを蹴り続けていた「常識人」だ。
「うるせぇ。……で? なんでラウンドワンなんだ」
「俺がUFOキャッチャーやりたいから。あと、お前が最近『彼女できた』って親父に報告してたから、リア充度合いのチェックだ」
「……情報漏洩だ。プライバシー権の侵害で訴えるぞ」
文句を言いながら、俺たちは店内に入った。
ゲームコーナーの喧騒。電子音と歓声。
非日常的なノイズの渦。
「よーし、まずはマリオカートだ! お前、昔は俺に勝てなかったもんなー」
「……今の俺をナメるなよ。先日のミサキ杯で敗北を知った俺は、さらなる理論武装を済ませている」
俺たちがレーシングゲームのコーナーに向かおうとした、その時だった。
「あ! ケイちゃん!?」
「げっ、姉ちゃんの彼氏(仮)だ」
聞き覚えのある声と、聞き捨てならない呼称が飛んできた。
2.カオスな遭遇
そこにいたのは、白いワンピース姿のミサキと、キャップを逆さに被った小学生男子。
ミサキの弟、ツバサだ。
「ミサキ? なんでここに」
「あ、えっとね、ツバサが『ボウリング行きたい!』って騒ぐから、保護者としてついてきたの。……隣の人は?」
ミサキが俺の兄を見る。
サトシ兄貴はサングラスを外し、爽やかな(そして胡散臭い)笑顔を見せた。
「はじめまして! 俺はケイの兄貴のサトシです。……へぇ、君が噂のミサキちゃんか! 可愛いじゃん! うちの偏屈な妹にはもったいねぇな!」
「あ、はじめまして……! ケイちゃんの、お兄さん……!?」
ミサキが慌ててペコペコする。
「ふーん。こいつが、姉ちゃんがベタ惚れしてる『哲学者』か」
ツバサが俺をジロジロと値踏みする。
「なんか、もっと堅苦しいメガネかと思ったけど、意外と普通じゃん。……でも、女なのに『俺』って言うの、厨二病っぽくね?」
「……おいガキ。言葉を慎め。それは実存の表明だ」
俺が睨むと、ツバサは「へへん」と鼻で笑った。
こうして、4人は一堂に会した。
ケイ、サトシ(兄)、ミサキ、ツバサ(弟)。
本来なら「ケイ&ミサキ」と「兄&弟」で分かれるべきだが、サトシ兄貴が余計な提案をしたことで、事態はカオスへと転がっていく。
「せっかくだから4人で遊ぼうぜ! チーム対抗戦だ!」
サトシ兄貴が俺の背中を叩く。
「チーム分けは……そうだな。俺とミサキちゃんペア、ケイとツバサ君ペアだ! 兄弟姉妹シャッフルでいこうぜ!」
「はぁ!?」
「えっ、私がお兄さんと?」
「俺、厨二病と組むの?」
「おい待て、俺の意思決定権はどこにある」
反論する間もなく、俺たちは強引にペアを組まされた。
3.チーム『ゲーマーと論理』 vs チーム『陽キャと文学』
【ラウンド1:エアホッケー】
俺とツバサのペアは、エアホッケー台の前に立っていた。
対面には、サトシ兄貴とミサキ。
「いいかツバサ。勝つための戦略を共有する」
俺はマレットを構えながら、隣の小学生に囁いた。
「入射角と反射角だ。兄貴はパワーで押してくるが、防御が雑だ。壁を使った反射で、奴の死角を突く」
「……お前、ゲームごときに物理持ち込むのかよ」
ツバサは呆れたが、ニヤリと笑った。
「でも、嫌いじゃないねそういうの。俺が前衛で陽動するから、お前がカウンター決めろよ」
「交渉成立だ」
試合開始。
「おりゃあ! パワーこそ正義!」
サトシ兄貴が剛速球を打ち込んでくる。
ミサキは「わわっ、速い!」とオロオロしながらも、懸命にパックを弾き返す。
「今だ、ツバサ!」
「おう!」
ツバサがパックを止め、俺にパス。
俺は計算済みの角度で、壁にパックを叩きつける。
ガガン!
パックは鋭角に反射し、サトシ兄貴のガードをすり抜けてゴールに吸い込まれた。
「よっしゃあ!」
「計算通りだ(Q.E.D.)」
俺とツバサはハイタッチ……は恥ずかしいので、軽く拳を突き合わせた。
意外と息が合う。こいつ、生意気だがゲーム勘はいい。
一方、兄貴チーム。
「す、すみませんお兄さん! 私がトロいから……」
「いいっていいってミサキちゃん! 楽しめれば勝ちだ! ……にしても、あいつらガチすぎだろ」
4.兄の告白、弟の評価
【ラウンド2:休憩タイム(クレープ休憩)】
運動した後、フードコートで休憩をとることになった。
席の配置上、俺はツバサと並んで座り、向かいにミサキと兄貴が座る形になった。
俺がトイレに行っている間、どうやら「家族会議」が行われていたらしい。
戻ってくると、サトシ兄貴がミサキに深々と頭を下げていた。
「……本当、あいつ面倒くさい奴だけどさ、よろしく頼むよ」
「えっ、いえ、そんな……!」
「あいつ、昔っから一人で難しい本ばっか読んで、友達いねぇんじゃねぇかって家族で心配してたんだよ。ピアノも上手いけど、なんか心がこもってないっていうかさ……」
兄貴の声が、珍しく真面目だ。
「でも、最近あいつ、家でもよく笑うようになったんだよ。『ミサキが』って話をする時、すげぇ楽しそうでさ。……兄貴として、礼を言うわ。ありがとな」
「……お兄さん」
ミサキは照れくさそうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
「私の方こそ、ケイちゃんに救われてるんです。ケイちゃん、不器用だけど、すごく真っ直ぐで……私にとってのヒーローなんです」
物陰で聞いていた俺は、顔から火が出るかと思った。
(……余計なことをベラベラと……! 帰ったら兄貴の部屋に大量の哲学書を積み上げてやる)
俺が席に戻ると、今度は隣のツバサが話しかけてきた。
「なぁ、ケイ」
「なんだ」
「姉ちゃんのこと、泣かしたら承知しねぇぞ」
ツバサはクレープをかじりながら、ボソッと言った。
「姉ちゃん、おっとりしてるけど、結構溜め込むタイプだからさ。……お前みたいに理屈っぽい奴が、ちゃんと話聞いてやってくれよな」
生意気な小学生だと思っていたが、こいつもまた、姉想いの弟らしい。
セナの妹といい、この世界の弟妹たちは、なぜこうもしっかりしているのか。
「……ああ。善処する」
俺はツバサのキャップを軽く叩いた。
「お前もな。姉ちゃんの邪魔すんなよ。あとマリオカートの腕は認めてやる」
「へっ、上から目線だな。次はボコボコにしてやるよ」
5.UFOキャッチャーの確率論的勝利
【ラウンド3:UFOキャッチャー】
最後はプライズコーナーだ。
狙うは、特大の『猫のぬいぐるみ』。
「よしミサキちゃん! 俺が取ってやるよ!」
サトシ兄貴が意気込んで100円を入れる。
ウィーン、ガシッ、ポロッ。
「ああーっ! 惜しい! アーム弱すぎだろ!」
兄貴は500円、1000円と投入するが、取れる気配がない。
典型的な「カモ」だ。
ミサキが「あわわ、お兄さんもういいです!」と止めている。
「……どきなさい、非論理的な類人猿たち」
俺が前に出た。
「UFOキャッチャーの本質は運ではない。重心と摩擦係数の物理学だ」
俺は台を横から、下から観察する。
「重心は頭部よりやや下。アームの爪の角度は30度。……掴むのではなく、タグに爪を引っ掛けて『ずらす』のが正解だ」
隣でツバサも観察している。
「いやケイ、それだけじゃダメだ。この台、確率機(一定回数でアームが強くなる設定)じゃないっぽいぞ。実力機だ。……奥の箱を使って雪崩を起こせばいけるんじゃね?」
「……ほう。雪崩式か。悪くない発想だ」
俺とツバサは顔を見合わせた。
「よし、俺が右アームで押す。次にお前が左アームで引っ掛けろ」
「了解!」
俺たちは交互に操作し、ぬいぐるみを徐々に移動させた。
そして、ラストの一手。
「今だ! 重力に従え!」
ガコンッ!
巨大な猫のぬいぐるみが、落下口に落ちた。
「やったーー!!」
俺とツバサはハイタッチをした。今度は躊躇なく。
「はい、ミサキ。戦利品だ」
俺はぬいぐるみをミサキに渡した。
「ツバサとの共同作戦による成果だ」
「わぁ……! ありがとうケイちゃん、ツバサ!」
ミサキがぬいぐるみを抱きしめる。
サトシ兄貴が「くそー、いいとこ取りかよ!」と悔しがっている。
6.拡張された家族
夕方。
ラウンドワンの出口で、俺たちは解散することになった。
「いやー、楽しかったな! また遊ぼうぜミサキちゃん、ツバサ君!」
サトシ兄貴が陽気に手を振る。
「うん、またねお兄さん! 今度はサッカー教えてよ!」
ツバサもすっかり兄貴に懐いたようだ。
ミサキが俺に近づいてくる。
「ケイちゃん。……お兄さん、いい人だね」
「……ただの筋肉馬鹿だ。うるさかっただろ?」
「ううん。ケイちゃんのこと、すごく大切にしてるのが伝わってきたよ」
ミサキは猫のぬいぐるみを抱えながら、悪戯っぽく笑った。
「ケイちゃんが家で私の話をしてるって聞いて、嬉しかったな」
「……っ、あれは情報の歪曲だ! 忘れてくれ!」
俺は顔を赤くして、兄貴の車に向かって歩き出した。
「ほら、帰るぞ兄貴! 置いてくぞ!」
「へいへい。じゃあなー!」
車に乗り込み、窓から外を見る。
手を振るミサキとツバサ。
その光景を見て、俺はふと思った。
俺の「家族」と、ミサキの「家族」。
今まで別々だった世界が、こうして混ざり合い、騒がしくも温かい関係を作っていく。
哲学的には「他者の受容」とか「共同体の拡張」と言うのだろうが……まあ、単純に悪くない気分だ。
「……なぁ、兄貴」
「ん?」
「今日は……まあ、サンキュ」
ボソッと言うと、兄貴はハンドルを握りながら、ニカっと笑った。
「おう! また連れてってやるよ。次はマリオカートでリベンジな!」
夏休みの夕暮れ。
俺たちの乗る車は、少しだけ温度の上がった家族の絆を乗せて、家路へと走り出した。
(了)




