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放課後倫理学  作者: 紅茶
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期末テスト


1.ヴェルサイユ宮殿の賭け

期末テスト一週間前。

放課後の生徒会室は、冷戦時代のベルリンのような緊張感に包まれていた。

「……マコト。今回の期末、手加減は無用よ」

生徒会副会長・セナは、参考書『詳説世界史』を閉じ、対面に座るマコトを鋭く睨みつけた。

「前回の中間考査、貴方と私は総合点でわずか2点差。私が1位、貴方が2位。……誤差の範囲ね」

「ええ。ケアレスミスが悔やまれます」

マコトは涼しい顔で数式を解きながら答える。

「ですがセナ、順位など数字の遊びです。重要なのは知識の実用性でしょう?」

「甘いわ。歴史において『2位』は敗者よ。銀メダルなんて、最も悔しい敗北の証」

セナは立ち上がり、マコトの机に両手をついた。

「だから、賭けをしましょう。今回の期末、総合得点で勝った方が、負けた方に『命令』を一つ下せる」

「命令、ですか」

マコトの手が止まる。

「具体的には?」

「私が勝ったら……そうね」

セナは妖艶な笑みを浮かべた。

「夏休みの生徒会合宿、貴方は『執事』として私に仕えなさい。食事の配膳から肩揉みまで、私の手足となって動くのよ」

「なるほど、公開処刑ですね」

マコトは眼鏡を押し上げた。

「では、私が勝ったら?」

「……好きにしなさいよ。デートでも、私の手料理でも、なんでも聞いてあげるわ」

「言いましたね?」

マコトの瞳の奥で、策士の炎が揺らめいた。

「いいでしょう。その挑戦、受けて立ちます。……君がエプロン姿で私のために料理を作る姿、楽しみにしていますよ」

「ハッ、寝言は寝て言いなさい!」

火花散る頂上決戦。

愛とプライドを懸けた、仁義なき偏差値バトルの幕が上がった。

2.パブロフの犬とご褒美

一方、図書室の片隅。

こちらは打って変わって、平和的だが切実な交渉が行われていた。

「う~ん……古文の助動詞、覚えられないよぉ……」

ミサキが机に突っ伏している。

その向かいで、ケイは哲学書を読む手を止め、溜息をついた。

「ミサキ。言語とは記号の体系だ。構造さえ理解すれば、暗記など不要だぞ」

「ケイちゃんは天才だからいいけどさぁ……私、今回赤点取ったら、夏休みの補習でデートに行けなくなっちゃう……」

ミサキが涙目で訴える。

その言葉に、ケイの眉がピクリと動いた。

「……それは困る。俺の夏休みの計画(花火大会および海への旅行)が崩壊する」

「でしょ? だからケイちゃん、教えて!」

ミサキは身を乗り出した。

「私、頑張るから! もし今回のテストで、自己ベスト……クラス10位以内に入れたら、ご褒美ちょーだい!」

「ご褒美?」

ケイは腕組みをして考えた。

「行動心理学でいう『正の強化』か。悪くないアプローチだ。……何が欲しい?」

ミサキは少し顔を赤らめ、もじもじと指を合わせた。

「えっとね……あの日、セナちゃんたちがディズニーで……その……した、みたいなやつ……」

「あ?」

「……キス、してほしいな、なんて」

図書室の空気が止まった。

ケイは目を見開き、数秒フリーズした後、猛烈な勢いで顔を背けた。耳まで真っ赤だ。

「……ッ、ば、馬鹿かお前は! 神聖な学びの場で何を……!」

「だって! マコトくんたちはしたんでしょ? 私たちだって恋人だもん!」

ケイは咳払いをし、震える手で眼鏡を直した。

「……わ、わかった。契約成立だ。ただし条件は厳しいぞ。総合点でクラス10位以内。……死ぬ気でやれ」

「うん! 私、やる!」

ミサキの瞳に炎が宿る。

「愛の力」という、最も非論理的かつ強力なエネルギーが、彼女の脳細胞を活性化させ始めた。

3.戦場と化した教室

試験期間中の3日間。

2年A組の教室は、異様な空気に包まれていた。

セナとマコトは、休憩時間すら惜しんでノートを見直していた。

「おいマコト、この世界史の年号、語呂合わせが間違ってるわよ」

「おや、修正ありがとうございます。……君こそ、数学の微積分の公式、符号が逆ですよ」

敵に塩を送るような真似をしつつ、互いの穴を潰し合う。ハイレベルな潰し合い。

ケイはミサキにつきっきりだ。

「いいか、ここテストに出るぞ。先生の口癖のパターンから分析するに、確率は90%だ」

「うん! 覚えた!」

ミサキの集中力は凄まじかった。愛の報酬系ドーパミンがフル回転している。

そして、教室の後ろの方。

誰も注目していない場所で、一人の男子生徒――**高橋(観測者)**もまた、静かに、しかし鬼気迫る形相でペンを走らせていた。

(……負けられない。絶対に)

彼の机の中には、隣のクラスの佐々木さんからもらったお守りが入っている。

『高橋くん、一緒に頑張ろうね』

その一言が、彼を修羅に変えた。

「モブ」としての殻を破り、「主人公」になるために。彼は凡人の武器である「反復練習」と「執念」を極限まで研ぎ澄ませていた。

4.審判の日

テスト最終日の放課後。

廊下の掲示板前に、人だかりができていた。

学年順位の発表だ。

「……行くわよ、マコト」

「ええ。結果を受け入れましょう」

セナとマコトが最前列へ進み出る。

その後ろから、ケイとミサキもおずおずと覗き込む。

「さあ、1位は私のもの……」

セナが自信満々にリストの一番上を見た。

その瞬間。

女帝の動きが止まった。

隣のマコトも、眼鏡をずり落としそうになった。

ケイが「ほう」と声を漏らす。

掲示板の一番上。

栄光の「学年1位」の欄に書かれていた名前は、二人のどちらでもなかった。

1位:高橋 〇〇(2年A組) 合計点:985点

2位:セナ(2年A組) 合計点:982点

3位:マコト(2年A組) 合計点:980点

「……は?」

セナの声が震える。

「た、高橋……?  うちのクラスに私に勝てる高橋なんて…。。?」

「高橋くん……ああ、後ろの席の彼ですね」

マコトが呆然と呟く。

「いつも静かで落ち着いた彼が……まさか、1位とは」

教室の隅で、高橋くんがガッツポーズをしているのが見えた。

「やった……! これで佐々木さんに勉強教えられる……!」

その背中には、愛の執念という名のオーラが立ち上っていた。

「……負けた」

セナががっくりと膝をつく。

「まさか、伏兵ダークホースに首を狩られるなんて……。歴史はこれだから油断ならないわ」

「ええ。大衆の中に、英雄が眠っていたようですね」

マコトも苦笑いするしかない。

しかし。

「……待て、セナ」

マコトが気づく。

「順位は負けましたが、我々の勝負はどうなります?」

「あ……」

セナが顔を上げる。

セナ982点。マコト980点。

2点差。

「……私の勝ちね」

セナが不敵に笑い、立ち上がった。

「1位は逃したけど、貴方には勝ったわ。……覚悟なさい、マコト執事。夏合宿はこき使ってあげるから」

「……クッ。不覚です」

マコトは深々と頭を下げた。

「御意、お嬢様。……仰せのままに」

5.ご褒美の行方

一方、ケイとミサキのペア。

「……あった! あったよケイちゃん!」

ミサキが掲示板を指差して飛び跳ねた。

クラス順位:9位 ミサキ

ギリギリ滑り込みセーフ。

「やったぁぁ! 10位以内! クリアだよ!」

「……マジかよ」

ケイは驚愕していた。

「お前の学力データからして、確率は20%以下だったはずだ。……まさか、本当にやり遂げるとは」

「えへへ、愛の力だよ!」

ミサキはケイの腕にギュッとしがみついた。

「さあ、ケイちゃん。約束、守ってもらうからね?」

ケイは顔を真っ赤にして、周囲を見渡した。

廊下は生徒でごった返している。

「……い、今ここでか? 公衆の面前だぞ」

「約束だもん!」

ミサキが目を閉じて、顔を近づける。

「……うぅ」

ケイは覚悟を決めた。

カントの義務論に従えば、約束は守らねばならない。

「……少し屈め」

「うん」

ケイはミサキの耳元に顔を寄せ――

チュッ、と音を立てて、おでこにキスをした。

「……へ?」

ミサキが目を開ける。

「……勘違いするな。場所をわきまえろと言ったんだ。唇は……夏休みの花火大会までお預けだ」

ケイは真っ赤な顔でそっぽを向いた。

ミサキは呆気にとられ、それからパァっと笑顔になった。

「うん! 楽しみにしてるね!」

6.それぞれの夏へ

放課後。

帰り道。

「……悔しいわ」

セナが唇を噛みながら歩いている。

「まさか高橋ごときに遅れをとるなんて。私の帝国の汚点よ」 

「ごときって……彼も必死だったんでしょう。愛の力は偉大です」

マコトが慰める。

「まあ、私は君の執事になれる栄誉を得ましたから、良しとしましょう」

「ふん。せいぜい私の機嫌を取りなさいよ」

後ろを歩くケイとミサキは、手をつないで楽しそうだ。

「ねぇケイちゃん、夏休みどこ行く?」

「とりあえず海だ。水着という実存的羞恥心と戦わねばならんがな」

そして、彼らとは反対方向へ帰る高橋くん。

彼はスマホを取り出し、佐々木さんにメッセージを送っていた。

『1位取れたよ!』

勝者も、敗者も、そして番狂わせを起こした伏兵も。

それぞれの想いを胸に、熱い夏休みへと走り出していく。

期末テストという戦場は終わった。

次なる舞台は、太陽と海と合宿の夏だ。

(了)


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