ケイとマコトのデート
1.変数の消失
日曜日の朝。天気は快晴。
デカルト座標のように澄み渡った青空は、絶好の行楽日和を告げていた。
俺――ケイは、玄関でスニーカーの紐を結びながら、完璧な一日のスケジュールを脳内でシミュレートしていた。
今日はミサキとのデートだ。
場所は浅草『花やしき』。
最新の絶叫マシンではなく、あえて昭和レトロな遊園地を選ぶことで、ノスタルジーという感情の正体を文学的・哲学的に解明しつつ、ミサキの笑顔を見る。完璧な論理的帰結だ。
しかし。
その完璧な計画は、一本の電話によって崩壊した。
『……もしもし、ケイちゃん……?』
スピーカーから聞こえてきたのは、いつもの鈴を転がしたような声ではなく、掠れて消え入りそうな声だった。
「ミサキ? どうした、声が変だぞ」
『うぅ……ごめんね。今朝、熱測ったら39度あって……病院行ったら、インフルエンザA型だって……』
「なっ……インフルエンザだと?」
俺の手が止まる。
「大丈夫か? 水分は? 誰か看病してくれる人はいるのか?」
『お母さんがいるから大丈夫……。でも、今日のデート、行けなくてごめんね……。すっごく、楽しみにしてたのに……うぅ……』
ミサキが泣きそうな声で謝る。
その弱々しい響きに、俺の胸が締め付けられる。
俺は瞬時に「デートへの未練」という変数を削除し、「恋人の回復」を最優先事項に設定し直した。
「謝るな、馬鹿。ウイルス感染は不可抗力だ。カントだって『当為』は『可能』を前提にすると言っている。今のあお前にデートをする義務はない。あるのは『寝る』という義務だけだ」
『……ふふ、ケイちゃんらしい慰め方……。ありがと……』
「玄関前にスポーツドリンクとゼリーを置いておく。後で親御さんに取ってもらえ。……早く治せよ。デートは『延期』だ。中止じゃない」
『うん……大好きだよ、ケイちゃん……』
通話が切れる。
後に残ったのは、静寂と、行き場を失った俺の「遊園地モード」の情熱だけだった。
「……さて。どうする」
俺は宙ぶらりんになったスニーカーを見つめた。
ミサキの看病に行きたいのは山々だが、インフルエンザの隔離期間に部外者が押し掛けるのは非論理的だし、感染リスクを広げるだけだ。
かといって、家で一人『純粋理性批判』を読み直す気分でもない。俺の精神はすでに「ハレ(非日常)」へとチューニングされているのだ。
「……とりあえず、駅まで行くか」
俺は意味もなく家を出た。
散歩(ヴィトゲンシュタインもよくやっていた思考法だ)でもして、このモヤモヤを解消しよう。
2.女帝の陥落
一方、同時刻。
駅前のカフェで優雅にモーニングコーヒーを飲む予定だった男――マコトもまた、緊急事態に直面していた。
今日はセナとの「外交交渉」の日だった。
彼女が指定したのは、都内の美術館巡りと、その後のディナー。
完璧に構築されたスケジュール。遅刻は許されない。
しかし、スマホが震えた瞬間、そのスケジュールは白紙に戻った。
『……マコト……』
電話口から聞こえてきたのは、あの自信満々な女帝の声ではなかった。
鼻声で、今にも泣き出しそうな、幼い子供のような声。
「セナ? どうしました。まさか、まだ寝ているんですか?」
『違うわよ……っ。熱が……下がらないの……』
「熱?」
『インフルエンザよ……っ! 悔しい……! 私の自己管理能力が、たかがウイルスごときに負けるなんて……!』
セナが嗚咽を漏らす。
彼女にとって、病気で予定をキャンセルすることは、単なる体調不良以上に「敗北」を意味するらしい。
『今日のために……新しい服も買ったのに……っ。あんたに見せるつもりだったのに……うわぁぁぁん!』
電話の向こうで、プライドの高い彼女が、なりふり構わず号泣している。
そのあまりの落差と、いじらしさに、マコトは思わず口元を緩めそうになり――慌てて表情を引き締めた。
「……セナ。泣かないでください。歴史上の偉大な指導者たちも、疫病には勝てませんでした。アレクサンダー大王も病死です。君の敗北ではありません」
『うるさい……っ! 歴史の話なんかしてないわよ……会いたかったのよ……っ!』
「……はい。私も会いたかったです」
マコトは優しく諭した。
「でも、鼻を赤くして泣いている君よりも、万全の状態で私を支配しようとする君の方が魅力的ですよ。……今日は撤退しましょう。戦略的撤退です」
『……うぅ……絶対よ……。治ったら、倍返しで連れ回すから……』
「ええ。覚悟しておきます」
通話を終える。
マコトはスマホをポケットにしまい、溜息をついた。
「やれやれ。ナポレオンも冬将軍には勝てず、セナもインフルエンザには勝てず、ですか」
彼の手元には、美術館のチケットが二枚。
一人で行くのも味気ない。かといって、このまま帰宅するのも惜しい。
彼はふらりと駅の方へ歩き出した。
3.特異点での衝突
午前10時。
駅前の待ち合わせスポットである噴水広場。
休日の親子連れやカップルが行き交う中、二つの「孤立した点」が、磁石に吸い寄せられるように接近した。
「……あ?」
「……おや?」
俺とマコトは、同時に足を止めた。
互いに私服姿。
俺は動きやすいパーカーにデニム。マコトは少し小奇麗なジャケットスタイル。
どちらも「これから出かける予定でした」というオーラを纏いつつ、その隣にあるべきパートナーが欠落している。
「……マコト。お前、何してるんだ。今日はセナと『地政学的デート』じゃなかったのか?」
「ケイこそ。今日はミサキさんと『文学的遊園地巡り』の予定では?」
俺たちは顔を見合わせ、数秒の沈黙の後、同時に口を開いた。
「「インフルエンザだ」」
「……はっ」
俺は思わず吹き出した。
「なんだそれは。示し合わせたみたいに同時多発テロかよ」
「どうやら、ウイルスたちの間でも同盟が結ばれていたようですね」
マコトも肩を震わせて笑った。
「セナは泣いていましたよ。『ウイルスに負けた』と」
「ミサキは謝り通しだった。『楽しみにしてたのに』ってな。……まったく、どいつもこいつも、俺たちを置いてけぼりにしやがって」
俺たちは噴水の縁に並んで座った。
行き場のない二人。
哲学と歴史の迷子。
「で、どうするんです? ケイ。このまま帰りますか?」
マコトが聞いてくる。
俺は空を見上げた。
青い空。雲一つない。
俺の脳内では、すでにジェットコースターのG(重力加速度)に耐えるための計算式と、メリーゴーランドの回転運動における永劫回帰の思索準備が完了している。
このまま家に帰って寝る? ありえない。
「……マコト。お前、暇だよな?」
「ええ。美術館に行く予定でしたが、一人では『美のイデア』を共有する相手がいませんから」
「なら、付き合え」
俺は立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。
「俺の気分は、完全に『遊園地』なんだ。この情動を処理しない限り、俺の休日は終わらない」
「遊園地、ですか」
マコトは少し目を丸くし、それから苦笑した。
「私たち2人で遊園地。……傍から見ればカップルと思われそうですが」
「関係ない。俺たちは『魂の片割れ』だろ? 代役としては最高だ」
「代役とは失礼な。……まあいいでしょう。行き先は?」
「浅草だ」
俺はビシッと指差した。
「日本最古の遊園地、『花やしき』。あそこのレトロでカオスな空間こそ、俺たちの哲学談義には相応しい」
「なるほど。昭和の歴史遺産ですね。……悪くない」
マコトが立ち上がる。
「行きましょうか、ケイ。インフルエンザに負けた彼女たちの分まで、我々が『健康』を謳歌してやりましょう」
4.浅草のベンヤミン
浅草駅を降りると、そこは観光客の熱気で溢れかえっていた。
雷門の前で自撮りする外国人、着物姿の女子大生、人力車の客引き。
その喧騒を抜け、俺たちは路地裏にある『花やしき』へと向かった。
入園ゲートをくぐると、そこは異空間だった。
狭い敷地に密集するアトラクション。
錆びついたレール。色あせた看板。
最新鋭のテーマパークが「完璧な夢の国」だとしたら、ここは「継ぎ接ぎだらけの夢の跡地」だ。
「……すごいな。ヴァルター・ベンヤミンが見たら泣いて喜びそうだ」
俺は周囲を見渡して呟いた。
「『パサージュ論』だ。近代化の残骸、消費社会の夢の跡。ここには『アウラ(一回性の輝き)』がまだ残っている」
「ええ。歴史の地層が見えますね」
マコトも興味深そうに周囲を観察している。
「江戸時代の花園から始まり、見世物小屋を経て、遊園地へ。ここは日本の娯楽の歴史そのものです。……見てください、あのパンダの乗り物」
マコトが指差した先には、花やしきの名物『パンダカー』があった。
硬貨を入れると動く、あのずんぐりむっくりしたパンダだ。
「……乗るか?」
「え?」
「乗るぞ、マコト。あれに乗らずして花やしきは語れない」
俺は小銭入れを取り出した。
数分後。
いい歳した高校生二人が、パンダカーに跨ってゆっくりと前進していた。
シュールだ。あまりにもシュールすぎる。
「……ケイ。これは哲学的にどういう意味があるんですか?」
マコトが真顔で聞いてくる。パンダの上で。
「カミュの『不条理』だ」
俺は前方のパンダ(マコト)に向かって言った。
「我々はこの遅くて、どこにも行けないパンダに乗り、ただ円を描いて動く。これはシーシュポスの神話と同じだ。無意味な労働。だが、カミュは言った。『シーシュポスは幸福だと想像しなければならない』と」
「……つまり、このバカバカしさを楽しめと?」
「そうだ。ミサキやセナがいない寂しさ、インフルエンザという不条理。それに対抗するには、俺たち自身がもっと不条理になるしかないんだよ」
マコトは少し黙り、それから肩を震わせて笑い出した。
「ふっ、くくっ……! なるほど、不条理への反抗ですか。……パンダの上でそれを語る君は、確かにニーチェ的超人に見えなくもないですね」
「だろ? 笑えよマコト。俺たちは今、世界の不条理を乗りこなしているんだ」
パンダカーは電子音を鳴らして停止した。
俺たちは腹を抱えて笑い合った。
ミサキやセナがいたら、きっと「可愛い!」と言って写真を撮るだけだっただろう。
でも、俺たち二人だからこそ、この「滑稽さ」を哲学的な遊びに変えることができた。
「次はあれだ、マコト」
俺は頭上を指差した。
建物の隙間を縫うように走る、錆びついたレール。
『ローラーコースター』。日本現存最古のジェットコースターだ。
「……あれ、最高時速たったの42キロらしいですよ」
「だが、壁や民家にぶつかりそうな距離感と、いつ壊れるかわからないという『経年劣化への恐怖』がある。これはハイデガー的な『死への直面』を体験できる装置だ」
「やれやれ。君といると、遊園地が実験場になりますね」
俺たちはチケットを握りしめ、列に並んだ。
空は青く、錆びた鉄骨の隙間から、スカイツリーが見えた。
新旧の塔が並び立つ空の下、俺たちの「代打デート」は、予想外の熱を帯び始めていた。
(前編・了)
後編:『ローラーコースターの現象学と、二つの座標軸』
1.ガタガタと揺れる実存
「うおおおおおっ! 近い近い近い!」
「これ、物理法則的に大丈夫なんですか!?」
ローラーコースターの座席で、俺たちは絶叫していた。
時速42キロ。数字だけ聞けば大したことはない。
だが、実際に乗ってみると体感速度は倍以上だ。
民家の壁スレスレをかすめ、銭湯の煙突の脇をすり抜け、錆びついたレールがガタガタと不穏な音を立てる。
「……ッ、ハハハハ!」
俺は風を受けながら笑った。
「見たかマコト! これが『現存在』だ! 安全バーへの不信感が、俺たちの生を強烈に意識させる!」
「君は、こんな時まで分析を……ッ!」
隣のマコトは眼鏡を押さえながら、必死にバーにしがみついている。
「これはテセウスの船ですよ! どの部品まで交換されていて、どの部品が昭和のままなのか! その不確定性が恐怖の本質です!」
コースターが急降下し、そして急停止する。
あっという間の1分30秒。
俺たちはふらつく足で降車口へと向かった。
「……生きてたな」
「ええ。歴史的遺産からの生還です」
ベンチに座り、俺たちは息を整えた。
心臓が早鐘を打っている。この高揚感。吊り橋効果。
だが、恋愛的なドキドキとは違う。これは「戦友」と共に死線を潜り抜けた後の連帯感だ。
「なぁ、マコト」
俺はペットボトルの水を飲みながら言った。
「もし今日、ミサキと来てたら、俺はこんな風に叫べなかったと思う」
「ほう?」
「ミサキの前だと、俺は『守る側』になっちまう。『怖くないよ』とか『大丈夫か』とか、かっこつけちまうんだ。……でも、お前とだと、手加減なしで叫べる。恐怖も、考察も、全部さらけ出せる」
「……わかります」
マコトも頷いた。
「私も、セナと一緒なら、もっとエスコートに徹していたでしょう。『歴史的背景』を解説して、彼女を楽しませることにリソースを割いていた。……でも、君となら、ただの『一人の人間』として恐怖し、笑うことができる」
俺たちは顔を見合わせた。
恋人たちは大切だ。それは揺るがない事実。
でも、俺たちには俺たちにしか共有できない「周波数」がある。
気を遣わず、背伸びせず、知性も感情もフルスロットルでぶつけ合える関係。
「……これって、浮気か?」
俺がふざけて聞くと、マコトは真顔で首を振った。
「いいえ。これは『メンテナンス』です」
「メンテナンス?」
「ええ。私たちがそれぞれのパートナーと良好な関係を続けるために、時々こうして『素の自分』に戻って、ガス抜きをする。……必要な工程ですよ」
「なるほどな。詭弁だが、採用だ」
2.回転する世界と幸福な吐き気
昼食にクレープ(浅草なのにクレープだ。これも文化の混交だ)を食べた後、俺たちは『メリーゴーランド』の前に立った。
金色に輝く装飾、優雅な音楽。
「……乗るか?」
「ケイ、さっきから乗り物のチョイスが極端ですよ」
結局乗った。
俺たちは白馬に跨り、ゆっくりと回り始めた。
景色が流れる。
家族連れ、カップル、外国人観光客。
彼らが笑顔で手を振っている。
「……ニーチェの『永劫回帰』だな」
俺は回る景色を見ながら言った。
「同じ円周上を、永遠に回り続ける。始まりも終わりもない。……ミサキとの関係も、こうありたいと思うよ」
「おや、ノロケですか」
「うるせぇ。……あいつは文学だ。物語には必ず『結末』がある。でも、俺はあいつとの時間を終わらせたくない。だから、このメリーゴーランドみたいに、幸せな瞬間が永遠に繰り返されればいいと思うんだ」
俺は白馬のポールを握りしめた。
「でも、それは怖いことでもある。変化がないってことは、死と同じだからな。……セナはどうなんだ? 変化を求める女だろ」
「ええ」
マコトは前の馬車に乗っている子供たちを見ながら、穏やかに答えた。
「セナは歴史ですから。常に進歩し、領土を拡大し、変化することを望みます。……彼女といると、私は螺旋階段を登っている気分になります。景色が変わっていくのは刺激的ですが、時々めまいがする」
マコトは俺の方を振り向いた。
「だからケイ。君が必要なんです」
「あん?」
「君という『変わらない座標軸』があるから、私はセナという螺旋階段を安心して登れる。君がここにいて、相変わらずの理屈をこねてくれるから、私は自分が誰なのかを見失わずに済むんです」
メリーゴーランドの音楽がクライマックスを迎える。
俺はマコトの言葉を反芻した。
座標軸。
そうか、俺にとってもマコトはそうなのだ。
ミサキという物語に没入して、自分が何者かわからなくなりそうな時、マコトと話せば「ああ、俺は俺だ」と戻ってこれる。
「……お互い様だな」
「ええ。腐れ縁の効用です」
3.Beeタワーからの展望
最後に、俺たちは花やしきのシンボル『Beeタワー』に乗った。
お菓子の家のようなゴンドラが、ゆっくりと空へ昇っていく。
浅草の街が一望できる。
浅草寺の五重塔、仲見世通りの賑わい、そして隅田川。
狭いゴンドラの中、向かい合って座る俺とマコト。
「……絶景だな」
「ええ。下界の喧騒が嘘のようです」
俺は窓の外を見下ろした。
無数の人々が歩いている。その中には、今日来るはずだったカップルたちもいるだろうし、一人で寂しく歩く人間もいるだろう。
それぞれの人生、それぞれの物語。
「なぁ、マコト。インフルエンザって、神様のイタズラかな」
「ライプニッツなら『予定調和』と言うでしょうね。この世界で起きることはすべて、最善の結果になるように計算されていると」
「最善、か」
俺はスマホを取り出した。
ミサキからのメッセージが入っている。
『今起きたよ。熱下がってきたかも。ケイちゃんに会いたいな』
俺はフッと笑った。
「……確かに、最善かもな」
俺は返信を打った。
『よかった。無理するな。今、お土産選んでる。お前が喜びそうな、文学的なやつ』
マコトもスマホを見ている。セナからだろう。
『熱でうなされて変な夢見たわ……あんたがナポレオンになる夢……最悪……』
マコトは苦笑しながら返信している。
『それは吉夢ですね。お土産に、天下統一できそうなキーホルダーを買って帰ります』
俺たちは顔を見合わせた。
「……買うか、お土産」
「ええ。病人の機嫌を取るのも、重要な外交です」
ゴンドラがゆっくりと地上へ降りていく。
俺たちの「代打デート」も、もうすぐ終わりだ。
4.日常への帰還
花やしきの出口にある売店。
俺はミサキのために『パンダカーのぬいぐるみ』と『レトロな文豪風ノート』を選んだ。
「文学的か?」と聞かれると怪しいが、ミサキなら「可愛い!」と喜んで物語を紡いでくれるだろう。
マコトはセナのために『日本刀の形をした傘』と『「天下布武」と書かれた扇子』を選んでいた。
「……お前、それ怒られないか?」
「大丈夫です。彼女はこういうベタな権力象徴に弱いですから」
店を出ると、空は茜色に染まっていた。
俺たちは駅に向かって歩き出す。
来る時よりも、足取りは軽い。
心の中に溜まっていた「遊園地に行きたい欲」と「会えない寂しさ」が、哲学的な対話と絶叫によって綺麗に昇華されていたからだ。
「楽しかったな、マコト」
「ええ。予想外に有意義な一日でした」
駅の改札前。
俺たちはそれぞれの帰路につく。
マコトは左へ、俺は右へ。
「ケイ」
別れ際、マコトが呼び止めた。
「次は、四人で来ましょう。……インフルエンザが治ったら」
「ああ。その時は、俺たちはお役御免で、ただの荷物持ちだな」
「それもまた、一興です」
俺たちは拳を軽く突き合わせ、背を向けた。
家に帰ったら、ミサキに電話しよう。
今日の話をしてやろう。
パンダカーに乗ったこと、ベンヤミンの話をしたこと、そして何より、お前がいなくて寂しかったこと。
俺のポケットの中には、パンダカーのぬいぐるみが温かく収まっている。
俺たちの「テセウスの船」は、部品を交換しながら、今日も明日も航海を続けていく。
変わらない座標軸を頼りに、それぞれの愛しい物語へと向かって。
(了)




