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放課後倫理学  作者: 紅茶
21/37

文化祭③


午後3時半。

中庭から悲鳴が上がり、校舎の照明が一斉に落ちた。

楽しげなBGMがブツリと途切れ、不穏な静寂とざわめきが広がる。


「……ッ」


セナの表情が一瞬で凍りついた。

さっきまで私の隣で頬を赤らめていた少女は、もうどこにもいない。


彼女はポケットから腕章を取り出し、素早い手つきで左腕に装着した。

その横顔は、冷徹な「生徒会副会長」のものだった。


「……夢の時間は終わりね。行くわよ、マコト」


声のトーンが2オクターブ下がる。

私は一瞬、その切り替えの速さに寂しさを覚えたが、すぐに自分の腕章を取り出した。


「はい。お供します」


私たちは走り出した。

手をつなぐことはもうない。今は戦場に向かう兵士同士だ。

現場である中庭の模擬店エリアは大混乱だった。


鉄板が冷え、客が騒ぎ、各クラスの責任者が怒鳴り合っている。


「ふざけんな! お前んとこが使いすぎたんだろ!」

「そっちこそ!」


そこへ、セナが飛び込んだ。


彼女はタブレットを掲げ、凛とした声で場を制圧した。


「静粛に! 見苦しいわね!」


一喝。場が静まり返る。

セナは画面を操作し、冷酷に告げた。


「原因は特定済みよ。1年B組と2年C組。貴方たちね? 事前に通達した電力リミットを大幅に超過しているわ」


責任者たちが青ざめる。


「い、いや、これは……」


「言い訳は不要。これは契約違反よ」


セナの目は氷のように冷たい。


「ペナルティとして、当該店舗への電力供給を1時間停止します。ルールを守れない者に、市場に参加する資格はないわ」


「そんな! 1時間も止まったら大赤字だぞ!」


「自業自得よ。撤収なさい」


セナの裁定は正論だ。

法治国家として正しい。


だが、正しすぎるがゆえに、人の心は離れる。


現場の空気が険悪になり、セナを見る目に敵意が宿り始めた。


(……これはいけませんね)


彼女は、自分の大切なデート時間を奪われた怒りも相まって、少し攻撃的になりすぎている。


孤立する王は、いずれギロチンにかかる。


私は一歩前に出た。


「……待ってください、副会長」


「マコト? 何を言うつもり? 違反は事実ファクトよ」


「ええ。ですが、ここで彼らを切り捨てれば、文化祭全体の成功率(満足度)が下がります。……私に案があります」


私は工具箱を掲げ、違反クラスの責任者たちに向き直った。


「生徒会室の予備電源を回します。私たちが使うはずだったエアコンと照明を切れば、ギリギリ賄えます」


「えっ……い、いいのか!?」


「ただし」


私はニッコリと笑った。眼鏡の奥の目は笑わずに。


「これは生徒会からの『慈悲』であり、同時に『貸し』です。後夜祭の撤収作業、生徒会の分まで手伝っていただけますよね? ……断るとどうなるかは……分かりますよね」


責任者たちは顔を見合わせ、そして必死に頷いた。


「やります! 絶対やります!」


「ありがとうございます、マコト先輩! セナ先輩!」


敵意が感謝へと変わる。

セナは呆れたように、しかし安堵したように私を見た。


「……マコト、貴方……私の決定を覆す気?」


「いいえ。貴女は『法』を守ってください。私が『政治』で泥を被ります」


私はすれ違いざまに、彼女の耳元で囁いた。


「……今後は私がヘイトを買うように立ち回りますから、貴女は温情のある措置を下してください」


セナは目を見開き、フンと鼻を鳴らした。


「……生意気ね。憐れみのつもり?」


「まさか。マキャベリズムですよ。いつでも切り捨ててくださいね」


「……言うじゃない」


私とセナは見つめ合い、お互いに堪えるように笑い合った。



午後4時。

電源が復旧し、トラブル対応を終えた私たちは、生徒会室に戻ってきた。


窓の外は夕焼けに染まり、祭りの終わりを告げている。


セナは椅子に座り込むなり、深く息を吐き、両手で顔を覆った。


「……最悪よ。一番いいところだったのに」


「仕方ありません。トラブルは祭りの付き物です」


私は紅茶を淹れて、彼女の前に置いた。


「でも……」


セナは顔を覆ったまま、震える声で言った。


「私、また可愛くない顔をしてたわ。鬼みたいな顔で怒鳴り散らして……。マコトの前では……ただの女の子でいたかったのに」


指の隙間から、潤んだ瞳が見える。

彼女は気にしていたのだ。


「完璧な統治者」であることと、「愛される少女」であることの矛盾に。


その不器用な葛藤が、私には痛いほど愛おしかった。

私は彼女の机に歩み寄り、片膝をついた。

目線の高さを合わせる。


「セナ。顔を上げてください」


「……嫌だ。今はブサイクだもの」


「やだって……そんなことはありません」


私は彼女の手首を優しく取り、顔から離させた。

夕陽に照らされた彼女の顔は、疲労の色が見えたが、それでも凛として美しかった。


「マコト……」


「幻滅なんて、するはずがありません」


私は彼女の手の甲に、敬意を込めて自分の額を押し付けた。


「トラブルに対応する貴女の姿は、誰よりも気高く、美しかったですよ。


屋上で笑う貴女も素敵でしたが……あの修羅場で、憎まれることを恐れずにルールを守ろうとした『鉄の女』としての貴女も、私は大好きです」


「……っ」


「貴女が鬼になるなら、私はその鬼の金棒になりましょう。貴女が道に迷ったら、私が地図になりましょう。……だから、安心して君臨してください。私の『女王陛下』」


それは、甘い愛の言葉よりも重く、キスの誓いよりも確かな「忠誠の宣言」だった。


私は、彼女の弱さも、強さも、不器用さも、すべてひっくるめて支える覚悟を決めたのだ。



セナの手が震える。

彼女は私の頭を、恐る恐る、そして優しく撫でた。


「……バカ。キザすぎるのよ、あんたは」


声が潤んでいる。でも、そこにはもう迷いはなかった。


「……許可するわ。これからも、私の一番近くにいなさい。私が『セナ』に戻れる場所は……ここしかないんだから」


「もちろんですよ」


私は顔を上げ、微笑んだ。

セナも、涙ぐんだ目で、しかし誇らしげに笑い返した。


彼女は私のネクタイを整え、そして自分のリボンをキュッと締め直した。


オンとオフのスイッチ。

甘い時間は終わりだ。ここからはまた、戦いが始まる。


「さあ、休憩終わり! 後夜祭の準備よ!」


セナが立ち上がり、棚の上に置いてあった射的の景品――パンダのぬいぐるみの頭をポンと叩いた。


「留守番よろしくね」


そして、振り返る。


「マコト、行くわよ!」


「はい、ただいま」


私たちは部屋を出た。

手をつなぐことはない。


けれど、並んで歩く二人の影は、どんな恋人たちよりも濃く、深く重なっていた。


祭りはまだ終わらない。


そして、私たちの「共犯関係」もまた、この夕陽の向こうへと続いていくのだ。


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