文化祭③
午後3時半。
中庭から悲鳴が上がり、校舎の照明が一斉に落ちた。
楽しげなBGMがブツリと途切れ、不穏な静寂とざわめきが広がる。
「……ッ」
セナの表情が一瞬で凍りついた。
さっきまで私の隣で頬を赤らめていた少女は、もうどこにもいない。
彼女はポケットから腕章を取り出し、素早い手つきで左腕に装着した。
その横顔は、冷徹な「生徒会副会長」のものだった。
「……夢の時間は終わりね。行くわよ、マコト」
声のトーンが2オクターブ下がる。
私は一瞬、その切り替えの速さに寂しさを覚えたが、すぐに自分の腕章を取り出した。
「はい。お供します」
私たちは走り出した。
手をつなぐことはもうない。今は戦場に向かう兵士同士だ。
現場である中庭の模擬店エリアは大混乱だった。
鉄板が冷え、客が騒ぎ、各クラスの責任者が怒鳴り合っている。
「ふざけんな! お前んとこが使いすぎたんだろ!」
「そっちこそ!」
そこへ、セナが飛び込んだ。
彼女はタブレットを掲げ、凛とした声で場を制圧した。
「静粛に! 見苦しいわね!」
一喝。場が静まり返る。
セナは画面を操作し、冷酷に告げた。
「原因は特定済みよ。1年B組と2年C組。貴方たちね? 事前に通達した電力リミットを大幅に超過しているわ」
責任者たちが青ざめる。
「い、いや、これは……」
「言い訳は不要。これは契約違反よ」
セナの目は氷のように冷たい。
「ペナルティとして、当該店舗への電力供給を1時間停止します。ルールを守れない者に、市場に参加する資格はないわ」
「そんな! 1時間も止まったら大赤字だぞ!」
「自業自得よ。撤収なさい」
セナの裁定は正論だ。
法治国家として正しい。
だが、正しすぎるがゆえに、人の心は離れる。
現場の空気が険悪になり、セナを見る目に敵意が宿り始めた。
(……これはいけませんね)
彼女は、自分の大切なデート時間を奪われた怒りも相まって、少し攻撃的になりすぎている。
孤立する王は、いずれギロチンにかかる。
私は一歩前に出た。
「……待ってください、副会長」
「マコト? 何を言うつもり? 違反は事実よ」
「ええ。ですが、ここで彼らを切り捨てれば、文化祭全体の成功率(満足度)が下がります。……私に案があります」
私は工具箱を掲げ、違反クラスの責任者たちに向き直った。
「生徒会室の予備電源を回します。私たちが使うはずだったエアコンと照明を切れば、ギリギリ賄えます」
「えっ……い、いいのか!?」
「ただし」
私はニッコリと笑った。眼鏡の奥の目は笑わずに。
「これは生徒会からの『慈悲』であり、同時に『貸し』です。後夜祭の撤収作業、生徒会の分まで手伝っていただけますよね? ……断るとどうなるかは……分かりますよね」
責任者たちは顔を見合わせ、そして必死に頷いた。
「やります! 絶対やります!」
「ありがとうございます、マコト先輩! セナ先輩!」
敵意が感謝へと変わる。
セナは呆れたように、しかし安堵したように私を見た。
「……マコト、貴方……私の決定を覆す気?」
「いいえ。貴女は『法』を守ってください。私が『政治』で泥を被ります」
私はすれ違いざまに、彼女の耳元で囁いた。
「……今後は私がヘイトを買うように立ち回りますから、貴女は温情のある措置を下してください」
セナは目を見開き、フンと鼻を鳴らした。
「……生意気ね。憐れみのつもり?」
「まさか。マキャベリズムですよ。いつでも切り捨ててくださいね」
「……言うじゃない」
私とセナは見つめ合い、お互いに堪えるように笑い合った。
午後4時。
電源が復旧し、トラブル対応を終えた私たちは、生徒会室に戻ってきた。
窓の外は夕焼けに染まり、祭りの終わりを告げている。
セナは椅子に座り込むなり、深く息を吐き、両手で顔を覆った。
「……最悪よ。一番いいところだったのに」
「仕方ありません。トラブルは祭りの付き物です」
私は紅茶を淹れて、彼女の前に置いた。
「でも……」
セナは顔を覆ったまま、震える声で言った。
「私、また可愛くない顔をしてたわ。鬼みたいな顔で怒鳴り散らして……。マコトの前では……ただの女の子でいたかったのに」
指の隙間から、潤んだ瞳が見える。
彼女は気にしていたのだ。
「完璧な統治者」であることと、「愛される少女」であることの矛盾に。
その不器用な葛藤が、私には痛いほど愛おしかった。
私は彼女の机に歩み寄り、片膝をついた。
目線の高さを合わせる。
「セナ。顔を上げてください」
「……嫌だ。今はブサイクだもの」
「やだって……そんなことはありません」
私は彼女の手首を優しく取り、顔から離させた。
夕陽に照らされた彼女の顔は、疲労の色が見えたが、それでも凛として美しかった。
「マコト……」
「幻滅なんて、するはずがありません」
私は彼女の手の甲に、敬意を込めて自分の額を押し付けた。
「トラブルに対応する貴女の姿は、誰よりも気高く、美しかったですよ。
屋上で笑う貴女も素敵でしたが……あの修羅場で、憎まれることを恐れずにルールを守ろうとした『鉄の女』としての貴女も、私は大好きです」
「……っ」
「貴女が鬼になるなら、私はその鬼の金棒になりましょう。貴女が道に迷ったら、私が地図になりましょう。……だから、安心して君臨してください。私の『女王陛下』」
それは、甘い愛の言葉よりも重く、キスの誓いよりも確かな「忠誠の宣言」だった。
私は、彼女の弱さも、強さも、不器用さも、すべてひっくるめて支える覚悟を決めたのだ。
セナの手が震える。
彼女は私の頭を、恐る恐る、そして優しく撫でた。
「……バカ。キザすぎるのよ、あんたは」
声が潤んでいる。でも、そこにはもう迷いはなかった。
「……許可するわ。これからも、私の一番近くにいなさい。私が『セナ』に戻れる場所は……ここしかないんだから」
「もちろんですよ」
私は顔を上げ、微笑んだ。
セナも、涙ぐんだ目で、しかし誇らしげに笑い返した。
彼女は私のネクタイを整え、そして自分のリボンをキュッと締め直した。
オンとオフのスイッチ。
甘い時間は終わりだ。ここからはまた、戦いが始まる。
「さあ、休憩終わり! 後夜祭の準備よ!」
セナが立ち上がり、棚の上に置いてあった射的の景品――パンダのぬいぐるみの頭をポンと叩いた。
「留守番よろしくね」
そして、振り返る。
「マコト、行くわよ!」
「はい、ただいま」
私たちは部屋を出た。
手をつなぐことはない。
けれど、並んで歩く二人の影は、どんな恋人たちよりも濃く、深く重なっていた。
祭りはまだ終わらない。
そして、私たちの「共犯関係」もまた、この夕陽の向こうへと続いていくのだ。




