定点観測、僕からみた彼ら
僕の高校生活は、基本的には「背景」としての役割を全うすることに費やされている。
成績は中の上。部活は帰宅部。目立った特技もなければ、トラブルメーカーでもない。教室の座席表で言えば、窓際でも廊下側でもない、真ん中の列の後ろから三番目。
それが僕の定位置だ。
この位置は、実は特等席だ。
なぜなら、ここからは「彼ら」がよく見えるからだ。
「おいマコト、昨日のニュース見たか? あれは衆愚政治の極みだぞ」
「声が大きいですよ、ケイ。朝からヘーゲルですか? 胃もたれしますね」
教室の左奥、窓際の席。そこだけ空気が違う。
まるで舞台照明が当たっているかのように、そこには常に「何か」が起きている気配がある。
ケイ。
一人称が「俺」の女子。スカートの下にジャージを履いたり履かなかったり、気まぐれな猫のような、あるいは台風のような奴。
マコト。
一人称が「私」の男子。銀縁眼鏡の奥で何を考えているのか読めない、静かな湖のような奴。
彼らはいつも二人で話している。
内容は聞こえてきたりこなかったりするけれど、僕にはその中身(哲学だとか思想だとか)はどうでもいい。
ただ、彼らの周りにだけ「透明な壁」があるように見えるのだ。誰も割って入れない、二人だけのエアポケット。
クラスメイトたちは、遠巻きに彼らを見ている。
「またやってるよ」
「付き合ってんのかな」
「いや、ああいうのとは違うっしょ」
そんな噂話をBGMに、僕は頬杖をついて彼らを眺める。
彼らは恋人には見えない。かといって、ただの友達というには距離が近すぎる。
まるで、生き別れた双子が再会して、互いの存在を確認し合っているような――そんな切迫した空気が、彼らの間には常に流れている。
二年生の秋頃から、その閉じた世界に変化が起きた。
登場人物が増えたのだ。
まずは、図書委員のミサキちゃん。
彼女はクラスでも地味な方で、休み時間はいつも本を読んでいた。僕と同じ「背景」側の人間だと思っていた。
けれど、ある時期から彼女はケイの席に通うようになった。
「ケイちゃん、これ。おすすめの本」
「ん? おう、サンキュー。……って、また恋愛小説かよ。俺は論理的な文章しか読まねぇって」
「いいから読んでみて。絶対ハマるから」
あの台風みたいなケイが、ミサキちゃんの前だと少しタジタジになる。
マコトはそれを、保護者みたいな顔でニコニコ見ている。
不思議な光景だった。あの「俺様」なケイが、ふわふわした女の子に手懐けられているなんて。
そしてもう一人。
生徒会のセナ。
彼女は「背景」どころか、学園カーストの頂点にいるような人だ。成績優秀、容姿端麗。近寄りがたいオーラを放っている。
そんな彼女が、なぜかマコトの席にやってくるようになった。
「ちょっとマコト。生徒会の資料、チェックしてって言ったでしょ」
「ああ、すみません。忘れていました」
「罰として、今日の放課後付き合いなさいよ」
セナはマコトに対して強気だ。まるで自分の所有物みたいに扱う。
でも、マコトの方も嫌がってはいない。むしろ、そのやり取りを楽しんでいるようにすら見える。
ケイとマコト。
そこにミサキちゃんとセナが加わった。
四人が揃うと、教室の窓際はカオスだ。
ケイが何か叫び、マコトがたしなめ、ミサキちゃんが笑い、セナが冷ややかにツッコミを入れる。
ラブコメなのか、青春群像劇なのか。
ジャンルは不明だが、とにかく退屈しない。
僕はシャーペンを回しながら、ぼんやりと思う。
(すごいな。主役級が四人も集まっちゃって)
彼らはキラキラしている。
悩んだり、喧嘩したり、笑い合ったり。
僕の平坦な日常とは違う、ドラマチックな時間がそこには流れている。
羨ましいかと言われれば、少し羨ましい。でも、あの中に入りたいかと言われれば、全力で拒否する。
カロリーが高すぎる。僕は観客席でコーラを飲んでいるくらいが丁度いい。
ふと、思うことがある。
ケイとマコトは、いつからあんな風になったんだろう。
クラスの連中は言う。
「あいつら、幼馴染なんだろ?」
「家が隣同士とかじゃない?」
「じゃなきゃ、あんな阿吽の呼吸できないって」
みんなそう思っている。
言葉にしなくても通じ合う、あの空気感。十年来の付き合いじゃなきゃ説明がつかないと。
でも。
僕は知っている。
彼らは幼馴染じゃない。
それどころか、高校に入るまで、お互いの存在すら知らなかったはずだ。
なぜなら、僕は見ていたからだ。
一年生の四月。入学式の日を。
あの日、桜が散る中、小雨が降っていた。
僕は早めに学校に着いて、昇降口でクラス分けの掲示板を見ていた。
そこに、彼らもいた。
ケイは、まだジャージを履いていなかった。真新しい制服を少し窮屈そうに着て、不機嫌そうな顔で立っていた。傘を持っていなかったのか、肩が少し濡れていた。
マコトは、今と変わらない銀縁眼鏡で、丁寧に畳んだ傘を手に持ち、掲示板を無表情で見上げていた。
二人は、隣り合って立っていた。
距離にして、五十センチ。
でも、二人は一瞥もしなかった。
挨拶もしない。目も合わせない。完全に「他人」だった。
もし幼馴染なら、そこで声をかけるはずだ。
もし中学が同じなら、何かしらのリアクションがあるはずだ。
でも、彼らは互いを空気のようにスルーして、それぞれの教室へと歩いて行った。
だから、僕は知っている。
彼らが出会ったのは、その後の教室だ。
一年生の最初のホームルーム。自己紹介の時間。
あれは今でも語り草になっている。
出席番号順に、無難な挨拶が続いていた。
「趣味はサッカーです」「部活はまだ決めてません」
そんなテンプレートな挨拶が繰り返される中、ケイの番が来た。
彼女は立ち上がり、ポケットに手を突っ込んで言った。
「……名前はケイ。趣味は思考実験。あと、俺に話しかける時は論理的にお願いします。以上」
教室がざわついた。
「俺」? 女子だよな? 思考実験って何?
みんながヒソヒソと噂する中、彼女は気にせずドカッと座った。
その直後だった。
マコトの番が来た。
彼は静かに立ち上がり、綺麗な敬語で言った。
「マコトです。読書が好きです。……先ほどの方の『思考実験』という趣味、非常に興味深いですね。私の趣味も、似たようなものですから」
彼は、ケイの方を見て、ニッコリと笑った。
その瞬間、ケイが顔を上げた。
二人の視線がぶつかった。
教室の空気が、ピリッと変わったのを覚えている。
それは「恋に落ちた」とかいう甘いものじゃなかった。
もっとこう、鋭利な刃物同士がカチンと当たったような音。
あるいは、同じ周波数の無線機が、突然ハウリングを起こしたような衝撃。
ケイは驚いたような顔をして、それからニヤリと笑った。
「……へぇ。お前、話通じそうだな」
「どうでしょう。貴方の論理次第ですね」
それが、全ての始まりだった。
休み時間になると、二人はすぐに話し始めた。
まるで、今まで溜め込んでいた言葉を吐き出すみたいに。十年間会えなかった親友と再会したみたいに。
周りは「なんだあいつら」と遠巻きにしていたけれど、僕は後ろの席で見ていて思った。
(ああ、見つけたんだな)
宇宙人が、地球でたった一人の同族を見つけた時って、きっとあんな顔をするんだろう。
それからの一年半。
彼らは飽きもせず、ずっと一緒にいる。
ミサキちゃんやセナという新しい要素が加わっても、根底にある二人のラインは切れていない。
僕は昼休みにパンをかじりながら、彼らのテーブルを見る。
今日は四人で食べている。
ケイがまた何か熱く語り(唐揚げの所有権についてだろうか)、セナがそれを奪い取り、ミサキちゃんがマコトにパンを分けてあげている。
楽しそうだ。
そして、何より「完成」されている。
僕はふと、入学式の日の、あの冷たい小雨を思い出す。
あの時、すれ違っていた二人。
もしあの日、クラスが違っていたら?
もし自己紹介の順番が離れていたら?
彼らは今でも、互いを知らないまま、孤独な「俺」と「私」として、別々の場所で世界を睨みつけていたのかもしれない。
そう考えると、今のこの騒がしい光景が、なんだか奇跡みたいに思えてくる。
幼馴染じゃない。
過去の共有なんてない。
だからこそ、彼らは今、猛烈なスピードで「共有できる時間」を積み上げているのかもしれない。
空っぽだった過去を埋めるように。
これから来る未来を、二度と一人にしないために。
「……ま、僕には関係ないけど」
僕は最後のパンを口に放り込み、席を立つ。
午後の授業は体育だ。移動しなきゃいけない。
窓際の彼らの前を通る。
ケイと目が合った。彼女は僕のことを認識しているのかいないのか、軽く顎をしゃくったような気がした。
マコトは僕の方を見て、軽く会釈をした。礼儀正しい奴だ。
僕は何も言わず、ただ通り過ぎる。
僕は観客だ。
舞台の上に上がることはない。
でも、この特等席から見る彼らの物語が、僕は案外嫌いじゃない。
卒業まであと二年。
この奇妙で、騒がしくて、知的な四人が、どんな結末を迎えるのか。
それを最後まで見届けるのが、僕というモブキャラに与えられた、密やかな楽しみなのだ。
(了)




