第7話:勝利は調和の中から生まれる
私はカテジナの手を引き、中央鍛冶場の扉を再び開けた。熱気と轟音。
そして、男たちのむせ返るような汗の臭い。そんな男社会の聖域に
煤まみれの小柄な女性を連れ込んだのだから、反応は劇的だった。
「――おいっ、何だそいつは」
ギルド長が、真っ赤に焼けた鉄箸を持ったまま、鬼のような形相で振り返る。
「まさか、その物乞いをここで働かせる気か?
そもそも神聖な鍛冶場に女を入れるなと、何べん言や分かるんだッ!」
その鉄箸を私とカテジナへ向け威圧する。
「言葉を慎め。
兵器廠長の私が、ただの女をここへ連れて来るとでも思っているのか?」
「うるさい。女は鉄を錆びさせ、炉の火を腐らせる。そんな常識も知らんのか!」
「そんな常識など関係ない。軍は強い金属を求めている。
そしてそれを作ることのできる彼女を、私は工場長に任命した」
「おい、工場長だと?……ふざけるのもいい加減にしやがれッ!」
ギルド長は完全に激昂し、周囲の職人たちもハンマーを止めて殺気立つ。
「俺たちゃ誇りあるプラハのギルド員だ!素性も知れぬ流れ者、
それも鉄の何たるかも知らぬ小娘に顎で使われる謂れなんてねえんだよッ!」
「鉄を知らない、か」私は隣のカテジナを見た。
彼女は怯えるどころか、ギルド長の手元にある炉を睨みつけ、鼻を鳴らした。
「――臭うわね」「ああッ?」
「リンと硫黄の臭いよ。そんな屑石炭を使ってるから、鉄が風邪を引くのよね」
カテジナは私の手を振りほどき、ツカツカとギルド長の目の前まで歩み寄る。
そして、あろうことか炉のダンパーを蹴り飛ばして全開にした。
「おい!何をしてる!閉めろッ!」ギルド長が血相を変えて叫ぶ。
「火力が強すぎる!炉が保たん、鉄が溶けちまうぞ!」
「溶かしてるのよ!半凝固のまま叩くから不純物が残るの。
完全に液状化させて、スラグを分離させる!」
「正気か!?中で爆発したら全員死ぬぞッ!おい誰か、その小娘をつまみ出せ!」
激昂した職人たちが、彼女に掴みかかろうと殺到する。
しかし、私は敢えて止めたりはしない。
鍛冶場に入ってからの彼女の人の変わりようを見て、確信に至った。
間違いない、カテジナは工廠で揉まれてきた本物の職人だ。
男たちの怒鳴り声や暴力の雰囲気程度で、彼女が立ち竦むことはない。
「――アンタッ、なにボサっとしているの、さっさと風を送りなさいッ!!」
少女の絶叫。その瞳には、炉の炎よりも熱い、狂気的な光が宿っている。
そのあまりの迫力に、職人たちが初めてたじろぎ始めた。だが彼女は見ていない。
最初から男たちなど歯牙にも掛けていない。
彼女が見ているのは、炉の中でドロドロに形を崩し始めた鉄の赤色だけだ。
「もっとよ!もっと温度を上げなさい!不純物を燃やし尽くして!」
彼女の怒号に、我に返ったふいご係が反射的に従う。
たしかに、彼女の命令には抗えない強制力があった。
「リズム乱れてる!心臓の音に合わせなさい!強く、長く、吐き出すように!」
わけも分からず、ふいご係はがむしゃらにレバーを引く。
彼の腕は単なるピストンと化し、カテジナという頭脳の手足となって
炉を限界まで追い込んでいく。
ゴオオオオッ!!
この時代の常識的な鍛冶仕事ではあり得ない。
炉壁が溶解する寸前の超高温。職人たちの顔はもう真っ青だ。
「やめろ……やめろぉ!全員を殺す気かッ!」
「悪魔だ、あの女、何かに取り憑かれてやがるッ……!」
恐怖で後ずさる男たち。フフフッ。その中で、カテジナだけが笑っていた。
顔を炎で炙られ、ブロンドの髪を焦がしながら、
恍惚とした表情で坩堝の中を覗き込んでいる。
「まだよ……まだ……赤から、オレンジへ……そして白へ……」
前世で私はプラントにいたが、カテジナが何をやろうとしているのかは分かる。
反応工学の原理は製鉄も同じだ。彼女は今、
炎の色だけで化学反応を見極めているのだ。脱炭反応。
鉄の中の余分な炭素が酸素と結びつき、一酸化炭素となって燃え抜ける瞬間を。
「……今だッ!風を止めてッ!」ふいご係は必死に身体を預けて止める。
カテジナは慣れた手つきで素早く坩堝を傾け、中身を砂型へと流し込む。
鮮やかなオレンジ色の液体が、生き物のように鋳型を満たしていく。
それは、従来のドロドロした鉄とは明らかに異なり、サラサラとしていた。
不純物が十分に取り除かれた証拠だ。
「ヒッ……」誰かが短い悲鳴を上げた。鉄が、水のように流れる。
その事実は、彼ら数十年の経験則を根底から徹底的に破壊する光景だった。
静寂。パチパチと爆ぜる炭の音だけが響く中、鉄は急速に冷え固まっていく。
カテジナは火箸を使い、黒くなった鉄板を無造作に放り出した。
「……ねえ」カテジナは肩で息をしながら、ギルド長を顎でしゃくる。
「叩いてみなよ」ギルド長は、恐る恐る近づく。
まるで、未知の生物の死体でも触るかのように。
震える手で小槌を握り、その薄汚い鉄板を叩く。
――キィィィィン……
それは、澄み渡るような高音だった。
従来の鉄が発する「ゴッ」という鈍い音ではない。
鐘の音にも似た、長く、美しく響く残響。結晶構造が均一で
密度が高く、不純物が極限まで取り除かれたスチールだけが奏でる音色。
「あ……」ギルド長の口が、半開きになる。彼はもう一度叩いた。
キィィィン。もう一度。キィィン。その音を聞くたびに、
彼の目から怒りと濁ったものが消えていき、
代わりに子供が新しい玩具を見つけた時のような純粋な色が浮かんでくる。
「馬鹿な……ただの屑鉄を溶かしただけで……
なぜダマスカス鋼のような音がするんだ?」
「空気を吹き込んで不純物を燃やし、色を見て炭素量を調整しただけよ」
カテジナは煤で汚れた顔を袖で拭い、唇の端を上げ、大きな目を細めて微笑む。
拭った跡だけが白く浮かび、まるで子供が泥遊びをした後のような、
妙に可愛らしい顔になっていた。
「鉄は正直なの。ケミストリーに従うんだからね」
ギルド長は、もう一度叩く。キィィィィン。
「う、美しい……」その呟きは、降伏宣言だった。
理解できない技術への恐怖。小娘にプライドをへし折られた屈辱。
だが、それら全てを飲み込んで余りあるほどに、
目の前のスチールは魅力的すぎた。
私はここぞとばかりに、懐から将軍の短剣を取り出す。
「ギルド長、もう一度問おう。
兵器廠長の私が、ただの女をここへ連れて来るとでも思っていたのか?」
完全に静まり返った中央鍛冶場で、私は宣言する。
「ジシュカ将軍の勅命だ。この時分より、ここを造兵廠として接収する。
全職人は彼女の指示に従い、規格化された部品を作れ。これに反するは――」
「――ちょっと待ってくれ、兵器廠長殿」遮ったのは、ギルド長だった。
彼は私ではなく、カテジナに向かって深く頭を下げる。
「教えてくれ、あんた……いや、マイスター。
どうすれば、俺たちにもこの音が出せるんだ?」
軍の命令など、もはや必要なかった。
職人とは因果な生き物だ。権力や武力には逆らえても、
圧倒的な技術力を前に逆らうことはできない。
何十年と積み重ねてきた職人のプライドだろうと、
好奇心や向上心を打ち消すことはできない。
未知への恐怖は、すでに知への渇望へと変わっていた。
「……マイスターはやめて。そうねえ――」そこまで言い淀んで言葉を止める。
カテジナは何かを思いついたように、私の方を向き直し
「……Directorと呼びなさい」悪戯っぽくウィンクした。
こうして一四二〇年のボヘミアに、四百年以上も早い産業革命が訪れた。
アーセナルの外へ出ると、夜風がやけに心地よかった。
「――見事だ、カテジナ」
「ふん、あんなもの、コークス炉と転炉があればもっと上手くやれてるわ」
彼女は強がりながらも、その手は微かに震えていた。
「……ありがとね、ジョージ。アタシ、やっと……やっとスチール打てるのね」
彼女の大きな瞳から、溢れんばかりの涙が溢れ出す。
煤で汚れた頬を伝う涙の筋が、
彼女の幼い顔立ちを、より一層あどけなく見せていた。
「ああ。君の作る鋼鉄で、我々は世界を変えるんだ」
私は、少しだけ上手になったボウスクレープを披露する。
「うん!まずは炉を作り変えないとね」
カテジナは、少しだけ滑らかになったカーテシーで返礼した。
月明かりの下、産業革命の申し子は、現代科学の申し子と共に歩み出す。
ここまで読み進めていただき、ありがとうございます!
1月2日〜14日は朝7:10/夕18:10に予約済みですので
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




