第6話:Henry Bessemer
ターボルの職人街は、炎と汗で喧騒に包まれていた。
ふいごの唸り声、ハンマーが鉄を叩く律動、そして屈強な男たちの怒号。
一見すれば活気ある生産拠点だ。
だが、私にはそこが越えられない巨大な壁に見えた。
「だから、無理だと言ってるんだッ!」煤で黒ずんだ顔の男
――鍛冶ギルドの長が、私の差し出した図面を地面に叩きつけた。
「鉄を溶かして型に流し込む『鋳造』でピスタラを作れだと?
馬鹿なことを言うな。そんなことをすれば、冷えた時に気泡が入って
使い物にならない脆い鉄屑ができるだけだ」
「だからこそ、脱炭処理と温度管理が必要なのです!
空気を吹き込んで不純物を燃焼させれば――」
「うるさい!俺たちは忙しいんだ!小僧の妄想に付き合っている暇などない。
鍬の修理と、槍の穂先だけで手一杯なんだよ!」
ギルド長は背を向け、大げさに手を振って早く出ていけと追い払う仕草をした。
私は唇を噛み締め、拳を握る。
将軍の短剣を抜けば、無理やり命令を聞かせることはできるだろう。
だが、それでは意味がない。新発明や新技術はいつだって情熱の産物だ。
権力者が暴力で従わせて、産み出せるものではない。
(ここで、終わりかな)
私は図面を拾い上げ、絶望的な気分で空を仰ぐ。
ギルド長の言うことは、この一五世紀の常識としては正しいのだ。
今の技術で鋳鉄を作れば、炭素含有量が高すぎてガラスのように割れる。
逆に、叩いて作る錬鉄では柔らかすぎて高圧に耐えられない。
必要なのはその中間。硬く、かつ粘り強い鋼鉄だ。
だが、それを安定して量産する技術は、この時代には存在しない。
せめて今が十八世紀ならわずかな可能性も見い出せるのだが
――あまりに遠すぎる。
「私の知見など、所詮は机上の空論か」少女たちの阿鼻叫喚は続く。
全てが嫌になって、私は工場の奥へと逃げ込んだ。
熱気と騒音から逃れるように、廃棄物が積み上げられた裏手へ。
そこは、失敗作の剣や錆びた鉄板が、無造作に打ち捨てられた鉄の墓場だった。
(ここで終わりなのか、私の復讐は――)
鉄屑の山の前で立ち尽くす。
積み上げられた赤錆びた鉄塊が、私の無力さを嘲笑っている。その時だった。
ガリッ、ガリッ、ガリッ
鉄の墓場の片隅から、奇妙な音が聞こえた。ハンマーで叩く豪快な音ではない。
もっと繊細で、神経質な、何かを削り取るような音。
私は何かに引かれるように、鉄屑の山を回り込む。そこに、小さな人影があった。
ボロ切れのような作業着を身につけ、髪は煤と油でゴワゴワに固まっている。
顔も手も真っ黒で、性別さえ判然としない。
ただ、汚れた布で髪を縛り上げている様子から、小柄な女性だろうと推測する。
彼女は、拾ってきた鉄屑を万力で固定し
自作らしき粗末なダイスでねじ山を刻んでいた。
「――何をしているんだ?」
声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、弾かれたように顔を上げた。
煤まみれの顔の中で、青いガラス玉のような瞳だけがキラキラと輝いていた。
汚れの隙間から覗く肌は、避難民の少女にしては驚くほど白い。
丸みを帯びた頬、小さな鼻、薄い唇――愛らしい顔立ちの子だ。
そして灰かぶった髪の根元は、この辺りで珍しいブロンドの輝きが見え隠れする。
「あッ、いや、これは……盗んだわけじゃ……捨ててあった……ので……」
彼女は慌てて背後の作業台を隠そうとする。
だが、私はその台の上に並べられた『部品』を見て、思わず息を呑む。
六角形の穴が開いた小さな鉄塊。そして、螺旋状の溝が刻まれた鉄の棒。
「これは、ボルトと――ナットか?」私の呟きに、彼女の目が丸くなる。
「……アンタ、これの名前、知ってんの?」
「締結するためのスクリューだろう?なぜこんなものを?」
「留め金が壊れたから…作ってたの。釘じゃ緩むしリベットじゃ外せないから…」
彼女はモゴモゴと言い訳しているが、私はその精度に戦慄していた。
この時代、ねじ自体は存在しなくはない。
だが、それは木製や軟らかい金属で作られた、極めて粗雑なものだ。
だが彼女が削り出したそれは、均一なピッチを持ち、
互いに噛み合うよう明らかに規格化されている――
私は彼女の手元にある、削りかけの鉄片を手に取った。重い。そして、硬い。
「これは――」
「返してよぉ!それはアタシが見つけたやつなんだから!」
彼女は抗議の声を上げる。
「ここの親方たち馬鹿ばっかりよ。火花の色みればすぐ分かるのに。
それはリンが少なく、炭素がいい具合に入っちゃってる。
粘りあるから、バネにもなるし、ボルトにもできるのに……
みんな溶かして鍋にしちゃうんだ……」
――スパークテストのことか!
グラインダーで鉄を削った時に出る火花の色や形で、炭素含有量や
鋼種を見分ける技術。だがそれを、この時代の小間使いが、なぜ知っている?
いや、ちょっと待て、それどころじゃない。
『リン』や『炭素』という元素名を、いま彼女は口にしてなかったか?
私の臓が、脈が、早く打つ。まさか――
いや、あり得るのか? あり得るんだ。私が、『ジリ』が、存在してるのだから。
神が投げたサイコロは、一つとは限らない。
私は震える声で、彼女に問いかけた。この時代の人間には決して理解できず
しかし、ある時代の技術者ならば確実に知っているはずの問いを。
「――マドモアゼル。君なら、どうやって鋼を作る?」
「え?」
「脱炭だ。溶けた鉄に空気を吹き込み、不純物を燃やす。そうだったんだろう?」
今度は彼女の表情が凍りついた。怯えや警戒ではない。
信じられないものを見た、驚愕の表情。
彼女もまた私の顔を凝視し、乾いた唇を懸命に動かそうとしている。
その言葉はチェコ語ではない。英語だ。
それも、労働者階級の訛りが混じった、古風な英語。
「……Bessemer process(ベッセマー法)のことを、言ってるの?」
いま、世界が、静止した。職人街の喧騒が遠のいていく。
一九世紀、産業革命の象徴。現代製鉄の父、サー・ヘンリー・ベッセマー。
まさかその名を、この一五世紀、ボヘミアの片隅で聞くことになろうとは。
「――はははっ」思わず乾いた笑いが漏れた。見つけた。見つけてしまった。
この泥沼の中で一欠片の黄金、いや大粒のダイヤモンドを。
私は紳士たらんと膝をつき、彼女の目線の高さに合わせる。
まるで舞踏会へと誘うかのごとく、手のひらを上に差し出し
小さなレディの煤で汚れた手を取る。
「御名前をお伺いしても?」
「……カテジナ」彼女は大きな瞳を、まんまるにして答える。
「そうか、カテジナ。君の前世がどこかは知らないが
――君はこの時代に早すぎる」
私は、ジシュカから預かった短剣を掲げて、彼女にこう宣言する。
「私の名はジリ。ターボル軍より『兵器総監』を任ぜられている」
一九世紀のイングランド人に通じるであろう表現で語りかける。
「私には君が必要だ。――どうだろう?こんな薄暗い場所で鉄屑を漁るのは
そろそろ終わりにして、私と一緒に世界をひっくり返してみないか?」
カテジナは呆気にとられ、それから私の手、自作のダイス、ボルトを交互に見る。
やがて、その煤まみれの愛らしい顔に似つかわしくない不敵な笑みを浮かべる。
それは抑圧された天才が、生まれて初めて自分の理解者を得た時に見せる
解き放たれた笑顔だった。
「給金は、弾んでくれるんでしょうね?旦那様」
彼女は、大げさなカーテシーで応えた。
「もちろんですとも、お嬢様」
私は、ぎこちないボウスクレープで返礼する。
「それでは、エスコートいたしましょう」
少女たちの阿鼻叫喚はもう聞こえない。




