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第5話:後の要塞都市ターボル

一四二〇年、夏。十字軍に包囲されていた王都プラハの救援を

奇跡的にも成し遂げた我々は、本拠地ターボルへと帰還した。

だが、そこで我々を出迎えたのは、凱旋のファンファーレでもなければ

美しく彩る花吹雪でもなかった。


「おい、押すな!押すな!今日の配給は半分だけだ!」

「ふざけるな、俺たちは神のために戦ったんだぞ!もっと寄越せ!」


広場には、泥と汗、そして腐臭をまとった人の塊がうごめいていた。

粥の鍋は薄く、柄杓で掬えば底が透ける。

伸ばされた手、泣き声、怒鳴り声。飢えは信仰より早い。


ターボル。

聖書にある変容の山から名付けられた『終末に備える正しき者たちの町』

高潔な理想を掲げた地上の楽園――のはずだった。

しかし現実は、ボヘミア中から逃げ込んできた数万の民を支えきれず

巨大なスラムへと変貌していた。


「――ひどい有様だな」荷馬車の上で、私は思わず独りごちる。

「仕方ないさ、ジリ。急激に人が増えすぎたんだ」

手綱を握るプロクが、疲れた顔で肩をすくめた。


「理想郷を作るには、まず食事と寝床がいる。

だが今のターボルには、雨風を凌ぐ屋根さえ足りない」

「ああ。だが、それ以上に足りないものがある」


私は、荷台に積み上げた資材の山――殺した聖騎士たちから剥ぎ取った

ひしゃげた甲冑や折れた剣――を振り返る。


「時間と技術だよ」


市庁舎へ到着すると、すぐに軍議が開かれた。

最上階の作戦会議室には、勝利の美酒に酔う空気など微塵もなかった。


ドンッ!


分厚いオーク材の机に叩きつけられたのは

銃口が裂け、無惨にめくれ上がった一丁のピスタラだった。

ヴィートコフの丘でミレナの腕を奪ったあの凶器だ。


「――説明しろ、ジリ工匠頭、アネシュカ隊長」

上座のジシュカが、隻眼で冷たく射抜く。


「ヴィートコフでの戦功は大いに認める。だが報告によれば

砲手の一割が負傷、その半分が重傷。火器にいたっては二割が破損だ」

ジシュカは壊れたピスタラを指先で弾き、乾いた音を立てさせた。


「壊れた玩具で戦争を続けるつもりか?」

幹部たちのざわめきは広がる。

新型火薬は、無敵の聖蹟を打ち破る救世主に映っていたはずだ。


しかしジシュカだけは現実――リスクとリターン、そしてコストを見据えていた。

彼は、奇跡に関心を示さない。関心があるのは、

次に来る大きな波と、それをどう凌ぐかという冷徹な計算だけだ。


「恐れながら、閣下」

アニエが一歩前に出る。質素な普段着でも、その佇まいには没落してなお失われぬ

貴族の気品が漂っていた。絵画のような美しい横顔に、冷や汗が伝うのが見える。


「聖ヨハネ騎士団を屠るには、新型火薬を用いるしかありませんでした」

言外に、損耗だけでなく戦果を見ろと抗弁する。砲兵十数名の命で、

聖騎士どもを肉塊に替えられるのなら、それは我らの利益であると。


「閣下はやめろと言っただろう!そんなことは分かっているッ!

だがピスタラ隊の士気低下は深刻だ。隊長の貴様が一番よく分かっているだろう?

このままでは軍は瓦解するぞ!」

そう、ジシュカは軍全体を俯瞰し、今後について議論している。

アニエは唇を強く噛み、悔しそうに下を向く。


「筒を強化します」私が横から口を挟むと、

待っていたとばかりに、ジシュカの視線がゆっくりと私に向いた。

巌のような圧迫感。「ほう、どうやるんだ?言ってみろ、錬金術師殿」


「鋳鉄では脆すぎる。鋳造では重すぎる。

必要なのはより薄く、より強靭な鋼――スチールです」


「ならば、町の鍛冶ギルドにそう命じろ」ジシュカは即答する。

だがそれが、最も難しいと分かっているからこそ、

作戦会議室の空気はさらに冷える。


「それが――困難なのですよ」プロクが眼鏡を押し上げ、補足する。


「ターボルの職人たちは非常に保守的です。余所者で、元貴族の我々の指示には

従えないでしょう。彼らは彼らのやり方に誇りを持っていますから。製法を

変えろと言えば、ハンマーを置いてターボルから立ち去ることになりかねません」


ジシュカは鼻を鳴らし、腰から装飾のない、武骨な短剣を抜く。

それを私の目の前で、切っ先を下にし、突き刺す。

キィン、と硬質な音が作戦会議室に響いた。


「ジリ、貴様には追加で『兵器廠長』の権限を与えてやる」

「――は?」

「この短剣を見せれば、俺の言葉と同じ効力を持つ。鍛冶ギルドだろうが

商人ギルドだろうが、必要なものは徴発しろ。拒むなら反逆者として扱え。

資材も、人も、金も、好きなだけ使うといい」


ジシュカは椅子に深く座り直し、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

それは信頼の証であり、あるいは死刑の宣告でもあった。


「冬が来る前にヴィシェフラド攻略を急がねばならん。全軍の装備を更新しろ。

一丁でも暴発させてみろ――その短剣で、貴様が贖うことになる」

ごくり、と喉が鳴る。私の知る史実通りに動くのなら、

ヴィシェフラド城の戦いまで、あと四ヶ月もないはずだ。

そんな短期間で、ボヘミアにスチールを誕生させろと言うのか――。


(――それは無理だ。まったく現実的ではない)


理論ならば、私の脳内にある。だが、それを作る炉と技術がない。

鍛冶ギルド全職人が、私に無条件に従うというありえない条件で

シミュレートしても、プラント勤務の経験を活かし、高炉までなら作れるだろう。

幸いにも、チェコなら耐久材や石炭、木炭の入手は容易だ。

だが、精錬技術を鍛冶職人たちに指導することはできない。


私のキャリアは万能じゃない――。


「――拝命しました」それでも、足掻き続けるしかない。

少女たちの阿鼻叫喚は続く。特異点を掘り起こせるとしたら、私しかいない。


震える手で、その冷たい短剣を握りしめる。ズシリと重い。

それは鉄の重さなどではなく、絶望的な未来の重さだった。

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